第4話 沙羅子に連れられて

 信じられないような体験っていうのは連チャンするらしい。それは昨日の夜寝る直前に届いた沙羅子のチャットから始まった。ちなみに今日は五月十日金曜日。


 厄介な男女にチャットを返信してからぐうすか眠った俺は、朝になっていつも通り妹とオフクロに強烈な目覚まし攻撃を喰らい、これまたいつもと変わらずHRギリギリに学校に着いた。でもゾンビに襲われた後だと、どんな苦労も幸せに感じるね。


 そういえば今日は席替えがあるんだった。クラスの中に好きな女の子でもいればワクワクドキドキな時間になるんだろうが、残念ながら俺には意中の女子はいない。退屈な作業だよ全く。しかも俺の席は窓際一番後ろで変化なし。


「あれ? まさか圭太の前になっちゃうなんてやだなー。あたし今日の運勢一位だったはずなんだけど」

「うっせえな。俺だってお前の後ろになんてなりたくなかったぜ」


 目の前に机を持ってきたのは男女沙羅子だった。ブーブー言いつつもこっちを向いたままなかなか前を向こうとしない。何か言いたいことでもあんのか。


「昨日のチャット読んだよね? 既読ついてたし」

「あ? ああ、あー……あれか。まあ、読んだ」


 いつも思うんだが既読機能っていらなくね。こうやって返信を催促されたり、無視したでしょ? って沙羅子に言われたことは今回が初めてじゃない。二回返信しただろーが、最後の一回抜けてたくらいで催促するな。めんどくせえ。


「ああ、あー……じゃないよ。ねえ、あたしどうしたらいいのかな?」


 沙羅子はいつになく小声で言った。いつもどんな時でもデカイ声の代名詞として有名なこいつが。


「どうって……あり得ないだろ。チャットだけだろ? 何処で知り合った?」

「ううん……実はもう会ってるの。本人に。外で歩いてたら道を聞かれて、この人見たことあるって思って。なんか話も弾んじゃってさ」

「マジで!? 本当に本人だったのか?」


 沙羅子は小さく頷くと黒板のほうへ体を向き直して、話の続きをしてくることはなかった。昨日目の前にいる快活男女が送ってきたチャット内容はこういうものだった。


『ねえ、この前言ってた相談したいことなんだけど。実はあたし、星宮さんとひょんなことから知り合っちゃって、今度ランチを食べに行くことになったんだよね。誰だか知ってるよね?』


 まさかとは思ったが、一応俺は確認した。


『星宮って、あの朝のニュース番組に出てる男じゃないよな? 誰のことだ?』


 返信は五分もしないうちにきた。面倒だから学校で言ってほしいんだが。


『そう! 本当にあの星宮海馬うおまさんなんだ。会社の社長をやってて、テレビ番組にもいっぱい出てるイケメンエリート』


 沙羅子の奴、もしかして出会い系か何かでサクラにでも引っかかったのかと思った俺は、


『そいつはあの星宮じゃないよ。お前も出会い系とかやるようになったのか? スマホの向こうにいるのは髭の生えたおっさんだって。悪いことは言わねえからブロックしろ』


 次の返信は二分もしないうちに来たが、俺はとうとう睡魔に負けた。


『違うよ。あたしは圭太と違ってそんな如何わしいことやんないから! 本当にあの星宮さんとお話してるの』


 俺だって出会い系なんてしないっつうの。


 星宮魚馬(かなり珍しい読み方をするけど本名らしい)って名前を知らないやつはほとんどいない。若くして上場企業の社長になり、今や朝のニュース番組をはじめテレビに引っ張りだこな奴だ。シブヤのスクリーンにも時折CMで顔が映ってるくらいだから、どんくらい稼いでるのか想像もつかない。


 そんな別世界に住んでいるような奴と沙羅子が知り合って食事をするなんて、普通に考えて信じられる話じゃなかった。


 でも、沙羅子は昔から超がつくほどの真面目かつ正直者だ。通学路で財布が落ちてたのを拾った時、俺と鎌田はお金を取ることを前提に思案したもんだが、沙羅子は一円も抜き取ることを許さず交番に届け出たくらいだ。


