第70話 ルカと圭太と幽霊マンション

  通称Aタワーと呼ばれている日本一大きな建造物は、雨風グループという財閥が作り上げた新しい経済の象徴だった。


 シブヤやシンジュクよりも人が溢れかえっている日本有数のスポットでもある。少女は満員になったエレベーターから降りると、よろめきそうになりつつも必死で歩いた。


「キス……してた」


 長い髪が揺れて、俯きながら歩いている顔に時折かかってしまう。彼女は経験したことがない喪失感に囚われていた。普段は何とも思わないAタワーのショッピングモールの人混みが、今は嫌で堪らない。


 ルカはCursed Heroesの初期プレイヤーであり、一番最初に英雄の力をインストールした人間でもある。彼女がゲームを続ける本当の理由は、雨風カイを止める為だった。


 彼女はずっと戦い続けてきた。そんな彼女の協力者であり、同じくカイを捕まえる目的を持っていたのが、ゲームを作り上げた存在でありプレイヤーの元祖でもあるシャムと、異界の魔法使いランスロットだった。彼らは常にルカに味方し戦いをサポートしてくれた。しかしカイは一向に見つからない。


 今年に入って三ヶ月程経ったある日、ランスロットと天使シャムがパートナーとして組むべきだと教えてきた相手が圭太だった。誰も巻き込みたくなかった彼女は断り続けていたが、二人がどうしても引かなかった為、仕方なく一度だけ会うことにした。


 ランスロットと天使が伝えてきた高校生は電車の中にいた。嫌々ながらも会ってみると、彼女は最初拍子抜けした。彼は本当に普通の高校生でしかなかったからだ。


 だが彼女にとっては逆に新鮮だった。彼と接しているうちに自分が望んでいた日常を思い出していった。次第に彼女は少しずつ、戦いのパートナーとしてよりも、一人の異性として彼を見るようになっていく。最初はダサいと思っていたルックスも、話しているうちに気にならなくなった。


 ある時は笑いかけ、ある時は必死に自分を守ろうとしてくれる圭太に、ルカは人生で初めての感情を抱く。だが彼は自分のことを何とも思っていないと取れる発言をし、喫茶店では強い怒りをぶつけられ、強気を保っていた心がぐらぐらと揺らいだ。


 そして今日、彼女は単なる気晴らしの為にお気に入りだったAタワーの展望台を見にいった時、偶然二人がキスしているところを見てしまった。僅かだがめいぷるのおかげで立ち直り、何とか圭太と仲直りをしよう……そう考えを纏めようとしていた時だった。


「アイツは最初から、好きな子がいたんだ……」


 彼女は全く隙間がないような人混みに揺られながら、どうにかAタワーの自動ドアを出る。長い歩道橋を歩いた先には公園があり、カップル達が夜景を見ながら楽しそうに話をしている。


 ポツポツと降り出した雨は土砂降りになり、まるで彼女を攻撃するように降りかかってきた。堪えていた涙が溢れ出して、歩くこともできずにベンチに座り込む。カイを止めなくてはならないプレッシャーと、圭太と沙羅子がキスしていたショックが交互に心の中で暴れ、繊細な内面を破壊しようとしていた。


 そんな時、一通のチャットに気がついた。彼は最近よくチャットをしてくる。


『大丈夫かい? さっき君を見かけた気がしたけど、何かあったのかな?』


 彼女は寂しくて堪らなくなり、短い文章で直ぐに返信する。


『もう駄目かも』


 返信は直ぐに来た。


『どうしたんだ? 私で良かったら相談に乗るよ。今何処にいる?』


 ルカは自分の居場所を教えると、雨の中で座り込んだまま動けなくなっていた。小さく体を震わせている彼女の前に傘を持って現れたのは、Aタワーの地下で圭太と会っていた大河だった。 




