01.異世界転生

 どこだ、ここは……。

 一面の暗黒、いや、それとも紅蓮?

 まあ、どちらでもいいか……。


 赤と黒の混濁の海に漂いながら、意識は徐々に薄れていく。

 このあと少しずつ、肉体は粒子のレベルにまで分解され、この暗紅の世界に溶けていくのだろう。

 本能がそう語っている。


 しかし、恐怖はない。

 むしろ〝大いなる魂〟の一部となることに安らぎすら覚える。


 多分、これが〝死〟というものなのなんだろう。

 ゆっくりと、最後に残った一欠片かけらの意識を手放そうとしたそのとき――


『ほう、霊肉とは、珍しいな』


 突如、頭の中に直接語りかけてくるような声に須臾しゅゆ微睡まどろみを中断される。


 れいにく?


「誰……だ?」

『誰かに名乗ることなど考えてもいなかったが……そうだな。ヘリオドール、とでも言っておこうか』

「ヘリオ……ドール……」

『見たところ、時空を超えて流れ着いた魂のようだな』


 時空を、超えて?

 俺のことを言っているのか?


「ここは、どこだ?」

『エーテル界。地上の者どもは精霊界と言っているようだが……お前の記憶の中から選ぶなら〝霊界〟という言葉が一番近いかもしれん』

「霊界……ってことは、俺はやっぱり、死んだのか?」

『正確にいうなら、死にゆく途中、と言ったところだな。通常であればここへ来ると同時に肉体は分解され、意識とともに大いなる魂に同化してゆくのだが……』


 そこで一旦、言葉は途切れる。


 まだ俺の意識が残っているのは、俺が異世界から流れ着いた存在だから、ということだろうか。

 霊界は霊界でも、俺が生きていた世界とは別の、異世界の霊界ということか?

 死んだ原因はなんだ?

 そもそも、俺の生きていた世界とは、どんな場所だったんだろう……。

 いや、今さら、そんなことはどうでもいいことか。


 そう思った矢先、声の主――ヘリオドールは思いもかけない質問をしてきた。


『おまえに問おう。こちらの世界でもう一度、せいを受けてみる気はないか?』


 生を受ける?

 転生でもしろと言うのか?

 この安らぎを放棄して、再び過酷な生を受け入れろと?


 今だから分かる。

 生とは苦行。

 この霊界で、大いなる魂と一つになるための試練のようなものだったのだ。

 ようやく現世から解放されたのに、また舞い戻るなんて――


「ごめんだ。このまま、静かに眠りたい」

『例えこのまま大いなる魂と同化したとしても、今のお前の魂ではすぐに再構成されて地上へ落とされるだろう。もちろん、記憶が消えた状態でな』

「なぜ……そんなことが分かる?」

『我は特別だからだ。現世において、成すべきを成し、行くべき道をまっとうした存在……ここに留まれるのはそういう魂だけだ。我々は、大いなる魂と一つになりながら、常に救いを求める現世からの声に耳を傾け、顕現する』

「神……みたいな?」

『この世界では精霊と呼ばれているが、まあ、事象としては似たようなものかもしれんな。どちらかと言えば〝使徒〟や〝天使〟に近いかもしれん』


 しと? 天使? 神様の使いのようなもの?

 何を言ってるのかよく分からない。

 しかし、話だけは聞くべきだと、俺の脳が警鐘を鳴らす。


「再び生を受け入れたとして……俺は、成すべきことは成せるのか?」

『それは分からない。生ある間に、必ず幾度か前兆は訪れる。人はそれを見落とさぬように生きるだけで目的を達せられるのだ』

「たったそれだけのことが、俺にはできてなかったと?」

『お前だけではない。多くは前兆に気づかず、あるいは気づいても途中で諦め、道をたがえ、結局は宿命を果たせぬまま尽き果てる』


 概念が抽象的過ぎてよく分からない。

 もっとも、何か具体的な説明をされたとしても、神の視点から語られる概念を理解することは難しいのだろうが……。


 しかし、俺のような存在が数多あまた存在するというなら、どうしてもはっきりさせたい疑問点が一つ。


「なぜお前は、俺にそんな話をするんだ? 多くの魂がそうである中で、なぜ俺だけを特別扱いする?」

『実際に、別の世界から時空を超え、肉体を保ったままここに辿り着くなど、特別な存在だろう? 肉体がなければこのような話もできない』

「それだけでは……答えになっていない」


 今まで淀みなく答えていたヘリオドールが、初めて押し黙る。

 逡巡するかのような暫時の沈黙は、否応なく俺の思考を停滞させる。


 薄れゆく意識に身を委ねかけたその時――


『ルール違反なんだがな……。今のおまえに正常な判断ができているとは思えんし、一つだけ教えてやろう』


 再び、ヘリオドールが語り始めた。


『我との邂逅は、お前にとって間違いなく〝前兆〟だ』

「ヘリオドールが……前兆? ここで話ができたのは、偶然じゃないのか?」

おのが成すべき宿命とは、偶然を必然に変えていく作業の積み重ねに他ならない。そして前兆は、宿命を果たすための分水嶺であり、選択なのだ』


 正直、ここまで聞いても、やはり意味不明のままだ。

 意味不明ではあるけれど……しかし、このヘリオドールという者の言葉に嘘はない。それだけはなぜか、確信を持てる。


 そして、頭の中に浮かんだ答えは、自覚するよりも早く、正確にヘリオドールに伝わったようだ。


『決心は、ついたようだな』

「……え? 俺、決心したの?」

『これよりお前と同化して現世からの召喚に応じる』


 理屈ではなく本能により、どうやら俺は異世界転生の道を選択したらしい。


「同化……って、俺の意識はどうなる?」

『心配はいらない。お前の成すべき道はお前自身が歩まねばならん。我はただ、お前の中でそれを見守るだけだ』

「転生したら、俺は何をすればいい?」

『進むべき道は、お前自身が見出みいだすもの』

「それにしたって……生前の記憶が何も残ってないんだぞ。お前の言う〝俺の進むべき道〟ってのは、生前から繋がっているものなんだろう?」

『大丈夫だ。転生後、すぐとは限らないが、そのうちすべて思い出すだろう。だが、そうだな……名前くらいは教えておこうか』


 何かを確かめるように一拍置いた後、ヘリオドールが続ける。


『お前の生前の名は、ランマル……森田蘭丸だ』



 ――次に俺が目覚めたのは、見知らぬ部屋のベッドの中だった。

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