第3話 ルカの説明は全然分からない

 都内の外れにあるただっぴろい国道沿いに、築四十年は経過しているに違いないバイト先の喫茶店はあった。立て看板は茶色いペンキが剥げまくっているが、「AMAKAZE」と辛うじて読むことはできる。


 一か月ほど前、バイト先を探して困っていた俺に親父の知り合いが紹介してくれたお店で、時給もいいし仕事も楽だし、親父の人望にはじめて感謝したくなった。


「こんばんはっ! わああー! ここ凄くオシャレじゃん。アンタ良いところでバイトしてるわね」


 ルカは喫茶店に入るなり、遊園地に乗り込んだ小学生みたいに目を輝かせてキョロキョロしている。面倒くせーと思いつつも、命の恩人みたいだから無下にもできず、とにかく俺はエプロンを着て淡々とマスターに挨拶をした。


「おはようございますマスター」

「お! 圭太君〜。今日は早いじゃないか。それに随分と〜、可愛らしいお客さんを連れて来てくれたようだね〜」

「いえ、俺としては連れて来る気はなかったんですけど、強引についてきちゃって。すいません」

「良いんだよ〜。うちは閑古鳥が鳴いているような店だからね。一人でもお客さんが来てほしいんだ〜」


 俺は急いで洗面所に行って、まず手を消毒しようと思ったんだけど、あまり痛みを感じない。よく見ると捲れていた皮がほとんど元どおりになっていて、きたない痣のような黒ずみも消えていた。

 くっきりと歯型もついていたのに、転んで擦りむいた程度のかすり傷にしか見えない。


 まあいいか。これなら絆創膏くらいで充分だ。洗ってから軽い手当を済ませて戻ると、ルカはガラッガラの店内を物色し終えたらしく、窓際の四人掛けテーブル席に座って、早速と言わんばかりにメニューを広げ出している。


「どうしよっかな〜。まさか店員さんの奢りで食べれるなんてね。あら? ねえねえ、ここメニュー少なくない?」

「……別に少なくねえよ。普通こんくらいだっての」


 実はメニューが少ないことは激しく同意したいところだけど、マスターの手前嘘をついた。白髪混じりの髭を上品に整えたうちのマスターは、怖くない代わりにとても繊細なんだ。


「ふーん。まあいいわ! きのこと厚切りベーコンのクリームスパゲティと、食後にティラミスに決定。っていうか、普通に食べられそうなのがこれしかないのよね。マスター! もうちょいメニュー考えたほうがいいわよ」

「ははは。そうかい。分かりました〜」


 マスターの情けない返事を聞きつつ、俺はなんでこんな奴バイト先に連れてきちまったんだって後悔を膨らませて突っ立っていると、ルカは顔を傾けて珍獣を見るような目を向けてくる。


