第28話 殺されない為に

 目の前で交通事故みたいな音が鳴り響いていたが、俺は耳をふさぐこともできなかった。


 爆発のような衝撃に吹き飛ばされて目前に火花が散り、壁に激突した痛みで息が苦しくなっている。


「……ごふっ、畜生。由紀! 母さん!」


 妹とおふくろがどうなっているのか分からないまま立ち上がった俺に、そいつらは卑しい笑みを浮かべてノソノソと入ってきやがった。


「いたいた。何だぁ? まだガキじゃねえか」


 そいつは褐色の肌をした坊主頭の大男で、恐らくハーフかクォーターだと思う。まるで水泳選手みたいなしなやかでデカイ体に、両手に持ったハンマーが妙に似合っていた。背後には赤いローブに身を包んだ何かがいる。


 疑問に思っている暇もなく大男の後ろから何かが飛んできて、俺の頬と肩をかすめていったものが矢だと認識するのに数秒かかった。俺と同じアーチャーがこの近くにいるってのか?


「何なのあなた達! 警察を呼ぶわよ! 圭太、由紀!」


 おふくろが震えながらフライパンを構えて威嚇しようとするが、男は視線すら向けようとしない。奴が見据えているのは俺だけだった。


「きゃあー! お兄ちゃん、お兄ちゃん!」

「由紀! あっちに行ってなさい。俺から離れてるんだ!」


 妹が抱きついて来ようとしたが、今ターゲットである俺にくっついたら一緒に殺されちまう。部屋の奥へ行くように促すと、泣きながら妹は言うことを聞いてくれた。やっとインストールが始まったが、ハンマー野郎は待ってちゃくれない。


「おっとお! シャドウの野郎に先を越されちまうな。そろそろ殺さねえとよ!」


 知らない名前を口走りつつ振りかぶったハンマーが勢いよくリビングで振り回され、避けることで精一杯な俺はいつの間にか自室まで押し込まれていき、やがて窓際まで詰められたところで、背後にいた赤いローブを着た奴の目が光った。


「う、うあああー!」


 耳が破裂するんじゃないかというほどデカイ音と一緒に俺は宙を舞った。今のはきっと爆発魔法だろう。四階から落下していく恐怖感はジェットコースターとは比べものにならない程怖くて、俺は死を予感しつつ加速する景色を見つめるしかなかった。


「ぐああ! ああ……ん?」


 全身を痺れるような激痛が走る。マジかよ、四階から落とされるってこんな痛みなのか。いや、痛いとか痺れるとかで済んでいるってことは、もうインストールが終わっているってことだ。倒れたまま両手や自分の服を見ると、確かにアーチャーになっている。寸前のところで間に合った。


「これでトドメだぜえ!」


 俺を殺したくて堪らない大男が、半壊した部屋から飛び降りてハンマーを振り上げたまま落下してきやがった。喰らえばまさに必殺の一撃だ。


「やべえ! こいつ!」


 俺は起き上がりつつ後方にバックステップし、上空から振り下ろされる狂気としか思えない一発をギリギリでかわすと、隕石が落下したみたいにコンクリートに大穴が空いて縦揺れが起こった。


「あー……何でかわすのかねえ。当たってくれれば楽に終わったのによ」

「て、てめえ……自分がやっていることが分かってんのかよ! てめえらがやってるのは人殺しだ」


 ハンマーを持ったでけえ男は、まるで念仏を聞いてる猫みたいにキョトンとした顔で、


「はあ? 人殺しだ? それが一体どうしたってんだ。お前を殺せば俺は次のCursed modeでランキング入りできるんだ。一人二人殺したところで、バレなければ無かったも同じなんだよ!」

「……くそ!」


 説得なんて通じそうにないことは分かっていた。でも俺は言わずにはいられなかったんだ。頭が回らない。焦りと怒りと、心の奥から湧いてくる恐怖。


 真夜中のマンションの敷地内に無数の影が見える。さっきの赤いローブを着た奴。ナイフを持ったシーフみたいな茶髪の若い男。見たこともないデカイ盾を持ったおっさん。鞭を持った気味の悪いニヤケ顔の女。


 こいつらは全員俺を殺そうとしてる。Cursed Skillゲージが溜まっていないから必殺技は撃てない。つまり俺は今戦ったら確実に集団リンチの末に殺害される。


 誰かが言った。


「こいつさえ殺せば私が一番だ。これでもう将来の不安がなくなる」


 誰かが言った。


「まだ若いのにごめんな。俺には生活がかかってんだよ。借金で首が回らないんだ」


 誰かが言った。


「まだ中学生かな? どんな悲鳴を上げるのか楽しみだわ。動画に撮ってから殺そうかしら」


 狂ってる。こいつらは狂ってる。


「や、やめろ。やめろお前らぁっ!」


 心の奥に潜んでいた恐怖が吐き気みたいに込み上げて来て、俺は弓を構えることもなくマンションの門まで走り出した。背後から足音が聞こえる。幾つもの音が、みんな俺を殺す為に追っかけてくる。


