第67話 王になろうとする者達

 僕は薄明かりに照らされた汚い部屋の中で、ただ黙々と機械をいじり続けている。


 ここは以前使用していた研究所に比べれば酷く小さかった。設備も最低限度の物しか用意されていないが、別に構わない。どの道あと四日もすればほとんどの物は必要がなくなるからだ。六月三十日に人類はそのほとんどが死にたえるだろう。


 つい先日破壊されてしまったモンスター召喚装置よりも遥かに小型の代物であるそれは、魔法陣の上で静かに鎮座している。これが僕にとっての最後の発明になるだろう。


 いつだって僕は静寂を欲しがった。親父のただうるさいだけの言葉、弟の調子の良い煽て文句……忌々しくてたまらなかった。高校でも大学でも、会う奴はみんな僕に尻尾を振っていたっけ。みんな僕ではなく背後にいる親父に恐れていた。巨大な金の塊に恐れていたわけだ。


「ようやく来たのか。予定より十分も遅い。ここまで時間にルーズでも務まるというなら、僕も会社の代表になってみるべきだったかもな」


 三回ほど叩かれたノックに皮肉で答えると、それがどうしたと言わんばかりに女は優雅なヒールの音を立てて入ってくる。


「申し訳ございません。ご希望の品はこちらでございます。カイ様」


 大抵の奴は聞いてもいない言い訳を始めるものだが、彼女は直ぐに本題を切り出してきた。変わった女だと思う。


「どれ? 見せてみなよ」


 僕はさも面倒くさそうに振り返ると、星宮の元秘書が差し出して来た二つの品物を受け取った。どちらが欠けても、最後の決戦……いや聖戦に勝利することは難しい。僕にとっては切り札であり、世界にとっての死神の鎌。


 ケースにしまわれている黒い宝石とスマートフォン。この二つがあれば僕は勝利することができる。宝石は僕の拳よりも大きく、何か禍々しく感じられる。事実、この宝石はひどく邪悪なものだ。きっと僕以外には使いこなせないだろう。


「お解りとは思いますが、そちらのスマートフォンに関しては、これからカイ様に調整をしていただく必要がございます」

「心配するな。ちゃんと解っているさ。僕が手を加えなければ起動させられる筈もないからね。宝石のほうはもう使えるよね?」


 女は眼鏡の奥に怪しい光を灯している。


「はい。勿論でございます。あなた様と私達の勝利の為、間違いなく完璧に仕上げております」

「それを聞いて安心したよ。計画はもう最終段階に入っている。外は面白いことになっているね。あの赤い空は瘴気が充満している証拠さ。もう少しだ、もう少し瘴気を高めることができれば、異世界と完全に繋がりモンスター達はこちらに雪崩れ込んでくるだろう」


 切れ長の目で無表情に僕を見上げていた女は、口元だけを微かに歪ませた。彼女の目的もまた僕と同じだ。選ばれた人間だけが残る理想郷を作ること。その為にはどんな犠牲もいとわない。


「ここの場所は誰にも見られていないよね? まだ準備がある。君は帰ってくれ」

「勿論見られてはおりませんし、嗅ぎつけようとする者がいれば速やかに排除致します。かしこまりました。四日後を楽しみにしていますね」


 女は研究室から出て行った。全ては六年も前に始まったことだ。あの頃僕はこんなことをしているなんて想像もできなかった。全ては彼とルカのおかげなんだ。彼は四年以上前に亡くなり、頼みの綱だったリンディスも去ってしまったが、代わりにランスロットが働いてくれるだろう。


 ここまでくれば、勝利はもう間違いないと言っていい。世のつまらない価値基準に鉄槌を下し、腐った人間達をまとめて地獄に沈めてやる。僕はルカと数人の選ばれし者たちを連れて、新しい人類の始祖となる。そして圭太君、君は僕自身の力で倒すことにしよう。


