第22話 沙羅子の見舞いと、新しい店員

「おにーちゃん。朝だよっ! 起ーきーてー!」

「ぐおっ! ちょ、ちょっとやめろって」


 掛け布団がめり込むほどの衝撃が走る。妹から相変わらずの強烈ダイブを喰らい、俺の1日は始まったのだった。今日は五月二九日の水曜日だ。


 星宮を倒した後深夜に帰宅した俺は親父とおふくろから万引きで捕まったみたいに怒鳴られ、完全に疲れ切って眠った後一瞬で朝が来たわけだが、いくら普段元気な高校一年生男子だからとって疲労が回復できるはずもなく、授業中は魔法にかかったみたいに眠っていた。よく先生に見つからなかったな、俺。


 HR前でも昼休みでも放課後でも、今日のクラスメイトの話題は星宮で溢れかえっていた。そりゃそうだ。奴が著名人やテレビ番組スタッフ、機動隊やマスコミをぶっ殺しまくった映像はネット上に上がっては削除されての繰り返しらしい。全く、俺もビックリだよ。


 星宮のこともそうなんだけど、何より驚いているのは自分自身のことだった。だって俺は普段から自分が人よりちょっと臆病な奴だってことを自覚してて、そんな奴が昨日あんな化け物相手に言いたいこと言って最終的にやっつけることができたなんて、今日冷静になって考えたら信じられないことだった。


 星宮が許せなかった。人を殺しまくったとか騙していたとかそういうことよりも、沙羅子を傷つけたことが許せなくて、俺は生まれて初めて殺意って奴が芽生えちまったんだと思う。


 ほとんど何もしないまま学校が終わり、今はトボトボとした足取りで沙羅子が入院しているデカイ病院の中を歩いている。


「三〇二号室……ここか」


 引き戸のドアを開こうとして俺は立ち止まった。一体どんな顔して声をかければいいんだろう。金曜日の夜から昨日まで、沙羅子は多分ずっと星宮に拷問を受けていたんだろう。俺にはとても想像できない地獄。恐怖。何を言ってやればいいんだろうか。


 悩んでも何も名案が出てこなかった俺は、もうこの際勢いで喋るしかねえと思いつつ、普段の四割り増しの明るさを装ってノックも早々に勢いよくドアを開いた。


「よう! 沙羅子ー!」

「……圭太……」


 今までの明るさが全然感じられない沙羅子がベッドから上半身を起こしてこっちを見てる。個室みたいだし広いなとか思いつつ、何とか口角を上げつつ果物の袋を見せながらトボトボと歩くと、昨日顔にあった傷や火傷の跡が全く無くなっていることに気がついた。


 病院に運ばれる直前にめいぷるさんが沙羅子に使った回復魔法が、傷なんて初めからなかったみたいに綺麗に治してくれたらしい。とにかく果物袋を適当にテーブルの上に置くと、俺はベッド近くのパイプ椅子に腰をおろした。


「いやー。お前随分大変な目にあったらしいじゃん。まさか星宮が裏で犯罪しまくってたなんてな。今でも信じられねえよ」

「…………」

「怪我は大丈夫か? ちゃんと飯食ってんのかよ?」

「…………大丈夫。来てくれてありがとう」


 消えかかったロウソクみたいな声出すじゃねえか。校庭の端から端まで届きそうなあの元気な声はどこにいっちまったんだ。何だか目も虚ろだし、そもそもこっちを見てない。でも虚ろな瞳が、何となく震えているように見えるのは気のせいかと考えていると、今度はあいつのほうから喋り出した。


「あたしのことを助けてくれた人達がいたの。……アニメに出てきそうな格好してて、その中の一人があたしを介抱してくれて、外まで連れ出してくれた」

「へぇー! マジでか。俺はてっきり警察に助けられたと思ったけどな」

「信じるんだ、あたしの話……」

「ま、まあな。最近ではあり得ないニュースばっかり報道されてるからさ! そういうおかしな連中がいたとしたって、もう不思議じゃねえだろうよ」

「…………」


 今までのこいつだったら、大体何を喋ってても会話が続くんだけど、今日はどうやっても続きそうにない。ちょっと無理した感じで沙羅子がもう一度口を開いたのは、多分余裕でカップラーメンが出来上がるくらいの時間が経ってからだ。


