第17話 最悪の始まり
自信をもって言えるが、五月二十八日は人生史上三本の指に入るほど最悪な日だった。
俺は星宮さんの秘書とやらが運転する車に乗って国道を走っている。見慣れた街はとっくに離れて、多分都心のほうへ向かっているんだと思うんだが、隣で運転している美人のお姉さんはずっと黙ったまま。
なんか居心地悪い。
しかもさっきマスターにバイトを休むと連絡したら、何でなの? 何処に行くの? とか思いっきり問い詰められちまった。どうせ暇なのに何であそこまで慌てるのかね。
沈黙に耐えられなくなった俺は、堪らず秘書さんに話しかけてみる。
「あ、あの〜。すみません」
「……どうなさいました?」
「これから何処に行くんですか? まだ場所を聞いてなかったんですが」
「星宮の別荘です」
え? 星宮さんの別荘に? おいおいおい、一体なんで俺があの人の別荘に行くんだよ。
「目的の場所に行く前に、どうしても見せたいものがあるそうなのです。詳細は私も存じ上げませんが」
「は……はあ……そりゃ凄い」
何が凄いのか自分でも分からんが、俺はこの眼鏡かけたキツめの雰囲気を纏うお姉さんがどうも苦手で上手く喋れない。星宮さんが見つけた何かっていうのも気になるんだけど。
正直ここ最近毎日のようにブッ飛んだことが起こりすぎて、SFの世界の住人みたいな気持ちになってきた。俺が望んでいた非日常とは全然違うヤバイことだらけで、これなら平凡な生活のほうが百倍マシだと思う。
見上げるような高さのビルしかない街をぼうっと眺めているとチャットが届いて、一瞬沙羅子かと思ったら違ったからガッカリした。
『やあ、圭太君。突然連絡をしてしまってすまない。今日は君のバイト先にお邪魔しようかと思ったんだけど、出勤かな?』
この気取った言い回しは文章だけで誰かハッキリ分かる。自らをランスロットなんて名乗る野郎以外にいない。しかもこいつ、ルカとめいぷるさんもいるグループチャットから送って来やがった。個別でいいだろうが。
『俺は今日休みにしたんだ。ちょっと急用ができたからさ。お前こそ何の用だよ。チャットで言えばいいじゃん』
次の返信は本当にすぐだった。多分二分もかかってないと思う。
『ふーん。急用ね。君もなかなか忙しい学生生活を送っているみたいだな。まあ僕も多忙なほうではあるけれど。ちなみにどんな用事かな?』
『お前には関係ねえだろ。知り合いに会いに行かなきゃならないんだ』
コイツはいつも妙にお節介というか、やけに踏み込んで来たがるんだよな。沙羅子みたいに面倒くせえ。
『アンタ! なんでマスターを一人ぼっちにするのよ! 当欠なんてしちゃダメじゃない!』
うわ! 突然ルカが割り込んで来やがった。
『しょうがないんだよ今日は!』
『これから何処に行こうっていうのよ? ちゃんと説明しなさい』
まずいな。こんなミーハー感全開の女に星宮さんのことを話したら、彼に迷惑をかけちまう可能性がある。ここは無視を決め込もう。こっからは未読スルーでいく。
『ねえ!』
『ねえってば! 圭太』
『ちょっと! 本当はチャットに気づいてんでしょ、こらー』
その後はひたすらスタンプを連打してるのが通知画面から解った。マジ面倒くさい奴め。で、さっきまでグループチャットで送信していたランスロットは、今度は個別チャットしてきやがった。何なのこいつら。
『この画像はさっき撮れたものなんだが、どちらも君は見覚えがあるんじゃないかな? それともう一つ』
さっき撮った画像だって? 通知画面でチャットを見ていたから画像は分からないけど、まあ後で見てやるか。
「もうすぐ到着しますよ」
「え? あ、はい!」
お堅い空気をまとったお姉さんが急に話しかけてきて、ビクッとなっちまった俺。ふと窓際を見ると、あからさまな白亜の豪邸って奴が目の前にあって、初めてのハワイ旅行みたいにビックリしちまった。庭もメチャメチャ広くて、敷地面積は俺の近所にあるスポーツジムよりあるに違いない。なんてスケールだ。
「え……えええ! これが、別荘? 別荘でこの大きさなら、普段どんな家に住んでるんですか」
