02.筆耕の芝蘭

「さあ蘭丸! やっちゃってくださいな!」

「くださいな、っておま……」


 俺を盾にするように、背中を両手で押してくるナーシェ。

 ちょ、ちょっと待てコラ!


 素早く状況を確認する。

 ダンジョンの壁を掘るように造られた店内は決して広くはない。天井は頭がぶつからない程度の高さしかなく、多くの商品棚も動線をさらに狭めている。

 要するに、長い剣を振り回すのに適した場所でないことは素人目にも明らかだ。


「(ヘリオ、格闘の方はどんなもんなんだ?)」

『剣ほどではないが、まあ、目の前の二人をす程度なら問題ないだろう。というか、他人ひとの名前を略すな』


 よし!

 それを聞いて、ゆっくりと男たちの方へ歩を進める。


「え~っと、ナーシェ……ってか、マスターから事情は聞いた。おまえらを倒せばこの店から手を引いてくれるって約束なんだろ? 俺が相手になる」

「……はああ?」


 異口同音に呟いて顔を見合わせる二人の剣士。

 間を置かず、プッと吹き出しながらこちらへ向き直る。


「どう伝え聞いてるのか知らねえが、そんな約束はした覚えねえぞ」


 すかさず、もう一人も言を継ぐ。


「ちょうど法術士もいるし、死合いがしてぇっつうならしてやってもいいが、どっちが勝ってもこの店の状況は変わらねえぞ」


 やっぱりな……。

 不良グループの抗争じゃあるまいし、こいつらをぶっ倒して問題解決なんて、そんな簡単な話じゃないことは薄々気が付いていた。


「ナーシェ……こいつらと、どういう話のつけ方をしたんだ?」


 振り向いてナーシェを見下ろすが、彼女も小首を傾げながら、


「そんなこと、私に聞かないでくださいよ」と肩をすくめる。

「お前が俺を連れてきたんだろ、ここに!」


               ◇


筆耕ひっこう芝蘭しらん、ライラです」


 二つ名と名前だけのシンプルな自己紹介を済ませると、カウンターの中でゆっくりと会釈をする色白の美少女。

 ナーシェと一緒に探索チームを組んでいたなんて聞いていたので、どんな野生児が出てくるかと思っていたのだが……。


 やや眠たげな、しかし凛とした目元に、スッと水平に引かれた細い眉。

 ねじって後ろに纏められた黒髪は無造作にマジェステで留められているだけだが、それがかえって飾り気のない清楚な美しさを際立たせている。

 白いフリルとエプロンを重ねた黒のロングスカートも、クールな面立ちによく似合っていて、正直、ナーシェとは対極にあるような大人の雰囲気の女性だ。


 ナーシェより四つ上と言っていたから、歳は俺と同じ十六かそこいらのはずだが……聞いていなかったら絶対に同年代とは思わなかっただろう。


「今朝、精霊召喚で呼び出したサーヴァントですよ。名前は蘭丸です」


 ナーシェの紹介に、やや驚いたように眉を上げて俺を一瞥したライラだが、すぐにナーシェへ視線を戻す。


「人型の精霊を? お笑い召喚士のあなたが?」

「誰がお笑い召喚士ですかっ! ふ・し・ぎっ、の召喚士ですっ!」


 ――本日三回目か。

 本当にこいつの二つ名、不思議の召喚士なんだろうか。


「まさかあなた、あのヘリオドールを使ったの?」

「あ、うん、まあ……そんなとこです……」

「ヘリオドール?」


 俺と同化した精霊と同じ名前に、思わず反応して聞き返してしまう。


「ああ、え~っと、お母さんの形見の宝石だったのですよ、召喚に使ったヘリオドールは……」


 ヘリオドールって、宝石の名前だったのか。

 ナーシェの微笑ほほえみに、寂しそうな影がぎった気がした……が、それも一瞬。すぐに今までの屈託のない笑顔に戻る。


「思い入れの強い物を捧げることで召喚の成功率を上げることができるのですよ。今の私の実力では、普通に召喚したって虫かミミズが精一杯ですからね」

「そんな大切なもんじゃなくても、他にもなかったのかよ?」

「そりゃあいくつかはありますけど、宝石は特に、成功率が飛躍的に上がると言われてますので」


 それでも危うく失敗するところだったけどな。


「あれだけは絶対に使わないと言っていたのに……」


 少しだけ怒気をはらんだような声で、ナーシェをとがめるライラ。


「だって、そうでもしないと、あの剣士たちに勝てそうなサーヴァントなんて、私には召喚できそうになかったので……」

「やっぱり、ちゃんと説明をしておくべきだったわね。あの人たちを追い払ったところで、状況はなにも変わらないのよ」


 そう、あの二人がここへ来ていた目的は借金の取り立て。

 今、ここでこうして三人で話していられるのも、ナーシェが手持ちの銀貨二十枚で借金の一部を肩代わりしたからだ。


 分かってしまえば実によくありそうな話なのに、ナーシェが、取り立て係りの二人を倒せばなんとかなるなんて、勝手に頓珍漢とんちんかんな解釈をしていたのだ。

 事はそう簡単な話じゃない。


「あの銀貨で待てるのは一日だけだと言っていたが……全部で借金はいくらあるんだ?」

「ナーシェのおかげでだいぶ減ったけど、まだ六十万ラドル位はあるかしら」


 そんなにっ、と、ナーシェが目を丸くする。


「もともとは八十万位はあったってことだよな。なぜそんな大金を?」


 ガルドゥとの勝負が終わったあとにナーシェに聞いたのだが、この国での庶民の一か月分の収入がだいたい十五万~二十五万ラドル程度らしい。

 そう考えると、八十万ラドルは決して小さな金額じゃない。

 孤児院出身ということだし、身内の病気なんてこともないと思うが……。


 そのとき、ナーシェがはっと何かに気付いたようにおもてを上げる。


「まさか先輩……あの時のお金って……」

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