第61話 魔法使いと消し去りの槍

 ヒドルストンは二メートル近い巨体をしならせ、渾身の右フックをランスロットに打ち当てようとしていた。


 左手に握りしめた黒ローブは粗末な作りだが丈夫で、多少の剣や槍の攻撃でも耐えられる代物だった。彼が殴りつけようとしてる間にも、そのローブは消え去る気配がない。


「ぎゃあっ! あああ」


 悲鳴を上げたのはランスロットではなく、右の拳を風の刃でズタズタに斬り裂かれてしまったヒドルストンだった。彼は予想もできなかった自体に狼狽え、青年から左腕を離して後退する。黒いローブの周りにはまだ風の刃が飛び回っていることが見て取れる。


「ふむ。君は予想以上に痛がりさんなのかな。この様子では僕の次の技に耐えられるのか不安だよ」

「て、てめえ……何でまだ魔法を使えるんだよ? 床に足をついている以上、てめえは英雄の力を使えないはずなんだ!」


 ランスロットは冷ややかな微笑を浮かべて、ハンマーを失った挙句利き腕を損傷してしまった大男に近づいて行く。やがて彼はヒドルストンとすれ違い、ルカ達の近くまで歩みを進めていた。


「ほほう! この床にはそんな力があったのかね。まあ大体予想がついていたことだけど、確かにおかしいよね。どうして僕は魔法を使えるのだろう? どうしてウィザードの姿のままでいられるのだろう?」


 ランスロットはツカツカと歩き続け、ヒドルストンの向こう側にいるルカとめいぷるの元へ立ち、もう一度彼のほうへ振り返った。焦る大男は数秒ほどしてから一つの答えを思いついた。


「そ、そうか! てめえあのブレスレットを装備していやがるな! 俺と同じこのブレスレットをよお」

「いいや。僕はこのとおり、そのセンスのないブレスレットは身につけていない。さて、君を仕留める方法は決まったよ。焼死だ」


 ランスロットは左手をローブから出すと、水晶玉ほどの大きさの炎を作り出し、静かに頭上に飛ばした。炎は下にいる青年の魔力を受けて少しずつ育っていく。あらゆる存在を焼き焦がす怪物へと。


「う、んん。……あ。ルカさん」

「めいぷるちゃん! 気がついたのね」

「おはよう! 君達はまだ休んでいていいよ。ここは僕一人でも簡単なステージだ」


 褐色の肌が隆起して、鬼のような形相で青年を睨みつける。ここまで侮辱されたことは彼の人生にはなかった。


「ふざけんなよテメエ……おい! カイさんよお! この床ちゃんと効いてねえぞ」


 叫び声は虚しく天井に響き渡り、黒いローブを着た美青年は首を傾げている。


「効果は発動しているよこの床は。いい加減気がついたらどうかね? 僕は他の人と何処か違うと思わないか?」


 ランスロットの遥か頭上にある炎は今もなお膨れ続けている。巨大な地獄が降りかかる予感に、ヒドルストンは怒りよりも恐怖のほうが強くなってきた。


「お、お前が他の奴と違う!? 何も変わんねえだろ」

「Cursed Heroesは異世界の英雄のデータを借り受けて戦うゲームだ。故にデータと自分達を繋いでいる情報回路が途絶えてしまえば戦えなくなってしまい、ただの人間に戻るしかない。だが、例えば……ここにいるのが力を借り受けている人間ではなく、英雄そのものだとしたら?」


 ランスロットは右手の杖を掲げ、今にも炎をブチまける態勢に入っている。ヒドルストンは恐怖に後ずさりながらも、彼の言葉の続きを知りたがった。


「英雄そのもの!? そんなことあり得ねえよ! ある筈がねえ!」

「僕がそのあり得ない存在なんだよ。ヒドルストン……君に最初の罰を与えよう」

「ま、待て! ち、畜生ー!」


 ヒドルストンが背中を向けて駆け出したとほぼ同じタイミングで、ランスロットは杖を彼に向け、燃え盛る極大の炎を飛ばした。必死で逃げる大男に炎の玉はたやすく追いついてしまう。