「普段の家もこことほとんど変わりはありませんよ。立地が都心に近くはなりますが」
車がデカイ正門の扉を抜けて、これまた大きな玄関扉の前に停車した。
「こちらへどうぞ」
「あ……ども」
秘書さんに助手席のドアを開いてもらってエスコートされる。まるで大統領にでもなったような気分だ。そういえばスマホの電波が入らなくなってる。都内じゃ珍しいと思うんだけど。
豪邸の中は、海外旅行のテレビ番組で見るような絨毯とかシャンデリアとかが沢山あって、まさにセレブって感じだったから、一庶民である俺は猛烈に緊張してきて、リビングと思われる箇所で待たされることになってもまだドキドキが収まらない。
「もうじき星宮が帰ってくる予定です。私も用事がありますのでこれで失礼します。星宮からの伝言ですが、我が家と思って寛いで待っていてくれ、とのことです」
「な、なんか……悪いですね。本当に」
俺なんか一生稼いでもこんな豪邸を我が家のように思える日は来ないと思う。秘書さんは出て行ったようだ。さっきの外車が百メートルトラックの一番奥くらいにある門へ走っていった。
「寛いでくれって言われても……どうしようかな。そうだ! テレビ」
何はともあれ暇なので、お言葉に甘えてテレビでも見ようかとリモコンを取り、電源スイッチを入れる。
「あれ。入んねえじゃん」
テレビがつかないってどういうことだよ。エアコンや電気はしっかり付いているみたいだけど、金持ちの持っているテレビってのは普通のと違うのか。スマホの電波も繋がらないし、すげえ不便だ。
「うわ……ルカの奴」
仕方なくチャットアプリを見ていたら、ここに到着する前にルカが送信したと思われるチャット件数が二十件を超えていた。確認する気にもなれねえ。ランスロットからの個別チャットは四件だ。こっちから見るか。
星宮さんの車が入ってきたのは、秘書さんがいなくなってから二十分ほど後のことだ。ここから五十メートルくらい離れているだろう駐車場に車を停めたて来たみたいで、つかつかと足音を響かせてドアを開けてきた彼を出迎えると、キャップとサングラスをして明らかに変装をしているような風体だった。
「ど、どうも。お邪魔していました」
「圭太君、遅くなって本当にすみませんね。ちょっとテレビ番組でヤンチャしてしまったんですよ」
「いえいえ、全然大丈夫です。それより用件ってなんですか?」
ヤンチャなことって……一体なにをしたんだろう。星宮さんはキャップとサングラスを外してニッコリ笑うと、食卓と思われる丸いテーブルがある部屋に俺を案内した。さっきとは別室だけど、ここにもテレビがあって壁に立てかけられてる。
「すみません、ちょっとテレビの調子が悪いんですよ。ここは一応都内なのに電波も悪いし、あまり快適とは言えなかったでしょう。そうそう、あなたに是非見せたいものがあったんですが……その前に。沙羅子さんのことで、何か解りましたか?」
俺は四角いテーブルの向かい側に座らせてもらった。解ったことならある。沙羅子は金曜日に一人の女と会っていたこと、女は青いブレザーを来たどこかの学生で、髪型はボブだったってこと。星宮さんは俺にコーラと軽いお菓子を配りながら、うんうんと聞いている。
「それは有益な情報ですね。私の推理は当たったのかもしれない。沙羅子さんはその女にさらわれたのですよ。そして、恐らくはもう……」
恐らくはもう? 何を言いだそうとしているんだ。察したくない気持ちが俺を急かす。やめてくれよ、そんなことを言い出すのは。
「恐らくはもう……って。まさか、沙羅子が殺されたって言いたいんですか?」
星宮さんはしばらく黙って両手を組んでいたが、やがて静かに、
「可能性は高いと思っています。実はね、私の知り合いに刑事がいまして、彼が言うには行方不明者の何名かは前日に……一人の女性と出会っていたことが目撃されています」
「一人の女性……」
「そう。つまりさっき圭太君が言ってくれた女性に近い。年齢は十六〜十八歳。身長は百五十センチ後半、髪はうっすらとした茶髪で肩まではいかない長さ。小動物を思わせる優しげな顔だったと言います。頬は常に桜の花びらのように色づいていて、おっとりとした喋り方が特徴的。土日は白い小さなポーチを持ち歩いていて、」
