第16話 沙羅子がいない

 今日は久しぶりに雨模様の天気だなと思いつつ、早起きして妹の目覚まし攻撃を封じ込んだ俺は、時間に余裕を持って学校に辿り着いた。優雅な朝だね。


「お前はいつも遅刻ギリギリだからな。普通は歩いてくるもんなんだよ」


 前の席に座ってきた鎌田が挨拶がわりの一言。毎回余計なことばっか言うんだよなこいつ。


「うるせえな。解ってるわそんくらい」


 鎌田はなにか落ち着かない感じで自分の座っている椅子や机をながめると、


「なあ、今日沙羅子はどうした?」

「ん? ああ、そういやあいないな。昨日チャットもなかったし、珍しく体調でも崩したか」

「あのインフルエンザにも風邪にもかかったことがないような奴がか? 今日は雪でも降るんじゃねえの」


 確かに。あいつは今まで風邪すらも引かないほどの健康優良男女だったからな。担任の加藤教論が登壇したところで、仕方なく鎌田は黒板前の席に戻っていく。

 鎌田のことをいつもは目の敵にしているかのようにクドクド注意する加藤だったが、今回は違った。どこか戸惑い気味に挨拶を始める。


「あー。みんな、市川についてだが……。もう聞いている人もいるかもしれないが、金曜の夜から行方が分からなくなっていて、ご両親が警察に捜索願いをしたらしい」


 一瞬加藤の言っていることが分からなかった。普段は淡々とした、悪くいえば退屈なだけのHRがかつてないほどの騒音に包まれ、やっと俺は状況を認識する。


 沙羅子が行方不明? なんかのジョークか?


「先生も心配で仕方ない。とにかく市川の無事を祈るばかりだ。それから」


 加藤の話し声は途中から耳に入らず、俺はぽっかりと空いている前の机をぼんやりと見ていた。そうだ。最近都内で行方不明者が増えてるってニュースで流れていたけど、まさか沙羅子まで?

 嘘だろ。


 HR終了後にいつもどおり歴史の授業が始まって、みんなは頭を切り替えているようだったが、俺っていう奴は本当に不器用だ。先生に見つからないように机の下でチャットを送信していた。沙羅子にだ。


『お前今何処にいんだよ?』


 あれほどいらないと思っていた既読がつくことを、ここまで願った時はなかった。だけど歴史の授業が終わるまでチラチラ見ていたチャット画面は、結局何も変化が起こらない。休み時間になって、鎌田はもう一度沙羅子の椅子に腰掛ける。何を言いたいかは大体解ってた。


「沙羅子のやつ一体どうしちまったんだろうな? 家出なんてあり得ねえだろ。もうあれしかねえな」

「……この町でも頻繁に起きてる行方不明事件のことか」

「そうだ! 圭太。俺達であいつを探そうぜ」と言って鎌田は身を乗り出して来る。

「探そうたって、どうするんだよ」

「聴き込みだよ。アイツのご近所とかサッカー部の連中とかに事情聴取するんだ。そうすりゃ何か解るはずだろ。手がかりはコツコツ足で見つけていくんだぜ」


 探偵ごっこみたいな真似はしたくなかったけど、俺はしぶしぶ頷いた。アイツが両親に何も言わないで三日も家を出ていくなんて、確かにあり得ないことだ。もしかしたらヤバイ事件に巻き込まれてる可能性はあるし、まさか……まさかとは思うが、Cursed Heroesが関係しているかもしれない。


 まだかまだかと時計を脳内で急かし続けていると、やっとのことで6時限終了の鐘が鳴り、俺は鎌田と二人でサッカー部の部室に足を運んだ。中は汚ねえロッカーと汗臭い臭いが充満していて、俺の中学校はここまで酷くなかったとか考えていたところに、主将を務める高校三年のいかつい先輩がやって来た。


「おー。見ない顔してるね。入部希望なん?」


 良かった。物腰は柔らかい感じだから、おっかない先輩ではなさそうだ。鎌田は怖そうな先輩の前では口数が五分の一まで減少するので、自然と俺が話すことになる。


「いえ、入部希望ではないんです。俺と彼は沙羅子の友人なんですけど、三日前から行方が分からないって聞いたんで、何か知らないかなって思いまして。沙羅子の奴、何処かに行くとか言ってませんでしたか?」