「ぎゃああああ! あうああ! う、うがああ」


 全身を炎に包まれたヒドルストンは、少しの間部屋を転げ回った。火傷を負わせたことはあっても、自分がやられたことはなかった。炎に纏わりつかれている状況が苦しくて堪らない。それでも必死に立ち上がると、ランスロットが来たドアから呻きながら逃げて出した。


 ルカはようやく立ち上がり、ただのんびりと立っている青年の背中を叩いて、


「やったわね! ランスロット」

「ああ。君達がなんとか無事で良かった」


 めいぷるは先ほどの話が気になっていて、まるでお化けを見るような顔をランスロットに向けたまま近づかない。


「あ、あのう……ランスロットさん。さっきの話は」

「ん? ああ、さっきの話……何でしたっけ。もう忘れてしまいました。ははは!」

「ランスロット、めいぷるちゃん! とにかく先に急ぐわよ。あ! それとめいぷるちゃん、あっちの通路に着いたら回復魔法お願い!」


 ルカは若干フラつく足取りでヒドルストンが逃げていった通路に向かって歩き出し、ランスロットは溜息をつきながら後を続いた。めいぷるは少しの間呆然としていたが、慌てて二人の後をついていこうと走り出した。




 まずいことになった。俺は躍起になって向かってくる影山の槍をかわしながら、この白くて広い部屋で逃げ回っている。くそ! アーチャーのデータをインストールさえできれば、こんな奴どうってことないのに。


「あはははは! どうしたの圭太君。さっきまでの威勢は何処に消えちゃったのかな」

「……うるせえ! このクソ……うおわっ!?」


 振り向いた時には奴の槍が目前にあり、ギリギリで屈んで避けた。槍は柱に突き刺さったがすんなりと抜けて、もう一度俺めがけて向かってくる。


「この槍はねえ。当たった敵を消し去ってしまう最強の槍なのさ。どんな奴だってこの槍を受けばイチコロだ。死ぬしかないんだよ。もう君は」

「最強の槍だと? ちいいっ!」


 俺は影山から逃げきれない。アイツは遊んでいるのか、プレイヤーの中でも群を抜いて鈍足なのかは解らねえが、一気に距離を詰めずにジワジワ追い込んできやがる。


 だがもうそんなに逃げれる時間も残ってなさそうだ。奴は俺の逃げ道を上手くコントロールして、徐々にあるポイントまで誘導しているようだった。


 それは部屋の角だ。ボクシングとかキックボクシングの試合を見ていると、大体こういう所に追い込まれてKOされてるケースはめっちゃ多い。俺の場合KOではなくて完全に殺されちまうわけだからタチが悪いどころじゃないが。


「おやおやー? どうしたのかな圭太君。もう後がなくなってるんじゃないの?」

「お前のその槍は最強なんだったな。でもよお、それならどうして普段からちゃんと戦わねえんだよ?」

「ふん。僕がこの槍でモンスターを倒しまくっちゃったら、みんなシラけちゃうだろ。さて、君という存在を消し去ってあげるよ」


 角に追い込まれちまった俺には、もう逃げる手段は残されてない。だからと言って猫に噛み付く鼠みたいな真似をしても、慎重な影山には通用しないだろう。どうすればいい? もう終わりなのか。こんな所で俺は殺されちまうしかないのか。


 攻撃が当たった敵を消し去ってしまう最強の槍だって? そんなご大層な武器をコイツが手にしてるなんておかしな話だ。とにかくこの槍さえなんとかできれば。


「さあ、終わりだあ圭太!」

「終わっちゃいねえよ! 影山ぁ」

「うっ!? こ、この……」


 俺は奴が槍を思い切り引いた瞬間に、ポケットに入れていたスマホを投げつけた。もうこれくらいしかやれることがないのが悔しいが、運良くスマホはアイツの右目にぶつかり、心臓に向かっていた槍が左側にそれる。僅かに右側に避けた俺はなんとか槍をかわして、影山の背後に回りつつスマホを拾った。