「……」
「おや? どうしたのですか圭太君。真っ青な顔になっていますが、もしかして、お心当たりのある人物でも身近にいるのですか」
年齢、身長、髪型、顔、喋り方、そして休日に持ち歩いているのは白い小さなポーチ。俺は一人だけ当てはまっている人を知ってる。
「……あの。そんなわけないと思いますが、知人に似ている人がいたんです。沙羅子とも面識はあった。で、でも……違うと思います。あの人がそんなことするわけない」
「殺人犯っていうのは、捕まってみれば意外な人だった……という話はよくあるのではないですかね。推理小説に限らずとも、現実でもままあることです。その人のお名前は?」
「本名は知りません。ネットで知り合ったので」
星宮さんは立ち上がり、隣の部屋にある冷蔵庫まで歩いて行った。赤ワインと何か黒い箱のような物をテーブルに置くと、余裕のある顔で座って足を組んで、
「ネットで知り合った人ですか。現代社会の闇ですね。あなたは彼女のことをどれだけご存知です?」
「……? イラストが趣味とか、お父さんが入院していて大病を患っていることとか」
「それはどこまで本当なのでしょう」
「星宮さんは彼女を知らないから疑うんですよ。実際に会ってみれば解ります。そんなことができる人じゃないって」
星宮さんは赤ワインを右手に持ったままクスリと笑った。
「彼女と何回会いましたか?」
「え……まだ数回程度しか。でもチャットでは沢山やり取りしてるし、」
「ははは!」と彼は急に笑い出した。
「ああ、失礼。チャットのやり取りとか、今はみんなやっていますよね。直接人と話すよりも機会が増えているのかもしれません。私に言わせれば、あんなもので人間が分かると考えているのは愚かでしかない。幾らでも自分を取り繕うことが可能なんですよ」
「それは……そうですが」
星宮さんはワインを一杯口に運ぶと、グラスに残った赤い液体と俺を交互に見つめている。
「案外、彼女はあなたのことも狙っているのかもしれません。ネット上で知り合った人間など、まずもって信頼することが間違いです」
「な!? めいぷるさんが俺を? あり得ないですよそんな!」
「あ……そういうニックネームを名乗っているのですね。可愛らしいお名前ですね。でもあなたに見せている全てに嘘偽りがないと、どうして証明できるんです?」
俺は黙っちまった。そりゃあ嘘がないとは断言できない。
「圭太君。あなたはまだ経験が少なく、騙されやすい方なのだと思います。いいですか、社会っていうのは詰まるところ騙し合いであり奪い合いなんですよ。誰しもが他人の持っている僅かな宝さえ奪いたがる。少しずつ確信を得てきましたよ。拉致した後に何をしているのかまでは解りませんが。まあ恐らく、彼女だけでできる犯行ではないでしょうね。確か他にもお仲間がいたのでしたよね。彼女達が裏で、」
「待って下さい! 彼女がやったっていう証拠なんて何もないでしょう! こんな話は馬鹿げてます」
「私が証拠を掴んだかもしれない……と言ったら? そしてその証拠こそが、今日あなたに見せたいものだと言ったら?」
俺は誰が見ても解るくらい動揺していただろう。自然と息が荒くなっていて、テーブルの下にある両手は忙しく動していた。
「何ですか……証拠って?」
星宮さんは飲みきったワイングラスを置き、両手でオルゴールくらいの黒い箱を開いてみせる。中にあったのは赤い刀身が怪しく煌めくナイフだった。黒い蛇とライオンが睨みつけている不気味な絵がハンドルに描かれている。
あれ、これどっかで見たような。
しかもこのナイフは、よく見ると黒と紫の靄みたいなものが刀身から溢れているようで、超常現象にも慣れはじめた俺でも気味が悪い。これが証拠だって? さっぱり解らない。
「私もね、初めて見たときは全く解らなかった。でもね、このナイフを握った時に全て理解できました。圭太君、君も触ってみるといい。全て納得することができますよ」
