第18話 奴は人間じゃない

 星宮さんの別荘である白亜の豪邸で、俺は戸惑いを隠せずにいた。


 沙羅子とデートする話があったのは知ってる。場所は以前話してたAタワーかどうかは解らないが、高級なレストランの窓際席であることは、夜景から見える景色で予想できた。問題はそのデートの現場を、まるで盗撮しているように見えるこの動画自体だ。


「何ですかこれ? もしかして、沙羅子に内緒で隠し撮りをしていたんですか?」

「隠し撮り……うーん。どうかなあ。まあそうなるのかもしれない。でも今はもう、そんなことどうでもいいんじゃないですか。瑣末な問題ですよ。さあ、この動画の続きをみて下さい」


 ちっとも瑣末な問題じゃない。星宮さんのやっていることは犯罪じゃないか。この人は一体何を考えてるんだ。


 とにかく俺は動画を観た。沙羅子が元気そうに動画の方向へ(星宮さんに向かって)話を続けているのが分かる。ドレッシーなワンピーススタイルか……あいつにしては着飾ったもんだ。とにかく俺は二人の会話を聞いてみることにした。


「あの……ここ凄くお値段が高いところですよね。何から何まですみません!」

「いえいえ、沙羅子さん。気にすることなど何もありません。実はここは私の経営している店の一つなのです。だから身内の家に遊びに来ている感覚なんです。あなたも同じように寛いでくれて構いませんよ」


 どうやら客は沙羅子と星宮さんしかいないらしい。奇妙なくらいガラガラに見える。


「い、いえいえー! 素晴らしすぎて寛ぐとか無理ですっ」

「ははは。あなたはいつも遠慮がちといいますか、謙虚というか……私の知っている人の中でも特殊だと常々感じています」

「え。あたしが……ですか?」


 沙羅子はキョトンとした顔でステーキを口に運ぶ。どんな時でも食い意地張ってるのは変わらないな。


「はい。人っていうのはね。とかく力を持っている存在に弱い。権力や暴力を持っている人に尻尾を降り、自身よりも劣っている人間にはどこまでも強く出る。卑しいんですよ、とても。でもあなたは全く例外だ。権力に興味を持たず暴力を嫌い、自分自身のステータスなど省みない。だから私にも惹かれていない」

「は……はあ。あたしが思うには、人ってそこまで悪くないような気がするんですが。あたし自身は何処にでもいる普通の人間で。星宮さんに惹かれていないなんてことは、ないですよ」

「いいえ。あなたは私には惹かれていないでしょう。でもここまで沢山の配慮をされたなら、冷たくするなんてとても出来ないという考えがあるんです。分かっていますよ沙羅子さん。あなた、私を誰にも知られない形で利用しようとした」


 楽しそうに話していた二人の空気が変わったのはここからだった。俺は動画を観ながら、チラチラと星宮さんを見る。何でこんな盗撮をしていたんだ?


「……え? 利用なんてそんな。どうしてあたしが星宮さんを利用するんですか?」

「私が察するに、あなたは前々から好きな異性はいたんですよ。でも、彼はどうしても自分に振り向いてくれない。自分のことを正面から見ようとしてくれない。そんな彼の気を引きたかった。だからこうやって食事にも乗っている。彼はそうしたら焦るかもしれない。今までとは違う目で自分を見てくれるのかもしれない。でも彼は未だに傍観者のままで、いつまでも自分の気持ちに気づいてくれないから焦っている。違いますか?」


  沙羅子はまるでトマトみたいに顔が真っ赤になっていた。


「な、なな何を言い出すんですか! 前々から好きな異性なんていません」

「素直じゃありませんね。不器用なあなたに教えたいものが一つだけあるんですよ。とびっきりの魔法です」

「……とびっきりの魔法?」


 星宮さんは奥に立っていた店員を呼んだらしい。事前に頼んでいたんだろう。店員はワインボトルを持って現れ、慣れた手つきでグラスに赤い液体を注ぎ始める。充分な量を注ぎ終えると店員は音もなく去って行った。どうも嫌な予感がしてくる。


「沙羅子さん。このワインはね、フランスから取り寄せた六〇万を超える高級な赤ワインです。どうです? 一杯だけ飲んでてみては」

「え? ちょっと星宮さん。私高校生ですし……お酒なんて飲めません」

「ははは。沙羅子さん、今は私とあなたしかここにいませんよ。この一杯をほんの少し飲んだからいって、私がそれを誰かに漏らすはずもないし、そもそも責任は私にあるんです。あなたは無理強いされたという理由ができる」

「違いますよ。飲みたくないんです! あ、あの……そろそろ遅くなりそうですし、あたしこの辺で、」


 星宮さんは、多分笑っていたんだと思う。沙羅子の目が落ち着きなく正面を見ていた。


「沙羅子さん……やっちゃいけないことって、どうして楽しいんでしょうね? ここまで話してハッキリ解りました。あなたが彼に振り向いてもらえない理由が」

「な、何を言ってるんですか! さっきから……。私に好きな人なんていません。本当にもう、」

「じゃあこうしましょう。そのワインをうっすらと一口でも口に運んだなら、私はどうしてあなたの気持ちが届かないのか、順序立てて説明してあげます。私のプライドをかけてね。もし私の言うことに間違いがあるとしたら、それはもう平謝りしますよ。無礼を詫びましょう」

