第68話 いつの間にか変わっていたアイツ

 六月二十七日木曜日。曇り空に妙な赤い色が混じっている風景を見て、俺はため息をついた。


 今は授業が終わって、電車の中で沙羅子と二人で座っている。


「そういえばさ、圭太とAタワーに行くのって初めてじゃない?」


 両手を後ろに組んでこっちを見ている沙羅子は、はたから見ればけっこう可愛い女に見えるんだろう。実際はゴリゴリの体育会系だが。


「確かに初めてだったかもな。Aタワーって俺たちの家からわりと近いけど、近いところほどむしろ行かないからな」

「圭太があたしにレストランのお誘いとはねー。ちょうど場所もピッタリだったからビックリしちゃった! 無料チケットなんてどこで手に入れたの? お父さんが株主とか?」

「別に。お前しか誘う相手いなかったんだよ。チケットは……親父から貰ったんだけどよくは知らねえ」


 沙羅子のやつは何となく楽しそうにしているが、俺はあんまり乗り気じゃない。だってそうじゃん。カイの思惑通りにいったら、世界が大変なことになっちまうんだから。正直気が気じゃないんだ。


 もう全部倒している筈だが、カイの研究所に向かっている時に出現していたゲートからは沢山の化け物どもが世に放たれ、とうとうテレビでも放送されちまったようだった。警察や自衛隊とかも動いているらしいけど、カイを捕まえてくれるとは思えない。もし捕まえてくれたらこれほど楽なことはないんだけど。


 当然学校では化け物の話題でいっぱいだが、クラスの奴らが騒ぐ中沙羅子は冷静だった。化け物や超常現象より、どうして俺が今テレビ番組で紹介されまくってるレストランの無料チケットをゲットできたのか、そればっかり気になるらしい。


 チケットはランスロットから貰ったなんて言えないからな。どう説明していいもんか分かんねえし、適当に嘘を言ったほうがいいだろ。電車で隣に座っている沙羅子は、どういうわけかちょっとムスッとした顔になり、


「もう! どうしてそうガッカリさせること言うかなあ、圭太は。嘘でもお前と飯に行きたかった……とか言うかと思ったのに」

「……そ、そうだな。悪い」

「あはは! いいよ別に。さっ! 降りよ」

「え? あ、ああ……」


 沙羅子に腕を引っ張られて俺は電車を降りたけど、こんな風に触られたのは初めてだったから戸惑っちまった。Aタワー付属駅は今日も人がぎっしりで、この渋滞はどこまでも続く。


 人混みに揉まれながらも沙羅子に引っ張られてAタワーに無事到着すると、十五階に目当のレストランはあった。


「わああ……やっぱ凄い!」

「確かにすげえや。こりゃ絶景じゃん」


 レストランは別にノーネクタイで入っていいし、意外とラフな服装の奴らもいた。窓際の丸テーブルに座った俺達は、圧巻ものの眺めに感動して、しばらく注文を聞きに来た店員さんに気がつかなかったくらいだ。


「あ! すいません……じゃあ、このCコースって奴で」

「……あたしも同じものでお願いします」


 レストランの中には人がわんさかいるって言うのに、不思議と声がうるさく感じなかった。やっぱり金持ち連中が沢山いるだけあって、上品さが違うのかもしれない。


「すっごい眺めだよねえ。この景色」


 沙羅子が感動したように下のビル街や、遠くに見える港や海を眺めている。


「そうだな。なかなかお目にかかれねえ景色だ」

「圭太ってさ、いつの間にか高いところが怖くなくなったよね」

「ん? ああ……そうだったな。ガキの頃は苦手だったからな」


 俺は昔はとにかく怖がりだった。大人や幽霊、高いところや犬や猫、いろんなものが怖かった気がする。反対に沙羅子は何も恐れている様子はなかった。小学生低学年の頃、そんなアイツが羨ましく思ったことは何度かある。


「あたしは反対に何も怖くなかったよ。小さい頃はね。今はけっこう怖いことが沢山あるの」

「意外だな。今でも怖いもの知らずだと思ってたぞ。どんどん貫禄ついてるからな」


 俺は腕を組んで向かいにいる沙羅子をじっと凝視する。


「え! それってどういう意味?」

「サイズアップしていると思う。ウエスト辺り」

「何言ってんの! あたしが太ったって遠回しに言ってたんだね。このミスター失礼男」

「沙羅子だったら笑って許してくれるかと」


 今度は沙羅子が腕を組んで、ムスッとした顔になる。


「許さない。絶対許さない。世界中の金銀財宝を盗んで差し出したって許さないから」

「んなことできるか! 俺は大泥棒か何かか!?」

「出来るかもしれないじゃん。圭太が陰で何かしているんじゃないかっていうことが、今一番怖いかも」


 そう言いながら沙羅子はサラダを食べ始める。俺よりも食い方が綺麗だ。育ちはそんなに変わんねえ筈なんだけどな。


「俺は何もしてねえよ。後ろめたいことは何も」

「後ろめたくないことは何かしてるの? 例えば放課後のバイトのない時とか」


 こ、こいつ。揚げ足を取るような真似をしやがって。ゲームのキャラクターデータをインストールして戦ってますって言ったら、完全に頭おかしい認定されちまうだけだから、ここはごまかす以外ない。


