第42話 明るくてワガママな優等生

 六月も半分が過ぎちまった土曜日の朝。

 妹にもおふくろにも起こされることがなくなって、薄っすらと寂しさを感じながら目覚まし時計を止める。


「もうこんな時間になっちまったか。早く行かねえとな……」


 俺はできる限り急いでシャワーを浴びて着替えを済ませると、リビングでくつろぐ親父に行き先を告げて駅まで走った。目的地は日本一の高さを誇るタワーだ。


『明日の十時にAタワー前に来て! 一番ど真ん中の入り口よ。じゃあお願いね』


 Aタワーか。別にそんなに遠いところじゃないんだけど、嫌になっちまうくらい人が溢れてるスポットだから正直行きたくない。まあたまにはいいか。どうせ暇だしな。


 Aタワーに直結している駅のホームに降りた俺は、とりあえず正面改札から出ていって、超長いエスカレーターに乗りながら人混みを見下ろしつついつの間にか目的の場所に辿り着いていた。


「うわー……朝からすっげえ行列ができてんじゃん」


 正面入り口には、どれだけくねっているのか分からない程の長蛇の列が出来上がっている。土曜だから混むとはいっても、ここまで並んでいるのは流石にやり過ぎだと思う。俺はその行列とは少しだけ離れた場所で、アイツがやってくるのを待っていた。そんな時だ。


「あー……もう怠いー……ん?」


 背後からじーっと見上げてくる何かの存在に気がついて、振り返りつつ下を覗こうとしたところで、顔が解る前にその子はクルッと後ろを向いて駆けていく。


「な、何だ? 女の子か」


 金髪の長い髪がふわふわと揺れて、黒いゴシックドレスが風になびいている。デジャヴっていうんだろうか……俺はなんだか以前見たことがあるような気がして、しばらくの間後ろ姿を眺めていた。女の子が人混みに紛れて消えてしまった頃、


「どうしてずっと小さな女の子を見つめているのかしら。もしかしてアンタ、ロリコンなの?」


 突然右側から刃物で刺してくるような鋭い声が突き刺さってくる。やっぱりというか、俺をここに呼び出しやがった女だ。


「あん!? ロリコンじゃねえよ失敬な! ちょっとさ、以前に会ったような気がしたんだよな。あの子と」

「ふーん……そう。以前会って尾行して、家を突き止めて覗いているうちに捕まったりしたの?」

「するワケねえだろ! お前は俺をどんな不審者だと思ってんだよ! そうだ、一体何の用か言ってなかったよな」


 ルカはちょっとだけ顔をむすっとさせていたが、すぐにいつもの勝気で明るそうな笑顔を取り戻すと、細い腰付近に両手を置いた。しかし、ここまで白いワンピースが似合う女もなかなかいない気がする。


「よく聞きなさい。用件はね! ……ないわ」

「……は?」

「暇つぶしに付き合ってもらえる人を探していただけよ! 以上」

「あっそ……じゃあ帰る」


 ルカはあくびをしながらトボトボと歩き出した俺の襟を、猛禽類みたいに鷲掴みにして引き戻してきた。


「うわあっ!」

「もう! 冗談よ。これはアンタを鍛えるために必要なこと+素敵なものなのよ。一石二鳥なんだから」

「全然分かんねえ。結局何をするんだよ」

「あはは! 秘密よ。そろそろ会場もオープンしたわね。じゃああたし達も並びましょ」


 やっぱタワーの中に入っていくのかよ。俺はちょっとげんなりした。これから人混みに揉まれまくっていく世界に、素敵なものなんて本当にあるんだろうか。ほぼ最後尾に並んでいた俺とルカは、暇を潰すようにCursed Heroesを起動させてマルチプレイを始める。


「アンタ超強くなってるじゃん! まーあたしほどじゃないけど、よく短期間でここまでLvを上げたわね」

「そりゃあ、Lvを上げないと死活問題だからな。ランキングで一位になる為にはやれることはやっておかないとさ」

「良い心がけね。ねえ、もう石貯まったの?」

「貯まったよ。そろそろガチャを回そうかなって思ってるんだけど、まだいいかな」


 それを聞いたルカは、いたずらを思いついた悪ガキみたいな顔になって俺の液晶を覗いてくる。


「ねえねえ! そんなに勿体ぶらないでさ、今やっちゃおうよ」

「いいよ、今はそんな気分じゃないんだって」

「えー。アンタってノリが悪いのねえ。今ってアーチャーは何がピックアップされてんの? ちょっと画面だけ見せてよ」

「何だよ。まあまあ強い武器がピックアップされてるみたいだぞ。ほら」

「えい!」

「うわ!? お、お前いきなり何しやがる!」


 ルカは一瞬で10連召喚をタップしやがった! いつかの妹と同じ真似を! なんてことだ、無慈悲にも茶色い宝箱がドンドン落下していく。金色どころか銀色すらもなく、溜め込んだ俺の石は露と消えてしまった。