「舐めた真似を……!?」


 俺は奴の背中に飛び乗って首を締め上げようとしている。長い槍は確かに距離がある戦いでは有利だが、超接近間合なら逆に不利になる。


「そんな手が効くかあ!」


 影山は猛然とダッシュして、思い切り壁に背中を打ちつけやがった。おんぶしているような状態の俺にはモロに衝撃が来ちまって、少しだが締めていた腕が緩む。それでも俺は離さない。だがコイツを締め落とすのはどう考えても不可能だ。それなら。


「な、舐めんわふ。ふぉふえ、どぅ」

「はあ? 何喋って……そうか!」


 俺はさっき拾ったスマホを口に加えて、Cused modeインストールを右手の指でタップする。今なら床の上じゃなくて影山の上だ。インストールは始まってる。


「ふん! 雑魚が考えそうなことだね」


 あと少し、本当にあと少しでアーチャーになれたと思うんだが。影山は槍を持っていない左手で、俺の手を掴んで力強く握ってくる。


「ぐ……うううう」


 俺の左手は完全に外されてしまい。そのまま強引に持ち上げられ、ついに右手も引き剥がされてしまう。奴は思い切り左腕を振って床に叩きつけてきやがった。俺はインストールが完全に終わってない中途半端な姿で床に転がってる。そしてまたアンインストールされちまうだろう。


「がはっ! ……ぐ」


 背中を思い切り打っちまって息ができない。天井と影山のニヤケ面が視界を埋めているこの状況は、マジで気持ち悪いと言うしかない。


「へへへ! 手こずらせてくれたじゃないか圭太君。さあ、遺言はあるかい? 一応聞いてやってもいいけど」


 俺はやっとのことで呼吸ができるようになり、酸素を肺に取り込むことで精一杯で声なんて出るわけがない。


「あれー? 遺言は無しか。つまんないなあ……じゃあ、今度こそ死ねよクズ野郎!」


 影山はまた俺の心臓を狙っているらしい。ネチネチとしつこい野郎だ。でも流石はランサー、俊敏過ぎるほどの槍捌きはきっと誰も真似できないだろう。


 でも鋭いからこそ、力強いからこそ……ほんの微かな力が加わっただけで方向を変えられる。俺は奴の槍が左胸に当たろうとする瞬間を全神経を注いで待ち受けていた。少しでもタイミングが遅れるか、または早くても三途の川行きになっちまうから。


 アーチャーの常人を遥かに超えた動体視力が捉えた刃の先を、インストールできていた右手が弾く。


「ぐああああ!」


 俺は堪らず悲鳴を上げた。心臓に刺さるはずだった槍は左肩にめり込んでいた。


「あれえー? よくさっきの槍を防げたものだよねえ。でも終わりだよ君は」

「ぐううぅ! や、やっぱりお前は嘘をついてやがったな」

「はあ? 何の話?」


 影山は俺に槍を刺し込んだまま、キョトンとした顔でこっちを眺めている。


「俺の体は消えてねえじゃんか。お前が最強の槍だっていってたコイツは、俺をまだ消滅させることができない」

「ああ、その話ね。そうだよ。この槍はね……自分よりもずっと格下のLvの敵じゃないと消すことができない槍なんだ。だから君の妹やお母さんを消せても、君自身は消すことができなかった」


 よくそんな下衆な話を気持ちよく語れると思う。アドレナリンが湧き出て、どうしても黙っていられなくなる。


「へっ! 肝心な時には使いもんにならねえな。最強どころか、最低な槍だ!」

「その最低な槍に、君は刺されて死ぬんだよお。こんな風にさ」

「う……うああっ!」


 影山は俺の肩から槍を引き抜くと、天井を眺める目線と同じところまで切っ先を持ってくる。


「次はさっきみたいなヘマはしない。君はこの槍で目玉をくり抜かれて悲鳴をあげるんだ。心の準備はできてるかい?」


 俺は息を荒くしながらも、余裕たっぷりの笑顔を見せてやった。


「いいや。お前はヘマをしてるんだよ」

「はあ? いい加減下らない時間稼ぎはやめなよ。これでも食らっとけ!」


 影山は左足で俺の右肩を踏みつけ、両手に持った槍を思い切り掲げると、勝利を確信した世界一卑しい顔でトドメを刺しにきた。槍が俺の視界を埋めていく。


 内心穏やかじゃなかった。予想より時間がかかっていたから。


「……?」


 影山は俺に突き刺した筈の槍が透けていることに気がついた。左目には確かに槍が見えているが、もう実体化が解除され、まるで幽霊のように透けている。奴は何が起こったのか理解できず、踏みつけていた足を離して後退した。