 あのハンマー野郎が叫んだ。


「待てよおっ! 逃げんじゃねえ! 大人しく俺に殺されろって」


 客観的に見ても俺は逃げるしか選択肢がなかっただろう。だけど頭の奥で誰かに叱られている気がした。おふくろと妹はどうするんだ? 二人を置いて逃げるのかと、耳鳴りを感じるくらいに言ってくる。


 逃げろという声と、逃げちゃダメだっていう声が同時に脳内でせめぎ合っていると、ナイフを持った茶髪の男が俺に追いついて来てニヤリと笑う。


「へへへ! いっただき」

「うわっ!?」


 ぴったり真横についたそいつのナイフは、もう少しタイミングが早かったら完全に首を斬っていただろう。ギリギリで首筋をかすめたナイフにビビりつつ、振り下ろして態勢を崩していた茶髪の男に思い切りタックルをして吹き飛ばした。


「ぐはっ。なろおぉ!」


 マンションを出ても奴らは俺を追いかけてくる。レーダーに映っているってことは、何処まで逃げたって場所を特定されちまうってことだ。アイツらはそれが分かっているからこそ、半端な攻撃なんて一切せずに追いかけ続けているに違いない。


「どうすりゃ良いんだ? どうすりゃ……」


 住宅街を走りながら考える。気がつけば繁華街に出て、いつもはただ退屈なだけの駅前までやって来ていた。俺の足は普段よりずっと早い。もしかしたら車とも張り合えるのかな。でも、それは俺を追いかけている連中だって同じなんだ。


 視界に映るCursed Heroesのメニュー画面からレーダーを表示させると、どうやら逃げている方向にも何人かプレイヤーが近づいて来ている。このままだと間違いなく囲まれちまう。


「くそ……運営め。なんてことしやがるんだよ!」


 俺は走る足を止めて叫んだ。ハンマー野郎達とは距離が開いているが、何処に逃げてももう一緒だ。怒りのあまり人が集まっている駅前広場で声を荒げた俺は、完全に危ない奴に見られているんだろうな。


 きっと殺される前の人間なんてみんなこうなんだろ。側から見たら異常な奴にしか見えないんだ。レーダーを見ると俺を囲むように青い丸が表示されていて、少しずつ小さくなっていることが分かる。

 もう終わりなのか。死んじゃうのかよ、俺。


 このどうしようもないタイミングで、天の助けと言うべきなのか、あいつからのチャット通知が来た。バイブレーションを起こしたスマホにビクつきながらも液晶を覗き込むと、


『駅前広場から出て、西にある潰れたショッピングモールのほうへ向かいなさい。あたし達はそっちにいる』


 ルカ。西側にあるプレイヤーマークはルカ達なのか。でも待ってくれ。もしアイツらの誰かが、俺のことを殺そうと思っていたらどうするんだ? 大金を持っちまって人間不信になった成金みたいに疑い出した頭に、背後から何かがぶち当たる。


「ぐあっ!」

「見つけたぞぉ、ガキ」


 さっきのハンマー野郎が殴りつけて来た。頭部が陥没するような痛みに苦悶しつつ振り返ると、今度は横から巨大なハンマーが襲って来て、右脇腹に思い切り命中した俺は文字通り弾け飛ばされた。


「があぁ!」

「よーし、動くなよお。一発で楽にしてやる!」


 道行く人達が悲鳴を上げてこっちを見ている。信じられねえことをする奴だ。口の中に鉄くさい匂いと味が広がり出して、脇腹も多分折れちまったが俺は倒れない。ここで倒れたら地中に体が埋まるくらいハンマーで滅多打ちにされるのが解りきってたからだ。


 幸いぶっ飛ばされたことで三十メートルくらい距離が広がったので、俺は激痛をこらえながら弓を構えてすぐに矢を放した。


「ちぃ!」


 ハンマーを持つ指に矢を当てると、男は苦痛に顔を歪めつつも諦めずに突進してくる。だが2回目の横からのハンマー攻撃は、簡単なバックステップだけでかわすことができた。俺は矢を放ちながら逃げる、ルカ達がいるはずの方角へ。


「何をしているんだお前達!? 止まれ!」


 途中で警察が奴らを止めているような声が聞こえたが、これで大人しくなるような連中じゃないだろう。


「うわっ。何を……ぎゃああー!」


 堂々とした警察のおっさんの職務質問はカン高い悲鳴に変わっていた。ちらりと後ろを見ると、茶髪のシーフみたいな奴がおっさんを馬乗りにして刺しまくっていたのが遠目に映る。こいつら正気じゃねえ。


 死ぬ思いだった。走る度に響きまくる脇腹の痛みは時間を追うごとに増してきて、全身の感覚は徐々に薄れてちゃんと走れているのか自信がない。それでも俺はどうにかショッピングモールまで逃げ込むことに成功した。