「ああ。沙羅子のお友達か。話は勿論俺達も聞いてるよ。でもねえ、正直ここ数日のあいつも普段と全然違いはなかったし、特別どっか行くとも話してなかったよ」


 手掛かりはゼロか。俺と鎌田と主将以外誰もいないサッカー部の空いている部屋を眺めつつ、次は何処に行けばいいかと悩んでいると、主将は何かを思い出したようにハッとした顔になった。


「あ! そうだアイツ。金曜に誰かと遊びに行くとか言ってたな。えーと……」

「え? だ、誰っすか?」


 鎌田が食い入るように話に割り込んだ。主将は部室の低い天井を眺めながらタオルに包まれたスポーツドリンクをストローで飲み干し、小さく溜息を漏らす。


「悪い……思い出せねえわ。でもよー。お前らじゃなかったのか」


 そう言うと主将は少し心配そうな顔をして、のそのそと部室を出て行った。誰かと遊ぶ約束があったと言うが、俺達以外なら次に有力なのはクラスの女子だと思い、まだ人が残っているクラスへと戻ることにした。

 颯爽と女子二人組に語りかける鎌田。


「よう! ちょっといいかい?」

「うわ! 鎌田。あんまり近寄らないでよ、何をする気なの?」


 メチャクチャ嫌われてんな、鎌田の奴。しょうがないから俺が助け舟に入ろう。


「沙羅子のことが心配でさ。俺達何か手掛かりがないか探してるんだよね。金曜日にアイツと遊んでた奴がいるらしいんだけど、知らない?」


 クラスメイトの女子二人組は少し困ったような顔をして首をかしげた。やっぱ何も聞き出せないか。


「何も知らないみたいだな。行こうぜ、鎌田」

「お、おう」


 バツの悪そうな顔をした鎌田を引き連れて、結局のところ何も分からなかった俺達は下校することにした。沙羅子がいないだけで、クラスがすげえ静かになったように感じる。電車の中でもしばらく沈黙が続いていたが、鎌田が口火を切った。


「なあ圭太。今まで何度もしたかもしれない質問だけどさ。真面目な話、お前って神様とか悪魔とか信じる口か?」

「こんな時になんだよ。確かに何度も聞いた質問だな。以前だったら絶対信じねえって言うんだけど。もしかしたらいるかもなって……今は思う」


 ゾンビや吸血鬼やクリーチャーを見ちまった後じゃ、何でも信じられる気がしてくる。鎌田が真面目な顔のまま話を続けてきた。


「ここ最近ずーっと起きてる行方不明事件とかさ……俺、悪魔の仕業なんじゃねって思う時があるんだ」

「悪魔の仕業?」

「多分みんな拉致されちまってるんだと思ってる。あり得ない話だってお前は考えるだろうけど、今こんなに行方不明者が増えてるって状況が異常すぎるだろ。人間じゃここまで証拠もなく拉致したりできねえよ」


 こいつは沙羅子が悪魔にさらわれたって言いたいみたいだけど、まだこの世界はそこまでイカれてないと信じたい。気持ちが落ちつかない、朝からずっとだ。


「拉致なんかじゃないって。きっとたまたま、」と反論しようとしたが、

「たまたまが重なりすぎだろ。沙羅子を入れればもう今月だけで三桁は行方不明になってるんだぜ」


 まあ確かにそうだよな。いつもなら笑い飛ばすような内容の話なんだけど、今回は全然笑えない。悪魔とは言わないまでも、何かに沙羅子が襲われた可能性は充分にあるからだ。


 そんな中、あの超有名人である星宮さんからチャットが来た。どうやら俺と話がしたいらしいんだけど。まあ話は十中八九沙羅子のことだろう。結局沙羅子は星宮さんと二人で食事に行ったのか、そこを確認しようと思っていたところだった。