「一人ね、気になる人がいたの……」

「! 気になる人? へえー、どんな奴?」

「遠目からしか見えなかったんだけど、髪が白くて青い服を着てて、なんか弓みたいなものを持ってた」


 それ俺じゃねえか。まあインストールしている時はまるで見かけが別人だからな。


「弓? 変な奴だなあ。このご時世にそんなもん持ち歩いているなんてさ」

「その人ね。何となくだけど、圭太に似てたよ」

「へ? 俺に?」

「…………」


 沙羅子は無言で小さく頷いてやっとこっちに顔を向けた。窓を見ているのか俺を見ているのか微妙な感じで、今までみたいにはっきりとした感じがない。


「俺に似てるっていうのは意外だなあ。じゃあ俺も弓道部とか入れば意外と活躍できるかな。あ! アーチェリーのほうがいいかな。てか沙羅子もマネージャーじゃなくて運動する側に戻ればいいんじゃね? スッキリするぜ!」

「…………」


 ……駄目だ。完全に別人になってる。星宮に酷い拷問を受け続けたせいで、明るくて活発だった男女はもう何処かに消えてしまったのかもしれない。昨日感じていた怒りがまた込み上がってくる。でもアイツは倒したしもう沙羅子を襲ってくることはない。


「……じゃあ、俺はそろそろ帰ろうかな。とにかく無事だったから安心したぜ。また学校で、!?」


 パイプ椅子から立ち上がりかけた俺の左手の裾を、細い指先が摘んでいた。目線は下を向けたままで沙羅子の右手が伸びている。


「……行かないで」

「……沙羅子」


 俺はどうすればいいのかと悩みつつも上げかけた腰を降ろした。指先はまだ制服の裾をつかんだまま。まだ面会の時間終了までは余裕があるはずだ。


 そして沙羅子の指先が離れないままで、黙祷みたいな数分の沈黙が流れちまった。こういう時になんて声をかければいいのか、経験豊富なバイト先のマスターに聞いておけば良かったのかもしれないと考えつつ、テーブルに無造作に置かれていたテレビのリモコンが目についた。


「そうだ! テレビでも観ようぜ。おふくろがよく観てたドラマがあるんだよ」


 ここに来てあのしょうもないドラマを観せるのもどうかと思うんだが、俺は音のない世界から逃げ出したかった。


「ほら! めっちゃ昭和のドラマだろ? 今観たら違う意味で面白いぞ、笑えるからな」

「…………」


 何も反応がない。以前なら何でこんなダサいの観てんの!? とか言ってくるところなんだけど。


「あ! でも沙羅子はこういうの駄目だったっけ? じゃあコント観るか! 最近の若手お笑いタレントなんだけどさ、超面白い番組のレギュラーやってんだぜ。ほら、これ!」

「…………」


 チャンネルを変えると漫才で会場が大盛り上がりになっていたが、俺と沙羅子はシラっとした空気のままだ。


「な、何だかなー。今日はイマイチなネタだよな。えーと、じゃあ」

「……!」


 適当にリモコンをいじってチャンネルを変えていると、沙羅子の目が急に見開いたのが分かって、俺は咄嗟にテレビ画面を見た。それはニュース番組で……。


「あ……あー。悪い。これは、アレだな。ちょっと待ってくれよ、今他に面白い番組を」


 間違いなく星宮の特集だった。急いで番組を変えようとしたんだけどもう遅かったみたいで、沙羅子は俺から指を離して自分を抱きしめるような姿勢になり、急に息使いが荒くなってきた。

 今最も見せるべきではない男の顔を見せちまった。


「お、おい! 沙羅子、大丈夫か? 沙羅子!」

「う……う。あああ!」

「沙羅子、おい! 沙羅子! 大丈夫か、ちょっと!」


 沙羅子があげた悲鳴を聞きつけてか看護士さんが駆けつけてきて、俺はロクに挨拶もできないまま退場するこちになっちまったんだ。何てことしちまったんだろうと自分を責めつつ、病院を出てバイト先である喫茶店に向かう。


 めいぷるさんの魔法によって体は完全に元どおりになっていた。でも、本当に肝心なところまでは治すことができないんだな。心に受けた傷は、俺なんかでは計り知れないほど深いんだろう。