「アンタ何でぼーっと突っ立ってんのよ。そこ座んなさい」

「いやいや、俺は今バイト中なんだよ。そういう訳にもいかないだろ」

「なーに言ってんのよ。お客さんなんて私以外誰もいないし、きっと今日は来ないわ。座んなさいよ」


 何という無礼な発言を平気でしやがるんだこいつは。やっぱり頭のネジが五、六本は外れているとみて間違いねえな。店長の小さい声が背中から聞こえる。


「たまにはいいよ圭太君〜。せっかくの機会だ。少し座ってお話でもしなよ」

「……は、はあ……」


 力が抜けたように俺はルカの向かいの席に腰掛ける。小悪魔みたいな笑顔が目の前にあって、なんていうか直視しずらい。


「あたしに聞きたいことが山ほどありそうな顔ね。遠慮なく聞いていいわよ。あっ! でもスリーサイズとか聞いたらぶっ飛ばすからね!」

「そんなもん聞かねえよ、興味ねえし。じゃあ……そうだな。まずショッピングモールにいた化け物達は何だったんだ?」

「あれ? アンタって、アイツらを見たことがなかったわけ? ゲームの中に散々出てきてるじゃん」

「ゲームの中では見たさ。でもな……現実にあんな奴が現れるわけがねえだろ。俺は今でも信じられねえし……」


 自然と小声になった。化け物に襲われてゲームに出ていたキャラクターに助けられたなんて話を、マスターが聞いたら病院を進められる予感がしたからだ。


 クスッと、目の前にいる女は小悪魔みたいに笑った。


「信じるも何も……アンタが襲われたのは現実でしょ? もう信じるしかないのよ。Cursed modeはとっくに始まってる」

「Cursed mode……あのイかれたお知らせの奴か! じゃあ何か、俺がさっき襲われたのはゲームのイベントだったっていうのかよ?」

「そうよ。アンタはたまたま襲われただけ……アタシは通知が来たから、アプリ内のレーダーを見ながら現場に来たってわけ」


 そうよって……。信じられないだろ。俺だってそりゃーこのつまんない現実で、UFOとか心霊現象とかを信じたくなったことはある。だけど、流石にゲームのモンスターが現実に現れるなんて話は、小学生だって信じないに決まってる。


「アンタはこのゲームを始めてから、そこまで日が経ってなかったわね。アタシ達は随分前からCursed modeのお知らせは読んでいたの。でも実装するまでが長かったわ。それまではただ普通のゲームだったからね」

「初めて聞くオカルトネタだな。お知らせに書いていたのか? そしてお前は信じたと」

「勿論、あたしも最初は信じられなかったのよ。でもね! ソードナイトをインストールしてからは信じるようになったわ……だって本当になれるんだもの。ゲームの中の人間に」


 インストールっていうのは、要するに変身するってことか。自分の体にデータを入れるなんて発想は俺からしたらもうSFの域すら軽く超えちまってる。


「え? じゃあ何か。変身したっていうのは今回が最初じゃないのかよ」

「初めてじゃないけど、まあ二、三回くらいかなあ。他のプレイヤーももうできるようになっているはずだわ」


 マスターがルカに自慢のスパゲティを運んで来る。俺はなるべく頭がおかしい認定されないように、勤めて苦虫を噛み潰したような顔を続けていた。


「美味しそー! いただきまーす」


 くそ。これ俺の奢りなんだよな。何だってバイト先で奢らされにゃならんのだ。


「アンタはいつインストールするの? 早くアーチャーにならないと」

「は? しないに決まってんだろ。ってか、できるわけない」

「へえー。どうしてそう思うの? やってみなきゃ分からないじゃない。あ、違うね。アンタはできるわ……あたしが保証してあげる」

「んな保証は嬉しくも何ともねえよ。何でわかんだよ? 変身できるってさ」


 特撮ヒーローじゃねえんだ。そうぽんぽん変身する奴がいてたまるか。俺みたいな奴が何かに変身できるとしたら、全国の純粋な少年達はみんなヒーローになってるだろうよ。


 ルカはスパゲティを軽やかに食べながらチラリと俺の右手に目をやって、


「右手……もう傷が治ってきてるでしょ」

「ああ、これか。あの時はパニクっちまったけど、大した怪我じゃなかったみたいだ」

「ううん、そんなことないわ。思いっきり噛みつかれてたじゃない。なのに一時間もしないうちに、もう回復してきている。おかしいと思わない? 普通ならゾンビになるのよ」

「ゾ、ゾン……」


 ゾッとした。確かに映画でもゲームでも、あいつらに噛まれた奴はゾンビになっちまう。じゃあ俺も?

 目前にいる女は怖いくらい穏やかな微笑を浮かべた。まるで俺が考えてることが分かるみたいに。


「大丈夫よ。アンタはゾンビにはならないわ。さっきも言ったとおり、そこは保証してあげる」

「なんでお前に分かるんだ?」

「だって……アンタはもう、呪われてるから」


 フォークでくりくりと回しているスパゲティを見ながら、ルカは今までにないマジトーンでそう言った。


「は? 俺が呪われてる? 何で」

「あはは。アンタはchにのめり込んでるじゃない。それはもうゲームの呪いにかかっているってこと。アンタは憑依される為の土台が出来上がってて、ウイルスとかが入る余地がなくなったの。もうすぐ気がつくはずよ。Cursed Heroesっていうのはね、ゲーム内で強くしたキャラクターを自分に憑依させて、現実の空間で戦うっていう遊びなのよ。Cursed modeに参加して高ポイントを獲得すればランキングにだって入れるわ。とっても豪華な報酬がもらえるのよ」


