第65話 離れていく心

 結界をくぐり抜けた俺は落下しながらもCursed Skillを使用した。


 俺自身で狙ったもの以外は、みんな自動でロックされたゾンビ達に向かっている。


 モンスター召喚装置の破壊がもし間に合わなければ、恐らく都内のど真ん中にゲートが出現する。そうなったらもう大変なことになっちまうし、蓮もゾンビになることは間違いない。


「蓮! 蓮!」


 俺以外に叫んでいる声は、ここに来るときに聞いた凛々しい女の声だった。瞬時に剣で壁を修復できないくらいに粉々にぶっ壊しながら突っ込んできたが、今の状況ではリンディスでもギリギリ間に合わない。間に合っているとすれば俺の矢だけだ。


「ああ……装置が……」


 めいぷるさんの声を聴きながら床に墜落した俺は、直ぐに立ち上がってモンスター召喚装置を見上げる。コアにはでかい大穴が空いていて、光の配線もギラギラした光が消え去っていた。どうやら破壊することに成功したらしい。


「蓮! 大丈夫か? 蓮!」


 闇龍の騎士リンディスは真っ先にカプセルを殴り壊し、中にいた蓮を抱き上げた。意外にも泣きそうな顔になっているリンディスは、薄っすらと目を開けた蓮を見て、もう涙を堪えられなくなった。


「凛……姉ちゃん」


 良かった。蓮はどうやらゾンビにされなくて済んだらしい。俺は心の底からホッとしてため息を漏らすと、すぐ近くに許せねえ男が残っていることを思い出して立ち上がった。ゾンビ達も全滅したことは、視界に映っているレーダーで確認できる。


「素晴らしい……ゲートが出現するまで残りほんの数秒で止めるなんてね。僕の予想以上だったよ。凛……この際だから教えておいてやろう。君の弟は元々大した症状などなかった。僕が工作して、病気が進んで大変なことになっていると思わせたに過ぎない」

「き、貴様……」


 怒りに駆られる闇龍の騎士の近くから、どんな喧騒よりもやかましい大声が聞こえた。


「アンタの予想なんて、当たらないっつぅーのっ!」


 軽快に大ジャンプをして俺の側に着地した女騎士の顔を見て、やっと心の底から安心できた。あとは目の前にいるすました野郎だけだ。


「みんなごめん! けっこう手こずっちゃったわ……? あれ? リンディスじゃん……」


 闇龍の騎士はなんだか気まずそうな顔でルカから少し目を逸らすと、


「……すまなかった。私が間違っていたようだ」

「ふうん。どうやら敵ではなくなったって感じね! じゃあここには、もうアンタしかいないわよカイ!」


 カイは薄ら笑いをしたまま逃げようともしない。ここまで絶望的な状況だってのに、どうしてそんな余裕をかましてられるのか不思議だ。


「おいおい。お前はもう追い詰められてるんだぜ。少しは焦ったらどうなんだよ」

「うん? 私が追い詰められている? まあ端的にはそう見えるだろうね。しかしながら、僕にはまだ手が残っているよ。逃げ道はないが手段は残っている。そうだろ? 影山君」


 影山は俺たちのずっと後ろで立ったまま、妙に余裕のある微笑を浮かべていやがる。これから捕まろうっていう人間の余裕には見えない。


「僕の最大の発明であるモンスター召喚装置は、今君に破壊されてしまった。でもね、これで終わりというわけではないんだ」

「ほう……と、言いますと?」


 俺はビクリとして振り向いた。十字架通路左側のドアから、さっきまでいなかったランスロットがまるで散歩でもしているかのように優雅に近づいてくる。


「モンスター召喚装置には一つだけ予備が存在する。残念ながら終わらせることはできなかったが、ここで出現させるべき最低限のノルマは達成している。後は……来たる終焉の日、六月三十日に使えば完了。僕達の勝利、輝かしい新たな人類の道が始まる」

