第37話 背後から狙う影
人通りが多い繁華街の路地裏で一人のサラリーマンが倒れていた。
「す……すいません、でした。本当に……すいません」
四十代そこそこのシワが目立ち出した顔からはひび割れた眼鏡が垂れ下がり、朦朧とした意識の中で必死に助けを求める。彼をいたぶっていたのは、褐色の肌をした坊主頭の大男。
影山のチームメイトであるヒドルストンだった。
「すいませんでしたあ……じゃ、ねえんだよ! 俺にガン飛ばした癖に今更になって謝りやがって。てめえみたいなクズはなあ、こうして駆除する必要があるんだよ!」
「うああっ! あああ」
ヒドルストンは倒れて動けなくなっている男の顔面に、何度も何度も鉄パイプを振り下ろし、悲鳴がなくなり人形のように動かなくなるまで止まらなかった。サラリーマンはもう二度と家族の元に帰ることも、会社に向かうこともできない。
彼の憎悪は尽きることがなく、本当は相手など誰でも良かった。憂さを晴らせる相手としてたまたま歩いていた男を襲ったに過ぎない。
「おいお前! そこで何をしてる!?」
「……ちっ!」
ヒドルストンは偶然通りがかった警察官から逃げるために走り出した。逃げ足の速さとスタミナには絶対の自信を持つ約二メートルの大男は、あっという間に警察官をまいて繁華街の人混みに消えていった。
しかし彼は非常に目立つ男だったから本当に逃げ切ることはできず、結局のところ自分を匿ってもらう所が必要で、それが名無しと呼ばれる若いママが営むBARだった。
「おい! 悪いけど匿ってくれ」
勢いよくドアを開けて店の奥に入っていくヒドルストンを、ぼうっとした顔でタバコをふかしている名無しは気にも留めていない様子だった。
「はいはい。好きにしなさいよ」
ヒドルストンに続くように、警察官数名がドアを開けて入って来た。指名手配されている殺人犯であり、窃盗犯であり、詐欺師であり暴行を好む無類の悪党。そんな彼を逮捕しようと警察官は必死になっていたし、普通の相手ならば難なく捕まるはずだったのだが。
「あら、どうしたんです? 制服姿で飲みにいらしたの?」
「ここに坊主頭の大男は来なかったか?」
「いいえ、見た覚えありませんけど」
「庇うとアンタも捕まることになるんだよ。悪いけど中を調べさせてもらえないかな?」
「はいはい、どうぞどうぞ」
名無しはあっさりと警官達を中に入れる。六人以上いる警官達はやや広い煉瓦造りのような内装のBARを慎重に歩き回り、ヒドルストンを探し回った。
しかし、いくら探し回っても見つからない。業を煮やした警官の一人が、BARカウンターの奥にある店員だけが入れる台所とトイレを指差した。
「あそこを見せてもらっても?」
「全部調べて構いませんよ。どうぞどうぞ」
ヒドルストンが隠れることができるとしたら、もうこの二箇所しかない。六名の警官は一層緊張した表情になって警棒を構えつつ、不意を撃つように一人がトイレを開き、もう一人が台所に走りこみ、それぞれ残った四名が続く。
「……い、いません」
「何!? そんな筈はない。もっとよく探すんだ!」
年長の警官が焦って声を荒げているのを見て、BARカウンターで肘をつきながらタバコを吸っている名無しはほくそ笑んでいる。年長の警官は苛立ちながら若いママに早足で近づくと、
「何処にいるんですか奴は? 知っていますよね」
「さあ……そもそもアンタ達は、誰のことを探しているのかしらね」
「く! おい、もう帰るぞ! ……失礼します」
「また来て下さいな。できれば今度はお客さんとして、ね」
警官達は必死に苛立ちを隠しているようだった。意地はっちゃって……とクスクス笑っている名無しの隣にあった酒瓶が歪に揺れる。正確には酒瓶の前にある空間が揺れていて、あっという間に人の形が浮かび上がりヒドルストンが姿を現した。
「いやー、悪い悪い! お前のこの杖、マジで役に立つよな。持っている人間の姿を、カメレオンみたいに消してくれるなんてよ」
「さっさと返しておくれ。それとツケもね」
ヒドルストンは名無しにドクロの紋章が刻まれた不気味な杖を手渡すと、頭を掻きながらバーカウンターに座る。
「おいおい、そっちは待ってくれって言ったじゃねえか! ランキング報酬が入ったらいくらでも払うってよ」
