第35話 河川敷とお茶と勉強
もう真夏かっていうくらい蒸し暑さを感じるようになった、六月十一日の昼下がり。
停学中の俺は、どういう風の吹き回しか学校に行っているはずのランスロットから呼び出され河川敷にいる。まだ午後一時だぞ。
「お前さ、今日学校じゃないのか?」
「ははは! ちょっと乗り気じゃなくってね。休ませてもらったよ。さて圭太君、ルカさんから頼まれた特訓とやらを君に施してあげよう」
こいつ本当に学校行ってんのかな? まずもって怪しさしかないんだけど。
「こんな場所に呼び出して、一体何をするっていうんだよ?」
「簡単な話だよ。君に接近戦の対処法を教えよう」
「接近戦の対処法? お前が?」
俺達は今橋の下で向かい合っている形で、よくヤンキー漫画でやってるタイマンみたいな状況っぽく見えなくもないが、考えてみれば俺は喧嘩が苦手で、目前にいる優男もきっと同じだと思う。
そんな奴が何かを教えられたりするんだろうか?
「そうだ。と言っても僕はあんまり厳しいことはしたくないし、荒々しい真似も好きじゃない。ここは楽しくゲーム感覚で身につけられる方法を考えてみたよ」
「でもさ、接近戦って俺やお前には必要ないんじゃ?」
「いいや。正確に言えば、接近戦に持ち込まれた時の対処を学ぶっていう訓練さ」
ランスロットは微笑を浮かべたまま杖を空にかざすと、バスケットボールくらいのサイズになった球が胸元に現れる。そう言えばこいつインストールしてる時と普段で顔が変わらないんだった。服は変わるみたいだが。
「ルールは簡単だよ。どんな手を使ってもいいから、こいつを僕から奪ってみせることだ」
「へ? その球みてえなのを取っちまえばいいのか?」
「そのとおり。簡単だろう?」
「でもさ、接近戦の対処を学ぶっていうんなら、俺がボールを持っててお前が奪うっていうパターンになるんじゃないのかよ」
「物には段階があってね。まずは君が攻める側に立つべきなんだ。理由は後で解る。四方に線を引いておいたから、あそこより先に行ったらアウトだよ」
「そんなに遠くまで行かねえだろ。本当に強くなるのか微妙だけど、まあいいや。行くぜ」
えらい簡単そうなゲームじゃねえかと思った俺は、速攻で終わらせてやろうと一目散に走り出した。
「もーらい!」
あっという間にランスロットの懐まで飛び込むことに成功したことで、もう勝利を確信していたんだけど、突然奴は自分の体ごと視界から消えやがった。
「な!? ぬわっ!」
俺は勢い余って地面にダイブして顔面を打っちまった。
「いててて……ずりいぞ! 魔法使いやがったな!」
「魔法? いやいや、使っていないよ。ただ身を翻しただけなんだけどね。君には捉えきれないか」
「な、何おう!? この!」
俺は立ち上がってもう一度走り出し、奴の持っている球に手が届くか届かないかの位置で一旦停止して出方を伺う。さっきは勢いよくかっぱらおうとしたから失敗したが、慎重に行けば奪えるはずなんだ。
「ちょっとは考えてるね。本当にちょっとだけど」
「一々うるさい奴だな! 今度こそ……もらった!」
俺は一瞬摑みかかるような仕草をしてから、少しだけタイミングをずらしてランスロットの懐に飛び込んでみたが、奴はこっちが踏み込んだ分だけバックステップしやがった。
「んん!? なろお!」
「まだまだ! 全然掴めそうにないよ圭太君」
俺はがむしゃらに突っ込んでいってはかわされるを繰り返すようになった。こうなったらまずランスロット自身の動きを止めてやろうと、男にしては細い腰回りにタックルを決めようと突っ込んだ時、
「ぐあっ!」
ランスロットの横蹴りが腹部にジャストヒットして俺は飛ばされた。反則だ! って即抗議したい気持ちに先回りするように、
「甘いねえ圭太君。僕が攻撃しないとは言ってなかっただろ?」
「てめえ! 荒々しい真似はしたくないとか言ってたくせに」
「ははは! このくらいは許容範囲としておいてくれ。でないとゲームが簡単すぎる」
想像した以上にやり難い特訓だと思う。静かに歩きながらどうしようか悩んでいると、ランスロットは何故か楽しそうに笑ってやがる。
「どうしたんだい圭太君? もうお終いなのかな。こういう言い方は良くないかもしれないが、君には根気というものが、」
「ランスロット、お前どうして知ってたんだ?」
「ん?」
まだ飛び込むのは早い。今度は慎重に距離を詰めようと歩みを進める。まだ五メートルくらいの距離だ。
「どう考えても怪しいぜお前」
「なんの話かな?」
「なんでお前が、Cursed modeの報酬とかスケジュールを知ってたのかって話だよ」
