08.ラストメッセージ

「何も聞こえないことは悲しいことです。でも、聞くことができるのに聞こうとしないのは、もっと悲しいことです。リス姉は、リタの最期の声を聞くべきです」


 リスタの肩の震えが徐々に大きくなっていく。


「あたしはリタの意思に背いて……自分の存在を確認するために盗みを働き、体を売ってきたの。リタはそんなこと、決して望んでいなかったはずなのに……」

「なら、それを償わないうちに死んでしまったら、二度とリタには会えなくなっちゃいますよ!」

けがれたあたしを、リタは絶対に許してくれない。今のあたしには……リタの言葉は、辛すぎるんだよ……もう手遅れなの!」


 思わず声を荒げたリスタを、束の間、黙って見返すナーシェ。

 やがて――。


「リスねぇは……穢れてなんていないです。穢れとは魂を曇らせることを言うのです」

「……魂?」

「そうです。美しい魂は、決して見放されることはないのです」


 膝の上に置かれた伝言の巻物メッセージスクロールをじっと見下ろすリスタの両目に、少しずつ生気が戻っていくのが分かった。

 やがて、筒状に巻かれていたスクロールをゆっくりと広げ――。


 描かれた魔法円にジッと視線を落とす。

 引き結んでいた唇をわずかに開き、掠れた声でリスタが呟いた。


「リタ……」


 直後、赤く発光しながら浮き上がった魔法円が、スクロールから二十センチほどのところでしばし滞空したあと、音もなく弾けて別のものを形作る。

 スクロールの上に立体映像のように現れたのは、ほほの肉が落ちてやつれた――しかし、ベッドの上で上半身を起こし、やさしく微笑む女性の姿だった。


「り……リタッ!」


 リスタがその美しいまつげの下に涙を膨らませて……しかし、溢れ出ないよう必死にこらえながら、現れた女性――リタの名を呼ぶ。

 どうやら、記録映像に近い代物のようだ。


 リスタの声に応えるように、映像が静かに語り始めた。


『……こんにちは、リスタ。

 どう? 元気? 変わりはない?

 あなたがこれを見ているということは、私はもう、この世にはいないのよね。私はこのあと、どれくらい生きられるのかしら。

 二年? 一年? それとも、数ヶ月?

 でも、私は……法術による延命を断りました。

 無駄に生きながらえても、残ったあなた達に迷惑をかけるだけだものね』


 少し寂しそうに微笑むリタの姿を見ながら「そんなこと、ないよ!」と、リスタが叫ぶ。


「生きていて……くれるだけで……うれしかったのに……」


 苦しそうに言葉を吐き出すリスタの前で、再びリタの言葉が紡がれてゆく。


『勝手に決めて、ごめんね? でも、ジェクスがね、感染が心配だからあなたには会わせられないって言うのよ。

 あなたに二度と会えない人生なんて、私には意味がないもの。

 大切な人と二度と会えないということは、こんなにも辛く悲しいことなのね』


 鼻水をすすり上げる音が部屋に響き始める。

 リスタが?……と思いよく見たら、その隣で一緒にメッセージを聞いていたナーシェが、両腕で涙を拭いながら顔をぐしゃぐしゃにしていた。


『だから、私の預金はそのままあなたに残すことにするわね。

 この巻物を銀行で見せれば、私の変わりにあなたがお金を使えるようにしておくわ。

 あ! でも、ジェクスには秘密ね?

 あの人にバレたら全部賭け事に使っちゃいそうだから。

 あなたはあの家を出て、そのお金で一人立ちしなさい。私がいなくなったあとは、ジェクスはきっと、あなたの人生の重荷になると思うの。

 あなたは絶対に、私の分まで長生きしてね。


 これを見ているあなたは、いくつになっているかしら?

 まだ十二?

 あなたがうちに来る前に用意していた絵本、大きくなってもずっと読み続けているから修理も続けていたけど……さすがにそろそろ、卒業してね?』


 少しだけクスクスと笑ってから、再びリタが続ける。


『もし私が長生きできたとしたら、十五くらいになってるかしら?

 それなら、好きな人もできているかもしれないわね。あなたがどんな人を好きになるのか見てみたかったなあ。

 あ! でも、心配しているわけじゃないのよ?

 あなたが選ぶ人ならきっと間違いはないと思うから。

 心から祈ってるわ。あなたが誰かを愛し、そして愛されることを。

 あなたの未来が幸せの光であふれていることを……』


 そこまで話して、ゴホゴホと不意に咳き込むリタ。

 室内で控えていたらしい、防護服のような出で立ちの施療士が近寄り、そろそろ時間だとリタに告げるのが見えた。

 再びリタが顔を上げると、苦しそうに、しかし、慈しむように目を細めて――、


『ごめんね、リスタ。

 伝えたいことはたくさんあったのだけど、もう時間がないみたい。

 最後に一つだけ……。

 これは、私じゃなくて、カチュア――あなたの本当のお母さんが、あなたが生まれたきた時に言っていたこと。

 そして、彼女が亡くなるまでずっと思っていたことでもあると思うわ』


 リタが、声を詰まらせながら、最後の言葉を紡ぐ。


『愛してるわっ、リスタ。

 私の、ところに、生まれてきてくれて……ありがとう』



 啜り泣くナーシェの声だけを残し、リタの姿は消えた。


 今の俺たちなら分かる。

 リタが残したラストメッセージは、カチュアの言葉じゃない。

 あれは、リスタを産んだ本当の母親として、彼女が娘に残した言葉……。


 あの言葉を、彼女は一体どんな気持ちで伝えたのか……そこに思いを馳せると、まるで心臓が締め付けられるように息が苦しくなった。


 ――そのとき。


「……さん」


 聞こえてきたのは、肺から搾り出されたような小さな声。

 気が付けば、ナーシェの隣でうつむくリスタの両目からも、いくつもの透明な水滴が嗚咽とともにほろほろ溢れ出していた。


「かあ……さん……おかあさん、おかあさん……おがあざんっ……!!」


 嗚咽、いや、リスタの魂から溢れ出てきたような心の底からの慟哭。


「リス姉……」


 思わずナーシェがリスタを抱き寄せると、その腕の中で背中を震わせながら――、


「おかあさん……。これからも、たくさん、数え切れないくらい……そう呼びたかったっ……」

「呼べますよ。私たちの隣にお母さんはいませんが、心の中にはずっといます。生きている限り、お母さんとお話することはできます」

「うんっ……」

「そのためには、生きなければなりませんよ。リス姉を救えるのは……リス姉だけです」

「うんっ……うんっ……」


 何度も頷くリスタ。


「あたし、がんばって、生きるよっ……だから、もう少し、あたしを見守っていてください……お母さん……」

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エインヘリアル・ヘルヘイム 緋雁✿ひかり @TAMUYYN

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