12.危険察知能力

 赤くなった指先を擦り合わせてみる。

 やっぱり、血だ。


 ……そうか、昨日ニコラと戦った時の傷口が開いたのか。


 塗り薬が効いたのか、朝起きたときには傷も閉じて血も止まっていた。

 前髪で患部も隠すことができたので包帯は外してきたのだが、激しく動いたことで再び開いてしまったらしい。


 まあ、それほど痛むわけでもないし、模擬戦に影響はないだろう。

 とりあえず、さっきの不思議な感覚が消え去ってしまわないうちに早く勝負をつけないと!――と、血をぬぐって模擬刀を構え直したのだが、


「その傷は?」


 碧眼を細めて尋ねてきたのはビクトールの方だった。


「昨日ニコラとけっとう……じゃなくて、稽古をしていて、怪我をしただけだ。大したことはない。それより、早く構えろ」


 さきほど感じた、地面から湧き上がってくるような力……。

 もしかしてあれが地精力アースエナジーというやつか?


 束の間、視線を結び合ったのちに口火を切ったのは、またもビクトールだった。


「模擬戦は……止めにしましょう」

「……は?」

治癒の巻物キュアスクロールを使わなかったんですか? このまま私が勝ったところで、その怪我のせいにされても後味が悪いのでね」

「……はぁ?」


 こいつ、どうしたんだ急に?

 ビクトールの申し入れに、ギャラリーからもブーイングが沸き起こる。


『おい、ビクトール! おまえいつからフェアプレーに目覚めたんだよ!』

『それくらいの傷、模擬戦には関係ねーだろうが! こすいお前にはむしろお望みの展開だろ!』


 こいつ、かなり評判悪いな。


「外野がうるさいですね。もしお望みなら、賭け物をお金だけにして、誰かこの精霊と代わったっていいんですよ?」


 ビクトールのその言葉で、不満そうな空気を残しながらも場が静まる。

 銀狼級というのがどれほどのランクかは分からないが、ニコラも同ランクのようだし、ビクトールも単にスカしていたわけではなさそうだ。


 ま、それはともかく、だ。

 せっかく何かを掴みかけたところだし惜しい気もするが、賭けられているのはナーシェ。

 剣技ではビクトールの方が何枚も上手なのは間違いないし、万が一にも負けは許されない。ここは一旦、ビクトールの提案を受け入れて……


「なに寝ぼけているんですか! びくびくビクトールですか!? 言い出したのはそっちなんですから、ちゃんと最後まで……いたっ!」


 気が付けば、後ろで叫びだしたナーシェに思わずチョップを入れていた。


「なっ、何するんですか蘭丸!」と、両手で頭をさするナーシェ。

「寝ぼけてんのはおまえだ! せっかく向こうが止めるって言ってんだ。乗らない手はないだろうが!」

「なに言ってるんですか! せっかくのチャンスだったのにっ!」

「ピンチだったんだよ!」


 まったく、なんでここまで行き当たりばったりで生きられるんだろう?


 でも――。

 なんとなくだけど、こういう適当女子に振り回される感覚、懐かしい気もする。

 前世でもこんなやつが俺の傍にいたんだろうか?


「とにかくこんな怪我、つばでも付けておけば治るんですから! 最後までやりなさい、ビクトール!」


 なおもわめき続けるナーシェだが、ビクトールも首を縦に振らない。

 模擬刀を戻し、受け付けに何かの書類を提出すると、


「ということで、賭けは無効です。すでに左腕に有効打を入れているのはこちらなんですからね。感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いはないですよ」


 そう言ってほくそ笑むと、そそくさとその場を立ち去ってしまった。

 ホール内にも、ヤレヤレと言った空気が流れ、皆が元いた場所へ散っていく。


「まったく……なんてことですか……。せっかく勝てる雰囲気だったのに!」と、その場にうずくまるナーシェ。

「思ったんだけどさ、見た目はいいし、好かれてるなら付き合ってみてもいいんじゃないか? 意外とフェアな奴みたいだし……」

『それは違うな』


 俺の言葉に答えたのは、ヘリオドールだ。


「(違う? 何が?)」

『あのビクトールとかいう男、フェアネス精神で戦いを止めたわけではない。おまえの雰囲気が変わったことを敏感に察知して、一旦引いただけだろう』

「(俺の雰囲気?)」

『簡単に言えば〝恐れ〟だな。おまえの変化に、何か不穏なものを嗅ぎ取ったのだろう。腕はそれほどでもなさそうだが、危険察知能力はなかなかのものだ』


 危険察知能力……それ、百分の一でもいいからナーシェに分けてやってくれ。


「(じゃあやっぱり、模擬戦中に感じた、地面から何かが流れ込んでくるようなあの感覚……あれがアースエナジーってやつなのか?)」

『まだまだ不十分だがな。おまえの気脈にあれを通わせることで、精霊体であるわれの剣技をおのれの技として扱うことができるのだ』

「(じゃあ、立ち合い中に体が自然に動いたのも――)」

『我の記憶におまえがシンクロできた証拠だ。もっとお前の得意なことで集中力を高めれば、アースエナジーの体得は早まるかもしれん』

「(得意なこと、って言われてもなあ……)」


 それじゃあナーシェは、俺以上に俺の変化を見抜いていたんだろうか?

 そう思って足元を見ると――


「くそう……くそう……登録料……バカ丸、くそう……」


 握り拳で床を叩き続けるナーシェ。

 違うな……。単に、お金に目が眩んでいただけだな、こいつ。


 ニコラが、へたり込むナーシェの肩にそっと手を載せる。


「だから、そんな面倒なことしなくても私が出すと言ってるじゃないか」

「うるさいです! 蘭丸は売り物じゃないですよ! 百万ラドルぽっちで渡せるわけないじゃないですかっ! 二百万だって……多分、駄目だと思いますよ……」


 なんで最後があやふやなんだよ。


 涙を拭きながらナーシェが立ち上がる。

 ……つか、泣くほど悔しかったのか!?


「こうなったら最後の手段です。というよりも、今にして思えば本来の目的はこれだったのかもしれません」


 そう言って、鞄から一枚の紙切れを取り出すナーシェ。

 何かの印刷物のようだ。


「今朝、先輩の店の新聞から抜いてきたチラシです。早起きは三ラドルの得です」


 ニコラが、ナーシェから受け取ったチラシを読み上げる。


「新台大量入荷、ヘルベガス球遊場……本日新装開店?」

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