09.秘密基地

「それで……どうしたの、その子?」


 リスタの体を調べていたニコラが、ライラを振り仰ぐ。


「グリーンタウンで暴漢ぼうかんなぶられていたところを助けたのだが……痛み止めを買って飲ませたら、途中で眠ってしまった」

「とりあえず、傷は消しましょうか」


 ライラがベルトポーチから一本の巻物スクロールを出して拡げると、詠唱を開始する。


澎湃ほうはいたる癒しと再生の躍動よ、の者の傷を――……!?」

「どうした?」


 詠唱を中断したライラをいぶかしむニコラ。


「いえ……今、この子の生命兆候バイタルメモリーを確認したら、十三時間ほど前にリライトされた痕跡があるわ」

「じゃあ、治癒キュアは……」と、ニコラが眉をひそめる。


 昨日聞いた話によれば、治癒キュアは、アストラル帯という別次元に記録されている個人の生命兆候バイタルメモリーにアクセスして、過去の任意の時点に体の状態を戻す術ということだった。

 但し、さかのぼれるのは最大で十日程度で、一度使用した時点より以前のバイタルメモリーは利用不可。さらに、直近で遡った時間分は再治癒不可時間リキャストタイムとなるなど、いくつかの制約もあるらしい。


 ライラが首を振りながら、


「いえ、それは大丈夫。前回のリキャストタイムが七時間くらいだったから、今の怪我を治すことは可能よ。ただ……」と、再びリスタを見下ろす。

「普通に施術してもらおうと思えばキュアはかなり高額だけど、この子にそんな大金を払えたのかしら」

「そうだな……。スリ行為を繰り返していたようだし、払って払えないことはなかったかもしれないが……」


 そう答えるニコラも、本当にそうだとは信じてはいないような口ぶりだ。

 スリを繰り返してまで借金を返済しようとしていた人間が、その一方で、大金を払ってスクロールによる施術を受ける――。


 怪我の程度によっては致し方なかったと考えることもできるが、やはりちぐはぐな印象はぬぐえない。


「それならまだいいのだけど……」と、表情を曇らせたままライラが続ける。

「痛みによる恐怖を植えつける目的で暴力を振るい、散々痛めつけたあとで治癒を繰り返す……そんなことをやってる人たちもいると聞くので、もしかしてと思って」


 再び詠唱を開始したライラを眺めながら、ガツンと後頭部を殴りつけられたようなショックを受ける。

 言われてみれば確かに、借金を取り立てるだけの相手にあんな暴力を振るっていた理由が思いつかない。


 まさかあいつら……そんな酷いことをこの子に!?


 みるみる顔や手足の傷が治っていくリスタを見ながら、しかし、さっきのライラの言葉が頭にこびり付いて、気持ちが落ち込んでいく。


「終わったわ」と、ほとんど表情を変えないまま施術を終わらせるライラ。

「リスタ……だいぶ酷い暴力を受けていたようだけど、ライラにもその痛みは伝わっているんだよな?」

「そうね、伝わっている……と言えば伝わっているけれど、実際に傷を負っているわけではないから。脳が痛みとして認識しないようブロックしているのよ」

「そんなことできんの!?」

「あまりに酷い痛みであれば無理だけど、訓練次第である程度までは……。この子の受けた痛みも、私に伝わる分は、程度で言えばげんこつ一回程度よ」

「じゃあ、もしかして俺の頭の傷も……」

「蘭丸くんの頭の傷程度なら、ほとんど私には無痛で施術できたんじゃないかな」


 なんなら、今からでも治してあげようか?と、俺の顔を見て顔をほころばせるライラ。そのチャーミングな微笑みに思わず心臓が高鳴る。

 どちらか言うと鉄面皮のようなクールビューティーかと思っていたんだけど……こんな笑顔も見せることがあるのか。


「さっさと治してもらってればいいものを、無駄な痩せ我慢をしたせいでビクトールにも途中で逃げられちゃって、まったくもう……」


 と、ライラとは対象的に苦りきった表情でホットミルクをすするナーシェ。

 こいつ、登録料がゲットできなかったの、どんだけ悔しかったんだ?


「これ、ここで預かってもらってもいいか?」


 部屋の隅に備え付けられた棚を指差して質問するニコラ。

 左手には、いつの間に外したのか、先ほどまで身に着けていた腰布を持っている。


「ええ、構わないけど……どうしたの?」


 腰布を取ったニコラは、白いミニのプリーツスカートに、バンドで固定されたサイハイブーツ。

 トップスはベストのようなデザインの袖無しノースリーブを二枚重ねで着ているが、肌着は着けていないらしく、開いた打ち合いからは綺麗な腹筋が覗いている。

 先ほどまでの格好と比べると、かなり動き易そうな出で立ちだ。


 朱色の肩掛けストールをショールのように首に巻き、金剛杵ヴァジュラを下げたベルトを腰に巻き直すと、足早にドアへ向かうニコラ。


「ちょっと、あの剣士たちの話していた内容で気になる言葉があってな」

「気になる言葉?」


 聞き返した俺の方を見ながら、ニコラが立ち止まって言葉を繋ぐ。


「蘭丸も聞いていただろ? あいつら、三十万揃ったあとでも『金が揃えばいいって話じゃない』と言っていた」

「そう言えば……」

「ガルドゥグループ、私は賭博場関連の仕事しかたずさわれなかったが……娼館関係の方はもともと黒い噂が絶えなくてな」


 賭博の方も十分黒かったけどな……。


「個人的に少し調べてみたいこともあるから、しばらく留守にするよ。終わったらまた、ここに顔を出せばいいかい?」

「はい!」と元気に答えたのは、ナーシェだ。

「私か、いなければ先輩に声をかけてください。ここが私たちの秘密基地ですので」


 えっ!?と、ライラが驚いた表情でナーシェを振り返る。

 どうやら、聞いていなかったらしい。


 ニコラが出て行ったあと、ライラの住居の秘密基地・・・・化についてしばし話し合いの席が持たれたが、結局その決定はくつがえらなかった。

 と言うよりも、ナーシェがそう言いだした時点でライラが諦めていた節もある。


 どうやら彼女も、俺と同様、ナーシェに振り回されているくちのようだ。


「夕食はどうする? うちだと三人で食べられる場所なんて、この部屋くらいしかないけれど……」

「私、あそこに行ってみたいです! 最近新しくできたお店……」


 ライラが、寝息を立てて横になっているリスタを見下ろしながら言葉を繋ぐ。


「そうね。少し静かにしてあげたいし、外へ食べに行きましょうか?」

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