第20話 最終日は君と 後編

服というのはその人のファッションセンスを始め、表だっては見えない内面的なものまで表現する。

気になる人に見てもらいたい、周りの人に変に思われたくない、そういった奥底にある感情がそのまま服装に現れる──それこそがファッションなのだ。

……と母さんが語っていたのを思い出す。


俺はファッションについて、詳しくわからないことがほとんどだが、それだけは知識として残っている。

確かに現代は自分の主張や、他の人との違いを明確化するためなどにファッションは大きく貢献しているだろう。


しかし、服もまた人間と同じで万能ではない。

……つまり何が言いたいのかというと、服を着た際に必ず、似合う、似合わないの評価がついてしまうのだ。


しかしそれは決して欠点ではない。

だからこそ、試着という概念が服屋には必ず付属し続ける。

自分には似合わない服を切り捨て、似合う服を勝ち取るために。


──それ故に、全てが似合ってしまうということは、ある種罪であると言える。


「ちょっと。さっきからずっと似合ってるの一点張りなんだけど」


試着室から明らかに怒りを抱えながら、神崎がこちらに接近してくる。

その姿は最初に着ていた白のワンピースではなく、白のブラウスに桜色のスカートと大人しめのコーデに身を包んでいる。


「しょうがないだろ……事実なんだから」


イタリアンレストランを出た俺達は、神崎の要望で近くの服屋を訪れていた。

耳には先程から、意識高い系が聞いていそうな曲が流れ込んできている。


「……そ、そうだとしても、それじゃいつまで経っても決められないよ!」


「……と言われてもな……プロの方ですらお手上げしちゃうんだから、どうしようもないだろ」


ちらりと横目でレジに居る店員さんを見やる。

先程まで、試着をしたいと言った神崎のことを俺の隣で笑顔を浮かべ、一緒に待っていてくれたのだが、三着目辺りからその表情は険しくなり俺にバトンタッチもとい押し付けてきた。