 自宅の最寄り駅まで来て、鎌田と別れてバスロータリー前の横断歩道を渡ろうとした時、見覚えのある車がクラクションを鳴らして目前に止まる。


 キャップにマスクっていう変装も沙羅子と一緒に会った時と同じだ。


「久しぶりですね、圭太さん」

「星宮さん。お疲れ様っす」

「この先に良いお店があるんですよ。そちらでお話ししませんか」


 星宮さんに連れられて、俺はこの街じゃかなりの高級店にあたる和食屋にやって来た。前回同様めちゃめちゃ豪勢だ。向かいにいる星宮さんは、高そうな黒いジャケットを着てTV番組そのままのスタイルだった。


「ここなら私も素顔でお話できそうです。実は圭太くんに訊きたいことがあったんですよ」

「……沙羅子のことですか?」

「はい。沙羅子さんのことで。実は私は沙羅子さんと土曜日にお会いする約束をしていたんですけどね。彼女は待ち合わせの場所に現れなかった。チャットを送信しても反応がないし、どうしたものかと心配になったのです。圭太君は何かご存知ではないですか?」


 俺は首を横に振って、目の前にあるお刺身を食べながら、


「俺も全然知らないんです。沙羅子は、金曜日の夜から行方知れずだって担任教師が言ってました。友達と一緒に行方を探そうともしたんですけど」

「やはりそうでしたか。嫌な予感がしていたんです。ここ数日都内では行方不明になる者が相次いでいますから。圭太君、警察だけに任せていても見つかる可能性が高いとは言えない。私達も一緒に彼女を探しませんか?」

「え……でも。一緒にって、具体的にどうしたら」


 星宮さんからの意外な提案に、俺はちょっと驚いた。普通警察に任せると思うんだが。彼からしたら、沙羅子は何処にでもいるような高校生に過ぎないのに。ちょっとお節介な人なのか。


「彼女のことをよく知る君と私だからこそ、辿り着ける真実もあるのではないでしょうか。実は探偵を雇おうとも考えていましてね。お互い、何か解ったら情報を共有しませんか」

「は……はあ。解りました」

「ありがとう。では圭太君に、早速ですがお伺いしたい。今日お友達と一緒に行方を探したそうですが、誰かに聞き込みでもしたのですか?」


 星宮さんは目の前にある料理にほとんど手をつけてない。俺の話を食い入るように聞こうとしてる。彼の真剣さが伝わってきた。


「はい。サッカー部の主将とか、クラスの女子とか。そこら辺に訊いてみましたけど、全然解りませんでした」

「ほほう……。彼女の部活先でも皆知らないし、クラスの友人も知らない。本当に突然いなくなったのですね、沙羅子さんは。心配です」

「俺も心配です。何があったのか」

「圭太君からすれば、沙羅子さんがいなくなってしまったのは気が気ではないでしょう。あなたにとって彼女は特別な存在だったのではありませんか?」


 この質問はかなり意外だったので、正直戸惑った。特別あいつを意識したことはないんだが、大事な仲間だってことは確かだったから。


「特別ってわけじゃないかもしれなけど、まあ親友の一人というか……」

「意外な返答ですね。私はてっきり、君が沙羅子さんのことを好きなのかと思っていましたが」

「え!? いや、そんなことはないっすよ! 何でそう思うんです?」


 彼は大きく体を椅子にあずけ、やがて背筋を伸ばした姿勢に戻って俺を見る。ちょっと待ってくれよ、俺と沙羅子はそんな関係じゃないんだ。昔から付き合いたいとかじゃなくて、ただの友人だった。


「彼女はね、私とチャットしている時も、通話をしている時も、一緒に食事をしている時も、どうも壁を作っていたのですよ。でも君のことを話している時は楽しそうだった。私もそれなりに恋愛経験がありますから、話している感覚で分かってしまうんです」