 あの星宮と出会ってご飯に行くって……一体どんな確率だろう。まあ細かい話は嫌ってほどチャットで説明してくれるだろうから、今は悩んでも仕方ない。


 6時限目が終わるまで俺は珍しく一生懸命に黒板の字を写し、教壇前の席でいびきをかく鎌田が怒られてまくっている姿を見て笑い、特に何事もなく一日が終わっていった。普段なら一緒に帰るはずの鎌田は親父の手伝いがあるとかですっ飛んでいったし、そうなると一人で下校する流れになるんだが今日は違った。


「圭太! ちょっとアンタに用事があるの。一緒に帰ろうよ」


 すっげー元気な声が前の席から響いてきやがった。沙羅子はサッカー部のマネージャーなのに、今日に限って部活に出ないのはどうも変だな。二人で校舎を歩いていると、最近お決まりの勧誘が始まった。


「ねえ圭太。アンタもいい加減部活とかやったら? 前も言ったけどさ、ウチのサッカー部ならレギュラーになれるよ。勉強しないんだったら部活だけでもやったほうが大学受験の足しになると思うんだけど」

「部活なんてもうやらねえよ。サッカーも元々好きじゃねえし」

「じゃあなんで中学の時はやってたの? いつも教えてくんないよね」


 それは訊かないでほしい質問なんだよ。アニメに影響を受けてたって言いたくないんだ。


「な、何ででもいいだろ! それよりお前マネージャーだろ。今日行かなくていいのかよ?」

「今日はちょっと、アンタに会わせたい人がいるの。もうすぐ来ると思うんだけど」

「会わせたい人? 誰だよ」

「えへへ。秘密だよ」


 沙羅子は普段見せないイタズラっぽい顔で笑った。昔から俺をからかうことに喜びを感じていそうな奴だし、ここは帰ったほうがいいかもしれないと考えていた時、校門近くで一台の車が停まり、こちらに手を振ってくる。


 運転してる奴はキャップを目深にかぶってマスクなんてしてやがる。まさか変質者じゃねえだろうなと思っていると、沙羅子が小走りで車に走って行く。まさかお前ら俺を拉致する気じゃねえだろうな。


「いやー。お待たせして申し訳ありません。今日に限って国道が渋滞していたものでね。こんな服装ですみませんが、初めまして」

「あ。は、はじめ……まして。沙羅子です。あ、あの。こっちが以前チャットで紹介した圭太です」

「? チャット? はじめまして」


 その人はキャップとマスクを外して俺に一礼をしてきた。相手は高校生だっていうのに礼儀正しいし、どっかで見たことのあるような整った顔立ちをしてる。いや、前言撤回だ。この顔は絶対に見たことがある。


「あなたが圭太さんですか。初めまして、星宮です」

「うええ!? ちょ、ちょっと待って。本当にあの星宮さんなんですか!?」

「声が大きいよ圭太!」

「わ、悪い。いやでもさ」


 アタフタしている俺を見て、高そうな外車の運転席に座る星宮さんは笑っている。いきなり芸能人に声をかけられたっていう状況はなかなかレアな経験だ。


「ふふふ。驚かれるのも無理はないですよね。良かったら乗って行きませんか? 約束どおりご馳走しますよ。圭太さんも含めて」

「はい!? お、おお俺も? いいんすか? いやー、なんか本当に悪いっすね!」

「そう言いながら速攻で乗り込んでんじゃんアンタ」


 返答を聞く前に後部座席に座ってしまった。正直に言って、俺はかなり興奮していた。なんだかんだでミーハーな自分を再認識していると、隣に沙羅子が乗ってきて車が動き出した。助手席に座ればいいのに。


 やがて車は俺達が普段電車でチラッとしか見ない国道をひたすら走って行って、トウキョウの中心部にある歓楽街に入り込んでいた。ヤバイ、これは超セレブな疑似体験ができる予感がする。降って湧いたような出来事に俺の胸は高鳴りまくっていた。