 目を爛々と輝かせて電波みたいな説明を聞かされている俺は、正直馬鹿馬鹿しくてまともに話したくもなくなっていた。でも、現に化け物に襲われた上に助けられてる。


「ゾンビをゲーム会社が用意しているっていうのか? できるわけねえ! てかあり得ねえよ。報酬っていったって、どうせ大したもんじゃないんだろ。ゲームの中でだけ自慢できるような勲章とかさ、ガチャチケットとか限定キャラとか、そんなんだろ。誰も命を賭けてまで欲しがらない。何回も言うけど信じられねえ」


 ルカはこっちの話など片手間で聞いているとばかりに食事を続ける。フォークの使い方はクラスメイト共とは比較できなほど優雅で不覚にも俺は見入ってしまった。スパゲティを綺麗に食べ終わると上品にフキンで口元を拭いている。


 で、やっと返答が来た。


「警察じゃ相手にならないし、捕まえるなんて無理よ。それにね、Cursed modeの報酬は他のゲームみたいにバーチャルじゃないわ。ちゃんと実際に手に入るものよ。誰もが欲しがるもの……。ねえ、ランキング報酬見てみなよ」


 バーチャルじゃないだって? 全くしょうもないことを言いやがる。俺は怠そうにエプロンからスマホを取り出して、Cursed Heroesを起動させる。お知らせにあった報酬っていう表示をタップすると、おおよそ現代的とは言い難い粗末な黒いウインドウが全体に広がる。


「ランキング一位は……一億」


 俺は相当間抜けな顔になっていたと思う。ルカのニヤケっぷりで分かった。ランキング報酬は一位から三十位までしかなく、三百万人が登録しているという事実からすればまず入れない。


 一位の報酬は一億とイベント限定装備+ゲーム内最高レアリティの装備に神の雫、二位は八千万とゲーム内最高レアリティの装備に黄金の羽、三位は三千万と黄金の羽、四位から先はもう省略しておく。まあゲーム内の装備やよく知らんアイテムは分かるとしても、この一億には驚いた。


 ゲーム内通貨で表現されているのではなく、本当に一億円と書かれている。いやいや、嘘だろ。


「今回のイベントで一位になることができれば、誰でも現金一億円が手に入るのよ! こんな所でバイトしているより遥かに夢があるって思わない?」

「こんな所とか言うな! 現金をゲーム内の報酬にするなんてありえるかよ。嘘に決まってる。多分法律に触れてるんじゃねえの。この会社はネット上で拡散されて逮捕されて潰れるのが落ちだと思うね」


 ルカがスパゲティを食べ終わった頃、今度はマスターが食後のデザートを持ってきた。何やら苦笑いしていてどうにも申し訳ない気持ちになってくる。そんな俺の顔を、ルカは上目遣いでチラチラ見つめてきてちょっとだけドキッとした。こいつは黙ってればきっとモテるだろうな。


「あたしは圭太の言うとおりにはならないと思うなー。そのランキング報酬の注意書きにはね、ランキング内に入れば必ず報酬を送らせていただきます……って書いてあるのよっ! 間違いなくもらえるわよ」


 俺は頭を掻いて真っ暗になった窓の外を見つめ、日本の行く末を案じるような気持ちになった。本気で言ってんのかこいつ。


 必ず報酬を送りますって、そう言って実際は何もなかったりするんだろうよ。このお嬢様高校生は残念ながら、将来はねずみ講とかに引っかかって時間と金と友人を大量に失うことになるかもしれないと思いつつ、別に俺には関係ないと冷静に頭を冷やすことにした。


「そうかい。まあ……頑張りなよ」

「何よ? まるで他人事みたいに言っちゃって。圭太、アンタもこれから参加するのよ!」

「俺が? ちょっと待ってくれよ。確かに俺は化け物に襲われたしお前に助けられた。その突拍子もない話も、絶対に嘘だとは断言できない。現にあり得ないものを見てるからな。だからって……いや、だからこそだよ。俺は戦ったりしない。殺されるなんてごめんだ」