「……わ、解りました。そこまで言うのなら」


 何度も無理強いされて、沙羅子は恐る恐るワイングラスに手を伸ばして、微かに一口だけ飲んだ。きっと苦かったんだろう。不味いって気持ちがバレないように、必死に隠している感じがした。星宮さんの笑い声が聞こえる。


「おやおや、ほんの一口じゃありませんか。やっぱりあなたは、まだまだ垢抜けないガキだ」


 この言葉には沙羅子もかなり戸惑ったらしい。今までの星宮さんからは決して想像できない失礼な単語だった。


「な!? 何ですか。突然」

「失礼。勘に触ったなら謝りますよ。ところでその赤ワイン、どんな味がしましたか?」

「どんなって……よく解りません。初めて飲んだし」

「実はね、お話ししていなかったのですが……。それ、睡眠薬入ってます」


 急に星宮さんの声がヒソヒソ声に変わった。間違いなく睡眠薬って言ってたんだ。


「……へ? ……あ」


 沙羅子はまるで糸が切れた人形みたいに前屈みで崩れ落ちた。この人はマジで何をやってるんだ? 信じられない行為というか、そのまま店員が沙羅子の両肩を掴んで持ち上げたところで動画が止まる。


 動画が終わると同時に俺は立ち上がった。これはドッキリか? 違う。これは本当に犯罪行為だ。目前で足を組んでニヤニヤ笑っている男の顔を見れば分かる。


「あ、あんた……沙羅子に何をしたんだよ!?」

「ふふふ。さあーてね。何をしたんだろうねえ私は。おっと圭太君! 突然だが、テレビがつくようになったみたいだ」


 まるで猿芝居だった。星宮さんはテレビのリモコンでスイッチを入れると、普段はバラエティ番組をやっているはずのチャンネルでニュース番組が放送されている。テロップには赤々とした文字で『謎の大量殺人』『大物芸能人のまさかの凶行』『生放送で殺人劇』なんて文字が踊ってやがる。


 星宮さんは次々とチャンネルと変えていく。どこもかしこも話題は同じで、テレビ局内で大物芸能人やニュースキャスター、放送スタッフが残らず惨殺されたっていうニュースで溢れかえっていた。


 嘘だろ。今まで何度もお茶の間で見ていた芸能人達も、なんか偉そうでムカつくんだよなーって思ってたテレビ番組の司会も、どいつもこいつも一人残らずミンチにされちまったらしい。

 俺は混乱する頭を必死で働かせていたが、考えなんて纏まるはずがなかった。


 でも確かなことが一つだけある。殺人犯は、俺の目の前にいる。


「な、なんだよこれは……無差別殺人って。テレビ局でみんな殺されたって! 星宮さん……あんた一体!?」

「せっかく最高の番組にしてやったのにさ、報道になったらほとんどカットしてやがんの。論理がどうとか、面倒臭いことばっかりなんだよねテレビってやつは。いいや、違うな……人間ってヤツはさ」

「あんたも人間じゃないか……」


 我ながら変なツッコミだったけど、気が変になりそうな頭ではこれが精一杯。星宮さんは今まで見たこともないような不気味な顔で微笑んだ。何であんな残酷なことを平気でできるんだ? 気でも狂ったっていうのか。


「ははは。やめてくれよ圭太君、一緒にしないでくれ。人間って奴はとにかく汚い。本性をさらけ出して他者を傷つけるか、巧妙に隠して支配するかのどちらかだ。そんな奴らなんて、ミンチにしたほうがいいと思わないかな?」

「お、思いませんよ。アンタ狂ってんじゃないのか!? 沙羅子は何処ですか? 答えてください!」


 星宮さんはゆっくりと右手を肩の高さまで上げると、人差し指だけを下に向けた。


「何ですかそれ? まさかアンタ……沙羅子を」


 次の一言を聞いた時、俺は目の前にいる男をさん付けで呼ぶことをやめた。


「正直に言おう。私はね、あの沙羅子とかいう女などどうでも良かった。彼女を通じて君という人間を調べたかっただけなんだよ。我々にとって、君という存在が力をつけていくことは本当に危険な話だったのさ。だから根掘り葉掘り調べ抜いてやろうと思ったのに、あのクソガキは肝心なことは何も知らない役立たずだった。全く無意味な時間だったよ。だからさ……もうこの場で君を刺し殺すという方針に変える」


 沙羅子に近づいていたのは、俺を調べたかったから。どうしてそこまでする必要があるんだ。まるで理解に苦しむ言葉の数々だったが、どうしても見過ごせない一言。刺し殺す……この場で。俺は震える体を揺らしながら後ずさった。