「ちょ、ちょっと待ってください。沙羅子が俺のことを好きだったっていうんですか? それはないですよ」


 いつの間にか、星宮さんの前に並んでいた刺身は全部無くなっていた。彼が食べていることも気にならないくらい俺は動揺していたんだろう。


「私に気がなかったことだけは確かですよ。では圭太君、何か分かったら連絡します。君も些細なことでも構いませんから、情報が入ったら教えてほしい。それでは」

「あ、はい分かりました! ご馳走様でした!」


 星宮さんはお会計を済ませてくれて、先にお店から出て行った。勘弁してくれよ。今度沙羅子と会った時に妙に気まずくなっちまうじゃん。


 会った時……か。もしかしたら、もう会えないかもと考えてしまう自分がいる。何か心の中で、大きな穴が空いてしまったような感覚がずっと残っている。今日何度目になるか分からないが、俺は沙羅子とのチャットルームを確認した。やっぱり既読はついてない。


 次の日、五月の二八日火曜日になっても沙羅子は学校に来なかった。気を紛らわせたいからか、俺は今までになく授業に集中して、足りない脳味噌を勉強でいっぱいにする。あっという間に学校は終わり、もう帰ろうとしていたところへ、昨日の女子二人組のうち一人が机まで歩いてきた。


「圭太君。昨日お話しした後思い出したんだけどさ。沙羅子ね、金曜日に女の子と会うんだって話してたよ」

「……え!? マジで! 女の子?」

「うん、そうなの。後は分かんないけど」


 女の子って誰だ? クラスの女子はそれだけ言うと、すぐに教室から出て行った。鎌田も影山も用事があるみたいなので、一人で校舎を出てトボトボ歩いていると、


「おお! いたいた。昨日部室に来た奴だよな」


 校庭側からジャージを着たデッカい男が歩いてくる。昨日会ったサッカー部の主将で間違いなかった。


「あ! 先輩お疲れっす」

「沙羅子のことなんだが、言い忘れたことがあったんだよ。すまんな」

「……言い忘れたことですか。何でしょう」

「アイツ、金曜日に他の学校の女子生徒に会いに行ったらしい。ちょい前に部員から聞いていたんだ。南口駅で待ち合わせしているのも見たらしいぞ。確か青いブレザー着ていて、髪はこのくらい」


 主将は右手で肩近くを振ってみせた。青いブレザーを着ていて、肩近くまで髪が長い女子。これだけの情報じゃ全然解らん。


「俺達が知っていることと言えばこのくらいだ。役には立たなかったかもしれないが……」

「いえ! ありがとうございます! じゃあ俺失礼します」


 校門を出てから何気なく後ろを向くと、サッカー部主将はまだこっちを見ているようだった。他の学校の女子生徒。そいつが沙羅子と接触して、以降消息を絶ったってわけか。どうなってんだよ、モヤモヤする。


 で、俺はいつもどおりバイト先に行くために取り壊しを待っている廃ショッピングモールを歩いていたんだけど、突然チャット通話を知らせるメロディーが鳴り響いた。スマホの液晶には『星宮』と表示されている。


「もしもし、お疲れ様です」

『圭太君、突然電話をしてすみません。今大丈夫ですか?』

「はい、大丈夫ですけど。何かあったんですか?」

『沙羅子さんのことで分かったことがあるんです。彼女はある女性に誘拐された可能性があります。どうしても君に同行してほしい所があるのですが宜しいですか?』


 突然話が進展してきた気がする。ある女性っていうのは青いブレザーの女だろう。同行してほしい所っていうのが想像できないが。しかも俺はこれからバイトだ。


「構いませんけど、俺この後バイトが……」

『圭太君。事態は一刻を争うと思うんです。今日だけ、どうにかなりませんか?』


 確かに、沙羅子がもし本当に誘拐されているんだとしたら、バイトなんてしている場合でもないな。まあ、どうせマスターの店はガラガラだし、しっかり謝れば当日欠勤も許してくれるだろ。


「解りました。どちらへ向かえばいいですか?」

『ありがとう。感謝しています。私はこれからTVの収録をしなくてはいけないので、代わりの者をよこします。後で合流しましょう。昨日会った駅前のバスロータリー付近で待っていて下さい』


 星宮さん自身は来れないのか。さっぱり状況が解らないけど、ここまで言われると断る気にはなれない。俺は今まで歩いてきた道をUターンして、言われた通りに駅前のバスロータリー近くにいると、星宮さんが使っていた外車が目の前にやって来た。

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