 俺は家に帰る前に、電車の中で鎌田にチャットをしてみた。


 アイツは心霊スポットで動画を撮るとか、妙なことばっかり考えている奴だけど、今回ばかりは本当に止めないといけないと思って、


『おい! お前もしかしてまた心霊スポットに行こうとしてるんじゃないだろうな? マジで危ないからやめておけよ。この前幽霊駅に行った時もヤバイ目にあったんだろ!』


 という内容でチャットを送信すると、十分くらいしてから返信が来る。


『圭太! お前俺の極秘計画を何処で知った!? とにかく明日学校でな!』


 どうやら本当に行くつもりらしい。まあ実際に話せばアイツもやめてくれるはずだ。多分。


 少しだけ安心してため息を漏らしたところで、急に俺はルカのことが頭をよぎり始めた。


「アイツ……どう思ったのかな」


 キスしているところを見られるとか、別に他の奴らならただ恥ずかしいだけだ。でも相手がルカだったら話は別だった。本音を言えばアイツと仲直りしたい。いや、できれば以前よりも、もっと親密になりたいって思ってる。


「大河……か」


 あのAタワーにいたイケメンが気になって仕方ない。もしかしてルカは、アイツともう付き合っているんじゃないだろうか。考えただけで憂鬱になりそうだ。


 雨がどんどん強くなってきてる風景を眺めつつ、電車はいつの間にか最寄り駅に到着していた。家に帰ると親父はまだ残業で帰ってきてなくて、ひっそりと静まり返っている空間が嫌になる。気がつけば俺はベッドで泥みたいに眠っていた。


 六月二十八日金曜日。今日も学校はいつもどおり始まって、何の変哲もない昼休みになった。どういう風の吹き回しか、鎌田の奴は俺を屋上まで連れて行くと、


「実はな! 今都内で話題になっている幽霊マンションって場所に行こうと思ってんだよ」

「幽霊マンション? 何だよそれ」


 得意げに屋上の柵に寄りかかっている鎌田が持っているスマホを覗き込むと、中にはボロマンションの二階が写し出されている。


「このマンションは十年以上人が住んでない、いわくつきの物件だ。取り壊しの目処も立ってないんだけどさ。実は二階に女の幽霊が出るらしいぜ。見てくれよこの画像」


 俺は真っ暗な二階の窓に、うっすらと髪の長い女みたいな奴が映っている画像を眺めて、思わずため息をつきそうになる。実はこのマンションに入ったことがあるし、写真に写ってる奴も知ってる。コイツは幽霊でも女でもなくてランスロットだ。


 めんどくせえけど、ここは全力で止めるしかなさそうだ。ランスロットが今もあそこに居るとは考え難いんだが、もし潜伏していたら鎌田は襲われる。そして実は、大河に渡されたマップの場所はここだったんだ。


 さて、どう切り出して止めようかな。ちょっと悩んだけど、やっぱり俺は要所要所で適当だ。


「なあ鎌田。今まで言ってなかったけどよ。実は俺、物凄く霊感が強いんだ」

「……は?」


 鎌田がキョトンとした顔で俺を凝視する。長年付き合ってきて初めての情報開示だ。真っ赤な嘘だけど。


「その俺の直感が言ってるぜ。このマンションはヤバイなんてもんじゃない。行ったら取り憑かれるな……そして死ぬ」

「お、おいおい圭太。マジで言ってんのかよ。お前にそんなこと解んねえだろ」


 俺は首をオーバーに横に振り、腕を組みつつ目を閉じてる。


「鎌田よ。俺がどうしてお前が心霊スポットに向かおうとしているのが解ったと思う? 誰からも聞いたわけじゃないぜ。俺自身の霊感によるもんだ。解るんだよ……呪い殺される前の人間って」

「ま、ま……マジかよ。俺が呪い殺されるっていうのか!?」


 霊感ゼロの俺だが、鎌田くらいなら誤魔化せるんじゃね? って思ったんだけど、やっぱ無理があるから内心焦ってる。


「お前だけじゃねえな。お前の家族も末代先まで祟られて大変なことになるだろう。親父のラーメン屋が廃業するのは確定だろうな」

「あ……継ぎたくなかったから、それは嬉しいかも」

「嬉しいのかよ! とにかくこのマンションには絶対に行っちゃ駄目だ。何があっても行っちゃいけない。絶対にやめろよ。絶対にだ!」


 鎌田はあんまりこたえてなさそうな感じだ。まるで万引き疑惑の客を見つめる店員みたいな目で、


「お前の話怪しいなー。別に大丈夫だって」

「大丈夫じゃねえ。テレビじゃ化け物の話とかで超騒いでいるじゃねえか! 今のご時世にこんなマンションに行ったら、それこそ無事じゃ済まなくなるぞ」

「わ、わーったよ。そこまで言うんだったら、違うところ探すわ。んだよ、マジになりやがって」


 無理のある説得だった。もう少しマシな言い方をするべきだったけど、結果オーライ。奴はマンションに行くのをやめてくれたみたいだ。俺はホッとしつつ教室に戻って行く鎌田の後ろ姿を見ながら、そういやこんな平和な毎日も、もう本当に終わりが近いかもしれないと考えて怖くなった。