彼が何を言ってるのかさっぱりだった。ナイフを握ったら理解できるとか、鎌田みたいなオカルト好きでも首をかしげるだろう。俺だったら尚更だ。
「え? このナイフを触って、一体何が解るっていうんですか?」
「君を騙そうとしている人間の正体です。知りたくはありませんか。騙されたと思って、手に取ってよく見て下さい。驚きますよ」
何から何まで理解不能な事態におちいり、俺は自分が正気ではなくなってきてるんじゃないかと怖くなった。毎日のようにおっかないゲームのイベントに恐れ、今は沙羅子がいなくなってどうしていいのか解らない。
なんでもいい、元の生活に戻りたい。
俺は微かに震える手で、恐る恐る黒いナイフに手を伸ばしていった。あと数センチ、数ミリ指先を伸ばしていたなら、ナイフのハンドルに指が触れていただろう。
だが、ギリギリのところで俺は思いとどまった。星宮さんがここにくる前に知った事実が、ナイフを触ることを止めたんだ。
「……どうしました? 圭太君。全てを知りたくはないんですか? ナイフには沙羅子さんがなぜあなたの知人にさらわれたのか、その核心が秘められているんです。さあ、圭太君」
「星宮さん。俺と沙羅子以外に、うちの高校の生徒と面識がありますか?」
「うん? あるわけないでしょう。私は沙羅子さんと君以外に、あの学校でお話ししたことのある人はいませんよ」
俺はチャットアプリを起動させて、ランスロットとの個別チャットルームを開き、目前で優しく微笑んでいる星宮さんに液晶画面を見せた。彼の顔から優雅な微笑みが消えて、まるで機械のように無表情になっていく。
「これ、星宮さんですよね?」
ランスロットが俺に送ってきた二枚の画像は、いずれも知っている顔だった。サッカー部の主将と部室近くで話している星宮さん。俺のクラスの女子に駅前でにこやかに話しかけている星宮さん。そして最後にランスロットの一言。
『星宮の言うことは信じるな』
主将とクラスの女子は、どちらも最初は何も知らないと俺に伝えてきた。それなのに次の日になったら急に思い出したと言ってとある人の情報を向こうから伝えてくる。最初はただ忘れていたのかと思ったけど、どうも不自然な気がしてた。
ランスロットの奴がなぜ星宮のことを盗撮していたのか。なぜ俺に今日このタイミングで画像を送ってきたのか。大体にしてアイツも怪しいことだらけで信用に値するのか解らないが、今すぐにどちらかを信じなければいけないとしたら、不本意ながらもキザ野郎の方だろうな。
だって、この人は明らかに俺を騙そうとしている。そしてやっと目の前にあるナイフを思い出した。
「二人に何を話していたんですか。さっき俺と沙羅子以外は喋ったことないって言いましたよね。もしかしてあなたは、二人に俺に嘘の情報を流す指示をしたんじゃないですか?」
「私が君に嘘を? 誤解ですよ。そんなことをして私に何のメリットがあるんですか」
「信用させる為……かなって思ってます。それとあなたの持ってきたナイフ、Cursed Heroesに出てきた誘惑のナイフと瓜二つです。手にしたキャラクターに、状態異常を付与するデメリットを持つ武器の一つ。先日ガチャを回していたら出てきましたけど、レアリティが低いから気にも止めてなかったんです。これを何処で手に入れたんです? なぜ俺に握らせようと。あなたは俺を混乱させて、半ば強引な説明で丸め込んでこいつを触らせようとしたんじゃないですか?」
能面のようだった星宮さんの顔に、ゆっくりと微笑が浮かび上がる。それは今までTVで見た優しげな顔だった。
「圭太君。君は親切な友人をお持ちのようだね。でも、正直に言えばこのナイフを握っていたほうが幸せになれたんだよ。真実というものはね、知らなければ良かったと思うことも多い。その一つが、今から君に観せるものだ」
星宮さんは脇の椅子に置いていたノートパソコンを取り出してスイッチを入れ、カタカタと何かを入力したかと思うと、パソコン画面を俺の前に静かに置いた。
やがて一つの動画が再生される。そこには、確かに沙羅子が映っていた。
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