03.刻みこまれた嫌悪感

「元はと言えば全部ナーシェのせいじゃん……」


 俺の言葉に、今回ばかりは何も答えられず、黙ってうなずくだけのナーシェ。


 話は二ヶ月前の五園祭まで遡る。

 例によってその日も、ガルドゥにそそのかされ、数万ラドルをってしまったナーシェ。

 それでも、そこでめておけばまだ良かったものを、その日はガルドゥから〝チャラ倍〟の勝負を持ちかけられたらしい。


「チャラ倍?」


 俺が説明を求めると、しょげかえったナーシェの代わりにライラが答えてくれた。


「負け分がチャラになるか、あるいは倍になるかを一発勝負で決めるやり方ね」

「ってことは……それでさらに負けたのか、こいつは?」

「みたいね。勝負はサイを使った丁半博打だったようだけど……。最初の負けは二万五千程度だったのが、チャラ倍で負けて五万ラドルに」


 それだけじゃまだ、あんな取り立て屋がくるような金額じゃない。

 まさかこいつ……。


「お前、さらにチャラ倍とやらを続けたのか?」


 こくりと頷くナーシェを横目に、ライラが説明を続ける。


「そのあと、さらに数回負け続けて借金は倍倍に。気がつけば百六十万ラドルにまで膨れ上がっていたのよ」


 百六十万だと!?

 思わずナーシェを睨みつける。


「アホかお前! それじゃあ、最初の一回も含めて、六回連続で丁半博打に負けたってことか!?」


 ナーシェがうつむいたままコクリと頷いたあとで、言い訳を口にする。


「六回しか負けてないのに、二万五千が百六十万になるとか、計算がおかしいです」

「おかしいのはおまえだっ!」


 とはいえそのルールなら、六回もやればどこかでチャラになるのが普通だ。

 だからこそ勝っている方も、一回か、せいぜい二回くらいしか受けないはず。

 それを五回も六回も受けている時点で、裏があると考えるのが自然だろう。


「あのなぁ……。はっきり言うけど、あいつのサイはイカサマだ。せめて、三、四回で気付けよ」

「イカサマでは、ないですよ……だって、ツボ皿にいれて、そのあとは開けるまで、誰も触ってないですもん……ちゃんと見てましたもん……」


 ピュアかっ! ダメだこいつ!


「んで、結局、気がついたら借金が百六十万にもなってて、青くなって彼女に泣きついたってわけか……」


 俺の言葉に、頷く元気もなくしたのか、黙って項垂うなだれるナーシェ。

 気がつけば、彼女の目から光るものがポロポロと零れ、足元を濡らし始めた。


「だっ、だってっ……先輩に話じだらっ……大丈夫だっで、言うがらっ……返すのはっ、いづでもいいがらっ……だでがえでぐれるっで……えっぐ……まざがっ……あいつにっ、借金じでまで払っでだなんでっ……じらっ、じらながっだがらっ……」


 ついに、ぐじゅぐじゅと鼻を鳴らしながら、両腕で交互に涙を拭い始める。


 二ヶ月前にそれだけ負けていたのに、今日は五十万ラドル勝ったくらいでよくあんなにはしゃいでいられたもんだな。

 そもそも、懲りずにガルドゥの誘いに乗ってること自体おかしいだろ?

 しかも勝ったら勝ったで、真っ先にライラに返すべきお金で無駄遣い。


 いろいろダメすぎる。

 二つ名はバカ召喚士で十分だ、こいつ!


 でも――。


 もっと許せないのはあのガルドゥってクソ野郎だ。

 ナーシェじゃ、普通のゲームですら正しい判断力があるかどうか怪しいところを、言葉巧みに誘ったうえにイカサマまで使って徹底的に負かしにくるなんて……。

 そこまでして、こんな子供からお金を搾り取ろうとするか、普通?


「借金の半分は蓄えでなんとか払えたけれど、残りはどうしても工面できなくて……結局、返済期限の今日になってしまったの」

「正確には、借金、あといくら残ってるんだ?」

「ちょっと待って……」


 ライラが、カウンターの中で借用書の写しを確認する。


「ナーシェに返済してもらった二十万を差し引くと、残り五十九万八千ラドルね」

「約六十万か……。本当にもう、当てはないのか?」

「私もナーシェも孤児院出身で身寄りはないし、院の関係者には迷惑をかけたくないのよ」

「せめて、もう少し返済を待ってもらうとか」

「あいつらは、無理ね。……でも、大丈夫。六十万ラドルくらいなら、何十人か客を取れば返せる金額だし、まだ楽な方よ」


 客を取る……つまり、体を売るということか?


 この世界の風俗や習慣についてはよく分からないが、目の前の少女が薄汚い大人の性欲の捌け口になることを想像するだけで、吐きそうなほど胸がムカムカする。

 前世の記憶はなくても、きっとこれは、元の世界で生きてきた中で、俺のずっと深いところに刻みこまれた嫌悪感だ。


 自らの意思で、そういった方法でお金を稼いでる女性はいるだろう。

 貧困でやむを得ずという女性もいるかもしれない。それでも大人であれば、どんな生き方をするのか、その選択がもたらす結果は自己責任でいい。


 しかし、まだ知識も力も未熟な子供を騙して借金を負わせ、その返済のために体を売らせるなど、おおよそ弱者を守るべき大人のやっていいこととは思えない。

 それとも、俺の感覚の方がこの世界では異端なのか?


 気がついたときには、俺の体は踵を返して店の入り口へと向かっていた。


「ガルドゥの所に、行ってみる」


 ドアを開けて出て行こうとする俺を、驚いたように二人が見つめる。


「行って、どうするの?」と、ライラ。

「分からないが……とにかく話してみる。何か策が思い浮かぶかもしれないし」

「わ……わだじも……グスン……いぎまずっ!」


 涙を拭きながら駆け寄ってくるナーシェを、しかし、片手を上げて制止する。

 もしかしたら実力行使に及ぶ場面もあるかもしれない。

 ヘリオドールの力がいかほどのものかは分からないが、なにか揉め事が起こった際には、おそらく自分の身一つの方が対処しやすいだろうという嗅覚が働く。


「いや、大丈夫だ。ここは一旦、俺一人で行かせてくれ」


 そう言い置いて勢いよくドアを閉めた。

 一分後――。


 再び店に戻った俺は、入り口から店内へ声を掛けていた。


「ナーシェ、わりぃ、道が分からん……」

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