「い、いや……特に何もしてねえよ!」

「怪しいよ圭太。あたしを騙せるとでも思ってんの」

「何もねえっつうの。長年見てきて解ってるだろ」

「あはは! そうだね。圭太がコソコソと変なことしてないっていうのは解ってるよ。やるなら大っぴらにするもんね。万引きとか」

「したことねえよっ!」

「鎌田と二人で女性下着盗んだんじゃなかった?」

「鎌田は知らねえが、俺にそんな事実はねえ! 勝手に記憶を捏造するな」

「えへへ! ねえ圭太。あたしちょっと見に行きたいところがあるの。この後ちょっと付き合ってよ」


 しょうもない会話をしながら、続けて来たメインディッシュやらデザートやらを食い終わり、俺は沙羅子に連れられてAタワーの一番高い見晴台までエレベーターで向かった。そういえばここは以前ルカに連れてこられたんだっけ。もう十九時過ぎてるから外は暗くなってきてる。


「わああ! やっぱ凄いじゃん。Aタワーの夜景ってやっぱ違うね」

「ああ……すげえ景色だよなー」


 沙羅子は中学生の頃みたいにはしゃぎながら、望遠鏡をグイグイ動かしていろんな所を見ている。俺はただボーッとして隣に立っていた。頭の中にあるのは、カイやランスロットのことだ。


 正直言って最近、何にも集中できてない自分がいる。どうやったらカイを止められるだろうか。ルカも必死で探しているみたいだけど、ランスロットが向こうについちまったのは本当に痛い。沙羅子はそんな俺の変化に気がついているみたいで、


「ねえ、なんか今日の圭太変じゃない?」

「あん? そんなことねえよ」


 俺は沙羅子が望遠鏡から上げてきた顔から目を逸らして、ゆっくり歩き回ってはビルや住宅街の小さな光をただ見ていた。そんな時だった。沙羅子に渡そうとしているもんがあることを思い出したのは。


「そうだ沙羅子。お前に渡しておきたい物がある」

「……え? 何々?」

「これだ。まあ、別に大したもんじゃないんだけど」


 俺は鞄から小さな誕生日プレゼントに使いそうな袋を取り出すと、沙羅子に手渡した。幼馴染の男女は目を丸くしてロボットみたいにぎこちない動きで袋を受け取る。


「お前さ、この前誕生日だったじゃん。だからプレゼント」

「え……圭太が、あたしに?」


 ちなみに沙羅子の誕生日は二週間以上も前だ。いくらなんでも誕生日プレゼントを渡すタイミングとしては遅すぎてアホみたいだけど、ずっと塞ぎ込んでいたアイツになんかしてやらないとと思っていた。


「あ……ありがとう! メチャメチャ時期ハズレだけど。超嬉しい」

「お、おう。まあ多少のタイムラグはあったな」

「あはは! 多少じゃないじゃん。アンタの時間感覚ガバガバじゃない?」

「し、失礼なこと言うんじゃねえ!」


 俺はちょっとばかり照れて頭を描いた。沙羅子のやつが袋を大事そうに抱きしめながら、今まで見たこともないくらい爽やかな笑顔を真っ直ぐに俺に向けているからだ。数秒くらい俺達はただ黙っていた。沙羅子は視線を落として、何かもじもじした感じになる。


「あのさ……圭太。アンタに聞きたかったことが一つあるんだけど。この際だから聞いていい?」

「な、なんだよ。言ってみろ」


 気まずくはないんだけど、なんか妙な間を感じている。俺は視線を外して、全く興味のない神社や雑居ビルを眺めているふりをした。


「今……好きな女の子とか、いるの?」


 急に心臓が何かに叩かれたみたいになった。なんだよその質問。忘れていたことを思い出す。そういえば沙羅子の奴、以前なぜか俺に告白をしようとか話していたけど……。待てよ。これって。


「……いねえよ。好きな女なんて」


 俺は咄嗟に嘘をついた。本当はいる。だけどそれは、目の前にいる昔からつるんでいる親友じゃない。


「そうなんだ。じゃあさ、気になっている人はいるの?」


 な、何だ? どういう意図があるんだよこの質問。俺は頭を掻きながら、早くここから出たい気持ちに駆られつつ答えるしかなかった。


「気になってる奴もいねえよ! なんか遅くなっちまったよな、そろそろ」

「あたしは気になってる人がいるよ。でも最近……好きな人に昇格した。誰だと思う?」


 視界に映っている沙羅子の顔は冗談なんて一切無さそうな真顔だ。心臓の鼓動が強まっていく。距離が少しずつ縮んでいるような気がする。俺は笑いながらアイツに顔を向けると、