「アンタは今まで、そう言って金を踏んだくって来たんじゃないのかい?」
「いやいや、俺は金を借りたことはねえんだよ。いつも貰ってやっただけだ! ちょっと冗談半分に小突いてよ」
名無しがため息を漏らした時、不意にヒドルストンの携帯が震え始める。電話をかけて来たのは影山だった。
「おっと! いよいよみたいだぜ」
『僕だ。今は林王と二人で廻廊家駅にいる。もうそろそろ最初のゲートが出現するらしいから、直ぐに来れるかい?』
「オース! 解ったぜ。今から向かうわ」
『気をつけて来てね。それとさあ、ちょっと想定外のことが一つだけあるんだ』
「あん? 何だよ」
『僕のクラスメイトが二人、この無人駅の中に入って行った』
「はあ? そいつあ随分と面白え偶然じゃねえか。なんでそんな廃れた駅に入って行くんだ?」
『さあね。詳しい話は向こうでしよう。じゃ』
名無しが店を閉める準備を始めようと台所や店内の整理をしている。
「あのボウヤ、なんだって?」
「廻廊家駅っていう幽霊駅に、今度はモンスターどもが出てくるんだとよ!」
「廻廊家駅……か。随分とヤバそうな所だこと」
名無しはまるでその場所を知っているような口ぶりだったが、ヒドルストンは彼女の過去にも存在にも、実は興味などなかった。単なる逃げ道をくれる存在としか思っていなかったのだ。
一応の変装をして二人はスポーツカーに乗り込んで目的の場所に向かう。助手席でコンビニやパチンコ店を眺めていた名無しは、兼ねてから聞いてみたかった疑問を口にした。
「ヒドルストン、アンタさあ……昔からそうだったわけ?」
「あん? 何のことだよ」
「アンタのとってもヤンチャな性格のことよ。よく今まで捕まらずに生きてこれたものね」
「うっせえな! 別にどうでもいいだろ」
ヒドルストンは昔から犯罪ばかりをしている男ではなかった。かと言って善良でも普通でもなく、やはり根は悪意と敵意を内に秘めて、それなりにまともを装って生きてきた男だった。
小学校や中学校、高校と誰もが羨むほど高い成績とバスケットボール部での活躍をしていたこともあり、その当時は良い意味で目立っている男だった。だが、彼は真面目に沢山のことをこなす影で、弱いものにストレスをぶつけることをやめられなかった。
小学校でも中学校でも高校でも隠れて誰かをいじめ、莫大な金を持つ親の権力と自らの暴力で告げ口を押さえ込んでいた。学校の中でルックスの良い女子生徒に手を出すことが誰よりも多かった。だが彼は決して恋や愛に浸るわけではなく、優しいのは最初だけだった。
大学に入り社会人になっても、彼は変わらず好き放題に生きていた。しかし、自分を守っていた後ろ盾である父親は不慮の事故で亡くなり、今まで我慢していた全ての人間から壮大なしっぺ返しを喰らうことになる。
今までいじめていた連中が自分を訴え、無理やり交際していた元彼女達が自分を訴え、やがてSNSやニュースでも一時期取り上げられることになって彼は逃げ出すことになる。暴力衝動は一気に強まっていき、殺人に手を染めるようになるまで三日とかからなかった。
「いやー。待っていたよ二人とも。圭太達もついさっき中に入った」
「名無しさん、ヒドルストンさん。お疲れ様っす」
廻廊家駅が遠目に確認できる駐車場にいた影山と林王は、まるでピクニックにでも行くような朗らかな笑顔で二人を迎え入れた。
「しっかり寂しい所だよなあ。こんな所に自分から入って行く奴がいるなんて信じられねえよ」
「そうだよね。僕の友人は変わった奴ばっかりなんだ。しかも一人は、あろうことかこの僕に弓を向けているんだから」
影山はスポーツカーのエンジン部分に上体を預けながら、怠そうにヒドルストンを見つめる。
「なあ影山。お前の友達ってどんな奴なんだ? あの圭太とかいう奴は置いておいてよ」
「一人はオカルト好きなんだけど見るからに体育会系の男で、もう一人はサッカー部のマネージャー。結構可愛いよ」
助手席に乗っていた名無しは、いつものように赤いフードを目深に被り杖を右手に持つと車を降り、早く行こうと言わんばかりの目で影山を見つめるが、彼はまだ動かない。今までは全く興味のなかったヒドルストンの目が怪しく光る。
