04.歯車
このボール、拾わなくてもいいような気がする……。
「らんまぁるビビッてるぅ、へいへいへい♪」
動きが止まった俺を横目に、ナーシェが鼻歌を歌いながらボールをヒョイッと拾い上げた。
「交代なんて無理ですよーだ。みんな投票券だって買っちゃって――」と、そこへ、
「
いつの間に近づいてきたのか、係員の一人がナーシェの言葉を
「お~いみんなぁ! この兄ちゃんに交代するらしいぞぉ!
観客の間を縫うように歩いていく販売員の周りで、『残り一球じゃなぁ……』という声が上がったかと思えば、『いや、あのガタイなら一列くらいは』『装備も上等だしもしかすると二列くらいは』なんて俺を値踏みする声もちらほら。
集計係なのか、紙とペンを持った男も俺たちの傍で販売状況の記録を付け始めた。
ナーシェが名乗りでた時のやれやれムードとは一変、明らかに熱を帯びる会場の空気。
「俺が賞金ゲットしちまっても大丈夫なのか?」
「あと一球でですか? 経験はあるんですか?」
俺の質問に質問で返してくる集計係。俺が首を振ると呆れ顔に変わり、
「そんなに簡単なものじゃないとは思いますが、投げ手への賞金は別枠でプールされているのでうちの利益には関係ないですから。……まあ、頑張ってください」
なるほど……店側にとっても、利益になるのはあくまで投票券の売り上げで、ゲームの参加料は冷やかし防止くらいの意味なんだろう。
賞金の確認をすると、一列で参加券の半額、二列で同額は戻ってくるらしい。とりあえず目標は二列か。
「そういうことだから、ほら、球渡せ」
俺が右手を出すと、さすがにこの雰囲気の中でそれを拒否するのは難しいと悟ったのか、両頬をぷくっと膨らませながらもナーシェがボールを手渡してくる。
「最低でも三列は抜いてくれないと儲けになりませんからね? 三列抜けなかったら一ヶ月食事抜きですからね!」
「死ぬわ! つか、二列でもチャラなんだからそれでいいだろ。初めてなんだぞ?」
「強引に交代しておいて、そんなの言い訳になりませんよ! 私はパーフェクト目指してたんですから、私の投球を参考にしてください」
「なるか、あんなの!」
球の大きさは十五センチほど。
重さもせいぜい数百グラム。特に問題はないだろう。
どうやらオッズも出揃い、わずかながら全枚抜きに賭けた人もいるようだ。
なんとなく、期待されているみたいでむず痒い。
白線の
「(ヘリオドール……一応訊くけど、球を投げたりするのは、どうよ?)」
『やったことがない』
……だよなぁ。
仕方ない、自力でなんとかするしかないか。
十五、六メートルの距離から二メートル四方の
パネルの残りが少なくなってくれば簡単ではないだろうが、とりあえず枠の中に入れるだけならなんとかなりそうだし、ノーコンナーシェよりはまだマシだろう。
「(ちなみにあのパネル、左上から横方向へ、順に一から二十五までの数字ってことで、間違いないか?)」
『その通りだ』
よし……とりあえず十三番!
開始の合図を聞いて放った一投目。ど真ん中を狙ったはずが、リリース直後、指先から全身に伝わったのはなんとも言えない違和感だった。
「やばっ!」
思わずこぼした叫び声を置き去りにして、右へ逸れていくボール。
コントロール重視で
しかも、当たったのは右下、二十番と二十五番のちょうど中間点で、パネルが二枚同時に塀の後ろへ落ちる。
あっぶねえ……。
まさか俺まで投球経験がないわけではないとは思うけど、大金のかかった、しかもミスの許されない状況で体が硬くなっている気がする。気をつけないと。
ま、とりあえず、結果オーライ!
「今『やばっ』て言いませんでした?」
横を見ると、薄目のナーシェが眉間に
「い、言ってねえよ。やった!って言ったんだよ」
「ふ~ん……」
「つか、褒めろよ! おまえよりだいぶマシだろ!」
ったく、よくあれだけ自分のことを棚に上げられるもんだな。
係員が投げて寄こしたボールを右足でトラップする。
……ん? トラップ?
足元に止まったボールを見下ろしながら、何かの歯車が、体の中でカチリと噛み合った気がした。
これは……この感覚は……。
『思い出したか。それが、お前が前世で――』
「(思い……出した。
『うむ』
「(他のことはまだ、霧に包まれたような感じだけど……)」
次々と、サッカーに関する記憶だけがアルバムを捲るように頭の中に去来する。
芝の上でボールを転がす感覚に刺激される脳細胞。
そう、俺は前世の学校でサッカー部だったんだ。
MF(ミッドフィルダー)で、将来の十番候補なんて言われてたっけ……。
「なあ、これ……蹴ってもいいのか?」
俺の問いに、先ほどの集計係が「線から出なければ構いませんが……」と、
「コラ~! 蘭丸ぅ~! 真面目にやれ~!」
……というナーシェの声に続き、会場からも同様の野次が飛ぶ。恐らく、高得点に賭けた客だろう。
それらを一切スルーして、俺は目を瞑る。
いつの間にか、胸元まで持ち上げた左手がシャツをぎゅっと握っていた。
フリーキックの前にいつもやっていたルーティーン。
球径約十五センチ。サッカーを始めたころ、いつでもボールタッチの感覚を身につけられるようにと、肌身離さず持ち歩いていた二号ボールとほぼ同じ大きさ。
十分慣れ親しんでいる。
奥の塀までは、ペナルティエリアの少し内側からゴールを狙う程度の距離。ビンゴ板の幅は、サッカーゴールの三~四分の一といったところか。
――問題ない。
目を開ける。
地面から、足の裏を伝って、何か暖かいものが流れ込んでくる。ビクトール戦でも感じたこの感覚――これが、
『おまえの得意なもので集中力を高めた結果、気脈の開放が進んだようだな』
ヘリオドールの言葉を聞きながら、不安そうにこちらを見つめているナーシェに向かって宣言する。
「五番だ」
「……はい?」
短い助走のあと、体に染みついたイメージ通りに右足を振り抜く。
わずかに弧を描きながら、ビンゴ板に向かって飛んでいくボール。
次の瞬間――。
乾いた音を響かせて右上隅、五番パネルが後方へ吹き飛んだ。
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