第27話 狙う者、狙われる者

 真っ白く澄み切った空間。必要最低限の音だけが響く静かな世界。

 もう誰にも邪魔されない為に作り上げた地下の研究施設。

 僕は空いた時間ができれば、必ずここに来るようにしている。


 ここにいれば世間の煩わしい批評や偏見、親父のクソうるさい言葉に惑わされずに済む。そして今や僕は、あらゆる存在から追いかけられる立場になった。


 地面以外は何も見えない通路を一人歩き続けている女が監視カメラに映る。興味はなかったが知っている顔だった。ついこの間まで星宮の秘書をしていた女。


 やがて自分の背丈よりも遥かに大きく重厚な扉にカードキーをかざすと、彼女は闇の世界から解放され今度は白い世界へ飲まれていった。つまり僕の聖域に入り込んでしまった。


 仕方がない。挨拶くらいはしてやろうじゃないか。


「やあ、君だったか。随分と久しぶりだね」

「お久しぶりですカイ様。あなたにお伝えしなければいけないことがございまして」


 僕は真っ白な世界の中心に存在している機械を恋人のように見つめている。いや、もう僕にとっては恋人なのだろう。星宮の元秘書に背中を向けたまま呟いた。


「星宮海馬のことだったらもう知ってるけど。死んだんだろ?」

「はい。今日伺った理由はそちらとは別件ですが、謝罪はさせていただきます。私も仕事がございましたし、彼がやられるとは思ってもいなかったもので。申し訳ございません」

「いいよ別に。彼はここまでの運命だったってことさ。それに、見逃すことのできない大きなルール違反を犯していた。あろうことかアイツに手を出すなんて」


 僕の自慢の一品は魔法陣のような模様が描かれた床の上にあり、さらに外側にはいくつものカプセルと四角い機材を配置していた。全てに意味がある、まるで芸術のように。


「許せない話だよ。もし星宮の暴挙が成功してしまっていたら、僕の計画は台無しになっていたんだ。圭太君が殺してくれなかったら、きっと僕が殺していただろうな」

「重ねて謝罪させていただきます。申し訳ございません」

「まあいい。では本題を聞かせてもらおうじゃないか」


 これ以上時間をかけたくはない。やっと向き合って話す気になった僕は、振り返ってまじまじと彼女を見つめる。切れ長の目にかけられた眼鏡を左手で少し上げ、怪しく口角を上げてみせた女は、きっと男には不自由していないのだろうと推測しながら。


「この都内だけで、負のエネルギーは予想を超えて膨れ上がっていることを観測できました。全体を計測すると目標数値の半分以上まで進行しているようです。今月末には、カイ様が切望していた催しが行えるかと」

「……本当か?」

「はい。間違いございません。ですがお気をつけ下さい。あなた様が失敗してしまえば、恐らくは」

「安心してくれ。僕は絶対に失敗なんてしないさ。ああそれと……実際に測定したデータを僕に見せてくれよ」

「承知しました。後でデータを転送致します。それでは、私はこれで」


 やっと女は僕の聖域から去っていった。この白い世界を静寂が支配している。


 ……今月末か。多少僕の計算とは狂うことになってしまったが、致し方なかったのだろう。地上で安穏としている低脳な連中も、この僕を認めようとしなかった馬鹿な奴らも、安全な空気を吸っていられるのはもう一月もないということだ。


 アイツさえしっかりしていれば全て上手くいく。一片の悔いもない完璧な人生はあと少しで手に入るだろう。

 自らの分身とさえ思える機械を弄りながら、僕はあらゆる存在への勝利を確信していた。


 僕を止めることができるとするなら、それは多分圭太君。君だけなんだろうね。




 後悔だけはしたくないだろ。だから行動するんだ……もっと努力をしろ。


 教師や周りの大人達からそんな言葉を聴かされ続けてきた俺は、未だに後悔のない人生って奴が実在するのか疑問だった。だってこの世の中には、行動や努力をしたからこそ深い後悔に襲われることだって沢山あるはずなのに。


 朝はいつも通りの始まりだった。妹のフライングプレスで目を覚まし、駆け足で学校に向かうことも変わりはなかった六月三日の月曜日。だけど、俺の人生で最悪の一週間の始まりだった。


