08.勝利の条件
「ぐああっ!」
ガツンという鈍い音とともに体が投げ出され、景色が暗転した。
地面に二回、三回と顔面を打ちつけながら俺の視界が赤く染まる。
空の黄昏のせいじゃない。……血の赤だ。
ドボドボと流れる生暖かい血液の感触が、こめかみから頬を伝い、目の前の雑草に赤い
ニコラの振り下ろした
遠くで、俺の名を叫ぶナーシャの声が聞こえる。
しかし――。
「ぐ……ぐふっ……」
ニコラの一撃よりさらに一瞬早く、俺の剣の
地面に転がった俺の横で、今度はニコラが片膝を着く。
『なぜだ?』
「なぜ、だ……」
ヘリオドールと、そして彼女の苦しそうな声が頭の中で重なった。
『なぜ、わざと外した?』
「なぜ、最後、わざと……外した?」
俺の方を振り返り、覆面の奥から困惑の視線を向けるニコラ。
そう……最後の瞬間、俺は折りたたんでいた右腕を伸ばし、刃先ではなく鍔で彼女の腹部を打ち抜いた。
なぜと言われても……分からない。
相手が女性だから? 斬るに忍びなかった?
いや、賭かっていたのはライラの、そしてナーシェの魂とも言える、女性としての尊厳。相手が女性だからと言って手を抜いたつもりはない。
しかし、なぜか、剣を振り抜く直前、ニコラを斬ってはならないという強烈な意思が働いた。
いや、意思というよりも本能に近い感情かもしれない。
人を斬ることに対する強烈な嫌悪感……。
押し黙っている俺を見て、ニコラがもう一度訊ねる。
「最後、あのまま私を斬っていればお前が勝っていたはずだ。なぜ、わざと――」
「敢えて言うなら、え~っと……前兆、かな」
「前兆?」
咄嗟に、ヘリオドールに聞かされていた単語を口に出す。
しかし、言ったあとで、あながちそれも的外れではないんじゃないかと思ったりもする。
俺の答えに納得したのかどうかは分からないが、それ以上ニコラに同じ質問をされることはなかった。
「ら、蘭丸~! だ、大丈夫ですか!?……って、血がっ! 血がっ!」
いつの間にか、ナーシェが駆け寄ってきていた。
その後ろにはライラの姿も。
ニコラが、脇腹を押さえながらゆっくりと立ち上がる。
「分からんな……。なぜそこまでの腕がありながらギャンブルで身を滅ぼす? 恋人を賭け駒にするような鬼畜が身につけられる腕前ではないと思うのだが」
「それは間違ってますよ!」
俺の代わりに反論の声を上げたのはナーシェだ。
「蘭丸は、恋人ではありませんよっ!」
そこかよ。
「あと、蘭丸は、そこにいるライラ先輩の借金をなんとかしようと戦ってくれただけです。私が賭け駒になったのは、借金の原因を作ったのが私だったから、私が勝手にガルドゥに申し入れただけですよ!」
「なるほど……そういうことか」
俺も、ゆっくりと立ち上がる。
「おまえらどいてろ。まだ勝負は終わっちゃいな……うっ!」
「ら、欄丸!」
言葉の途中で地面が揺れ、思わずしゃがみこんでしまったところを、不覚にもナーシェに抱きかかえられる。
やべえ……
「その様子ではすぐに続行は無理だ。かと言って、治療を受ければその時点でお前の負けだがな」と言うニコラに続いて、耳障りな声が聞こえてくる。
「ぐふふふ……そういうこった。勝負あったな?」
ガルドゥ!
「その二人なら、歳は若いが見た目も悪くねえ。子供と犯るのが好きって連中もたくさんいるし、これから稼いでもらうぜぇ」
「げ……下衆野郎が……」
「いいねぇ~! 負け犬から下衆って言われるのはほんと気持ちいいぜぇ。なんだったら、てめえの目の前で、俺が最初にそのチビを犯してやろうか? ぐふふふ」
「そいつは無理だね」
「……んああ? どうした、ニコラ?」
「この決闘、負けたのは私だ」
「な、なに言ってんだてめえ……どう見ても、そっちのガキはすぐに戦闘続行は無理だろうがっ!」
「勝利の条件は、相手が戦闘不能になるか、あるいは降参するか、だろ?」
「ああ、そうだが……」
「私が降参すると言っているんだ」
見る間に、顔面蒼白になるガルドゥ。
「なっ……なに馬鹿なこと言ってやがるっ! そんな茶番、認められるわけ……」
「そこの蘭丸とかいう坊やに本気の胴払いを入れられていたら、ここに血溜まりを作っていたのは私だ」
「んな、仮定の話はどうでもいいんだ! 大事なのは結果だろうが!」
「だから、私が降参した。それが結果だ」
「ば……ばかな……」
ギリギリと、ガルドゥの歯軋りの音が響く。
「ぼ……没落貴族風情が……。俺たちの資金援助がなければ、それこそお前が
「その
「てんめえ……こんなことして、タダで済むと思うなよ!」
おまえはもう来なくていいっ!と悔しそうに言い置いて、ガルドゥがその場を後にする。
もしかして……とりあえず、なんとかなったのか!?
少しの間、ぼ~っと奴の後ろ姿を眺めていたが……ハッと気付いてニコラの方へ向き直る。
「おい……いいのか? あいつ、だいぶ怒ってたぞ?」
「構わん。しょせん金で雇われただけの関係だ。矜持を捨ててまで義理立てする筋合いはない。……仕事は失ったがな」
それに、と、俺の身体を抱きかかえるナーシェを一瞥するニコラ。
「私が勝てばその子の身は私が引き受けるつもりでいたのだ。そっちの、黒髪の子まで借金があると聞いて降参することにしたのだが、どちらにせよガルドゥとはそれで切れていたさ」
「そうだったのか……」
やっぱり、俺の勘に間違いはなかったんだ。
「(殺さなくてよかったぜ……な?)」
『なにが、な?だ。別に、お前が斬っていたところで、向こうにもヒーラーがいたのだから死ぬことはなかっただろう』
「(そうは言ったって、女の腹を斬るなんて気持ちのいいもんじゃ――)」
……っていうか、そう、ヒーラー!
「頭がさっきからズキズキするんだけど……、これって治せるのか!?」
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