第32話 ゲートブレイカー
廃ビルだらけになってしまった街並みで、身長二メートル近くもある褐色の肌をした男が鬼の形相で走っている。
両手に持った自身とさほど変わらない大きさのハンマーは、当たれば人間の頭蓋骨など一瞬で粉々にしてしまうだろう。だが、怒りに震えるハンマーを向ける標的の正確な位置が掴めない。彼はただ、自分を襲った矢が来た方向へ走っているだけだ。
「待ってよヒドルストン! 真っ直ぐに突っ込んで行くなんて、敵の思う壺じゃないか」
「うるせえな! お前らは黙ってついてくりゃいいんだよ」
影山が三十メートルほど後ろから後を追いかけて止めようとするが、ヒドルストンは足を止めようとはしなかった。そして、彼の右腕を負傷させた矢が、もう一度狼のように飛びかかって来た。
「ちぃ! 舐めんじゃねえよ!」
ヒドルストンはハンマーを盾にして黒い矢から身を守りつつ前進を続ける。一発目と二発目は無傷で切り抜けることができたが、未だ見えない狙撃手は冷静だった。
三度目の矢はヒドルストンの上半身ではなく、足元へ向けて飛んでくる。矢は褐色の肌をした大男の少し手前のアスファルトを粉砕し、一瞬ではあるが脚を止めることになった。
「なんだあ? ミスったみてえだなあ! それに解ってきたぜ。お前はあそこのビル辺りに隠れてやがるな」
目前に見えるビル街の中に、自分を狙っているプレイヤーがいることを確信した時には、少し遅れて放っていた矢が彼の左太腿を貫通していた。
「うっ!? ぎゃああ!」
彼を狙っている何かは、どうやっても防ぐことのできない状況を作り出すことに成功していた。走っていたヒドルストンの直前に矢を放ち、前に進む速度を鈍らせたところで、ハンマーで防御することが困難な下半身を正確に撃ち抜く。
脚を撃ち抜いただけでは終わるはずもなく、もう一本矢が飛んできたと思った時には三本目までが迫っている。
「ぎゃい! やめ、やめろ……やめろぉ!」
ヒドルストンは続いて右脛を射抜かれ、走ることもできずに立ち尽くすばかりになり、完全にただの標的となっていた。辛うじて頭部や急所は守れているものの、矢はじりじりと全身を擦り命を削っていく。
彼は初めて強い恐怖を感じた。自分が他者に与え続けていた暴力を、今度は嫌という程自身に与えられている。だが、まるで生きたマンターゲットと化した男の前にやって来た林王が、壁となり矢を防ぎはじめた。
「へっへへ。ここは任しといてくださいよ。旦那」
「お、おめえ……」
林王は両手に持った自身と同等の大きさの盾を構え、矢を弾き続ける。無数の矢は鋼鉄の盾の前に、避けるように右へ左へ飛び退いて地面に落下していった。
「おいらの盾の前じゃ、この程度の弓なんかどうってことないっすよ! へっへへ」
「ははは! 確かにこれなら問題ねえな。よくもやりやがったな。あのビルまでは百メートルもねえ、このまま前進して殺しに行こうぜ」
ヒドルストンの言葉を聞いてか、三十メートルほど遠くから二人を眺めている影山が、出来る限りの大声を二人に飛ばした。名無しは影山よりも更に後ろから、ビルに隠れるようにして観察している。
「辞めたほうが良さそうだよー! あれを見なよ」
「あん? 何だってんだ?」
ヒドルストンは両脚に走る激痛に顔を歪めながら、矢が飛んでくる方向をよくよく注視すると、彼自身が予想していたビル街の更に遠くからレーザービームが飛んで来ていることに気がついた。
矢は徐々にスピードと本数を増しているようにも感じられ、盾の外へ顔を出すというだけでヒドルストンは恐怖に駆られ、直ぐに林王の背中に体を隠した。
「お、おいおい! あり得ねえよ。一体どんだけ遠くから矢を放ってやがんだよ」
青い顔になっていたのはヒドルストンだけではなかった。影山もまた、的になり続けている二人を見て生気を失った表情になっている。
「……恐らくだけどさ。ルカ達が乗り込んでいった雑居ビルか、その近くにあったビルから矢を放ってる。一キロ以上はある距離なんだよね」
「はあ!? 嘘だろう。一キロも先から矢が飛んでくるなんて不可能だ」
「不可能じゃないよ。忘れたのかい? ゲームの世界じゃ、アーチャーは当たり前のように何キロ離れてる獲物にも矢を当てれる設定だった。現実の常識は通用しない。盾があってもいつまで防げるかは解らないよ」