 ただ、なんか沙羅子の奴は楽しそうに見えない。俺が隣だからかな。


「ありました。ここですよ、私の行きつけの店なんです」

「す、すげえー。ここってAタワーの近くっすよね。芸能人とか政治家とか普通に食事に来るっていう」


Aタワーっていうのは、四年くらい前にトウキョウのはずれに建てられた日本一高いタワーで、すっげえ大企業が自分たちのシンボルとして建てた物らしい。


「なんていうか、本当に悪いです。私なんて対したことしてないのに」


 私? 普段の俺への口調と全然違うぞこいつ。こういう猫被りな面を見ると幻滅しちゃうんだが、まあ星宮さんにはバレずに済むことを願うばかりだ。


 「あの時は本当に助かったんですよ。大事な講演に遅刻してしまうところでしたから。さあ、こちらへどうぞ」


 天まで届きそうなほどデッカいホテルの中にある高級レストランに、颯爽としたスーツ姿の星宮さんとその他二名が入店した。丸いテーブルも絨毯もシャンデリアも高級としか思えなくて、俺は沙羅子ともどもガチガチに緊張している。


「す、すげえー。俺たち制服で来ちゃって良かったのかな?」

「じゃあ何を着てくんの。さっきから落ち着きないよ圭太」

「ははは。何も気にすることはありません。ここは賑やかなお客さんも沢山いるんですよ。ところで圭太さん」

「……はい」

「沙羅子さんからふとあなたのことを聞きましてね。私としては凄く興味深いことがあって、可能なら一緒に食事でもと思ったのです」

「え? 俺に興味深いことって」


 時の人である超有名人が、全く無名で何にもしてない一自堕落高校生に興味を? 心当たりが無さすぎて不安になってくる。


「Cused Heroesを、あなたはプレイしているんですよね?」


 全く予想してなかった。なんで今、あのゲームの名前が出てくるんだ。


「あ……はい。やってますけど」


 もう少しなんか言えとばかりに沙羅子がジト目で見てくる。こっちは緊張と驚きで語彙力が下がりまくってんだから勘弁してくれ。


「実はね。私もあのゲームが好きで毎日プレイしているんです。出来れば一緒にビジネスできないかなって思うくらいにね」

「ええー! ま、マジですか。星宮さんがchをやっていたなんて」

「意外だったでしょう。私の周りにはプレイしている人が誰一人としていないんです。誰かと心ゆくまで趣味の話に没頭したいと願っていたところに、こちらの沙羅子さんが教えてくれたんですよ、あなたのことを」

「なんていうか、本当に偶然なんだよ。星宮さんがゲームの名前を出した時に、確か圭太がやってたなって思ったから話したの」


 そうだったのか。沙羅子のやつ、たまには嬉しいことするじゃねえかと思いつつ、俺はテーブルにきたサラダやメインディッシュをもくもく食べる。


 最初こそゲームの話だったが、沙羅子が話しだしてからは典型的な世間話と芸能関係の話題にシフトチェンジしていた。正直あんまり興味が湧かないし、もしかして俺が来たのは邪魔だったんじゃないかって不安も感じ始めている。


 あっという間にデザートまで食べ終わって西洋フルコースは終了し、星宮さんはテレビ画面に見せるそのままの笑顔で、


「お二人とも面白い方々ですね。今日は本当に楽しかった。良かったらまたお話する機会をいただけませんか?」

「こちらこそ、とっても楽しかったです。あ、あの。ちょっとトイレに行ってきてもいいですか?」


 沙羅子がちょっと早足でトイレに向かうと、星宮さんは身を乗り出してきた。恐らく、本当に話したいことはここからだったのだろう。


「沙羅子さんがいなくなったからというワケではありませんが、最後に一つ伺ってもよろしいですか?」

「あ、はい! いくらでもどうぞ」

「Cused modeはプレイされていますか?」


 ドキッとして体がバネみたいに揺れた。まあ、ゲームをプレイしているのなら知らないはずはない。あのイカれたイベントを。


「……やってませんよ、俺は。あ、でも巻き込まれたことはあります。凄く怖かったし、これからもやるつもりはないです」

「巻き込まれたことはある? 興味深い回答ですね。私は実際にプレイしたこともなければ、モンスターに遭遇したこともありませんが。現実空間での戦いというのは本当だったんですね。詳しく聞いてみたいものです」