 沙羅子は退院したらしいが、しばらく学校へは来れないってことをHRで担任の加藤が長々と説明してる。そんなダラダラ言わなくたって解ってるって。俺は一番後ろの席っていう誤魔化しやすいポジションだったから、隠れてスマホを覗き見るくらいは簡単に出来た。


 今日も返信が来ている。沙羅子でもゲーム仲間でも鎌田でも影山でもなく、Cursed Heroesの運営からだった。


=====


 圭太様


 いつもCursed Heroesをお楽しみ下さいまして、誠にありがとうございます。

 運営事務局の風祭です。


 この度は複数回にわたってご連絡をいただくこととなり、大変お手数をおかけしております。

 以前お答えした内容と重複することとなってしまい恐れ入りますが、ゲーム内の詳細な情報に関して、個別にご案内をすることはできかねます。

 大変申し訳ございません。


 圭太様からいただきましたご不満の声は、今回も私から運営事務局全員に共有させていただきます。


 他にもお困りのことがございましたら、お気軽にお問い合わせ下さい。


 Cursed Heroes 運営事務局 風祭


=====


 呆れてくるね。相変わらずのテンプレ返信をよこしてきやがる。もう少しバラエティに富んだ返信を思いつかないもんかって苛立ちながら、俺は昼休みまでダラダラと過ごしつつまた一通送った。


=====


 風祭さん。


 もういい加減テンプレみたいな返信はやめて下さい。

 知人から聞いたんですが、開発に関わっているカイって奴は一体何処にいるんですか?

 こっちが聞いていることに一つとしてまともに答えようとしないのは、あまりに不誠実だと思うんですが。


=====


 鎌田と一緒に弁当を食いながら、俺は最近常にゲームのことを考えている。


 沙羅子が沙羅子じゃなくなる程酷い拷問を受け、沢山の人間を犠牲にしておきながらのうのうとゲーム運営っていう金儲けを続けている。面白くねえ、こんなやり取りをいくら続けても無駄だろう。のらりくらりとかわされ続ける猛牛みたいだな俺は。


 そんなことを考えながらグラウンドでサッカーをしている連中を見ていると、不意に新しい考えが浮かぶ。そういえばルカは、Cursed Heroesではすっげえ有名なプレイヤーで、アイツに憧れる奴までいるらしい。じゃあ、もしかしてアイツの名前を出したら、運営も黙ってられないんじゃないのか?


 馬鹿げた考えだとは解っていつつも、半分八つ当たり気味に俺はこう送ってみた。


=====


 続けてすいません。

 俺の知人にこのゲームじゃすげえ有名なプレイヤーがいるんですよ。ルカって言うんです。

 そいつにアンタらがやっていることをネット上で拡散されてやりますよ。

 ルカに何もかも教えてやりますし、今度こそ警察に全部話しますから。

 嫌だったらちゃんと質問に答えて下さい。


=====


 正直言ってイタズラみたいなもんだ。警察のことは何度も話に出してるし、たかがネットの有名人の名前を引っ張ってきたところで、奴らはどうってことはないんだろうとあの時は考えていた。でもおかしなことに、運営からの返信はいくら待っても来なかった。


 火曜日になっても水曜日になっても送られてこない運営からの返信。俺は苛立って催促のメールを送ったが、それでも奴らからの返信は来る気配も無かった。


 軽はずみな気持ちで送ったあの一通が、明らかに運営の態度を変えてしまったことに、まだ俺は気がついていなかったんだ。


 あっという間に六月も五日が過ぎて、学校が終わった俺はいても立ってもいられず、実際に運営に殴り込みに行ってやろうと電車に乗り、アプリの情報に書いてあった住所に向かった。実は俺たちの街から、電車で二〇分もしない所だった。ただっぴろい駅を降りて、繁華街を抜けてどんどん住宅街へ入って行く。


 ようやく俺は奴らの仕事場に辿り着いた。はずだったんだが。


 アプリに記載されていた住所にあったのはビルでもマンションでもなく、ただの空き地だったんだ。これは明らかに詐欺じゃないのか。どうして捕まらないでいられるのか解らない。もうバイトの時間に間に合うか微妙なくらいだったんで、とにかく俺は明日にでももう一度警察に行こうと決心した。


