第51話 誰がための独白side姫島かぐや

家に着いた私は堅苦しい制服から動きやすい服に着替え、ベッドに寝転んだ。


「先輩の彼女……えへへ」


表情筋がこれでもかと緩むのを感じながら、枕を抱え込む。

一ヶ月と期間は限られているものの、その肩書きは心を満たしてくれるのだ。


「……それにしても、やっぱり神崎先輩あの人は油断ならないなー。まさかこっちの内部事情をズバッと当てて来るなんて。まるでホームズじゃない」


枕に顔を埋め、愚痴をこぼしていく。

実際あの時はかなり焦った。

クラスはおろか学年も違う私たちグループ内における不可視の確執。

誰がその事実を見破られると構えるのか。

そのせいで警戒心が剥き出しになって、余計なこと口走っちゃったし。幸いにも先輩達はなんとも思ってないっぽいけど。


「……」


ベッドから静かに起き上がり、机に向かう。とは言っても勉強をする訳では無い。

足元に置いたカバンには目もくれず、三つある机の引き出しの中で一番上のものを開ける。

まず目に入るのが筆記用具。今は使用していない鉛筆、文字通り身を削って勉強に貢献してくれた小さな消しゴムなどが所狭しと置かれている。


しかし私の手はそれらの上を素通りし、その奥──光を知らない暗がりに突っ込んだ。

そこから引きずり出されたのは、赤いカバーに身を包んだ生徒手帳。

これは高校に入ってから配布されたものではなく、中学生時代のものだ。

その証拠に──。


忌々しく思いながらも、裏面の小窓から覗く学生証に目を移す。

それに貼られている、まるでパズルのピースのように小さな正方形の額縁の中にいるのは見るからに暗くて、陰気臭くて、交友関係などなさそうな地味な女子生徒。

──そして私が初めて先輩と会った姿だ。



購入した焼きそばを提げ休憩室と書かれた部屋に入室する。

食堂など盛り上がりを見せるところから少し外れた所に位置しているためか、お昼時にも関わらず室内には誰もいない。


「……まあ、そっちの方が有難いけど」


長方形の机の隅の席に腰を下ろし、背もたれに体を預ける。

今日半日の疲れが徐々にではあるが、出ていくのを感じた。

今日は志望校の文化祭に訪れているのだが、初日ということもあり人が多く、人混みが大の苦手な私は校内を歩き回るだけでも億劫だった。

しかし収穫がなかった訳では無い。


見知った顔を見かけることがなかった。

ここは私の住む地域の隣町のため、特段驚くことでもないのかもしれないが、私にとっては最重要事項だ。

……これであいつらとはおさらば出来る。


突然扉が開く。不意にそちらに意識が向いてしまったことで、入室者と目が合った。


「……えっ」


数秒の沈黙の後、その入室者は顔を驚きに染めながら廊下に顔を覗かせた。

彼は制服に身を包んでいるため、十中八九この高校の生徒──先輩に当たる人だろう。

その手にはお弁当らしきものが握られている。


「……休憩室になるとか聞いてないんですけど」


面倒くさそうにため息をつくと、私とは反対側の隅の席に落ち着いた。

容姿のレベルなんかは異性はおろか、同性とも関わりがない私にはわからない。

でも一つだけ、確実にわかることがある。


今のため息はきっと私に向けられたものだ。

席替えで隣になった男子や体育の授業で私と組むことになった女子がしていたものと同じ。

……焼きそば、家で食べよう。


知り合いが居ないことに確かな喜びを感じていた私の心は再び深く沈んでいく。

中学校を離れてしまえば、こういうことがなくなると思っていたがどうやらどこへ行っても変わらぬ宿命らしい。

こんなの望んでないのに……。


「──本好きなのか?」


「え……?」


「いや、わざわざこんな辺境の場所を利用するぐらいだからそんな理由があるのかと思って……」


辺境って……。確かにその証拠に人は私たちだけだけども。


「それが理由ってわけではないんですけど、本は好きです」


浮かせていた腰を再び下ろし、そう答えた。

普段の私であれば、そそくさと退室していたはずだが、彼のぶっきらぼうな話し方が不思議とそうさせなかった。


「……そうか。ジャンルは? 俺はミステリーが好きなんだけど──」


彼が話を切り出した時、私の中で何かが外れた。


「わ、私もです! あの作り込まれたストーリーに混じり込んだ伏線! それが徐々に回収されて謎が解けていく爽快感! そして──す、すみません……」


理性を取り戻し、おしゃべりな口を閉じる。

俯いていても、遠くの向かい側からの視線を感じる。

……やってしまった。

顔は熱く、そして後悔がどっと押し寄せてくる。


先程話した通り、私は読書が好きだ。休み時間はほとんど、席を立つことなく本を読んでいる。

その中でもミステリーものは格別で、即座に物語にのめり込んでしまうのだが……。

それが災いし、本──それもミステリー関連の話をする際に暴走をしてしまう。

言い換えれば熱中しているということにもなるが、それが読書をしない人に理解されるはずもなく、気持ち悪がられたり、ウザがられたりして、気づけば周りと距離が空いていた。

……この人もきっと引いてるだろうな。


「──あと自分の推理の裏をかかれた時のやられたって感じもいいよな」


「え、は、はい……」


予想とは大きく逸れた彼の反応に顔をあげる。

初めてだ。真摯に私の話を受け止めて、返事を返してくれた人は。

顎に手を添えて、何かを考えている様子の彼の横顔に目が吸い寄せられる。

すると突然何かを思い出したのか、彼がこちらに向き直る。


「……え、えーっとごめんな。突然話しかけちゃって」


「……! い、いえ! こちらこそ一方的に話しちゃってごめんなさい……!」


首が取れるのではないかと思うぐらいの速度で頭を下げる。

あ、危なかったー。……目、合ってないよね?


「いつもはこんなことしないんだが、つい聞きたくなったんだ。……本、ほんとに好きなんだな」


「……はい」


何度目かわからないやり取り。激しくなった動悸のせいか、短い言葉しか返せない。


「入学したらぜひ文芸部に入ってくれ。部員が減ってきてて来年は俺一人なんだ」


困ったように彼──先輩は笑う。

今のは気を使ってくれた冗談、ただ場を和ませようとしてくれただけなのかもしれない。

それでも単純な私にとってそれはトドメ以外の何ものでもなかった。


「ま、前向きに検討させていただきます……!」



「それでイメチェンまでしちゃうとか、私ほんと単純過ぎ……」


枕元に生徒手帳を置き、例の写真とは対照的な自分の髪をいじる。

私は世間で言うところのいわゆる高校デビューというものなのだろう。

髪を染め、眼鏡をコンタクトに変え、性格を変え、そして周りとの接し方を変えた。

あんな地味な姿では駄目だったのだ。

だから私があの時先輩と会った女子生徒であることをカミングアウトするつもりはない。

全ては先輩に振り向いて貰うため。

そのはずだった。


私を取り巻く環境の変化。

それは日が経っていくにつれ、孤独への恐怖を駆り立てていく。

当時はそれほど辛くなかった中学校時代の出来事も、今では忌避する対象だ。


だから先輩に偽の恋人になって貰い、立場を守った。

そう。私は先輩を利用したのだ。

それも大事にしていた気持ちではなく、エゴを優先して。


「……ごめんなさい」


この謝罪は誰に向けたものなのか、私にもわからない。

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