第43話 影山の誤算

 地下一階にある煉瓦模様の外壁をしたBARは、いつもほとんど客が来ることがなく、恐らくは毎月のように赤字が出ているにも関わらず営業が続いている。


 痛みきった木製の扉を開いて、一人の男が店内に入って来た。


 二人しか先客がいない店内のバーカウンターに座った彼は、自身とあまり年齢が変わらないであろう若いママにそっと呟く。


「影山君は来てる?」


 ママは赤ワインが入ったグラスを差し出すと、奇妙な程に口元だけを広げて微笑を表現した。


「まーだ来てないよ。やっぱり素顔で外は出歩けないんだねえ。そのキャップはアンタに似合ってないよ」

「言われると思った。でも仕方ないじゃないか……今ルカ達に見つかるわけにはいかない。君も今日は眼鏡をしていないんだね。話し方まで、」


 言いかけたところで乱暴にドアが開かれ、鼻息を荒くした少年が早足でバーカウンターに近づいてくる。男の背中をまるで親の仇のように睨みつつ、勢いよく隣に腰掛けた。


「カイさん! 一体どうなっているんですか? 全然話が違うじゃないですか!」

「まあまあ、落ち着いてくれよ影山君。まずは一杯頼んだらどうかな。確かに今回はアクシンデントがあったし、君には申し訳ないと思っているよ」

「……名無しさん、いつもの奴でお願いします」


 名無しと呼ばれた若いママは、首を少しだけ傾けて少年を見つめる。


「いつもの奴? えーと……何だったかしらね」

「全くあなたって人は、どうして覚えてくれてないんですか? そこのビール瓶です」


 影山の頭の中は焦りと怒りで飽和状態になっていた。今まではカイが伝えてくれたとおりの時間と場所に、説明してくれたモンスターが現れていたので誰よりも先んじて安全に勝っていたのに。


 それなのに廃駅での戦いは全く違った。事前に教えてくれたところにモンスターは現れることがないばかりか、まるで自分達を不意打するかのように背後からゲートが出現してきたからだ。


「あれは酷いアクシデントだった。君達が無事で本当に良かったと思ってる」


 隣にいる少年と乾杯をするカイの目は、まるで子供をいたわる保育士のように優しげに見える。


「今までは100%の確率で設定したとおりにゲートを出現させ、選んだモンスターを召喚することに成功していたんだが、どうも召喚装置に不具合が生じてしまっていてね」

「不具合……と言いますと?」

「特定が困難なエラーが発生するようになってきたんだ。詳しい原因は調査中だが、今のところ解明はされていない。この調子だともうしばらくは不具合が発生する可能性がある」


 影山は目上の人間を前にすればいつも従順な優等生を演じていたが、今回は隠している牙を剥き出しにしていた。グラスを勢いよくテーブルに叩きつけると、


「しばらくはって、そんなに長く不具合が続かれちゃ困るんですよ! Cursed modeの最終日まで約二週間くらいしか時間が残ってないのに、僕らは全然モンスターが狩れていないんだ! このままじゃ圭太達に一位を取られてしまう。僕はそれがどうしても我慢ならないんですよ!」


 カイはまるで観察をするかのように影山の憤りに満ちた視線を覗き込み、少しだけ沈黙した。十秒ほど経過してからクスリと笑い、正面に向き直すと一気にワインを飲み干した。


「焦りすぎだよ影山君。君ほどの男がどうしたというんだい? 確かに今のところポイントはルカ達が勝っているだろうが、逆転する方法など無数に存在するだろうよ。すみません、もう一杯」


 名無しはカイからグラスをもらうと、血で染めたような赤ワインを注ぎ込んでもう一度差し出した。腕にはまるで悪魔の半身を描いたようなタトゥーがチラリと顔を覗かせている。


「簡単に言わないで下さいよ! 僕らはあなたが思っているより大幅にポイントをリードされているんですから。どうやって逆転できるっていうんですか!? 僕は一位にならないとダメなんだ。将来的にくだらない就活に精を出したり、税金だとか支払いだとかに追い回される日々に陥る気もない。今回一位になって大金を手に入れて、若いうちから遊んで暮らしたいんですよ」


 名無しは熱くなっている少年をチラリと一瞥したが、退屈そうに欠伸をしてBARカウンターから離れて行った。


「ははは! 君は僕の前では本当に正直だな。逆転する方法なんて簡単じゃないか。今君達を脅かしている存在なんてたった一チームだけだろう? 競うんじゃなくて、参加させなければいいのさ。つまり消してしまえば簡単じゃないかね」