「て、てめえ! どうしてくれるんだこら」

「あれー! 残念だったわね。あ……圭太、前空いてきたからちょっと詰めて」

「もう二度とこんな真似するんじゃねえぞ。ったく」


 俺は言われるがまま列を詰めていると、すぐ近くから爽やかなシャンプーの甘い香りが漂ってきてドキリとした。ルカが背後から透きとおるような腕を伸ばしてくる。


「えい!」

「ぬあっ!? こ、この野郎二度までも!」


 ルカのピアノでもやっているような指がまたしても十連召喚をタップしたことで、俺はもう一度茶色い宝箱達の降臨を目の当たりにしたのだった。


「お前なあ! 本当にいい加減に、」

「あ! 昇格してるじゃん」


 俺はハッとしてスマホの画面を覗き込むと、一個だけ茶色の宝箱がガクガクと揺れ始めてヒビが割れ、中から黄金に輝く宝箱が出現した! 最後の最後で昇格するパターンだ。


「や、やべえ! 来ちまった!」


 もう興奮で頭がいっぱいになり、開かれた宝箱から目が離せない。中から出てきた虹色の光が消えていき、大きな羽飾りのついた弓が姿を現した。


「何だこれ……虹の彗星弓?」


 まるで白金で作られたような弓だけど、ピックアップの武器にもなかったし、これはすり抜けってやつなのだろうか。ただ、攻撃力は今使ってるグレートボウより高くなりそうな感じがするし、どうやら特殊効果もあるらしい。


「やったじゃん圭太ー! これでアンタもまた強くなれるわね」

「ん? ああ……まあ、ありがとな」

「あたしばっかり引いちゃったら、何だか悪いわね。はい! 押して」

「えっ!?」


 ルカが自分のピンク色のスマホ画面をこっちに差し出してくる。


「本当にいいのかよ。……じゃあ、ちょっとだけ」


 俺はポチッと透きとおるような液晶に指を触れてみる。ガチャの演出を見ながらワクワクしているルカは、まるで近所の子供みたいだなと思いつつ、ハズレ武器ばかり引かせたらどうしようかとハラハラしてしまう。


「あーん……全然ダメじゃーん」やっぱハズレだったらしい。

「悪い。俺引き弱いみたいだから」

「もう一回」

「え!? いや、ちょっと」


 ルカはちょっぴり不機嫌そうにジト目になってもう一度液晶を差し出してくる。おいおい、またやる気か。


「いやいや、勘弁してくれよ。お前もう十連で石無くなっちまうじゃん」

「別にいいのよ。引いて。は・や・く!」

「もう……どうなっても知らねえぞ」


 俺は半分ヤケで画面をもう一回タップすると、さっきよりも真剣な目つきでルカは画面を覗き込む。気がついてないのか、思った以上に顔が接近していたのでちょっとだけドキドキした。


「き……キタ! キタ!」

「え? 何がき……うお!?」


 ルカの宝箱はほとんどが銀色だったが、中に一つだけ金色の輝きがあった。他の武器獲得演出はスキップしまくり、とうとう黄金の箱を開けると、


「やったー! あたし前からこれが欲しかったのよ! ありがとう圭太」

「お? おお! まあ別に。俺もお前のおかげで手に入ったからさ」


 ルカは興奮のあまり小さくジャンプして笑っている。よくガチャで目的のものが手に入ったくらいでここまで喜べるなと思いつつ、そう言えば俺も人のこと言えねえやとか考えていると、やっとのことで正面入り口の自動ドアが開いた。