 完全に取り壊しを待つばかりになった施設内を走り続ける。シャッターロード、無駄に広い通路、もう動くことのないエスカレーター。どうしてこうなっちまったんだ俺は。何度も答えの出ない問題を頭でこね回しているうちに、エスカレーターの奥にちらりと人影が見えた。


「ルカ……ルカか!?」

「随分と派手にやられてるみたいね」


 停止したエスカレーターを駆け上がった先にいたのは、女騎士の姿になっているルカと、プリーストになっているめいぷるさんの二人。


「何で俺こんな目に遭ってんだ? 家を……家を滅茶苦茶に壊されちまった! 畜生!」

「……そう」


 ルカの声は今までのような喜怒哀楽がハッキリ分かるようなものではなく、まるでAIが返答しているみたいに平坦だった。めいぷるさんはただただ悲しそうに、両手で杖を握って佇んでいる。


「圭太さん。こんな酷いことになっちゃうなんて。私……なんていうか」

「どうしてこんな目に遭うのか全く理解できないです。それにもうすぐプレイヤー達はみんなここに、」


 早口でまくし立てるように喋っていた俺の口が、二階の通路奥から誰かが歩いてきて止まった。


「全く理解できないということはないんじゃないかな。圭太君。心当たりならあるのでは?」

「ランスロット……俺が、俺が何したっていうんだよ!?」


 苛立ちのあまり叫んだ。だってそうじゃないか。俺はマジで、みんなにターゲットにされて殺されるような真似をしたことなんてないはずだ。


「君は運営を挑発していたのではないかな? 何を言っていたのかは知らないけど、彼らが恐れる何かを君は伝えたのではないかと僕は推察している」

「俺が運営を挑発だと! そんなことあるわけ……」


 心当たりならある。俺は確かに散々運営に向かって問い合わせを送った。実際に職場に乗り込もうともしたくらいだ。だからって、殺そうとするなんて普通思わないじゃないか。


「あたしは止めたはずよ。運営を刺激するようなことはしちゃダメよって」

「だっておかしいじゃねえか。アイツらがずっと野放しになっているなんてよ! どうしてお前らは普通にしてられるんだよ。どうして」


 ルカは俺をじっと見つめたままだ。感情のない視線からは何を考えているのか予想がつかない。十メートルくらい離れた距離から近づいてもこない。やがて何かを悟ったかのように桃色の唇が小さく動く。


「もう時間がないわね。じゃあめいぷるちゃん、ランスロット……始めましょ」

「はい……」

「仕方がないよね。恨まないでくれよ圭太君」


 ランスロットの奴はいつの間にか俺の背後に回ってやがった。みんなの様子がどうもおかしいことに気がついたのは、もう逃げようがないくらい囲まれた後だったんだ。


「な、何だよお前ら?」

「他のプレイヤー達が来ちゃう前にさ。終わらせちゃおうと思ってるわけ。察してよ圭太」

「ちょ、ちょっと。ちょっと待てよルカ。お前が何言ってんのか俺にはさっぱり解らねえ」

「待てないわよ。だって一億ポイントよ。ゾンビとか下級モンスターみたいに十ポイント程度ならまだしもね。そこまでのポイントがGETできちゃうっていうなら、みんなが群がるでしょ」


 今までずっと見せていた天真爛漫な女は何処に行っちまったんだ。いつの間にか右手にはエクスカリバーが握られていて、刀身が地面をするように一歩、一歩確実に迫ってくる。後ずさる背中が何かにぶつかり、突然俺は羽交い締めにされた。やっているのは言うまでもなくキザ男だ。


「離せよこの野郎! ルカ。お前裏切る気か!? 今まで一緒にやって来たじゃねえか。めいぷるさん! コイツらおかしいですよ! 何とかして、何とか……?」


 めいぷるさんはまるで人形のように突っ立ったまま、俺たちのやり取りをまるで風景みたいに眺めている。どうしちまったんだよ。俺たちは仲間じゃなかったのかよ。


「なんだよお。てめえらが捕まえたのか? おいおい、お前ルカじゃねえの。くそ! 超高ポイントGETのチャンスだったのによお!」


 ショッピングモールの奥から走って来たのは、さっき俺を襲撃しやがったハンマー野郎だった。他のプレイヤー達もいる。どうやっても逃げれる状況じゃない。


「さようなら、圭太」

「やめろルカ! う、うわあああ」


 ルカの言葉は刃よりも鋭くて冷たかった。あんなに熱のあった言葉の数々が懐かしく感じるほどに。


 振り下ろされた最高レアリティの剣が真っ直ぐに脳天を捉え、視界も意識も一瞬でブラックアウトした。

 これが本当のゲームオーバーって奴なんだろうか。ふざけんな、納得できる筈がねえ。


 だったらコンティニューだってさせてほしい。

 神様が願いを聞いてくれたのかは解らないけど、少ししてから俺は全く知らない場所で目を覚ました。

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