05【リスタ】帰らぬ旅(前編)

「ここが、今日からあんたの部屋よ。自由に使って」


 リタがあたしの肩を抱き寄せながら目の前のドアを開ける。

 現れたのは、床の三分の一は子供用のベッドで埋まってしまうような小締こじんまりとした部屋。

 それでも、孤児院で大勢の子供たちと共同生活を送っていたあたしにとっては身に過ぎる待遇だった。


「ここが……あたしの……」

「うんうん。七歳にもなればそろそろ大人の仲間入りだし、個室がないのは不便でしょ? こんな狭い部屋しか用意できなくて申しわけないけれど……」


 ぶんぶん、と、あたしは慌てて首を左右に振る。


「ううん、そんなことない! お父さんやお母さんが生きているときだって自分のお部屋なんてなかったし……すごく、嬉しいよ。えっと、おか……おか……」


 あたしの頭をポンと撫でて、にっこりと微笑むリタ。


「いいよ、無理しなくて。リタでも、おばさんでも、好きなように呼びな」

「じゃ、じゃあ、ありがとう……リタおばさん……」

「どういたしまして。ちなみに〝リスタ〟っていう名前はね、あんたのお母さん――カチュアが、親友である私の名前から取ったものなんだぞ」

「そ、そうなの?」


 うんうん、と、胸を反らしながらうなずくリタ。

 リスタとリタ――似た名前だと気づいてはいたけれど、ただの偶然だと思っていた。だけど……あたしの名前はリタからもらったものだったんだ!


「さあ、中に入ってみて。本棚には、少しだけど、知り合いから分けてもらった本も入ってるよ」

「わあ――!」


 あたしはリタの元を離れ、真っ先に背の低い本棚の前に駆け寄る。

 そこには、あちこち擦り切れて古ぼけた……でも、一つ一つ丁寧に補修された絵本や教本が並んでいた。


「これ、読んでいいの?」


 入り口の方を振り返ると、「もちろん!」とリタも満面の笑みを浮かべる。

 あたしは、本棚から絵本の一冊を引き抜いた。そのとき――。


 辺りが白い光に包まれたかと思うと、こめかみに鋭い痛みが走る。


いたいっ!」


 頭を押さえた手をそっと離すと……指先には赤い血。

 気が付けば、道端でうずくまったあたしの前には、野菜やお肉をぶち撒けた買い物袋と、握り拳だいの小石が転がっていた。


 ――今、頭にこの石が当たったんだ!


「命中したぞ~! みなしごリスタに命中だ~♪」


 声の方へ顔を向けると、いつもあたしを苛めてくる近所の男の子が、数人の子分と一緒にこちらを指差して笑っている。

 散乱した食材を拾い集めようと買い物袋に手を伸ばしたけれど、すかさず飛んできた次の石が、そんなあたしの手元をかすめた。


「あ~惜しい! もうちょっとで当たったのにい~!」と、子分の一人が悔しそうに顔をしかめる。

「よ~し、次はおれだっ!」と、別の男の子の投げた石が今度はリスタの背中に当たり、一際ひときわ大きな歓声が上がった。


「みなしごは孤児院にかえれぇっ! 親無し・・・は不良が多いから近づくなって、うちの母ちゃんが言ってたぞ!」


 男の子一人が言ったその言葉にあたしもカッとなり、小鼻を膨らませて立ち上がると、思わず彼らに向かって叫んでいた。


「みなしごじゃないもん! リタがいるもん!」

「リタはおまえの本当の母ちゃんじゃないだろ? うちの母ちゃんが言ってたぞ!」

「本当のお母さんじゃなくたって、リタは、リタは……本当のおかあさんと同じくらい、やさしくしてくれるもん!」

「おまえ、生意気なんだよ! 不良のくせに軽食堂バールの娘になんかなってさ! みなしごはみなしごらしく、孤児院にいりゃあいいんだよ!」

「きゃあっ!」


 再び、男の子たちがこちらへ向かって一斉に石を放ったのを見て、反射的に両手で頭を抱えてしゃがみ込んだ。その時。


「コラ――ッ! クソガキども――っ! うちの娘に何してんだあっ!」

「うわあ~! リタが出たっ! にげろぉ!!」


 突如、私の前に立ちふさがったリタの姿を見て、男の子たちが一斉に散ってゆく。


「お使いからなかなか戻ってこないから、心配してきてみれば……ったく、あのクソガキども!」


 逃げていく男の子たちに毒づきながら、リタが私に手を差し伸べてくれる。


「大丈夫かい?」

「ご、ごめんなさい、リタ……」

「謝るんじゃないよ! 親が娘を助けるのはあたりまえだろ?」

「でも、やっぱり、ごめんなさい……」

「ほんと、リスタはいつまで経っても他人行儀だねえ」


 本当は私も〝お母さん〟って呼ぼうと何度か挑戦したんだけど……ずっとリタって呼んでいたら、何だか今さらって感じがして恥ずかしくて……。


「お店は……だいじょうぶなの?」

「ああ、昼時は過ぎたし、少し店番するくらいならジェクスでも大丈夫さ。それより、連中のリーダー格は誰だい? ギリアムかい? 親に文句言ってやらないと……」

「い、いいの! あたしなら大丈夫だから」

「怪我までして、大丈夫ってことはないだろう!」

「たまたまだよ。気をつけていれば遭わずに帰ることだってできるのに、今日はボーッとしてた。きゃくしょうばい・・・・・・・・なんだから、そんなことして評判わるくなったら大変だよ」

「ありがとう。でも、あんたはそんな余計なこと考えなくていいんだよ」


 はは……と、ほほを人差し指で掻きながら、少し寂しそうに笑うリタの顔が、徐々に若返ってゆく。


 目の前の女性は確かにリタだけど、気が付けば、いつもと髪形も違うし、お化粧も派手だ。歳も、十歳くらいは若返ったように見える。


 リタ……?


 話しかけようとしたけれど、声が出ない。

 その時、初めて気がついた。あたしは、柔らかい毛布のようなものにくるまれて、リタに抱きかかえられていた。


「じゃあ、カチュア……この子、頼めるかい?」

「ええ。私は石女うまずめ(※子供を産めない女性)だし、むしろ歓迎したいくらいだけど……本当にいいの、リタ?」

「うん。私はまだ、三年以上は娼館暮らしだろうから。赤ちゃんを育てながら頑張ってる娘もいるけど……この子には、間違ってもこんな世界には入って欲しくないのさ」


 あたしの体が、リタからカチュアと呼ばれた女性に渡される。

 あたしを受け取り、顔を覗き込んでくるカチュア――お母さん!?


 そっか……これは、私が赤ちゃんの頃の記憶なんだ!

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