「……あるんですね? もう一つ」


 ランスロットの奴、どうしてカイに敬語なんて使ってやがるんだ? 俺は話を聞きながらイライラしてきて、奴に向かって彗星弓を向けようとする。


「てめえ! 何が予備の装置だよ! お前はそいつを使う前に捕まって終わりだ! ごちゃごちゃ言ってないで、」


 言いかけた時、両腕に違和感を感じて下を向くと、桃色の細い線が俺の腕を上げないように絡みついていることに気がつく。


「きゃああっ」めいぷるさんは胴体を縛られている。

「くっ! 何なのよこれっ!」

「魔法の紐か!? 誰だ?」


 ルカと蓮を抱きかかえたままのリンディスも動きを止められているようだ。ランスロットに続いて入ってきた女は、以前も見たことのある赤いフードを被っていた。


「……は!? ちょっと待て! お前はランスロットと戦ったんじゃないのかよ」

「そ、そういえばランスロットさん。私を助けに来たのが、妙に早かったような」


 めいぷるさんの言葉に俺は戸惑った。赤いフードの女は静かに宙に浮き一瞬で俺達の背後まで飛行すると、影山の腕を掴んでランスロットとカイの側にやって来た。


「ああ。彼女とは軽い挨拶をかわしただけだよ。僕が戦う相手じゃないんだ」


 ランスロットと影山は桃色の紐に捕らわれてない。なんだこの状況は。俺は心の奥によぎり始めた嫌な推測を否定したかった。赤いフードを目深に被った女は、妖艶な笑みをカイに送りつつモンスター召喚装置の手前に降り立つ。すげえ気味の悪い感じがした。


「あたしが魔力を注ぎ続けて完成させた結界を、十分とかからずに破壊するなんてね。ボウヤ達にしては凄いじゃない」

「うるせえ! ランスロット……お前、まさか」


 俺はカイの隣にいる優男を睨みつける。この桃色の線はなかなか振りほどけなくて、ちょっと後退しても絡みついて攻撃動作まで移れない。質問に答えたのはランスロットではなくカイだった。


「裏切るなんて人聞きの悪いことを言うね。彼は元から僕の仲間だった。亡くなった星宮君から紹介してもらった彼女と、ずっと後からになるが仲間になったランスロット君は、ここまでの戦いで幾度となく僕のお願いを聞いてくれていたのさ。ルカの仲間になるように掲示板に書き込んでもらったりとかね」


 あの掲示板に書いた書き込みは、カイからの指示だったのか? 信じたくなかった。ここまで一緒に戦っておいてそれはないだろ。お前はルカのことは裏切らないって何度も言ったじゃねえか。


「お……おいおい。嘘だろ。なあ! お前また俺達をからかってるんだよな? ランスロット!」

「カイさんの言うとおりさ。さて、お話はまた今度にさせてもらうよ。だってこの研究施設は、もうすぐ爆破されちゃうからね」

「カイ……アンタ逃げるつもりなの!? あたしから!」


 怒りを隠さないルカに、カイは決して嫌そうな顔をしない。まるで自分の子供を見るみたいに優しい微笑を浮かべる。ブチブチとロープが切れるような音が聞こえる。今の俺と同じように、みんなも奇妙な紐を破ったみたいだ。


「逃げるワケじゃないんだよ。もうすぐなんだ。ルカ、お願いだから大人しくしていておくれ。さあ魔法使いさん、連れて行ってくれ」

「……承知」


 カイとランスロット、それから影山と名無しの足元に光の魔法陣が現れて、あっという間にどっかに消えちまった。ランスロットのCursed Skillが発動したようだ。


 そうか。この施設とホッカイドウを一瞬で移動することは、ランスロットのCursed Skillがあれば可能だった。何で気がつかなかったのかといえば、俺は何だかんだ言いながら、アイツのことを信頼するようになっていたからだ。


 ショックで気が動転している俺を急かすように、施設内が大きく揺れて所々爆発が始まった。


「くっ! 逃げるわよみんな!」

「は、はいー」


 ルカは裏切られたショックが顔に出ていないようだった。めいぷるさんはルカに続いて、焦って駆け出していく。俺は頭の中が真っ白になりつつあった。ルカは途中で足を止めたのか、


「ちょっと圭太! アンタ何をぼーっとしているのよ。早くこっちに来て」

「大丈夫か!? 巻き込まれてしまうぞ」


 リンディスに肩を叩かれて、ハッとした俺はやっと走り出す。真っ白な頭の中で、何とか思考を取り戻そうとしながら。


 その後俺達は無事に研究所から脱出することができた。ルカが乗りつけてきたタクシーはまだ研究所の外で待っていたみたいだ。ルカとめいぷるさんがタクシーに乗り込んで、俺が続こうとした時リンディスが後ろから声をかけてくる。