言葉で戸惑わせながら、今度はランスロットが蹴りを出し難い角度から走る。ほぼ背後に近いくらいの角度で突っ込むと球も取り難いのだが、一旦こいつを捕まえてからのほうが上手くいきそうだ。
「あれだけデカイ会社がバックについた大掛かりなアプリだよ。幾らでも情報を仕入れる方法はある。何も不思議な話じゃないんだよ」
「え? お、おいちょっと待て!」
ランスロットは走って逃げ出した。男を追いかけて河川敷を走り回るって状況がまず意味不明だけど、半分意地になってる俺は足を止める気になれない。
「普通はこうやって逃げ回るものだよね。さあそんな時、君ならばどうする?」
「ち、ちくしょう! 俺は……ひたすら追いかけるだけだあ! 待ちやがれー!」
「おや? 本気かい。脳味噌にウエイトトレーニングでもしたのか?」
「うるせえ! 待ちやがれー」
俺はひたすらランスロットを追いかけるが、奴が引いた境界線は意外にも距離が広く、余裕で逃げ回れるものだった。バスケットボールのコートより少し広い空間をゼイゼイ言いながら追いかけるが、どうやら奴も息が上がってきてるらしい。
「はあ……はあ。いやあ、こんなにいい運動ができるとは思ってなかったよ」
「ぜえっ、ぜえっ、も、もう少しで捕まえるぜー」
上手い具合に角に追いやることに成功した、ここで決めるしかない。足を止めたランスロットが振り返り、俺に向けて球を差し出している。なんだよ降参かよ。
「呆気ねえな……うん!?」
「おっと! 本当に渡すわけがないだろう」
俺が真正面に両手を伸ばすと、奴は真上に球をあげてみせた。で、真上にあげた球を取ろうとすると下に降ろしてきて、イライラするくらい球があっちこっちに動かされる。なんか本当にバスケやってるみたいになってきた。
「ちくしょう! これでも喰らえ!」
ランスロットを転ばせれば何とかなるはずだと考えた俺は、普通に飛びかかるフリをしてスライディングをした。だが、奴は分かっていたかのようにジャンプしてかわし、何事もなかったかのようにもう一度球を胸の前に差し出す姿勢になる。
くそ! 遊ばれてんな。でも、待てよ。
「どうしたのかなー圭太君。もうお終いかい?」
「けっ! 追い詰められてんのは、お前だろっ!」
俺はランスロット目掛けてもう一度タックルを試みる。分かっていたと言わんばかりの横蹴りが飛んでくる最中に、更に腰を降ろして胸で受けると、ギリギリ吹き飛ばされずにそのまま押し切れた。
「ぬう!?」
「捕まえた!」
草むらに寝っ転がったランスロットの手からようやく光の玉を奪った俺は、やっとのことで勝てたと小躍りしそうになったがやめた。こんな恥ずかしい絵はないからだ。キザ男の手から離れた光の玉は、少しずつ蛍の光が飛びかうように消え去っていく。
「参ったよ圭太君、やればできるじゃないか」
「ま、まあな。でもこれで本当に強くなったのか?」
「いいや。本番はこれからだよ。受け取りたまえ」
ビーチで日焼けを終えて帰る外人みたいに優雅に立ち上がったランスロットは、杖を俺に向けて軽く降って見せる。俺の手の中に再び球が戻ってきた。
「ん? これって?」
「攻守交代だよ。これで自分がやられたら嫌なことが掴めただろ? それを生かして僕から玉を守ってみせるんだ」
「そういうことかよ。ん? お、おいちょっと待て!」
ランスロットの杖から小さな雷がバチバチと音を立て始めた。
「おや? どうしたのかな。僕が何かおかしなことをしているかい?」
「充分おかしいだろ! 魔法使ってる時点で接近戦じゃねえ!」
「まあまあ、気にするな! じゃあスタート」
「おいー!」
俺はランスロットの雷から逃げ回る羽目になっちまった。こいつ実際は凄い負けず嫌いなのかもしれない。当初の予定をすっかり忘れて、俺達は意地になって争っていた。
本当に大変だったランスロットとのワケが分からない特訓は終わり、俺はめいぷるさんの自宅の最寄駅にいた。以前行った総合病院からそこまで離れてない場所だ。
改札から黒髪のボブが爽やかな笑顔と共に小走りで向かってくる。
「お待たせしましたー。あら? 圭太さん、何だかボロボロじゃないですか?」
「いえいえ、大丈夫ですよ。ちょっとアホな奴に絡まれてただけです」
ランスロットの野郎、あんなにムキになることないだろうが。おかげで気に入ってたシャツが所々破けちまった。
「ルカさんから聞いていますよ。圭太さんを強くする為に協力してほしいって」
「はあ。すんません、お忙しいところ」
「お気になさらず。では参りましょうか」
めいぷるさんはランスロットみたいにムキになったりはしないだろう。見るからに大人だし、温厚だし。彼女に連れられて行った場所は、とある公民館だった。