「それが出来たら苦労なんてしませんよ。アイツらは迂闊に手出しできないんです。アンタがよく知っているあの女がチームにいる限り。アイツさえいなければ……クソ女」


 カイのワイングラスを持つ手が止まった。影山は最後につい漏らしてしまった一言に気がつき口を抑えて、様子を窺うように隣にいる青年を見上げる。


「……影山君。彼女に対して、あまり失礼な表現はしないでもらえるかな?」

「す、すいません。でも、さっきはあなた消してしまえって……」

「彼女まで消せとは言っていない。チームとして消滅させてしまえば良いという話だよ。四人のうち二人でも消してしまえばもう機能できなくなるはずさ。君に謝罪を込めてプレゼントがある」


 カイはバーカウンターの下に置いていた鞄から、まるで血で染めたような赤い笛と、黒い睨みつけているような絵が刻まれたナイフを取り出し、ゆっくりと影山の目前にあるテーブルに置いた。


「初めてみる品ですね。これで何をしろと?」

「この二つがあれば君達は勝てるんだよ。封呪の笛と誘惑のナイフだ。一つは星宮が持っていたものだけどね。君は見たことがあるはずだよ、ゲーム内にも登場していたじゃないか」


 影山はハッとして笛とナイフを交互に眺めると、ゲーム内の記憶を頭からほじくり返した。汗ばんでいた顔から力が抜け、やがて微笑を浮かべつつビールグラスに手を伸ばす。がむしゃらに液体を飲み込む喉の音がカイには聞こえていた。


「ぷはーっ! そういうことですかカイさん。いやー、一時はどうなるかと思いましたけど、やっぱりあなたは素晴らしい人です。安心して下さい。彼女には手を出さずに、圭太達だけ殺してやりますよ」

「影山君には是非とも一位を取ってほしいと僕も思っているんだ。ではもう一つ教えよう。次のイベントは明日の十九時からだよ。場所はもう朽ち果ててしまっている田舎のホテル……後で地図を送っておくね」

「ありがとうございます! 任せて下さいカイさん。あなたの期待に僕は、絶対に応えます!」


 影山はバーカウンターに札束を置くと、ジャズのリズムに乗りながら上機嫌にBARを去って行った。名無しが戻って来てグラスを片付けながら、ただじっと赤ワインを眺めるカイに声をかける。


「ボウヤってば本当に嬉しそうな顔をしていたね。アンタのプレゼントが気に入ったみたい」

「影山君は可愛げがあって好きだよ。あの大きな男はあまり好きではないが」

「ヒドルストンのこと? 彼も使える男よ。ロクにお金を払わないけどね」

「いつまでも妙な演技をするな。くれぐれも頼んだよ。ちゃんと僕らの計画を進めておいてくれ」


 カイはワイングラスから目を離し、さっきまでの微笑を消し去って名無しを睨んだ。彼女は特に気にする素振りも見せずにカウンターの札束を拾い上げる。


「……承知していますよカイさん。ボウヤ達のことは私にお任せを」




 今日は六月十六日。日曜日って大体の場合、俺はバイトに行くか鎌田達と遊んでいるが今日は違った。


『やっほー圭太! 今日なんか用事ある?』


 午前中に来ていたのは沙羅子からのチャットだ。特に用事はない。ジメジメした気候も手伝って怠さが四割増しになっている俺は、ベッドでゴロゴロしながら適当に返信してみる。


『用事なんてねえよ。どうしたー?』

『ちょっと会えないかなって思って。久しぶりにご飯でも食べに行かない?』


 沙羅子のチャットにはいつもの覇気というか、顔文字だったりビックリマークだったりが足りないことが妙に気になった。いつもより控え目な文章に見える。そして、ちょっとの間だけど忘れていたことを急に思い出して狼狽している自分がいる。


 アーチャーの姿になっている時に聞いた、俺に告白しようと思っているっていう話だ。どうしようか。既に用事はないとか言っちまったからな。


『ご飯かー。どっか行きたいとこでもあんの?』

『すっごいお洒落なお店見つけたの! しかもけっこう空いてるんだって。ちょっと行ってみない?』


 沙羅子がチャットに貼り付けて来たのはURLじゃなくて、単なる画像だった。店内の写真みたいだけど、きっとイタリアンの店だと思う。


『なかなか良さそうじゃん! 行ってみるか』

『やった! じゃあ一七時頃とかにしない? 駅前で待っててくれればあたしが案内するからさ』


 俺は了解! っていうスタンプを送信してから考える。もしかして本当に、アイツ俺に告白なんてするつもりなんだろうか。沙羅子は一般的に見えれば可愛いと思うし、サッカー部でもマネージャーのアイツに気がある奴は何人もいるっていう噂だ。


 でも俺は、あくまでも友人としてしか見たことがなかったから、正直付き合うべきか悩んでしまう。だって、今の関係のほうが俺は好きだし。恋愛ドラマとか観てると、友人から恋人になってドロドロしちゃうパターンってよくあるわけだし。変な三角関係とか出来ちまったりもしてるみたいだからな。