 放課後、俺が学校から帰ってバイト先に辿り着いたとき、店内には一人だけお客さんがいた。普段ルカが座る窓際特等席のすぐ隣に、現代の大和撫子がいる。


「あ……圭太君。こんにちはー」

「めいぷるさん! 最近よく来てくれますね」


 俺はできる限りニッコリ笑って挨拶したが、めいぷるさんはやや暗い微笑を浮かべて固まっていた。マスターはカウンターに座っていることは何も変わらないが、俺を見つめる眼鏡に鋭さを感じる。うわー、嫌な予感。


「圭太君。お疲れ様」

「あ、マスター。お疲れっす」


 俺はちょっとムスッとしているマスターに戸惑いつつも、いつも着用していたエプロンを掛けると、めいぷるさんに紅茶を運んだ。


「ありがとう。圭太君、マスターさん……圭太君に怒ってるみたいよ。何かしちゃったの?」

「え? いやー。特に何もした覚えは……あ! そっか」


 めいぷるさんと話していて俺は急に思い出した。そうだった。ルカに怒って我を忘れた俺は、なんも言わないでバイト先を出て行ったんだ。慌ててマスターの元へ向かう。


「マスター! すんません何も言わずに早退しちゃって。これからはいきなり早退なんて絶対しませんから安心してください」

「……ふむ。まあよいだろう。ところで圭太君。君はちゃんとルカさんに謝ったのかい?」


 触れて欲しくないことだったから、俺は露骨に険しい顔になって目を逸らしちまった。


「いえ。まだ……」

「ねえ圭太君。ちょっといい?」

「あ……はい!」


 俺はめいぷるさんに救われたとばかりに席の前に行って注文を聞こうとすると、彼女は向かい側の席を指差した。


「ちょっとだけお話ししてもいいかな? マスター……いいですか?」

「……どうぞ」


 マスターの淡白な返事を背中で聞きつつ、俺はめいぷるさんの向かい側に腰を落とした。


「明後日だね。イベント最終日」

「そうっすね。カイは世界を震撼させるくらいの悪事を働くつもりなんでしょうが、絶対に未遂に終わりますよ。ぶっ飛ばして後悔させてやります」


 めいぷるさんはおしとやかな笑顔でこっちを見た。ヒーリング効果抜群の笑顔だ。


「圭太君は強いよね。私なんて不安で堪らないよ。このままもしカイさんの思い通りになって、怪物だらけの世界が来ちゃったらどうしようって。いつも不安でしょうがないの」

「……いえ。強くなんかないですよ、俺なんて。めいぷるさんだって充分強く見えますけどね」

「私が?」


 まるで予想していなかったと顔に書いてあるめいぷるさんが、眉を潜めて俺を見ている。


「はい。だってめいぷるさん、どんな時でも誰かの為に頑張ってるじゃないですか。俺はいつも自分のことばっかり考えて生きてきたんで。いや違うな……ロクに何も考えず生きてきたっていうか」