「あと少し……あと少しなんだ。はは……はははははは!」


 笑いが止まらない。こんなに満ち足りた気持ちになるのはいつぶりなのだろうか。僕はひとしきり一人で笑った後、小さなモンスター召喚装置の調整を再開した。




 路地裏にあるその小さなBARには、いつもどおり客が少なかった。いるのは中学生にも見られそうな小柄な高校生と、髪の長い端正な顔立ちをした青年のみだ。


「しかし驚きましたよ。ランスロットさんが名無しと一緒に、カイさんと組んでいたなんてね」


 高校生は親しげに隣に座って白ワインを飲んでいる青年に笑いかけた。彼は満更でもないというとばかりに微笑を向ける。


「まあ、僕としては強いほうにつくほうが得だからさ。とある奴にこの世界に連れてこられたものの、正直くだらない連中とつるんでいるのは苦痛だったよ」

「ふうん。しかし一年足らずでよく馴染んだものですね。文化も言葉も全てが違うのでしょう」


 彼は常にバッグの中に本を持ち歩いている。どんな時でも暇さえあれば本を読んでいて、今こうして話してる時もテーブルの上には一冊の歴史資料を開いていた。


「覚えることは大変じゃなかったよ。元々勉強するのが好きだからね。それより影山君。カイさんは今どうしているのかな? 四日後には最後の仕上げを行うというのに、打ち合わせもできないのは不安だよ」


 影山は小さく首を横に振ると、名無しから渡されたビールを口に運び、気持ち良さそうに唸った後で、


「カイさんは残された予備のモンスター召喚装置を、誰にも見せたくないらしいんですよ。しかも場所は都内らしくて。施設は小さくてセキュリティも弱いらしいですから、細心の注意を払っているのでしょう。まあ大丈夫じゃないですか。打ち合わせなんてしなくても」


 ランスロットから見て、影山はとても楽観的に見えた。同じように名無しも、余裕たっぷりにバーカウンターでタバコをふかしている。


「そうよ。あたし達の勝ちはもう決まっているようなものだわ。だって空はあんなに血の色で汚れてる。洗っても洗っても拭えそうにないわ。きっと神様がお怒りなのよ。神様の怒りは人間如きにはどうにもならない。そう思わない? ボウヤ」

「ボウヤって言うのはやめて下さいと注意するのは、もう五回目くらいですが」

「あらん……あたしったらまた言っちゃった。ごめんねえ」


 名無しはランスロットに新しい白ワインを渡しつつ、口角だけを上げて笑った。左腕に見える鬼のような刺青をランスロットはチラリと見る。


「二人とも呑気じゃないか。特に影山君は、圭太にあれだけやられたというのに不安にならないのか?」


 影山は本を読みながら話しているランスロットを見て、突然おかしくて堪らなくなり、体を逸らして笑い出した。


「ははは! 問題ありません。新しいスマホにデータ引き継ぎを済ませましたから、いつでも戦えます。それに……僕だって何も隠していないわけじゃないんですよ。切り札を持ってます」

「……ほう。意味深だな。その隠しているものが何か気になるね」


 ランスロットの言葉に続くように、名無しが身を乗り出して影山の瞳の奥を見据える。あれだけの屈辱を浴びておきながら、どうしてこうも余裕でいられるのだろう。名無しは言葉にはしないが興味が尽きなかった。


「うふふ。今は言えない……そんな顔ね。影山君」

「ええ。まだ言えません。僕はヒドルストンと林王を失ってしまった。結構使える駒だったんですけどね。それでも最後は僕が勝つ。圭太達のチームさえ潰せば簡単に一番になれるんです。ランスロットさん。残り一戦になりますが、よろしくお願いしますね」

「ああ。こちらこそ宜しく」


 ランスロットと影山、名無しは乾杯をしつつお互いを見やった。最後の戦いが始まるまでそう時間は残されていない。


 少しだけ酒を飲んだ後、ランスロットはBARを出てフラフラと外を歩いていた。誰が襲って来ても対応するだけの冷静さを保ちつつ、人気のない道を進み続ける。


「……そこにいるのは誰かな?」


 汚い廃ビルの路地裏で、何かがこちらを見ている気がした。彼の直感は当たっている。物陰から姿を現したのは、星宮の元秘書だった。


「こんばんはランスロットさん。貴方はまだ、こちらの世界で本名を名乗らないのですね」

「ああ。名乗る必要もないだろう。どの道、暴れまわった後は去るのみだからな」

「味気のないことです。貴方ほど優秀な魔法使いが本来の名前も告げず、ただ力を振るうのみで終わってしまって良いのでしょうか。……いいえ、本当は何かお考えがあるのでは?」