影山が冷静に話を続けていられたのはここまでだった。林王を狙っていたはずの矢が、今度は影山目掛けて無数のレーザーとなって襲いかかって来たからだ。
「う、うわあっ! く、くそぉ!」
槍を振り回して迎撃する少年もまた、ヒドルストンのようにジワジワと体を傷つけられていく。
「があ! ち、ちくしょうー!」
肩口から血が吹き出して、思わず彼は逃げ出した。
「みんな! ここは分が悪い。退散するぞ」
「へ、へい!」
「お、おいコラ! 待てよ影山ぁ」
必死で逃げる影山を追うようにヒドルストンと林王も走り出したが、間違っても背中を向けて逃げることはできない状況の為、林王は盾を構えて後ろ向きに退散するしかなかった。
たった一人が放っていた矢に怯えて逃げる四人に、街にやって来た時の余裕はなかった。いつの間にかスポーツカーも大破させられており、ビルの物陰に隠れつつ走って離れていくしか選択肢が浮かばない。
「なんだよ……俺達今日ゾンビを数匹轢き殺しただけじゃねえか! ふざけやがって!」
「大丈夫だ! 僕らの戦いはこれからさ。見ていろ……あのアーチャーめ。ただじゃおかないぞ」
「影山。しっかりしておくれよ。アンタはあたし達のリーダーなんだからさ」
何もしないで遠くから眺めているだけだった名無しに、心の奥で影山は苛立ったが、彼は自分を大きく見せたい一心で平然とした顔を作りうなずいた。
四人はこの日、ほとんど成果を挙げられないままに戦場を離れる。ゲームのポイントよりも、焼けるような怒りだけがじわじわと溜まっていった。
「……逃げちまったか」
十階建てのビルの屋上にいた俺は、影山やハンマー男が逃げていく姿をのんびりと見ていた。
ハンマー野郎と影山は、もっと執拗に狙えば殺すこともできたと思う。対象をロックオンすることさえできたなら、矢は必ず対象の距離まで正確に飛んでくれる。
でもあれ以上できなかった。妹とおふくろの仇だと解っていても人殺しを躊躇してしまう。どうしてこう中途半端なんだと自分が嫌になる。
弓を下ろしてビルの屋上をトボトボと歩いて考える。次にするべきことを。俺があれを手に入れるには、どう行動するべきなのかを。
二時間ほど前、ランスロットのUSBに保存されたメモ帳を覗き込んだ俺は、最初毛ほどの関心も抱かずに長い文章をスクロールしていった。だけど、一つのアイテムの説明文に時間が止まるような錯覚を覚えた。驚いたね。目が覚める思いってやつは、きっとこういうことだろうな。
=====
・神々の雫
殺された者を生き返らせることができるアイテム。
一つの存在につき一個消費する。
遺体が無かったり、死んでから何年経っていても復活させられる。
※復活させる際、Cursed Heroesに関わる記憶は消去される。
=====
神々の雫。たしか前回のCursed modeのランキング報酬にあったアイテムで、具体的な順位は忘れたが上位の奴だけが獲得できたレアアイテムだ。これが本当なら俺はきっと取り戻せるはず。
そこからPC画面をなぞる目は自然と皿のようになり、ランスロットのメモ帳を食い入るように調べていった。
一周年記念イベントの開催期間、同時に実装される新機能の詳細、出現することが決まっているモンスター達、ランキング順位と報酬について。
あのキザ男がどうしてそこまでの情報を知ることができたのかは分からないけど、もし本当だとしたら、本当に今日から開催されるとしたら。
丁度そう考えていたタイミングでアプリから通知が届いたんだ。きっかり二〇時。つまりこのメモ帳にあった情報と一致してる。ランキングの順位報酬はこうだった。
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一位 神々の雫二個、イベント限定D5武器、黄金の羽、一周年イベント金賞の称号、現金二十億円
二位 神々の雫、イベント限定D5武器、黄金の羽、一周年イベント銀賞の称号、現金十億円
三位 イベント限定D5武器、黄金の羽、一周年イベント銅賞の称号、現金四億円
四位 イベント限定D4武器、一周年イベント猛者の称号、現金一億円
五位 イベント限定D4武器、一周年イベント猛者の称号、現金7千万円