「もしかして鎌田か。いやー、アイツああ見えてモテる男だからな! 何たってこの前も隣のクラスの女子に、」

「違うよ! 鎌田じゃない」


 あっさり否定しやがるな。無理にテンション上げつつ喋っていた俺はまたしても固まっちまった。沙羅子がまた一歩近づいてくる。


「気づいてないの? ね」

「気づいてって……そりゃ」

「圭太のことだよ」


 沙羅子は普段よりずっと声が小さかった。何とか聞き取れた声は、もう俺の心臓を壊しにかかっているとしか思えないくらいの衝撃を与えてくる。


「…………え。俺?」


 ここにきてまさか告白してくるとは思わなかった。俺は二人だけの部屋で、どうしていいか解らず内心オロオロしちまっている。でももうすぐ二人きりじゃなくなるのかも知れない。背後にあるエレベーターが稼働している音が聞こえるからだ。誰かがこの部屋に入ってくる可能性はある。


「よく解んねえな。気になってるとか好きだとか、そんなこと突然言われてもさ。俺達は昔から友達だったじゃん」

「好きになっちゃったんだからしょうがないでしょ」


 俺はまた言葉に詰まった。沙羅子の目は真剣そのもので、下手なことを言い放ったら泣くかもしれない。それだけは嫌だ。


「何でだよ? どうして急にそんな話になるんだ」

「急じゃないよ。多分ずっと前から。中学生の頃からあたしは、アンタのことが好きだったの。でも言えなかった。怖かったんだよ、振られるのが。……圭太はあたしのこと好き?」


 沙羅子がまた一歩俺に近づいてくる。こいつも俺も、今時珍しいくらい恋愛経験が全然ない。正直二人ともどうしていいのか解らなかったんだ。だから沙羅子はあんなことをした。


「……解んねえよ。俺は、」


 エレベーターのドアが開いた音がした。多分ここに誰かが来るんだけど、沙羅子の奴は完全に俺にしか意識がいってない。


「圭太は、もしかしてあたしのこと嫌いなの?」

「何でそうなるんだよ。嫌いなわけないじゃん。大体お前と鎌田とは昔からー、」


 俺が言葉を発することができたのはそこまでだった。

 一瞬だけ時間が止まった気がして目が開きっぱなしで動かない。心臓が飛び出すかと思うくらいの衝撃。


 目を閉じた沙羅子の顔がすぐそこにあって、唇同士が完全に触れ合っている。それはまるで、少しだけ堅いゼリーみたいだった。どうしていいか解らない俺は思わず肩を掴んだけど、柔らかい桃色の唇はまだくっ付いたままで離れない。


「……えへへ……しちゃった」


 やっと俺から唇を離した沙羅子は、さっきまでとは比較にならないくらい女の子っぽい顔になって笑った。俺は何も言えずに、あいつの肩を掴んだまま石像みたいになってる。


 だけど沙羅子の、いつの間にか色っぽくなっていた顔から徐々に表情が無くなっていくのが解った。俺じゃなくてもっと後ろにある何かを見ているようだ。なんだよ今度は。


「ルカさん」

「……へ?」


 俺は沙羅子の肩を離して反射的に振り返った。エレベーターホールの近くに立っていたのは、間違いなくあの常時強気モードなワガママ女だった。どうしてここにいるんだ? そういえばアイツ、ここにはよく来るとか言っていたけど。こんな偶然があっていいのかよ。


「あ……え」とルカは微かに声を出す。だけど次に続く言葉はなかった。


 まるで交通事故の現場を見て呆然としているような表情のまま、俺と目があった途端にエレベーターに駆け込んじまった。こっちに背中を向けたままでドアを閉める。


「お、おい! ルカ!」


 俺はとにかくルカと話がしたかった。でも、それを許してくれない女が後ろにいる。


「待ってよ圭太! どうしてそっちに行くの!?」


 俺は足を止めて固まっちまった。泣きそうな叫び声が背後から聞こえたからだ。


「沙羅子……」

「あの人と知り合ってから、圭太変だよ。あの人……本当にただのゲーム友達なの?」


 こんな質問を投げかけられるなんて想像してもいなかった。Cursed Heroesのことは話したくないから、どう返答していいのかも解らない。沙羅子は俺がルカを追いかけて行くことを止めようと側に歩み寄って来る。さっきキスをした距離とほとんど変わらないくらいに。


 ルカに見られた。心のずっと奥で、猛烈な焦りが湧き上がってくるのを感じる。俺はどうすればいいんだ?


 沙羅子には結局告白の返事をすることもせず、ルカのことも話さないまま駅まで送って別れた。胸の奥に突っかかっている何かに苦しみつつも、もう一つしなきゃいけないことが残っていたからだ。


 俺は沙羅子と別れた後、もう一度Aタワーに戻った。そしてCursed Heroesの秘密を知ったんだ。

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