「はあ? さっきから何言ってんだよアンタ! 俺が強くなったら何で不味いってことに、」

「もうくだらないお話はやめにしましょう。圭太君、君はつくづく…………ブッ殺す!」


 突然鬼のような形相で叫び声をあげた星宮は両手でテーブルを叩きつつ立ち上がり、箱に入っていたナイフを持ってこちらへ走ってくる。本物の殺気にビビった俺は思わず背中を向けて走り出した。


「う、うわああー! や、やめろおお」


 五〇メートル走ばりに全力疾走する俺は、背後を見る余裕もなくただ正面玄関のドアをブチ開けた。アーチャーに変身する暇なんて全然ない。このままだと殺されちまうって思いつつ正門まで走ろうとすると、既に天の助けとも思える人達が豪邸を囲んでいたんだ。


 豪邸を丸々囲むようにいた集団は機動隊だった。


「君! 大丈夫か」

「は、はい! アイツこっちに来てます」


 俺は機動隊の一人である若いお兄さんに両肩を掴まれて軽く揺すられている。良かった。俺は殺されずに済んだってことだろう。


 俺を追いかけて玄関のドアを開けた星宮が、舌打ちをしてダラリと両手を下げて立ち止まる。


「あん? あー……はいはい警察様か。随分と早かったではないですか。もう少し時間がかかると予想していたんですが」

「星宮魚馬。ここは完全に包囲されている! 大人しく武器を捨てて投降しろ!」


 機動隊の一人がドスの効いた声で星宮に言った。奴は機動隊の背後に隠れた俺を見つけだしてニヤつき、


「すみませんね圭太君。直ぐに終わるからそこで待ってて下さい」

「はあ? 何言ってんだよ! アンタはもう刑務所行きだ! 終わりなんだよ」


 思いきり言ってやったけど、奴には全く響いてない様子だった。


「さあ圭太君。君に2度目の地獄をお見せしようじゃありませんか」


 星宮の体から黒紫の奇妙な煙が湧き上がってくる。ジャケットを着たイケメンの目は大きく開かれて真っ赤に充血し、マジで人間離れした風貌になってきやがった。ゲームのプレイヤーでこんな奴いたか? いや、俺の知る限りこんな化け物めいたプレイヤーなんて一人もいない。


 つまりこいつは、Cursed Heroesのプレイヤーじゃないんだ。星宮が右手を空にかざすと、いつの間にか黒い棒状の物体が現れて、次第に日本刀みたいな形になってクルクル回り始める。


「な、何だあれは! 星宮! 何をしている?」と機動隊の人が狼狽えた声で言う。

「言ったって解らないでしょう? 安心なさい……身体で解らせてやるからよ!」


 星宮が右手をこちらに向けて振った。扇風機の羽よりも激しく回るそれは、奴の指示に従うように機動隊の人達に向けて猛獣みたいに突っ込んできた。


「ぎゃあああー!」


 みんなが悲鳴をあげていた。ヘルメットや盾が野菜よりも簡単に切断されていて、大量の血や肉片のシャワーが降り注がれている。


 日本刀みたいな奇妙な刀は回転を止めずに、時計回りに機動隊の人達に襲いかかり続ける。まるで星宮の意思で動かしているようなそれは、満遍なく首という首を切断していく、間違いなく故意に狙っている。


 難聴になりそうなほどの絶叫が消えて静寂に包まれた時、気がつけば俺と星宮だけになっていた。辺りは百人に届くかもしれない死体の山で、震える足はもう立っているのがやっとだったんだ。


 剣は回転をやめてゆっくりと飛行し、星宮の右手に吸い込まれるように収まった。


「はははは! 美しい、実に美しいじゃないですか。こんなにも醜い心を持ったやつらのくせに、散る時だけは妙に美しいんだよなあ。ああ……お待たせしました圭太君。では君も美しくなりましょう」

「あ、あんたは悪魔だ……」

「ほほう……。よく解りましたね。その通り、私はこの世界にやってきた悪魔ですよ」


 比喩じゃない。こいつは人間じゃなくて本当に悪魔だったんだ。俺が正門のほうまで逃げようとした時、まるで行く手を遮るように回転する剣が正面に現れてしまう。奴がまた剣を飛ばしたのか。


 背後には星宮がいる以上俺は右か左に逃げるしかないが、左には死体の山があるわけで逃げ道としてはよろしくないから、結局のところ右に逃げるしかなかった。


「ち、ちくしょうー!」


 俺は右方向へ全力疾走すると、目前に大きなガレージみたいな所がすぐそこにあった。背後からは星宮が操る剣が迫っているから、もうここに逃げ込むしか道はない。


「そうそう! そっちに逃げて下さい圭太君。君には特別に私のコレクションを見せてあげますから」


 くそ! 思惑どおりだって言うのか。それでも迫ってくる星宮の凶刃から逃れようと、俺はガレージの中へ入って行った。

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