04.ジェクス

「ここが、十六番窟路だね」


 先を歩いていたコロネが立ち止まり、メモと壁の表示板を見比べながら口を開く。テレポータルを降りてから約二十分、ほぼ迷うことなくここまで辿り着いた。


 俺もまだこの世界の文字は読めないし、ナーシェもこの辺りは来たことがないと言うので心配していたのだが、コロネの完璧なナビゲートには正直驚かされた。


「コロネがいて助かったよ。コロネも、初めて来たんだよな?」

「うん。でも、通路の作りはだいたいどこも似たようなものなので。表示をたどっていけば、それほどむずかしくはないよ」


 振り向いて微笑むコロネの横顔を見ながら、ナーシェの方は「ハァ……」と大きな溜め息をいて肩を落とす。


「なんだか、今日はもう、疲れましたよ……」

「珍しいな。いつもは五キロや十キロ、平気で走ってるんだろ?」

「わくわく気分の十キロと夢も希望もない一キロとでは、使う体力は雲泥の差ですよ。球遊場カチンコのない街なんて、空気のない惑星みたいなものです」

「カチンコがないと死ぬのか!?」


 ……それにしても、と、歩きながら周囲を見渡す。


 ナーシェの家がある居住区、タクマさんやライラの店がある商業区、あるいはギルドのあった第三グランドパーク周辺など、この二日間でいくつかの窟路くつろを見てきたが、ここは断トツで薄汚れている。

 至るところにゴミが散乱し、汚物や生ゴミも混じっているのか臭いもひどい。


 人の出入りも多くなっているというシェリア先生の言葉通り、テレポータルのあるターミナル付近は混雑していたが、ここは人影もまばらだ。

 薄汚れた服装の人も多く、この世界で言う、いわゆる〝スラム街〟と呼ばれるような場所だと察しがつく。


 探索者風の俺やナーシェはともかく、白色の可愛らしいワンピースを身に着けたコロネはさすがにここでは浮いている。


 事実、道端や住居の窓から物珍しそうに虚ろな視線を向けてくる住人も少なくはなかったが、そんな中を臆することなく、小気味よい足取りで進むコロネ。

 ずば抜けた鈍感どんかん力のナーシェはともかく、この利発な幼女も、なかなかの胆力の持ち主のようだ。


 そんなことを考えながら小さな背中を眺めていると、不意に足を止めたコロネが、


「メモの場所は、ここだよ」と、壁を指差しながら振り返る。

「居住者プレートは外されていますね」


 ナーシェも、コロネが指し示したドアを見ながら口を開く。

 試しにドアの取っ手に手を掛けてみるが、鍵が掛かっているのか開かない。


 その時。


「あんたら、ジェクスに用かい?」


 後ろから声をかけてきた、薄汚れた風体の初老の男性。

 ジェクスと言うのは、リスタの父親となった男の名だ。


 五千ラドルほど握らせて男から話を聞いてみると、ジェクスとその妻――つまり、リスタの里親りょうしんは、人の流入を見込んで数年前に軽食店バールの経営を始めたらしい。

 しかし、店を切り盛りしていた妻が病に倒れてからは経営が傾き、自宅であるここを引き払って、住居用に改装した店の二階へ引越したとのことだった。


「病の治療に巻物スクロールは使えないのか?」


 ジェクスが経営するバールへ向かう道すがら、ふと疑問に思って尋ねてみると、すぐにコロネが答えてくれた。


「肉体だけ元にもどしても、ういるすや細菌はそのまま体内に残るでしょ? だから病気そのものは治せないんだよ。再治癒不可時間りきゃすとたいむもあるから、進行を遅らせることはできても巻物で完全に治すことはできないの」

「なるほど……。詳しいんだな」

「将来は法術士になりたくていろいろお勉強してるから、巻物について分からないことがあれば何でもきいて」

「へえ~、勉強になるな」


 振り向いて「エヘヘ♪」と顔をほころばせるコロネを、すぐ後ろを歩いていたナーシェが、薄目で見下ろす。


「なんですかコロネ。ちょっと詳しいからって、ずいぶんと上から目線ですね!」


 ――何を言ってるんだこいつは?



 ジェクスが経営しているというバールには、窟路を歩いて十分ほどで到着した。

 薄汚れた窓から店内を覗いてみると、昼過ぎとはいえ客は一人も見当たらない。外れかけた吊り下げ看板や、清掃もされていない店前たなさきを見ても、あまり繁盛しているようには見えない。


 入り口の扉を開けると、ドアベルがカラカラとくすんだ音を響かせる。

 カウンターの奥から「おお? 二時にはまだ早いぞ――」と、中年の男性が声をかけてきたが、俺たち三人の姿を見てすぐに口をつぐんだ。


 誰かと待ち合わせでもしていたんだろうか?


「え~っと……なんです? お客さん?」


 カウンターの奥で椅子に腰掛けたまま尋ねてくる中年男性。

 そこは普通〝いらっしゃいませ〟だろ。


 どことなくほこりっぽい空気や、逆さまの椅子が乗ったままの数脚のテーブル、食材も見当たらない寒々とした厨房など、きちんと営業ができているとは思えない。

 あらかじめ昼食は取ってきたので食べるつもりは毛頭なかったが、仮に空腹だったとしても、ここで注文する気にはなれなかっただろう。


 そんな、店先の雰囲気をそのまま引き摺ったような店内を一瞥いちべつしたのち、視線を中年男性に戻す。


「客じゃないんだけど……おたくがジェクスさんですか?」


 コロネとナーシェを後ろに下げ、俺が前に出て話をする。


「ああ、ジェクスは俺だが……。あんたらは?」

「実は、娘さんのことで話があって来たんですが……今はここに?」

「リスタの? あいつなら二階で仕事の準備中だが、どういった用件で?」


 そこで、昨日の出来事を話す。

 グリーンタウンでの一件は伏せ、具合の悪そうだったリスタを秘密基地ライラのへやで休ませていたところ、彼女と店の売上金が消えたという経緯だけを説明した。


 最初はいぶかしそうに片目をすがめながら話を聞いていたジェクスだったが、説明を受けながら徐々に困惑の表情に変わってゆく。

 さらに、話を聞き終わった直後、椅子から立ち上がるとカウンターにひたいを擦らんばかりに頭を下げて――、


「も、申し訳ねえ! まさか人様のもんに手を付けていたなんて……」

「あ、いや、まだそうと決まったわけでもないので……とりあえず、警団に届ける前に、何か事情を知らないか本人にも話を……」

「いや、状況的に、どう見たってあのバカ娘が盗ったに違いねえ! ちょ、ちょっと待っててくれっ!」


 そう言うと、ジェクスは急いで階段を駆け上がっていった。

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