06【リスタ】帰らぬ旅(後編)

 あたしの体が、リタからカチュアと呼ばれた女性に渡される。

 あたしを受け取り、顔を覗き込んでくるカチュア――お母さん!?


 そっか……これは、私が産まれたばかりの頃の記憶なんだ!


「可愛い顔の赤ちゃん。目元なんて、リタそっくりね! 名前は、リスタだったかしら?」


 カチュアが顔を上げ、あたしに向けていた笑顔を、今度はリタに向ける。


「うん。私の名前に一字足したの。……あっ、でも、もし気に入らなかったらカチュアが好きな名前を付けて」

「ううん、素敵な名前だわ。ただ……」と笑顔を曇らせるカチュア。

「幼馴染のあなたなら分かると思うけれど、私たちだって贅沢をさせてあげられるわけじゃないのよ?」

「贅沢なんて必要ないよ。愛情を持って育ててくれるなら、他には何も望まない。カチュアになら、安心して託せる」

「そうね、実の娘と同じように、目一杯愛情を注ぐわ。それだけは保証する」


 再び優しげな眼差まなざしを下に向けたカチュアが、「よろしくね、リスタ」と、あたしのほほをぷにぷにと指先で撫でる。

 思わず閉じたまぶたを……あたしはもう一度、ゆっくりと押し上げた。




 彼方に広がる満天の星。

 あたしは、第五グランドパークの草原で仰向けになっていた。


 ――眠っちゃってた? さっきのは、赤ちゃんの頃の記憶?


 あたしの妄想か、或いは潜在意識の中に埋もれていた記憶が、あれ・・をきっかけに呼び覚まされたのか……。

 

〝あれ〟とはもちろん、三日前の事件のこと。


 ダレスの折檻せっかんを受けている途中で気を失い、気が付いたらナーシェや蘭丸くんと一緒に警団に連行されていた。

 関係者の証言を突き合わせた結果、ダレスの悪癖が暴かれ、ナーシェたちが踏み込んできた件は〝私人捕拿ほだ〟として扱われることになったらしい。


 そしてあたしは、伝え聞いたジェクスの聴取内容から、今まで伏せられていた二つの事実を知った。


 一つは……リタが二年も前に亡くなっていたこと。


 最初にそれを聞いたとき、不思議とあたしの心は静かだった。

 もっと取り乱してもいいのに、と客観的に思ったりもしたけれど……その事実を聞いた時に最初に感じたのは――、


〝やっぱり……〟という諦めにも似た気持ち。


 今振り返ると、リタがもうこの世にはいないんじゃないかという予感は、常にあたしの中に付きまとっていたように思う。

 書いた手紙の返事さえ、病気のせいで……という理由で返ってこなかった二年間。『リタは治療のために施療院にいる』というジェクスの言葉だけをよりり所に、現実を見ないよう自ら目隠しをしていたことにはっきりと気が付いた。


 でも……と、自問自答する。

 ――あたしはなぜ、そこまで彼女にこだわったんだろう?


 確かにリタは、あたしにとても良くしてくれた。

 でも、それだけの理由で、彼女のために人様の金品をったり、体を売ったりしてまでお金を作ろうとしたのだろうか。

 あたしをそこまで突き動かしたのは、リタに対して感じていた不思議な感情。


 ――愛慕の念?


 リタに対しては、優しい里親という以上の何かを常に感じていた。

 あの感情は一体なんだったのか?


 その理由は、ジェクスが語ったもう一つの事実で明らかとなった。


 ――リタが、あたしの本当の母親だったなんて。


 常にあたしに向けられていたいつくしむような視線の意味がようやく分かった。

 同時に、五年間実母と過ごせた喜びよりも、ずっと大きな後悔があたしを打ちのめす。


 なぜあたしは、彼女のことを〝お母さん〟と呼んであげられなかったのだろう。

 今さっき夢に出てきて、あたしが他人行儀だと寂しそうに笑ったリタの顔が、くっきりとまぶたの裏に焼きついている。


 心の中では、なんのわだかまりもなくとっくに〝お母さん〟と思って接していたのに、呼ぶのはなんだか恥ずかしくてずっと名前のままだった。


 夢の中で、リタの覚悟はあたしにも伝わってきていた。

 あたしを、養母であるカチュアに託した時点で、リタは生涯あたしの生みの親であることは口にしないと誓っていたのだと思う。


 それがお母さん――カチュアに対するリタの誠意であり、カチュアが亡くなったあともリタはそれを守り通していたんだ。純粋にあたしの幸せだけを願って……。


 なのにあたしは、リタのためだという言葉を言い訳にして、彼女が最もあたしから遠ざけたかった方法で収入を得、生きる目的にしてきた。

 リタという目的を失い、今さら何にもなれない自分といきなり向き合わせられて、ようやく空っぽの自分に気が付いた。


 あたしをさいなむ止めない後悔の波。

 そのあとに残った絶望と虚無は音を立てながらあたしの心をむしばみ、生きる気力はいとも簡単に刈り取られた。




 警団での取調べは一両日で終わり、あたしはナーシェたちに連れられて、ライラという女性が経営する筆具店に案内された。

 最初に、グリーンタウンで助けてもらった時に運ばれた場所だ。


 まずはゆっくり、体も心も休ませるようにと、皆あたしに優しく接してくれたけれど……あたしにはもう、何も感じることはできなかった。

 一言も喋ることなく、出された食事をただ食べて、お湯に浸かり、寝て、起きて、また食事をして……。


 気が付いた時には、ライラの家の炊事場から調理用のナイフを持ち出すと、あてどもなく夜の窟路を歩き、いつのまにか大きな草原エリアに出ていた。


 体をけがし、心を壊し、それでも望みが叶わなかったばかりか、目指していたものがうについえていたと知ったとき、生へのこだわりは完全に消え失せた。

 入れ替わるように大きく膨れ上がったのは、帰らぬ旅――死への願望。




 仰向けのまま、左手を上げて手首を確認する。

 ナイフを入れた直後、静脈から勢いよく噴き出していた血液は……今は鼓動に合わせてドクドクと溢れ、あたしの体を血溜りにいざなう。



 さっきの夢は、もしかすると死の直前に見るという幻?

 きっと、あたしは地獄行き。だから、お母さんにもリタにも会えないと思っていたけど……。

 死ぬ間際に二人の顔を見ることができたのは、あたしを哀れんだ神様からの、せめてもの贈り物だったのかもしれない。


 ダンジョン内のはずなのに、草原に、どこからともなく一陣の風が吹く。


 ――寒い。

 空の星も見えなくなってきちゃった。


 リタ……あたしに、愛をくれてありがとう。

 そして、何も返せなくて、ごめんなさい。


 どうか、許してください。


 あたしも……もう戻ってこないから――。

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