「ほう。それはどういう意味かな?」


 ランスロットは面倒くさそうに頭を掻いて、彼女を置いて行くかのように歩き出した。星宮の元秘書はピッタリと音も立てずに背後をついてくる。


「貴方が影山さん達のことを嗅ぎまわったように、私も貴方のことは調べておりますから」

「異界の資料がここにあるとでも言うのかね? あり得ない話だ」

「いいえ。貴方の発言だけが頼りです」

「ふふ! 全くアテにならない情報じゃないか。ソースが僕自身ではね」


 小さく笑ったランスロットの背中に、星宮の元秘書は刺すような視線を送り続けていた。


「そうでもありませんよ、ランスロットさん。貴方は謙虚にしているようですがその実、非常に自己顕示欲が強い方です。貴方は時として、言う必要のないことまでお話しなさる。カイ様から面白い話を聞いていますよ」


 彼は足を止めて、背後にいる女に流し目を送る。


「ほう。例えばどんな話を聞いているのかな?」

「例えば……貴方が元の世界で受けていた仕打ちです。世界を救った英雄の一人である貴方は、魔王が討伐された後過去のつまらない罪によって投獄されることになってしまった。不本意だったのではありませんか? 誰よりも働いた筈の自分が、見返りや報酬を受け取ることもないばかりか、暗い牢獄に何年も繋がれることになってしまうなんて」

「…………」


 ランスロットはただ黙って目を閉じている。思い出したくもないことを指摘されて、湧き上がる怒りを堪えているかのように。女は彼の反応が面白くて堪らない。


「貴方がルカさんを裏切った真意ははっきりしていますよ。この世界での役目を終えた貴方は、いずれ元いた世界に帰らなければいけない。つまりまた長い間牢獄に囚われなくてはならなくなる。嫌だったのですよね? だから裏切った」

「……だよ」

「? どうなさいましたか」

「そうだと言ったのだ!」


 ランスロットは明らかに苛立ちを隠せず、女と向かい合い大声を張り上げる。静かな夜空に彼の声だけが響いている。


「僕……私は異世界では勇者達を導く役目を担っていた。途中色々と計算違いもあったが、最終的には魔王を討伐することに成功したのだ。だが王も民衆も、私に栄誉を与えることも富を与えることもないばかりか、下らぬ悪事を掘りおこして投獄するという暴挙に出た。これが許せるものか!」


 女はランスロットの言葉を聞いているうちに恍惚とした顔になり、


「あは! やっと本性を現したのですね。表向きはルカさん達に協力するフリをして近づいて、裏では密かに工作していた。まるで一緒ですよ星宮と。私達の元支配者と」

「あんな男と一緒にされるのは心外だな。私は役目を終えて元の世界に帰るなど真っ平御免だ! 二度と牢屋になど入るものか! その為ならどんな手段でも使ってやる」


 星宮の元秘書は小さく拍手をした。耳障りだと言わんばかりにランスロットが睨みつけると、彼女は余裕の笑みを保ったままで背中を向ける。


「カイ様と貴方……どちらがこの世界で王になれるのでしょう。私達が仕えるべきはどちら?」

「くだらぬことを言うな。私に王になろうなどと言う野心はない」

「ククク……隠してもダメ。あなたからはギラつく野心を感じるわ。年甲斐もなく惚れてしまいそうよ」


 黒いスーツ姿が闇に消えて行く。ランスロットはしばらく闇の向こうを睨み続けていたが、気配が完全に消えると深いため息をついて歩き出した。


 壊されるのは世界か、それとも自分達なのか。彼らはただでは済まない殺し合いの渦に吸い込まれている。

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