「……はい。本物の化け物みたいです。今でも信じられないんですが。星宮さんは参加しようとお考えなんですか?」


 彼は体を後ろに仰け反らせて、女なら誰でも夢中になりそうな微笑みを浮かべた。大体この人に悪いところなんてあるのかと疑問を持っちまう。


「参加はしません。正直に言いますと度胸がありませんし、報酬が見合っていませんからね。それにあのアプリの恐ろしさに触れてしまうような気がしていて」

「はあ……恐ろしさ……ですか」


 今度は体を少し前傾気味にして、テーブルの上で両手を組んでいる。何をしても絵になるのは凄い。


「ええ、そうです。ただゲームとしてプレイしているうちなら何も問題はありません。ですが、現実にモンスターと殺し合うなんて狂気の沙汰としか思えない。圭太さん、あなたも注意してください。同じ趣味を持っている者として心配です」

「おっしゃるとおりだと思いますよ。あのゲーム本当にヤバイっすよね! 俺もCused modeには参加しないで、普通にプレイしているだけに留めます」

「……それを聞いて安心しました。良かったら後でチャットのフレンドになりませんか? もしCused Heroesのことで困った事態におちいってしまったら、いつでも相談にのります」

「ま、マジっすか。ありがたいっす。あ、あの……」

「? どうしました?」

「凄く図々しいとは思うんですけど、サインとか貰えたりしませんか?」

「ははは。かまいませんよ」


 ちゃっかりと俺は星宮さんからサインを貰うことに成功した。懐に入れていた見もしないノートとほぼ使わない黒ペンがこんな所で役に立つとはな。帰ったらおふくろにでも自慢してやるか。いや、多分信じないな。


 店を出て、俺と沙羅子の最寄り駅までわざわざ送り届けてくれた星宮さんに、俺たちは並んで頭を下げた。


「今日はありがとうございました!」と誠意を込めて沙羅子が言い、

「ご馳走さまでした。超美味しかったです」と俺も続く。

「こちらこそありがとうございました。沙羅子さん、また一緒に遊びに行きましょう」

「は、はい。私なんかで良かったら」


 こいつ猫被りすぎだっつーの。星宮さんはもしかしたら億を超えてるんじゃないかっていう高級車を飛ばして去って行った。


「星宮さん超カッコ良かったね! あたし本当にファンになっちゃったよ」

「ああ、ヤバイくらいイケメンだったよな。お前また会いに行くのか?」


 二人きりになった途端テンションが上がり出す沙羅子。その感じをご飯食べてる時に見せれば良かったと思うが、恥ずかしくてなかなか出せないのも分かる気がする。


 とにかく俺たちは自宅まで歩き始めた。もう外は真っ暗で、この辺りは俺が小さい頃から人通りも少なくて静かだった。多分何年経っても変わることのない光景だろう。


「……うん。また誘ってくれたら、行こっかな」

「なんだよ消極的じゃねえか。もっとガンガン行けよ。テニスの試合みたいにさ」

「テニスとは全然違うもん。あたしは繊細だから自分からはいけないの! それにさ、あたしは未成年じゃん」


 ガサツにしか見えない女の繊細さアピールはこの際スルーして、


「別にいいんじゃね! 二年くらい経てば問題ないはずだぜ、確かだけど」

「もう! そんなに星宮さんを勧めてこないでよ」

「へ? な、なんで?」

「いいから! この話はもうお終いだよ。じゃあね!」

「あ! お、おい!」


 急に沙羅子の奴は俺をおいて走って行った。

 なんだよ、アイツ。

 昔から沙羅子は何を考えているのかさっぱり解らない。


 多分異性が何を考えているのかなんて、一生解る日は来ないんじゃないかと思いを巡らせていると、そういえば沙羅子よりもっと謎だらけの思考回路の持ち主に今度会うことを思い出した。

 俺の毎日は、最近面倒なことばっかりだ。

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