10.模擬戦

「もし僕が勝ったら、ナーシェ君は僕と一晩、枕を交える。……どうです?」


 枕を交える……って、要は一緒に一晩過ごすってことだよな!?

 大の大人が、こんな子供相手に?


『安い挑発だな』

「(ヘリオドール?)」

『あの男の意識、ナーシェと話している間もずっとおまえに向けられていた。恐らく、彼女の胸に手を触れたのもおまえの反応を見るためだろう』

「(はあ? なんで俺の?)」

『おおかた、彼女とおまえの関係を探っていたのだろう。人間と言うものは、好きな異性の傍に別の異性がいれば気になるものだ』

「(そりゃそうかもしれないけど……それならもうサーヴァントだって分かったんだし、疑いは晴れただろ)」

『お前が何者であろうと、あの男の彼女を手に入れたいという願望は変わらぬのではないか?』


 まったく、面倒くせえな……。

 でも、そういうことなら俺も熱くなってる場合じゃない。

 あいつのセクハラにはムカついたが、ナーシェだってさすがにこんな賭けには――


「やりましょう、その賭け!」

「ってオイッ! 勝手に決めんなっ!!」

「なんですかまたぁ……。賭けられたのは私自身。私がどうしようと勝手じゃないですか」

「戦うかかりは俺だろ!」

「決める係は私です。やればギルドに登録できるんですよ?」

「何で百パー勝つことになってんだよ! 負けた時のことも考えろ! 負けたらおまえ、あのロリコン剣士と一晩――」

「負けないですよね?」

「そ、そりゃまあ、たぶん……」

「じゃあ考える必要ないじゃないですか」


 ヘリオドールの言葉を信じれば、この世界でその辺りの人間に遅れをとることなんてないはずだ。

 しかし、そう言われながらニコラの時だってなんやかんや苦労した。


「あ、あのなあ、力勝負では勝てても、それだけで勝敗が決まるとは限らないだろ! あんな、いかにも一癖ありそうな相手に対してそんな簡単に返事をするなんて――」

「なにを言ってるんですか。私は誰に対してもそうですよ」

「それが問題なんだよ!」


 しかし、ナーシェがビクトールに返事をした直後から、ギルドホール内の空気はガラリと変わっていた。

 それまで遠巻きに事の成り行きを眺めていた人たちが、突如として異様な盛り上がりを見せていたのだ。


「おいみんな! 女を賭けて模擬戦だってよ!」

「おおっ、マジかよ!? 久しぶりだな! 場所を空けろ空けろぉーっ!」


 ギルドを訪れていた人たちが、一斉に俺たちから離れるように散開してカウンター前に広いスペースを作る。

 いくつかある窓口の向こうではギルド職員たちも、ヤレヤレと言った様子で全員がカウンター内で腰を下ろしてしまった。

 こういったことは日常茶飯事なのか、みんな慣れた動きだ。


「二人とも、模擬刀でいいな?」


 ギルド職員でもない、ただの探索者風のおっさんが二本の模擬刀を持ってきて俺とビクトールに手渡す。

 どっから持ってきたんだよこれ。準備良すぎるだろ!


「ほら、どっちにしろやらなきゃダメそうじゃないですか」

「何が〝どっちにしろ〟だよ! 完全にナーシェのせいだろ!」


 とはいえ現実問題、あっという間に外堀を埋められ、勝負せざるを得ない状況になっているのは確かだ。

 基本的に探索者なんて腕っ節に覚えのあるような連中の集まりだろうし、こういった荒事あらごとは好物なんだろう。

 ここまできて下手に断ることは、別の意味で身の危険を感じる。


「(こういうことになったから……頼むぞ、ヘリオドール)」

『剣士との近接戦か……。丁度いい、地精力アースエナジーの使い方を練習しろ』

「(へ? 練習って……そんなのいつでもいいだろ。とりあえず今は、昨日みたいにサポート頼むぞ)」

『お前の六感へは常に同期している。だが、それをお前自身で自由に引き出す感覚を掴むには、実戦の緊張感が有効だ』

「(んなこと言ったって……力を引き出すって、どうやって!?)」

『……考えるな、感じろ』

「(またそれかよっ!)」


 広いスペース……とは言っても、縦はカウンターの長さでもある十メートルちょっと。幅に至ってはせいぜい五、六メートル。

 昨日のニコラ戦のように派手に動き回れる余裕はないし、その意味では機動力よりも純粋に剣技の勝負になるだろう。つまり、素人の俺には圧倒的に不利。


「それでは、いきますよ、精霊くん」

「え? もう?」


 正眼に構えようと、慌てて模擬刀を持ち上げる。

 ……が、その時にはすでに、ビクトールの打ち込みがすぐ目の前に迫っていた。


「うわっちゃ!」


 持ち前の動体視力でなんとかビクトールの突きを払いけ、大きく反対側に回りこむ。

 丁度、模擬戦開始時とは二人の位置取りが入れ替わった格好だ。


「ん? なんですか今の、素人臭い体捌たいさばきは?」


 小首を傾げるビクトール。

 そりゃそうだろ、素人なんだから!


「(おい、ヘリオ! やっぱダメだ、なんとかしろ!)」

『別に負けても、死ぬわけではあるまい』

「(死にはしないが、俺が負けたらナーシェがあのロリコン剣士と一晩過ごすハメになるんだぞ!)」

われが行うのはお前が生き残るための技術的なサポートのみ。そのためには早い段階でアースエナジーを体得してもらう必要がある。言っておくが、お前の周りの人間がどうなろうと我の知ったことではない』

「(そ、そんな……)」


 再びビクトールの鋭い打ち込み。

 俺も、さっきと同じように何とか捌いて右へ踏鞴たたらを踏む。


 しかし――。


 今度の攻撃はそれで終わらず、すぐに切り返された切っ先が俺を追尾する。


 右薙ぎ、一閃!


 水平に払われたビクトールの剣先が虚空を切り裂く。

 空気音が俺の鼓膜に届くと同時に、左前腕ぜんわんに走る激しい鈍痛。


「ぐあっ!」


 なんとか、右手一本で模擬刀を持ち直して落とさずには済んだが――

 左腕に視線を落とすと、刀身をかたどったような紫色のあざがくっきりと浮かびあがっていた。

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