「マジで? へえー……女の子が入って行ったのか……ふぅん」
影山はまだ運転席に座ったままのヒドルストンに顔を近づけると、小さく呟いた。
「本当は気に入らない連中だったんだ。単なる友人ごっこだよ。三人とも君の好きなようにしていいよ」
「……本当かよ。お前悪い奴だなあ!」
ヒドルストンは心の底から嬉しそうな顔で笑い、勢いよくスポーツカーのドアを開けてインストールを開始し、長い柄の巨大なハンマーを握りしめて歩き出した。
「いいねえ! 男二人はぶっ殺して、女はたっぷり可愛がってやる。へへ……へへへ!」
ヒドルストンの後ろ姿を見て、影山もまた微笑を浮かべ後をついていく。隣を歩く名無しは一言も発せず、林王は静かに影山に真意を聞こうと囁いた。
「ほ、本当にやっちまっていいんです? お友達なんじゃ?」
「友達なんてね。幾らでも替えはきくんだから心配ないよ。凄いチャンスが来たよ。今日圭太達もうっとおしいクラスメイトも一緒に殺せるんだからさ。そうすれば僕は学校内では悲劇の男だし、Cursed modeでのライバルもいなくなり楽勝。最高のシナリオだよ」
林王は引きつった顔で笑いながら、一緒に地下への階段を降りて行く。闇の中を小さな足音だけが響いている。
「カイさんの情報によるとねえ。ゲートは地下鉄のホーム一番奥からしか出てこないらしいよ。ちょっと遠いなあ」
「ほほーう。まあ良いんじゃねえか。アイツらがゲートのモンスターに夢中になっているところで、思い切り後ろからぶっ叩いてやらあ」
ヒドルストンは影山の声を背中で受け止めて笑っている。すぐ後ろを歩いている名無しが、首を傾げて振り向いた。
「ちょっと待ちなよ。ホームの一番奥からゲートは現れるって言ったよね? 今ゲートの反応を見たけど、そこまで遠くとは思えないんだけどさ」
「え? 何を言ってるの名無しさん。そんなわけ……?」
影山達はもうすぐ階段を降りきり、先ほど圭太達がいたホームに辿り着いていた。見渡す限り広いホームがいくつもあって、埃と虫が至るところに溜まっている。
「うん? おいおい……確かに妙だな。こりゃ俺達のすぐ近くっていうか……後ろ?」
ヒドルストンや影山、名無しに林王は嫌な予感を感じながら振り返ると、三十メートルもない距離にゲートが出現していた。しかも今までのゲートとはサイズが大きく異なり、まるで巨人でも出てくるのではないかと思える程だ。
「どうなってんだよ影山? ちょっと話が違わねえか?」
「おかしい……カイさんからは聞いてないよ。し、しかも……信じられないサイズじゃないか」
「な、なんかこれ、凄い化け物が出るんじゃありませんか?」
名無しはただ黙ってゲートを見つめている。ゲートからは静かな風が吹き始めていて、彼らが様子を観察して間も無く地鳴りをあげてドアが開いていった。
「へっ! どうってことねえよ。圭太達もコイツらも、一緒にぶっ殺せばそれで終わりなんだからな!」
ヒドルストンはハンマーを構えて最前列に躍り出ると、中から現れる何かを待った。一定のリズムで地震の縦揺れがして、徐々に激しさを増していく。震度六の地震を思わせるような猛烈な縦揺れは速度を上げ、ゲートの扉を開いてその本体を現した。
「……で、デケエ。なんだよ……コイツ」
ヒドルストンは呆気に取られて見上げている。影山は槍を構えてはいるが小さく膝が震えていた。
「キングベヒーモスだよ。どうして、こんな場所で」
キングベヒーモスは元々レイドイベントに採用されていたボスキャラクターで、十人以上のユーザーがひたすら攻撃して時間内にやっと倒せるという存在だった。難易度も最高クラスであり、四人程度で挑んでも勝てるような甘い敵ではないことは、Cursed Heroesのプレイヤーには常識だった。
「グウオオオオ!」
魔獣はゲートを抜けるとしばらく佇んでいたが、影山達を見て苛立ちつつ唸り声を上げ、後ろ足を強く蹴った後に勢いよく走り出した。真っ直ぐにヒドルストンの元へ。
「う、嘘だろお!? どうなってんだよ影山ぁあ!?」
ヒドルストン達の悲鳴に近い叫び声が、彼らから少しだけ離れた階層にいた圭太の耳に届いた。
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