第54話 偽りは続かない
お馴染みの部室に着いた俺は扉を開ける。
「あ」
「早いな」
「う、うん」
俺より先に部室にいた神崎と目が合って軽いやり取りを交わした。
その神崎はどこか落ち着かない様子で前髪をいじっている。別にいつも通り可愛いと思うよ。
「姫島は?」
途端に神崎の前髪を弄んでいた指先は止まり、少し不機嫌そうな面持ちに変わる。
「……まだ来てない」
「あ、そう」
「彼女がいなきゃ不都合なんだ」
「いや、別にそういう訳じゃない。ていうかそういう悪ノリやめろよ……」
そう言いつつ隣の席に腰掛けた。
今の彼女という言葉が、sheではなくgirlfriendを指していることはこいつの性格を知っている俺からすれば簡単にわかった。ニホンゴムズカシイ。
「……いつまでなの? 偽彼氏」
「一ヶ月って言ってたから、もうすぐなんじゃないか?」
「何そのあっち任せの答え。篠宮らしくない」
「あくまでもあっちの提案だからな。そう聞かれたら、受けた側の俺はこう答えるしかない」
「じゃあ聞き方を変える……」
神崎は俺の肩に頭を預ける体勢になった。久しぶりの触覚と匂いの威力は相変わらずだ。
でも神崎の纏う雰囲気が緊張を抑制した。
「篠宮はどう思ってるの?」
「どう……って範囲の広い曖昧な質問だな」
「偽彼氏を続けたいって、本気で思ってるの?」
まるで俺の逃げ道を無くすように、神崎は言葉を付け足した。
そしてなお再び神崎が口を開く。
「そろそろ帰って来ないと、色々めんどくさいことになるよ」
「例えば?」
「一年口聞かない」
「……そこはせめて一週間とかじゃない?」
最初から単位が年って……。そうなると話せるようになるの受験生の時だぞ。判定がどうこうみたいのが久方ぶりの会話とか生々しいにも程がある。
「最初の頃から増加してたからね」
「なるほどな。それなら納得だ」
「ちょっとさっきから──」
「俺としては、もうこれ以上続ける気はない。いや、なくなった」
問いかけてきたのは神埼の方だというのに、いざ俺が答えを口にするとその綺麗な目を丸めた。時折挟まる瞬きはつぶらな瞳を強調する。
「……あんなにお礼お礼って息巻いてたのに。そんなあっさり行くもんなんだ」
「もうめんどくさいじゃねえか。この答えを望んでたはずだろ」
「訳もなくいきなり考えを変えるなんて篠宮にはありえない事だから」
預けていた頭を上げて正面から俺を見つめる神崎。話の続きを、詳細を促しているのは明らかだ。
「まあ、色々あってな」
しかし俺はそれに応じない。これには姫島自身の事情が深く関わっている。玉枝から聞いて決めたこととはいえ、当人より先に進んで話す気にはなれなかった。こう見えて個人情報保護には定評があるのが俺だ。と言っても元々広めようがないだけなのだが。
「……何それ。結局二人だけの秘密ってことですかそうですか」
神崎は不機嫌そうに頬を僅かに膨らませて、顔を俺から逸らしてしまう。
俺に出来ることと言えばこれくらいだ。
「終わったらちゃんと全部話す」
見るからに指通りが良さそうな、丁寧に手入れがされているであろう栗毛の頭をぽんぽんと手で叩いた。
客観視すれば恥ずかしさで死にそうだが、二人きりプラス神崎が顔を逸らしている今なら何とか耐えられる。
「……そういうとこ」
「ん?」
「ちょっとずるいと思う」
その呟きが聞こえたのと、神崎がこちらを振り返ったのはほぼ同時で。距離はと言えばかつて一度あった出来事と同じくらいになっていき──。
「……何してるんですか?」
「……バランスを崩してな。いやはや、最近の椅子は扱いが難しい」
ドアに近づいてくる足音が耳に入ったことで、縮まった距離は元に……いや、それよりも長くなった。ていうか超痛え腰。
神崎は不満げな顔をする前に体起こすのを手伝ってくれてもいいんじゃないかな。
「……じゃあ私はこれで」
「もう帰るんですか?」
「予定がある……みたいだから」
神崎はこちらに目配せした後カバンを持って部室を後にした。
……詳細何も言ってないのになんでわかるんだよ。相変わらず鋭いな。
でも、その察しの良さが有難い。
神崎がいなくなった部室には当然俺と姫島の二人しかいない。とはいえこの状況もそう珍しいことではない。神崎が入部してくるまではずっとこの光景であったのだから。
「じゃあ久しぶりに二人で部活しますか」
「いや、俺たちも帰ろう」
「え、でも……」
「寄りたいところがある。付き合ってくれるか?」
「……一応彼女ですからね。わかりました」
置いたばかりのカバンを持ち上げ、姫島が席から立ち上がった。
今日で全部終わりにする。偽彼氏も、姫島の周りに対する偽りの姿も。
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