「圭太、君には何と言えばいいのか……すまなかった。ソードナイトに吹き飛ばされてから、私は隠れて君とカイのどちらが正しいのか見極めようとしたんだ。モニタールームで装置に捕まっている蓮を見た時、自分が許せなくなった」


 俺はぼーっとする頭で振り返ると、


「別に気にすんなよ。アンタは騙されていただけじゃんか」


 眠っている蓮を抱き上げているリンディスは俯いていた。


「君に言われなければ、私はずっと利用されたままで弟を失ってしまっていただろう。ずっとカイを信じていた。薄々騙されているような気がしていたのに、私は楽なほうを信じようとしたんだ。弟を早く救いたいあまりに……。ありがとう! この恩は忘れない」

「オーバーだな。蓮が助からなきゃ寝覚めが悪いじゃん。俺だって自分の為だよ」


 真っ黒な鎧と兜を身につけている女は、懐から何かを取り出すとおそるおそる差し出してきた。


「せめてものお礼だ。これを君にあげよう」

「へ? なんだよこれ」


 リンディスが俺の手に平に落としてきたのは、けっこうデカイ青い宝石の入ったネックレスだった。え? これ相当高価なもんじゃねえか?


「前回のCursed modeで手に入れたアイテムだ。聖なるネックレスと呼ばれるもので、身につけている者が強い意思で願えばどんな攻撃からも、一度だけ守ってくれる」

「へえー。すげえじゃん。効果はもちろんだけど、めっちゃオシャレだし! じゃあ貰っておくか。ありがとよ!」


 俺は目の前にいる姉ちゃんにニッコリ笑ってみせる。ちょっと罪悪感が薄れてきたのか、リンディスはやっと微笑を浮かべた。


「私はもうカイ達と組むことはない。多分イベントにも参加しないだろう。君達の無事を祈っている」


 それだけ言うと、黒い騎士はまるで背中に羽が生えているみたいに軽快に飛び去って行く。最も厄介なライバルは、少しだの間だけ最も頼れる仲間になってくれたんだ。


 車に乗り込んでからはずっと景色を見て黙っていた。タクシーはめいぷるさんの最寄り駅に止まった後、続いて俺ん家近くにある駅まで送ってくれたが、ルカとはほとんど会話していない。俺はあのキザ野郎が裏切ったことがショックで、誰かと話すような気分じゃなかったんだ。




 六月二十五日の火曜日。朝からニュースは景色が真っ白になっていたとか、街中に化け物が出たとかでもちきりだった。いくつかゲートは出現しちまったようだが、モンスター達は他のプレイヤーが倒していたらしい。鎌田はいよいよ騒ぎ出していたし、クラスのみんなも不安と恐怖で頭がいっぱいになっている気がした。


 ランスロットが異世界から来た英雄だったとかいう話はめいぷるさんとのチャットで知り、尚更アイツのことが解らなくなってくる。どうやってこっちに来たっていうんだ?


 そしてもう一つ、雲行きというか……空の色がおかしくなっているのが一番気がかりだった。曇り空でも青空でも、空全体に赤い靄みたいなのがかかるようになってきたんだ。どうやらこれは世界中で起こっているらしいが、専門家連中だって原因を特定できないし、今後どうなるのかも解らないらしい。


 俺は体育の授業にさえ集中できず、沙羅子には不思議なくらい心配されつつ放課後に喫茶店に向かった。


 いつも通り喫茶店にはお客さんがほとんどいない。いるのはルカだけだ。


「今日は早かったのね。随分と勤務熱心じゃない」


 マスターはいつもどおりカウンターでコーヒーを入れている。俺はエプロンに着替えることもなく、ルカが座っている窓際席の向かい側にどかっと腰をおろすと、


「一体どうするんだよ。これから」

「どうするって? もうすることなんて決まってるじゃない。カイはもう一度ゲートを出現させるつもりだわ。だったらそれを阻止して、ランキングで一位になるしかないでしょ」