 あれからルカはバイト先に来ないし、めいぷるさんとランスロットとも会っていない。ただ、ルカは最近でもしつこくチャットは送ってくるけど。


 バイトもあっという間に終わった俺は、真っ直ぐに家に帰ることにした。どうやら親父は帰って来てないらしい。自分の部屋でベッドに寝っ転がっていると、妹はゲーム相手を探して俺の部屋を出たり入ったりしてくるが、今日だけは勘弁してくれと断る。疲れてんだよ。


 不意に枕の横に置いていたスマホが振動する。待ちに待った運営からの返信というわけではないけど、それはCursed Heroesの通知だった。


『新イベント ターゲットイベント開催!』


 ターゲットイベント? 一体今度はどんなイベントが始まったっていうんだよ。俺は寝ぼけた目でアプリを起動させる。嫌な予感がしていた。イベントのお知らせは、こんな内容だ。


=======


 臨時のターゲットイベントを開催いたします!



 日頃よりCursed Heroesをお楽しみ下さり、誠にありがとうございます。

 プレイヤーの皆様へ、日頃からの感謝をこめましてボーナスイベントを開催させていただきます。


 今月中に開催されます一周年記念イベント「Cursed mode スペシャル」の前哨イベントといたしまして、この度現実空間でのターゲットイベントを開催いたします!


 プレイヤーみんなで一体のターゲットを撃退し、大量のポイントをGETしよう!

 なんとトドメを刺したプレイヤーには一億ポイントを進呈いたします!

 また、今回のイベントで獲得したポイントは、「Cursed mode スペシャル」でも引き継がれます。

 ターゲットを倒せばランキング入りはほぼ間違いありません!



 今回のターゲットはこちらです。


 ▼

 プレイヤーランク:61

 プレイヤーネーム:圭太

 クラス:アーチャー


 手強いプレイヤーを討伐し、沢山の報酬をGETしましょう!


■ 【注意事項】

1 本イベント開催期間は6月5日22時00分〜6月6日1時00分までの短時間開催となります。

2 ターゲットは通知により存在を確認できますが、遅延による影響で該当の場所から移動もしくは討伐されている可能性があります。

3 本イベントにてHPが0となった場合、実際に死亡となりますのでご注意下さい。



今後ともCursed Heroesをよろしくお願いいたします。


=======


 画面を見た俺は一気に眠気が覚めて、上半身を起こしたまましばらく呆然とするしかなかった。

 だってそうだろ? 現実空間での危ないイベントが開催されたことはすぐに理解できる。

 でも、これは一体どういうわけだ?


 ターゲットは……俺?


 突然家中の明かりが消える。いつも見慣れた蛍光灯の光は突然仕事を放棄したみたいに真っ暗になり、トテトテと歩き回っていた妹が声を上げつつ周りをキョロキョロしていることが、物音と声で察することができた。


「あれー? ねえお兄ちゃん! もしかしてまたプレゼント?」


 違う。妹はこの前のサプライズがまた始まったと勘違いしているが、俺やおふくろは何の用意もしていない。もしかしたら、本当に奴らがこっちに向かってきているんだとしたら。


 俺はスマートフォンを起動させてレーダーを見ると、このマンションに赤いマークが点滅しているのが解った。しかもプレイヤーを示す青いマークが、囲むようにここに来ていることも。


 普段はモンスターを表している赤いマークは、間違いなく俺に当てられている。マジかよ、みんなで俺を殺しに来るっていうのか。


「いやだわー。停電かしら。ちょっと圭太、由紀! 何処にいるの?」

「こっちにいるよ。……あのさぁおふくろ! ちょっと俺用事思い出したから外出るわ!」

「え? あんたこんな時間に外に行くの?」


 今すぐ俺はこの場を離れなきゃいけない。


 高校受験の日に遅刻しかけた時よりも、遥かに焦っていた俺は上着を羽織るとCursed mode専用インストールをしようと震える手でタップをしているが、電波が悪いのかなかなかインスロールが始まらない。

 そんな時に。


 不意に玄関のドアを叩いてくる音がした。

 コンコン……コンコンと。小さなノックのような音がしてる。


「あれ? こんな時間にお客さんなの? はーい」

「待ちなさい由紀! 誰か解らないのに出ちゃダメよ」

「ま、待て! そっちに行くな! 由紀!」


 おふくろの声とほぼ同時に、俺が必死に妹を引き止めようと部屋から飛び出した瞬間、何かが爆発したように玄関のドアが吹き飛んで、おふくろと妹の悲鳴が真っ暗な部屋に響いていった。

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