 まあ、俺に限ってそんなことはないか。ドラマみたいにモテるわけじゃない普通の高校生だ。でも……と頭の中でまた考えてしまう。俺の脳内は沙羅子のことで、メトロノームみたいに揺れていたんだ。


 告白されたらどうしようと悩みつつシャワーを浴びて着替えを始めていると、そういえばさっきの店どっかで見たことあるような気がするなとか薄っすら思った。




「お待たせー! あたしのほうが遅いなんてビックリ。圭太にしては珍しいよね」

「うるせえなあ。俺は時間はちゃんと守るタイプなんだよ」

「えー。中学校の頃とかしょっちゅう寝坊してたじゃん! じゃあ行こ。こっちこっち!」


 駅前の広場で会った沙羅子は、もうすっかり以前の元気さを取り戻したような感じがする。7部丈のカットソーとショートボトムっていういつも通りボーイッシュな格好だけど、今まであんま見たことのない服だと思った。ちょっと金かかってそうな感じがする。


「なんかね、マスターがとっても素敵な人らしいよ! 口コミに書いてあったの」


 ちょっと興奮気味に話している沙羅子と、俺は潰れたショッピングモールを歩いている。普段ここはけっこう通る道だから、あんま新鮮な感じがしない。


「へえ、一体どんな感じのマスターなんだろうな」

「コーヒーの入れ方とか、パスタの作り方とか、もうほとんど本場の人と変わんないんだって。口髭が超オシャレとか書いてあったし、期待しちゃうよね」


 随分詳しく書いてある口コミだな。普通料理のことを書くと思うんだけど、何で店員のことばっか書いてんだ?


「あった! ここだよ! AMAKAZEっていうお店」


 俺は大口を開けて固まっちまった。マジかよ。何を隠そう、自分が働いているバイト先を紹介されるとは思わなかった。


「あ、あのさ……沙羅子」

「え、どうしたの?」

「俺……ここでバイトしてるんだ」


 沙羅子は最初真顔でじっと見ていたが、次第に顔に驚きの色が溢れ出して爆発した。


「ええー!? 嘘ー! アンタここでバイトしてたの!? 知らなかった」

「ま、まあ。バイト先は言ってなかったからな」

「そ、そっかー。ごめんね。じゃあどうする? 違うお店に行こっか?」

「ああ、それならいいところがあるぜ。知り合いに連れて行ってもらった店なんだけど、」


 ランスロットと一緒に行った、ウチよりも十倍は売上のありそうなカフェを思い出した俺が道案内をしようかと思っていたところで、突然カフェのドアが全開になり誰かが飛び出した。


「いらっしゃーい! 今なら空いてるわ……圭太!」

「うわぁっ! ルカ……お前なんで?」


 いきなりあのワガママお嬢様が飛び出して来やがったから、俺と沙羅子はビックリして強風に吹かれたみたいに後ずさった。


「何でって? バイトに決まってるじゃん!」

「あ……お前もう正式にバイトになったんだっけ?」


 俺が店長の不甲斐なさを心の奥で嘆いていると、沙羅子がルカのことを戸惑いつつもじっと見ていた。


「圭太。こちらの人はどなたなの?」

「うん? ルカって言うんだ。バイト仲間かな……」

「別にバイト仲間じゃないでしょ!」と否定するルカ。帰ろうかと思ったんだが、


「二人とも入って! 今日全然お客さん入ってこないのよねー。良いところに暇つぶしが来てくれたわ」

「客を暇つぶし呼ばわりするんじゃねえ! じゃあ……入るか?」


 チラリと確認をすると、さっきまでテンションが上がりまくっていた沙羅子が首を横に振った。なんか様子がおかしい。


「やっぱりさ。バイトしているところでご飯っていうのは良くないじゃん! 違うお店にしようよ」

「まあ……確かにそうだよな。ルカ、そういうわけで俺達違うところに行くわ」


 ルカは目を猫みたいにクワッと見開いて、今にも飛びかからんばかりに俺に急接近すると、


「どうしてよー! 別に良いじゃん。マスターはあたしが良いって言えばOKしてくれるわよ。アンタ、なんか今日冷たくない?」

「は? 別に冷たくはねえよ。じゃあ沙羅子……他んとこに行くか」


 沙羅子は何だか険しい顔になって俺とルカを交互に見ている。どうした? と聞くよりも早くズカズカと店の中へ足を踏み入れて行きやがった。


「やっぱあたしここにする!」

「……へ?」


 思わず喉から変な声が出ちまった。仕方なく俺は、沙羅子の決断に従い自分の店でご飯を食べることになった。ルカと三人とか、まず嫌な予感しかしないんだが。

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