「な、何が起こってるんだ? 槍が……」

「槍が消えちまったみたいだな、影山」


 俺は左肩の激痛をこらえながら立ち上がり、怯える同級生を一瞥する。


「あ、あああ……変身が、解除されてる? どうしてだ! このブレスレットがあれば大丈夫な筈なのに……?」

「ブレスレット? コイツのことか?」


 俺は奴が付けていた筈のブレスレットを右手でひらひらさせる。


「お前の背後に飛びかかった時、俺はインストールをする為の時間稼ぎと思わせ、実際のところはブレスレットを奪うつもりだったんだよ。投げ飛ばしてから左手を離した瞬間、アーチャーになった右手がブレスレットを掏り取って、そのままポケットに隠したんだ。興奮しっぱなしだったお前は全然気がつかなかったな」


 後はただ時間を稼ぎ、奴の変身が解除されるのを待っていれば良かったんだ。影山の顔が怒りで赤く染まっている。


「クソ野郎……何処までも汚い真似しやがってー!」

「おいおい。汚い真似をしてきたのはお前だろ」

「フン! だからって怪我をしてる君と僕なら、僕が圧倒的に有利だ。少し優雅さにはかけるけどね。殴り殺してしまうのも悪くない」

「いいや、俺のほうが有利だね」


 俺が言い終えてからブレスレットを左腕にはめて、スマホからデータをインストールすると奴は途端に青い顔になった。


「ま、まさか……ふざけるな! 反則だあ」

「言ってることが滅茶苦茶だな。影山……今度は俺の番だ!」


 インストールを終えた俺は駆けた。今まで溜まっていた怒り、悲しみ、積もり積もった心の叫びが右拳に宿る。奴はあっさりと背中を向けて逃げ出したが、こっちは誰かさんのように鈍足じゃない。焼けるような痛みを必死に堪えながら捕まえて振り向かせると、


「ひ、ひいいい!」

「この馬鹿野郎が!」


 右拳が奴の頬を打ち抜き、遥か遠くにあったドアまでぶっ飛ばした。ポケットからずり落ちたスマホは衝撃で割れてしまっていて、もう使い物にならないだろう。つまり奴は今、この部屋を離れてもランスナイトになれない。


 まだまだ冷めない怒りを抱えて歩き出した時、俺のスマホがバイブレーションして、あの元気なワガママ女が生きていることを知らせてくれた。


『今めいぷるちゃんとランスロットと一緒に、モンスター召喚装置に向かってるわ! そっちは大丈夫なの!?』


 影山が逃げないように目を光らせながら、俺は安心と肩の激痛に震える指で返信する。


『よし。全員無事ってことだな。俺も直ぐに向かう』


 返信を終えてちょっとだけ頭を冷やした俺は、ついさっきぶっ飛ばした野郎を利用しようと考えた。


「ぶひぃいい……ま、参ったあ。くぁ、くあんべんしてくれ」


 近づくと、影山は魂が抜けたような顔でプルプルしていた。すげえ間抜け顔だな。


「お前はこの戦いが終わったら警察にしょっ引いてやる。それと、今からモンスター召喚装置のところへ案内しろ!」

「む、無理だよ。そんなことしちゃったら僕は……僕はカイに……」

「お前が決めれることじゃねえんだよ! 案内できねえってんなら」


 俺がもう一度殴りかかるような素振りを見せると、影山は大慌てで首を振り、


「あ……ああー! 嘘嘘。案内するよ、もちろん案内させてもらうとも! さあ圭太君、こっちだよ」


 影山はビビりつつへっぴり腰で立ち上がり、よろつきながらもドアを開いた。左肩がヤバイくらい負傷しちまってるけど、何とか弓を扱うことはできる。このままカイとも戦ってやる。


 俺は影山に案内されて、以前来た時にはなかったエレベーターに足を踏み入れた。

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