「やっと開店したわね! じゃあ目的地へ急ぐわよ」

「へ? 一体何処……うおー!」


 俺の腕を引っ張り突風みたいに走り出すルカ。やめろっておい、ぶつかっちまうだろと言葉にする余裕もなく突き抜けた先にあったのは水族館だった。


「今ならまだガラガラよ! さあ行くわよ。ここは今日本で一番大人気の水族館なの。世界中の海から魚が集まってるのよ」

「はあ……来たかったところってここかよ。水族館なんて何処でも一緒じゃね」

「解ってないわねアンタ。ここは一味も二味も違う水族館なのよ」


 昨日の美術館ほどじゃないけど、確かにこの水族館は広いし魚の種類も豊富だと思う。ルカと一緒に大小様々な魚がすいすい泳ぎ回っている姿を見ながら、ちょっとだけ荒れていた気持ちが収まってくるのを感じた。


「見て見て! 超デッカいサメよ。あたし的に海にいる生き物で一番好きだわ。尖ってる感じがたまんない」

「イルカショーがあるじゃん! もう開演だわ」

「見て見て! ペンギンがいるわよ、めっちゃ可愛い!」


 ずっとルカに引っ張り回されて水族館を歩き回っていた俺は、何となくだが楽しくなって来て、時間が過ぎていくのを忘れてしまうくらいだった。ただ、ここでふとペンギンの悠長な泳ぎを見ながら我に帰る。俺達は何やってんだ?


「なあ、これが俺に見せたかった強くなる為に必要なものか?」

「え? ……よく解ったわね。大自然の神秘を体感することによって、あたし達の体に力を宿らせるのよ。スピリチュアルパワーってやつよ」

「それは初めて聞く力だな。強くなるっていうより幸せになれそうだ」


 ペンギン達の鑑賞も終えてクラゲの水槽コーナーに入った時、見覚えのない女の子二人組が歩いて来てこっちに手を振ってくる。誰だ?


「ルカじゃん! どうしたのこんなとこで」


 二人組の一人が笑いかけている。そうかそうか、こいつの知り合いだったのか。ルカは珍しくビクリと体を震わせたように見えた。


「……えへへ。ちょっと暇だったから遊びに来たの」

「ふーん。あの、こちらの人は?」


 不思議そうな顔でこっちを見つめる二人。俺はぺこりと頭を下げる。こういう時どんな挨拶をするものか分からず、ぎこちなく言葉を繋げてみた。


「あ、あの。俺は圭太。えーと、」


 ちょっと辿々しく説明しようとする俺を遮るようにルカが、


「ゲーム仲間なの! たまたまお互い暇だったから遊ぶことにしたのよ」

「へえー……ゲームのお友達なんだ。もしかしてあの学園トップのルカにスキャンダルでも発生したのかと思っちゃった!」

「スキャンダルとか大袈裟よ。ただの友達」

「ふーん。解った。ねえルカ、今度勉強教えてよ! 私この前の中間やばかったの」

「オッケー! じゃあまたね!」


 ルカはあまり話し込むこともなくガールズトークを終了させると、水族館の出口に向かってスタスタと歩き出す。


「あの二人はお前の友達か?」

「そうよ。高校で同じクラスなの」


 あっさりと答えるルカの横顔は、ちょっといつもより物静かで知的な雰囲気が出ていた。どうしても気になったことがあるので聞いてみよう。


「なあ、学園トップって何だ?」

「まあ……テストの成績とか、体力テストの結果とかが。大体トップにいるってこと」

「ま、マジかよ! お前本当に凄い奴なんだな」

「ようやく気がついたのね。そうよ、あたしは神よ!」

「大きく出たな! お前のどこが神様だよ」

「違ったわ……そういえばあたし天使だった」

「天使でもねえ! お前は悪魔だ」

「小悪魔なら該当してるかもね! じゃあ次はあっちよ」


 ルカに連れられてエレベーターに乗る。どんどん速度を増しながら上がって行くエレベーターはちょっぴり怖いが、隣にいる優等生は全然怖そうな仕草を見せない。


「ついたわ! ここがAタワーの最上階よ!」

「うおわ……すげえ」


 エレベーターが開いた先には、まるで日本中を一望できてしまうんじゃないかと思うほどの絶景が姿を現した。360度の景色と幾つもある望遠鏡に、ルカより先に俺が食いついている。