「……」


 静かに話を聞いている彼女を、俺はどうしても励ましたかった。


「きっと大丈夫です。ランスロットはいなくなっちまったけど俺はいるし、何よりあの怪物女がいるじゃないですか!」

「え? それってルカさんのこと?」


 他に誰がいるんですか。俺はあんなに強い女は見たことない。多分これから先もアイツ以上を知ることはないだろう。


「そうっすよ。勉強もスポーツもできる上にメンタルは鋼! 日本中何処を探してもいない気がしますよ。アイツがいればどんなモンスターが湧いて出てきても平気です」


 めいぷるさんは天井に視線を移しながら、右手を唇付近に当てて考え事をしているようだった。


「うーん。ルカさんは、圭太君が言うような人とは違うと思うんだけど」

「……へ?」


 次の言葉で、俺は急に頭が真っ白になった。


「ねえ圭太君、火曜日のことなんだけど。喫茶店近くまで来た時、前から凄い速さで走ってくるあなたとすれ違ったの」

「あ……それは」


 めいぷるさんが俺とすれ違った? 彼女は隣の椅子に視線を移して、


「私が喫茶店に入った時、この席にルカさんが座っていたけど。……凄く悲しそうに泣いてたよ」

「……え。アイツが?」

「うん」


 俺はまさに開いた口が塞がらなくなっていた。あのルカが泣いていたって。俺が言ったことが原因なのか。しばらく何も言えずに呆然としてテーブルを眺めていると、めいぷるさんは真っ直ぐにこっちを見つめて、


「ねえ圭太君。いくらイライラしていたからと言っても、ルカさんに八つ当たりするのは違うと思うよ」


 慌てて顔を上げると、めいぷるさんの厳しい目が突き刺さってくる。まるで弓道の矢を受けた的みたいな気分だ。確かに俺は、アイツに八つ当たりしちまった。もう全部知っているんだろう。返す言葉もない。


 まさかアイツが泣いちまうなんて思わなかった。急激にこみ上げてくる罪悪感に心が焼かれちまいそうだ。俺はめいぷるさんが飲んでいる紅茶に視線を落としたまま固まっている。


「でも圭太君は、ちゃんと解っているんだよね。自分が悪かったっていうことが」

「……はい。すいません」

「私に謝らなくてもいいよ。ルカさんに謝ってきなよ」


 めいぷるさんの声が急に柔らかくなる。俺はようやくちょっとだけ顔を上げて彼女を見た。


「いや……でも」

「このままじゃイベント最終日に、みんなバラバラな気持ちのままで戦うことになっちゃうでしょ。ねえ圭太君。もし良かったら明日、三人で一緒に遊びに行かない?」

「え? つまり俺とルカと、めいぷるさんで?」

「うん。場所は私に任せて! 三人で遊びに行けば圭太君もルカさんと話せるでしょ?」

「な、なんか悪いっすよ」


 悩みつつ断ろうとした俺の隣に、忍者を思わせるほど気配を消すことが上手い人が立っていた。


「悪くはないよ圭太君。行ってきたまえ!」

「うわっ! ビックリしたあ。マスター、突然話に入ってこないで下さいよ」


 めいぷるさんは半分以上が優しさでできているような微笑を俺に向けている。もう答えは出ていた。


「どうするの? 圭太君」

「お……お願い……します」

「ふふ! じゃあ決まりね。後で場所はチャットするよ。ルカさんにも伝えておくから」

「めいぷるさん……」


 俺はマジで泣きそうになった。ここまで世話を焼いてくれる人なんてそうそういないだろう。シャムって天使がどんな奴なのか知らないが、目前にいる人はきっと本物以上の天使だ。


「く……二人とも、何か知らないけど熱いね。よく解らんが青春を感じるよ。うう……」

「よく解らないのに青春を感じるのはおかしいですよ、マスター」


 余計なことを言うマスターに突っ込んでいると、突然スマホがバイブレーションしやがった。まさかCursed modeの通知か? でもめいぷるさんには何もきていないようだから違うらしい。液晶を見ると差出人は鎌田だった。


『やっぱ俺あのマンションに行くわ! 大丈夫大丈夫。バリバリ都会のど真ん中にバケモンは出ねえよ。とっておきの動画撮ってくるからよー』

「あ、アイツ!」

「え!? どうしたの圭太君」


 俺は咄嗟に立ち上がっちまった。めいぷるさんが目を丸くしてこっちを見上げている中、エプロン姿のままでドアまで走ってから振り返り、


「マスター! ちょっと急用ができたんで早退します」

「え!? ちょ、待ちなさい圭太君ー! 君はさっき急な早退はしないと言ったばかり、」


 マスターの制止を振り切り俺は店を飛び出した。このままじゃランスロットの野郎に鎌田が殺されちまうかもしれないんだ。


 今は人気のない夜道だ。俺は走りながらスマホを取り出すと、アプリを起動させCursed modeインストールボタンをタップした。

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