 沙羅子はもしかしたら、もう元の明るいアイツには戻れないかもしれない。星宮を倒したっていうのに、何もスッキリした気持ちになれない。


 暗い気持ちに浸っちまったまま、俺はやっとのことで喫茶店に辿り着いたんだが、どうもいつもと様子が違う。ガラガラで閑古鳥が常に鳴いているような店が、珍しくお客さんが沢山入っているのが窓からでも分かる。


 おいおい、これはどうしちまったんだ? いよいよバイトしてるって感じになりそうだなと思い、気合いを入れつつ入口のドアを引くと、


「いらっしゃいませっ! あれ? 何だ圭太じゃん」


 俺は店の中に入らずそっとドアを閉める。

 やっぱ疲れてんのかな。どっかで見たことあるようなワガママお嬢様が店のエプロンを着て、俺に笑いかけていた気がするんだけど。とか考えていたらいきなりドアが開いて顔に命中した。


「痛えっ!」

「やっぱ圭太じゃん。何でこんな所で突っ立ってんのよ。さっさと中に入りなさい」

「い、いや! ちょっと待ってくれよ。お前こそ何してんだよ!?」


 多分赤くなっているだろう額を押さえつつ店に入った俺は、咄嗟にカウンター付近にいたマスターが苦笑いをしながら頭を掻いているのを見た。かつてないほどの大失策を犯した雇い主を。


「いやー。圭太君。実はね〜、暇でしょうがないならあたしを雇ってみたらって言うもんだから、試しにルカさんに呼び込みと接客をさせてみたんだよ。そしたら凄いよ! 今日はもうお客さんがひっきりなしさ! 過去最高記録だよ」

「ええー……。マスター。賭けてもいいですが、今日限りの採用で終わらせたほうがいいですよ。っていうか、正式採用はやめて下さいお願いします!」


 ルカはまるでアイドルがステージで踊っているみたいに可憐な歩き方でコーヒーや料理を運んで行く。こいつが店の顔になっただけでこうも人の入りが変わるのかよ。戻ってくるなり俺をみて仁王立ちした。


「アンタいつまでボーッとしてんのよ。もうバイトの時間は始まってるんでしょ。さっさと準備して」

「ちょっと待て。お前ここで働くなんて嫌だとか言ってなかったか!」

「え、何それ。あたしがいつそんなことを言ったの?」

「だってこの前、室内はボロボロで食事メニューは一つしかなくって、お客さんも全然来ない寂れた店だとか言いやがったじゃねえか」

「圭太……少しはオブラートに包みなさい。そんな酷いこと言えるなんて最低よ」

「お前のセリフの引用だ! お前の」

「良いから着替えて! 早く手伝いなさいよ」


 ちくしょう。ルカが同僚になるというここ最近で一番恐れていたことが現実になってしまった。文句を垂れつつ俺は着替えを済ませて、しばらくは火のつくような忙しさで走り回る。二時間くらい経ってお客さんはいなくなり、ルカは爽やかな顔でエプロンを脱いでお気に入りの窓際席に腰を降ろした。


「やっと落ち着いたわねー。ここからはマスターだけで大丈夫でしょ。あたし圭太とお話ししたいんだけどいい?」

「ああ、うん。大丈夫だよ〜。ありがとうね! ではごゆっくり」


 完全に言いなりになってんなマスターは。面白くねえなと思いつつルカの向かいに俺は座った。興味なさげにスマホを弄りながらルカは紅茶を飲んでいる。


「それで? 昨日言ってた聞きたいことって何?」

「あれだよ。星宮が言ってたじゃねえか。お前のことを姫君とかってさ。あれってどういうことなんだ?」


 ハッとした顔でルカはスマホを置いてこっちを見つめる。うん、なんか演技っぽいぞ。


「やっぱりそれが知りたかったのね。解ったわ……正直に答えさせてもらうけど、これは本当に秘密にしてほしいことなの。守れる?」

「お……おお。勿論守るぜ」


 ルカはまるで崖に追い詰められた刑事ドラマの犯人みたいに切ない声で、俯き加減に喋り出す。


「実はね。あたしはとある国のお姫様だったのよ。可愛くて優しくて誠実な上に言葉を話せるきのこ達と一緒にお城で暮らしていたの。そんなある時だったわ、背中に大きな甲羅がある星宮が突然やって来て、あたしをさらったのよ!」