 ルカは少しだけ眉間を釣り上げてムッとした顔になったが、すぐに余裕顔に戻ってティラミスを口に運んでいる。帰ったらしれっとフレンドも切っておこう、とか考えていると、


「ねえ、連絡先も交換しておこうよ! 最悪、アンタに手伝ってもらうだけでもいいわ」

「連絡先? いや……だって」

「嫌なの? もしかしてアンタ彼女でもいるの? 携帯を彼女に逐一チェックされてるとか」

「……いねえよ」

「でしょうね! じゃあ何も気にすることなんてないわ! はい、QRコード出して」

「でしょうねって失礼だろ! こう見えても俺はだな」

「はいはい。早くQRコード出しなさいよ。それともあんたが読み込む?」

「……俺が出す」


 こいつは何でこうも押しが強いんだ? 俺は渋々ルカと連絡先を交換することになり、その後はさっさと店を出て行く後ろ姿を見送った。あーめんどくせ。金は払うし後片付けもするし、全くいいことないな。


 後片付けと皿洗いをしていると、マスターがルンルンで俺の側に寄って来た。


「やったじゃないか圭太くーん! 素敵なガールフレンド登場だよ。これで君の学生生活も充実するぞ〜」

「え? あ……さっきの奴は違うんですよ。そんなんじゃないんです」

「またまた〜。君は嘘が下手だねえ〜」


 嘘じゃねえんだけど、面倒くさいから笑ってごまかした。小学校の頃から女が絡むと茶化されてばかりいる俺は、もうムキになるのも時間の無駄だと分かっている。結局はルカの言う通り客は来なかった。マジで潰れちゃってマスターが大変なことにならないか心配だ。


 で、俺はとぼとぼと家に帰り、おふくろと勉強の話をしながら親父とニュース番組を見て、妹のアニメキャラごっこにつきあい悪役を演じてヘトヘトになった。風呂から上がるともうダウン寸前で、サッカーの試合後みたいに疲れ切ってベッドに倒れこむ。


 ただ、普段とは少しだけ違うことがある。いつもは速攻で睡魔に負けるんだけど、今日は疲れているのに全然寝れやしないんだよ。


「……あの化け物達。本当にヤバかったな、警察に言えば良かったかな……」


 あれは特殊メイクでも何でもなく、きっとマジもんのゾンビで、俺を助けたルカは間違いなくゲームのキャラクターになっていた。あれが現実だったことが未だに信じられない。腐敗しきって野犬より凶暴になったゾンビの顔が、食い殺そうと迫ってくるのを思い出すと背筋に冷たいものが走る。


 怖すぎだろ。俺は暗くなった部屋の中で一人で震えていた。


 そんな時だ。超嫌なタイミングでベッド脇のキャビネットに置いていたスマートフォンがバイブレーションしチカチカと光った。どうやらチャットの通知が来たらしく、時計の針は一時を過ぎている。


「うわ! な、何だよめんどくせーな……鎌田か?」


 俺は愛すべき布団の中から半身を抜け出して、鎌田もしくは沙羅子だったら明日登校した時に返事すればいいやと思って右手でスマホ画面を乱暴に手繰り寄せる。


「……あ? これって、アイツか……」


 送り主は鎌田でも他の友人達でもクラスのグループチャットでもない。あの女だった。


『ねえ、アンタ部活とかやってんの? もし日曜用事がないんだったら、ちょっと付き合ってほしい所があるのよね! 1時に南口駅の改札前に来て! じゃーねー』


 何だろう。この相手を気遣っているように見せて、実は全然配慮のない自己中チャットは。俺はどっと疲れが出てきて、返信する気もなく安眠を約束する布団の中へ帰って行った。恐怖心すらどっかに消えた。


 全てが終わってハッとする。俺は今日本当にとんでもない体験をしちまった。確かに退屈じゃないし、オカルト好きな鎌田あたりからすれば羨ましい経験なのかもしれない。


 でも俺からすれば災難でしかなかった。

 小学校や中学校に通っていた時から思い描いてた妄想はもっと楽しく安全なもので、間違ってもゾンビに追いかけ回されるようなホラー映画さながらの展開じゃない。もうごめんだ、本当に。


  ルカか。俺はアイツに助けられたんだよな。でも、変な奴だからもう関わるのはやめておこうとさっきのチャットで心に決めた。……はずだった。

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