「やべえ! ここは一体何メートルあるんだ?」

「八〇〇メートルは超えているんですって。よく作ったわね。こんなデカイの」


 望遠鏡を覗き込んでいる俺の隣で、ちょっと眠そうな声でルカは言った。


「あたしね、実はここには何回も来ているの。家がこの近くにあるから、気晴らしがしたい時はいつもここにいたわ……」


 俺は望遠鏡から手を離して、隣にいるワガママお嬢様を一瞥した。想像もできないような意外な一言だったからだ。


「気晴らしって、お前でも気分が落ち込んだりするのかよ」

「あたしだって落ち込むことくらいあるに決まってるでしょ。ていうか、むしろ……」


 言いかけてルカは黙ると、大きく背伸びをしつつゆっくり部屋の中を歩き始めた。


「圭太。アンタは将来の目標とかはあるの?」

「ん? 将来の目標か……いいや、まだ見つかってない。でもとりあえず大学には行きたいと思ってるけどな。お前は?」

「あたしもないかな。考えられないのよ、今しか」

「へえー、Cursed modeに夢中で先のことなんて考えられないってことか?」


 都内でも随一の進学高に通う優等生は、ただボーッとした顔になって小さなビルや橋や海を眺めていた。


「いつ死ぬかわかんないじゃん。だから今しか考えないの。やり残しのないようにしていきたいわけ! さて、じゃあ降りましょう。最後にするべきことがあるわ」


 いつ死ぬかわかんないとか、こいつはたまに軽々しく言うんだよな。エレベーターを待ちつつ、急に喋らなくなってきたルカの横顔をチラリと見る。なんか妙な気分になるんだよな。すぐに俺はエレベーターの階数表示に目を移して、


「またそれかよ。お前が簡単にくたばるわけねえだろ。で、最後は何処に行こうってんだ」


 エレベーターはちょっとおっかないくらいの急降下をして一階まで落ちて行った。お土産品とか服屋とかが並んでいるショッピングセンターの一番奥にゲームセンターがあって、無口になっていたルカがあるものを指差した。


「へ? これ……プリクラじゃん!」

「そうよ!」

「そうよ! って……何、いまどきプリクラなんて撮るのかよ」

「え? アンタ知らないの? あたし達の間では、まだまだプリクラは大人気なのよ! さ、さあ圭太。入って」

「……はい?」

「入りなさいよ。じゃなきゃ撮れないじゃん」


 気がつけばルカの頬は赤く染まっていて、ちょっとだけモジモジしているように見える。間違いない、本気で俺とプリクラを撮る気だ。


「なんで俺が入るんだよ! お前が一人で撮りやがれ! 俺はー、」

「二人用なのよこれは! 早くしなさいっ」

「イヤだ! こら離せ! おいいっ」


 グイグイと一生懸命に押し込まれ俺は撮影コーナーに入ってしまった。ルカは慣れない手つきで液晶を弄り始める。勘弁して欲しいと思うが、もうここまで来たらやるしかないんだろうな。


「えーと……えーと」

「あ、あのなあ。早くしてくれよ。俺は一刻も早くこの恥ずかしい空間から出たい」

「解ってるわよ! あれ、違うかな……こうやって」

「何やってんだ! 貸してみろほら」


 プリクラの撮り方なんて知らなかったが、大体説明とか読んでやれば解るもんだろとか思いつつ、俺は撮影の準備を滞りなく終わらせて画面の前に立った。もう逃げるすべはない。


「やったっ! 圭太、もうちょっと寄ってよ」

「え……こうか?」

「もうちょっと! こうだってば!」


 俺は思った以上にグイッと引っ張られ、ルカとくっつく寸前の距離になってパシャりとプリクラを撮った。なんつー恥ずかしさだ。苺みたいに頬を赤くしながら笑っているルカが帰り道に、俺のバッグにプリントシールを押し込んでくる。そして駅の改札前で奴はクスッと小さく笑って、


「それ絶対捨てないでね! 今日は楽しかったわ。じゃあね圭太」

「ああ、分かった分かった……俺は疲れたよ。じゃあな」


 俺とルカの帰り道はどうやら違うみたいで、アイツは改札には入らずに大きく手を振っている。ホームを気怠く歩き、しんどい土曜だなとか考えていると、そういえば今日って一体何の意味があったのか解らなくなっていた。多分意味なんてないと思った。ルカはただ暇を潰したかったんだろう。


 バッグの中に入っているプリントシールに写っている俺とアイツは、どっちも顔を真っ赤にしていて不恰好で、間違いなくイケてないことは確かだった。でも、写真に写っているルカの顔を、電車に乗ってからも何故か俺はしばらく眺めてしまっていた。このプリクラはAタワーの絶景よりも俺の心に残っている。


 こんな何気ない日にもちゃんと意味があったことに気がついたのは、けっこう経ってからだった。

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