六位 イベント限定D4武器、一周年イベントトップクラスの称号、現金三千万円
七位 イベント限定D4武器、一周年イベントトップクラスの称号、現金一千万円
八位 一周年イベントトップクラスの称号、現金五百万円
九位 一周年イベントトップクラスの称号、現金百万円
十位 一周年イベントトップクラスの称号、現金五十万円
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イベント限定武器だとか、一周年記念の称号だとか全然興味はない。黄金の羽も俺には必要ないし、現金は欲しいけど一番じゃない。俺にとって必要なのは神々の雫だけだ。
どうしても手に入れたい。妹とおふくろを生き返らせたい。だから今度は自分から戦いの世界に戻ってきた。
俺が歩いているビルと、ほぼ同じ高さにある隣の雑居ビル屋上に誰かがいる。見覚えのある金髪の女騎士は、こっちを見るとまるでビーチリゾートへ遊びに来たみたいに爽やかな笑顔で歩みを進め、
「やっぱりアンタだったのね。超レアモンスターのゲートを壊しちゃったのは」
「ああ、俺だよ。ちょっと前にLvを最大まで上げて、やっと習得したアビリティがアレだったんだ」
「ゲートブレイカー……ね」
ルカは軽くジャンプして向こうのビルから俺の目前に着地する。レーダーにはもうモンスターの反応は一個もない。
めいぷるさんとランスロットは、雑居ビルの下の階を降りているんだろう。俺は女騎士に背を向けて、遥か下の景色を見つめる。ゾンビ達の死体は綺麗に消え去っていた。
「アンタ、すっごいアビリティを覚えたじゃない。多分全てのプレイヤーの中で一人だけよ、ゲートを破壊することができるのはね」
「まあ、コイツがあれば楽にはなりそうだな。モンスターが出てくる前に倒せるしさ」
錆びついた柵に両腕を乗せて下の景色を眺めていた俺は、そろそろ言い出すべきだと思い、ちょっと気まずい気持ちになりながらも背後にいるルカと向き合った。さっきアプリ上でチーム加入申請は出していたけど、ちゃんと言葉で伝えようと思う。
「あのさあ、ルカ。聞いてほしいことがあるんだ!」
ルカは真剣に見つめる俺の瞳に、何か戸惑うような表情になった気がした。
「な……何?」
「俺をお前の…………チームに加入させてくれ! 頼む」
俺はルカに頭を下げた。もうやらないとか何度も言ったのに、今更一緒に戦わせてくれって頼むのも図々しいだろ。でも俺はやるしかないんだ。
「……なんだ。その話だったの」
急に音量を落としたルカの声が気になって俺は頭を上げる。
「え? 何の話だと思ったんだよ?」
「べ、別に! 解っていたわよアンタの言うことなんて。どうしようかなー。……まあいいわ! 今あたし達のチームは猛烈なチーム加入申請をもらいまくって引き手数多なんだけど、特別に承認してあげる!」
ホッとして胸を撫で下ろす俺。ルカの反応には違和感があったが、とにかくチームで戦えそうだ。
「やった! ありがとうな。それからさ、分け前なんだけど」
「いきなり図々しい話を始めるのね! まずはリーダーのあたしを崇めるところから始めなさいよ」
「な!? チームに入るからって、なんでお前を崇めなきゃならんのだ」
「信じる者は救われるわ。ひざまづいて祈りなさい」
「お前は神か」
「やっと解ったのね」
「嘘つけ! お前は悪魔にしか見えねえ」
失敬だわ、と言わんばかりのオーバーリアクションでルカは肩をすくめつつ、
「明日ちゃんと相談しましょ! 分け前の話はみんなで決めていかないとね」
「うん。確かにそうだな! 改めてよろしくな、ルカ」
「ふふ。頼りにしてるわよ、圭太」
ルカは俺を見て、珍しく普通の返しをよこしてきた。こりゃ明日は雪でも降るのかな。帰り道、いつも通りタクシーで俺達四人はそれぞれの居場所に戻って行った。
家に帰った俺は、真っ暗な自分の部屋の中で誓いを立てる。影山の思い通りにはさせない。必ず日常を取り戻してみせる。必ずだ。
最も過酷で恐ろしい一ヶ月が始まろうとしていたが、逃げるつもりなどなく、日を追うごとに戦いにのめり込んでいくことになる。そして、俺はカイと出会い戦うことになったんだ。
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