「ああ、はい。そしてお前は赤い帽子をかぶって髭を生やしたおじさんに助けられたわけか?」

「ちょっと違うけど、まあそんな感じ」

「一秒もかからずに嘘と解ることを言うんじゃねえ!」


 まあその話自体は俺は昔から大好きだが、今聞きたいのは冗談ではない。ルカは今度は必殺技が効かなかった少年漫画の主人公みたいに狼狽して、


「あ……あたしの嘘を見抜けるなんて、成長したわね圭太」

「この程度なら昔から見抜けるわ!」

「実はね。あたしはとある国のお姫様で、ある時おじいさんとおばあさんがあたしを見つけたのよ。おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行っていたらしいわ。そうしたらおばあさんの前に、桃がどんぶらこ、どんぶらこと揺られてやってきたの」

「それお姫様も星宮も関係なくね? お前は鬼退治にでも行くことになるのか?」

「そうね。猿は今目の前にいるんだけど、他が見つからなくて……」

「俺は猿じゃねえ! パクリ話ばっかりしてないで、そろそろ本当のことを教えてくれよ」


 ここまで言って、やっとルカは本題に入り出した。前置きが長いんだよないつも。


「実はね。星宮とは前々から面識があったのよ。まさかあんな化け物だとは思ってなかったけどね。とってもキザな感じで、会って数分で姫様呼ばわりされるとは思わなかったわ。父親の職場のパーティーで知り合ってたの。どうにも怪しい感じがしたのよね。行方不明事件と絡んでいるかもってランスロットが言ってきて、そこでピンと来たってわけよ」


 職場のパーティー? あの星宮を呼ぶって相当金掛かるはずなんだけど。


「職場のパーティーか……すげえな。薄々感じてたけど、やっぱお前の家って相当な金持ちなのか」

「そう……一庶民ランクYのアンタでも感づいていたくらい、あたしには令嬢オーラがあったのね」

「ランクが低すぎるだろ! 最底辺目前だ! 令嬢オーラって程じゃないけどさ。それより、ランスロットの奴とも話さないとな。アイツなんで俺の服に発信機付けたりしてんだよ。今回はアイツとお前らのおかげで助かったけど、どうにも信用ならねえ。お前もそう思わねえか?」

「それならまたみんなで集まりましょうよ。ちゃんと腹を割ってお話しするの。リーダーのあたしが呼びかければランスロットもサボらずに来るはずよ。土日とかで集合しましょ」


 ルカの言い分はまだ疑問が残るけど、ランスロットに比べれば大した範疇じゃないと思った俺は小さく頷いた。だけどこいつに訊きたいことはまだまだある。


「……じゃあお前がチャットで呼びかけてくれ。俺は大体いつでもいい。そもそもの質問なんだけど、星宮はCursed Heroesから出て来た敵なのか? 他の世界からやって来たとか抜かしていたぞ。悪魔達の王で、人間によって滅ぼされたとか」

「その他の世界っていうのがゲームの中で、悪魔王っていう設定だったわけ。アイツはゲームがリリースされた初期に、超高難度イベントのボスキャラとして君臨していたの。当時はアイツを倒せれば凄い自慢ができたのよ」


 超高難易度イベントなんて参加できなかったし、ゲーム自体始めてなかったから知る由もない。俺にはアイツが他のモンスター達と同類とは思えなかったし、ゲーム内の設定とか言われても納得出来そうになかった。大体、ただのボスキャラならルカがあそこまで執着するだろうか。


「俺が強くなったら困るから潰す為に近づいたとか言ってやがったぞ。何で俺が強くなったら困るんだ?」

「それはあたしにも解らないわ。アンタがプレイヤーの中でも、才能があるように見えたからかもね」


 何だろう。今日のルカの返答にはほとんど納得できない。誤魔化そうとしているようにしか見えないんだが。そうだった。もう一つ訊いておくべきものがある。


「カイって誰だよ? お前アイツに言ってたよな」


 紅茶を口に運んでいたルカの手が止まった。それはほんの一瞬だったから、注意して見ていなければ解らなかったろう。どうやら俺は、目の前の女が触れてほしくないことに踏み込んでしまったらしい。


 数秒の間があった後、ルカはゆっくりと立ち上がった。

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