「ランスロットの代わりはどうするんだよ」

「募集はかけるけど、もう時間もないわ。三人でやるしかないかもしれない」

「責めないんだな……アイツのこと」

「裏切ったことは許せないけど、もうどうしようもないじゃない。今できることを考えるべきよ」


 そんな簡単に割り切れるか。俺は何かにイライラしていた。カイに対してか、ランスロットに対してなのか。


「なあ、お前とカイって一体どういう関係なんだ? アイツはお前だけは傷つけないようにしていたみたいだけどよ」

「…………」


 今まで話してきた中で、初めてルカは返事をせずに黙り込んだ。俺は煮え切らないルカの反応にも段々とイライラしてきちまった。


「今はまだ……言いたくない」

「え? 何でだよ」


 ルカはちょっと困ったように視線を窓の外に顔を向けたが、直ぐにこっちを見つめ返すと、


「何でもよ。とにかく! 次こそラストの戦いになるはずだから、アンタも気を引き締め直すのよ! たるんでちゃ死ぬわ」

「俺はたるんでなんかいねえよ」

「本当? 女遊びとかしてるんじゃないでしょーね!」

「してねえよ! お前こそデートとかしてるんじゃねえだろうな」

「あたしがデートなんかしてるワケないじゃん。女子校だから、アンタ以外の男の子とも話す機会ないし」


 俺の言葉はルカの一言で詰まった。嘘だ。だって俺はAタワーの近くで、すげえイケメンのにいちゃんと楽しそうに歩いているお前を見たんだ。カイのことも、Cursed Heroesのことも隠してることが嫌だったけど、あの男と一緒に歩いていたのが個人的には一番嫌なことで、理由は解んねえけど一番腹が立った。


 俺はあの時急にカッとなっちまった。どうかしていたのかもしれない。


「じゃあ圭太、ランキング一位を目指して、」


 ルカが言い終える前に俺は、思い切りテーブルを叩いて立ち上がる。


「ルカ。お前はいいよな。そうやっていつも気楽に俺達を巻き込んで好き放題やっていれば、勝手に物事が上手く運んで、自分の思い通りになってきたんだろ? 何がCursed modeだ。何がランキングだ。お前に巻き込まれて俺は、おふくろも妹も死んじまったんだぞ!」


 ルカはハッとした顔で俺を見上げている。こんなこと言うつもりじゃなかったのに、どんどん口が勝手に言葉を続けているようだった。


「な、何言ってんのよ。別にあたしは……」

「お前に付き合わされなければ、俺は誰も何も失わなかった! 全部お前のせいじゃねえかよっ!」

「圭太君! いい加減にしないか。君はさっきから何を、」


 ルカは俺を見上げたまま、大きな丸い目を開いて固まっている。俺は自分が言ってしまったことに動転してその場に

いられなくなった。マスターが話に割って入ろうとしたところで、万引きをした泥棒みたいに喫茶店から飛び出してひたすらに走る。頭がおかしくなりそうだった。




 圭太が出て行った喫茶店には、もうルカとマスターしか残っていない。本来なら今日は圭太がバイトをしなくてはいけない日だったが、マスターは圭太を責めようとは思わない。


 マスターが気掛かりなのは、今も座ったまま窓際の景色を眺めている少女だった。


「いやー。圭太君はどうしちゃったんだろうね。でも大丈夫だよ。別にお客さんなんて来ないし。ああ、ケーキもあるんだけどどうかな? 一個くらいサービスするよ」

「…………あたしのせいだよね」


 ルカの声はいつものような明るさも大きさもなく、太陽が消えた空のように曇っている。


「……あたしのせいだ。あたしの、」

「あ! ルカさん。あなたが悪いことはないのではないかな。だってあなたは、」


 窓際に映る瞳は黒い宝石のようだった。彼女はとうとう堪えきれずに、体を震わせて泣き始める。圭太の家が襲撃を受けた日から頭にずっと残り続けていた後悔が、今心の中で暴れまわっている。そして彼に嫌われてしまったというという思いが、今まで強気を保っていた心を折ってしまった。


「……大丈夫ですか」


 マスターはポケットから取り出した花柄のハンカチで優しく彼女の頬を拭っている。ほんの数分程経ってから、一人の少女がドアを開けて入ってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る