「あれ? こんなところで特訓をするんですか?」
「はい。きっと圭太さんの為になりますから。私も趣味で続けているのですが、参加するのがちょっとだけ久し振りなんです。もう少ししたら始まります。私は着替えてきますから、圭太さんはそのまま待っていて下さいね」
「は、はあ」
視聴覚室とか、いろんな部屋が見える廊下の中で俺はぼーっと彼女が帰ってくるのを待った。何だ何だ? 一体何が始まろうとしているのか全然予測がつかない。
しばらくして戻ってきためいぷるさんを見て、脳内は完全にフリーズした。彼女はどういうわけかピンク色のとても綺麗な着物姿で目前に現れたからだ。
「お待たせしました。皆さんもうお待ちですから、さあこちらへ」
「へ? は、はい」
めいぷるさんに連れられて入って行った奥の部屋は、障子と畳がしっかりある和室そのものだった。もう五人ほど人が入っているが、全員着物を着て座布団に座っている。先生と思われるおばさんもいた。
「皆さん、彼が今日から入られました圭太さんです。宜しくお願い致します」
「へ? よ、宜しくお願いします」
めいぷるさんにつられて頭を下げている俺だが、どうやらここは茶道教室であると認識するまでには、もう五分くらいかかってしまった。どうして俺はここにいるんだ?
頭が? マークでいっぱいになっている俺に、やんわりとした口調でめいぷるさんは説明をしてくれた。
「圭太さん、茶道ではわび・さびの精神を大切にしているんです」
「は……はあ。わび・さびって言うのは何でしょう?」
「わびしい、寂しいという満たされない状態を認め、慎み深く行動することを示しているんですよ。この『わび、さび』の精神を大切にして、茶室という静かな空間でお茶を点てることに集中することで、心を落ち着かせることができるんです。自分自身を見つめ直して、精神を高めていくことに繋がるんですよ」
「そうなん……ですね。いやあ、深いですね」
本当に適当な相槌を打ってしまったが、一体これがリアルな戦いとどう結びつくのか理解できない。解る人がいたら教えてくれ。それにしてもめいぷるさんは着物が似合うと思う。大和撫子を地でいってることだけは俺にも解る。
「それでは圭太さん、まずはお点前から」
「は、はい」
俺は周りの生徒さんやめいぷるさんと一緒に、お点前から習い始めることになった。
まず、部屋に入るなり一礼をして、高そうな器を畳の真ん中まで持ってきてまた一礼する。次にお茶碗と妙なブラシみたいなものを持ってきて先程の器に置いた後、今度は柄杓と風呂敷みたいなものを運び(一度に持ってきちゃダメなのかな)次に風呂敷を水に濡らしてお茶碗を優しく拭く。
それが終わると柄杓を取って釜の蓋を開け、中のお湯をゆっくりと茶碗の中に入れていき……。
もういいだろう。省略させてくれ。とにかく俺は正座の痛みに堪えながら一通り教わり、お稽古が終わる頃にはわび・さびを備えた落ち着いた精神で自分自身を見つめ直すことができなかった。
帰り道に上機嫌なめいぷるさんとブラブラ街を回ったことだけは楽しかったのだが、おおよそ戦いに必要なことは学べてない。多分。
で、最終的に俺はバイトでもないのにマスターとルカの待つ喫茶店に行ったわけだ。そして例によって、ルカは窓際のベストポジションを占領している。お前の専用席かそこは。
「お疲れ圭太! あら……あんた」
「おお、お疲れ。どうした?」
「見違えたわ。今までになく精悍な顔になってきたんじゃない?」
「そうかな。自分では全く解らないが」
「成長ってそういうものよ。二人にあんたの特訓を任せて正解だったわ! じゃあ今度はあたしが勉強を教えてあげるから、ここに座って」
ルカの隣に座るなり俺はため息をついた。こんな毎日で本当にいいのかね。
「さて! じゃあビシバシ行くわよ。コーチ料はティラミスと紅茶と一発ギャグでいいわ」
「おいおい! コーチ料高すぎだろ。一発ギャグなんて持ってねえよ」
「圭太は存在が一発ギャグだから大丈夫よ」
「どういう意味だそれ!?」
「はーい! じゃあ始めましょー!」
文句を言う俺だったが、ルカは普通に勉強を教えるのが上手かった。何でも成績は本当にトップクラスらしいからビックリだ。どう見てもアホにしか思えないんだが。
まあ、意外と楽しいからこういう一日も嫌いじゃないけど。
そして木曜日、俺はCursed modeに参加して以来の、最も意外な展開に直面することになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます