エインヘリアル・ヘルヘイム

緋雁✿ひかり

第一部

第一章 前兆は、偶然ではなく選択です。

00【プロローグ】ナーシェ

「はぁ、はぁ……持ってきたよ、ナーシェちゃん……はぁ、はぁ」


 肩で息をしながら部屋に入ってきたコロネが、小さな箱を手渡してきます。

 八番街の孤児院で、五歳になった女の子に一つずつ配られる、アートゥの茎で編まれたベージュの化粧箱。

 今はボロボロになってしまいましたが私も昔、孤児院で同じ物を貰いました。


「ありがとうコロネ。急がせてごめんなさいでした」

「ううん、それはいいんだけど……ほんとに大切なものだから、使うのは半分だよ。約束だよ!」


 渡された箱のふたをそっと開けて、私は少しの間、固まってしまいます。


「……なんですか、これは?」

「だから、コロネの宝物だよ」


 長い前髪の向こう側で、亜麻色の大きな瞳をきらきらと輝かせながら、コロネが自慢げに胸を反らします。


「宝物を持ってくるように頼んだのだから、それは分かりますけど……内容の説明を求めているのですよ」

「えっとねえ……地上まで遠足に行ったときにコロネ一人で集めた、セミムシの抜け殻だよ! ……あ、ちょっと先生にも手伝ってもらったけど」

「セミムシ……」


 六歳にしては利発な子ですが、まだまだ愛好品の趣向は年相応なのですね。

 瞳と同じ、鮮やかな亜麻色のショートボブをぽんぽんと撫でてあげると、コロネが嬉しそうにエヘヘ、と微笑みます。


「分かりました。想いがこもっているのなら何でも構いまわないですよ。これでやってみます」


 床に描かれた魔法円の中心に小箱を置いた私の腕を、コロネが慌ててつかみます。


「だ、だめだよナーシェちゃん! それごと置いたら箱までなくなっちゃうよ! それに、使うのは半分だけって約束だよ!」

「ああ、そうでしたね。……では、半分だけ、魔法円の中に撒いてください」


 コロネが、首を傾げて私のことをじっと見上げます。


「……もしかしてナーシェちゃん、セミムシの抜け殻、さわれないの?」

「そ、そんなことあるわけないじゃないですかっ! 十二歳にもなって虫が苦手なんて、そ、そんなことあるわけないじゃないですかっ! よ、余裕ですよっ!」

「そっかあ。獣人族でも、虫が苦手な人なんて、いるんだねえ……」


 そう言いながら、魔法円の中に抜け殻を撒いていくコロネ。


 な、なぜ、私の虫嫌いがバレたのでしょう!?

 六歳児とはいえ、やはりこの子の洞察力はあなどり難しです。


「撒いたよ、ナーシェちゃん」

「ご苦労さまです。では、いきますよ……」


 十歳で卒院する時に、孤児院の院長から貰った初級召喚の魔導書を開きます。


「十二の英精霊エインヘリアルに告ぐ。我が貢物こうぶつを以ってヴァルホルの信用符と代え、矮小なる我が身を助くる精霊ガチャを是非とも是非とも成功させて……って、出るの早いですよっ! あ~もう! 眷属けんぞく召喚!」


 私が詠唱を終える頃にはすでに、魔法円の中心だった辺りでしゃがみ込んだコロネが下を覗き込んでいました。

 魔法円もセミムシの抜け殻も消え去った床の上には、十五センチほどの細長い物体が、巻いたり伸びたりしながらうねうねと動いています。


「なんか、ピンクのやつが出てきたよ、ナーシェちゃん」

「……ミミズですね」

「これが、けんぞく?」

「いえ……ただのミミズです。捨ててきて下さい」


 先日召喚したときはゴキムシが出てきて、丸一日この寝室が使えなくなってしまったので、コロネは虫対策も兼ねていたのですが……。

 少し進歩が見られたとはいえ、まだまだあいつら・・・・をぶっ倒すようなサーヴァントには程遠いのです。


「捨ててきたよ、ナーシェちゃん。また、失敗?」


 戻ってきたコロネが、呆れたように……いえ、心配そうに声をかけてきます。


「そのようです。やはり、抜け殻が半分では足りなかったかもです……」

「そういう問題じゃないと思うよナーシェちゃん。詠唱もあちこちおかしかったし」

「ど、どこがおかしいんですか!?」

「う~ん、いろいろだけど……たとえば、ガチャとか?」

「あそこは〝敢えて〟ですよ! 私みたいなひよっ子召喚士が英精霊エインヘリアル級のサーヴァントを呼び出すには、振れ幅の大きい呪語に頼るしかないのです!」

「べつに、そんな強い精霊じゃなくても大丈夫なんでしょ? コロネはもっと、けんじつにいくべきだと思うなあ」


 六歳で堅実とか……この子の頭は大丈夫でしょうか?


「人生はギャンブルですよ!? 今からそんなでは、どんな大人になるのか心配です」

「ナーシェちゃんの方こそ心配けど……とにかく、せいこうりつが低すぎるよ。せっかくコロネの宝物まであげたのに、ぜんぜん進歩してないみたいだし」

「それは……申し訳ないです。確かにミミズでは、進歩したとは言えませんね。ゴキムシの方がまだ、強力な眷族になれたかもです」

「そういう、低れべるの話じゃなくてさ……」


 そう言いながら、眉を八の字にして首を傾げるコロネを見て、残りの抜け殻をくれと言いそうになったのを、慌てて胸の奥にしまいこみます。

 これ以上コロネに負担はかけられません。

 やはり、あれを使うしかないのでしょうか。


「ナーシェちゃん、それって……」


 私がベルトポーチから取り出した物を見て、コロネが目を真ん丸にします。


「それって、ナーシェちゃんのお母さんの形見のべりる……」

「はい。ベリルの中でも黄色いゴールデンベリル……別名、ヘリオドールとも言われる貴重な石だそうです。これを使って、もう一度やりますよ、精霊ガチャ」

「だから、ガチャは止めた方が……」


 心配そうに呟くコロネの横で、私は再び、床に魔法円を描き始めました。

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