……でもやっぱり素人に任せちゃダメでしょ。


「……べ、別に店員さんはどうでもいいのに。……ただ篠宮が私に着て欲しいのを選んでくれればそれで……」


俯き気な神崎からゆっくりと言葉が紡がれていく。


「……俺が着せたいもの?」


俺の問いかけに神崎の首が控えめに上下に動く。


「そう言われてもな……なんでも似合うから、特に──あっ」


うーんと時折唸りながら悩んでいると、突然頭に一筋の光のように、あるものが浮かぶ。


「持ってくるからちょっと待っててくれ。あと白のワンピースに着替えるの忘れずに」


「え、ちょっと……どういうこと?」


戸惑いが含んだ神崎の言葉に背を向けつつ、必死にそれが並んでいるであろう場所を目指す。

確か入店してちょっとで見た記憶があるから……入口に向かえば見つかると思うんだけど……。

曖昧な記憶の海を必死に探りながら、店内を駆けた。



目当てのものを後ろ手に持ち、神崎の前で僅かに乱れた呼吸を整える。

……ここに来て運動不足が祟るなんて。

これが文化部の宿命か。

注文に対応するために、縦横無尽に飛び回ることが多かったため、あのバイトで運動不足の解消が出来ていると勝手に思い込んでいたのだが、どうやら勘違いだったらしい。


「大丈夫?」


「……ああ、全然平気」


「……なんで元の服装に戻すの?もしかして羽織ものとか?」


俺の言いつけ通り、白のワンピースをもう一度身につけた神崎はそれが気になって仕方がないようで、首を傾げている。

言葉の代わりにゆったりとした左右の動きで、推測を否定すると右手を前に出す。


「これ、麦わら帽子……?」


「そう。神崎はこの時期には売ってないって言ってたけど、ここには売ってた」


手元のそれを神崎に引き渡す。

静かに縁を掴まれたそれは、やや形を変えながら神崎の手の中に収まる。


「正直さっきも言った通り、白のワンピースといえばみたいな感じで安直だけど、着けて欲しい」


「これで……こんなので、いいの?」


「いいんだよ。それともあれか?神崎はもっと過激なのを──」


「な、ち、違うから!…………はい、これでいいんでしょ?」


少し乱雑ながらも、その栗色の頭に麦わら帽子が乗る。

想像通り白のワンピースに麦わら帽子は似合っているが、それらに神崎琴音というモデル並みの素材が加わることで言葉では表せない世界が目の前に生まれる。


「……そ、想像以上だな、これは……」


「ちょっと大袈裟じゃない?」


時が止まったように自分のことを眺めてくる俺が余程おかしかったのか、その反応にクスリと笑いが起こる。


「まあ、でも篠宮が選んでくれたし、これ買うね」


「待て待て」


麦わら帽子を片手で取り外すと、レジに向かいつつあった神崎の足がピタリと止まる。

振り向いた顔は一瞬気の抜けたような顔をしていたが、気のせいだろう。

とりあえず、向けられる抗議の視線に応えることにした。


「──俺が買う」


「えっ……さすがにそれは悪いよ。選んでくれたんだから、私が買う」


手が浮かべた麦わら帽子に向かって伸びてくるが、身長差というのは俺を味方してくれるらしい。

神崎の手はそれにかすることさえ叶わない。

だんだん顔を赤らめながらも、ムキになってなお無謀に挑む神崎が微笑ましく目に映る。


「ちょっと!それはずるいでしょ!」


「体格差は一種の武器だろ。そういうことだから」


スタスタと神崎を置いてレジを目指す。

少し罪悪感があるが心を鬼にしてそれを跳ね除ける。

俺が選んだのだから買うのも俺がするべきだ。

じゃないと格好がつか──。


「──痛い痛い!首絞まるんだけど!?」


肩に掛けていたウエストポーチが形相を変えたように、俺の首に襲いかかって来た。

犯人は、一人しかいない。


「体格差が武器になるなら、カバンだって武器になるから!」


「武器というか、兵器だよね、今の。痛てぇ……」


首を抑えながら後ろを振り返る。


「思った以上に強くなっちゃって……それはごめん。でもそれとこれは別!私に買わせて」


懲りずに何度目かわからない主張を聞かされる。

差し伸ばされた手のひらは揺れることなく、俺たちの間に佇んでいる。


「なんでそんなに……お金のことなら心配要らないんだぞ?バイト始めたし」


まだ給料を貰ってはいないが、いずれ貰うことを考えると財布には余裕がある。

懐が暖かいっていいな……。

人生で初めて、銀行に行くのが楽しみになってきた!


「うん、まあ、そっちの心配もあったにはあったんだけど……」


聞こえてくる言葉は歯切れが悪い上、だんだん小さくなっていく。


「……どういうこと?」


「……買って貰っちゃったら、いざって時に離れられなくなりそうだから」


視線を落としながらも発せられた声は、真剣さを感じさせるもので、それが余計に気がかりになる。


「えっ、だからそれってどういう……ってあ」


「──へへーん、スキありだよ!じゃ、私が買ってくるから!入口で待っててー」


いつの間にか帽子が意識の外に飛ばされていて、それに気づいた神崎は俺の手から奪い取るとレジに向かう。

途中でわざとらしく麦わら帽子をヒラヒラさせたりと、その足取りは軽やかで追いつける気がしない。

横目で会計を眺めながら、俺は渋々と言われた通りに入口を目指した。



服屋を出た俺達は、それから本屋にクレープの屋台と普段は一緒に回れないような場所を訪れた。

そして最後に訪れたのは駅と少し距離がある広場。

ふと目を向けた柱時計は、午後六時を指そうとしていた。

夜と言っても差し支えないこの時間には、昼間はしゃぎ回っていた子供たちの姿は当然ない。


「すっごい楽しかったね!クレープも美味しかったし」


「でも俺には甘すぎたな……。胸焼けするかと思った」


フルーツと絡み合うクリームの暴力的なまでの甘さが思い返される。

俺が甘いものを苦手としていることもあるが、それを踏まえたとしても、少しきついものだった。

……何がインスタ映えだよ。

もはやクリームだけだろ。


「ふふ、じゃあ次も行こうね」


「……じゃあっておかしくないか?」


「そういうのは気にしないでいいの」


麦わら帽子が作る影の中で、笑顔を浮かべる神崎は綺麗でまるで街灯がスポットライトのようにすら感じられる。


「じゃあ、また明日ね!今度は学校だけど。……今更だけど、ちゃんと勉強してたのー?」


「それは夜の電話で確認してたじゃないか……」


「嘘の可能性もあるでしょ。──まあ、ご褒美のためってことでちゃんとやってたと思うけど」


帽子の縁があがり、こちらを大きな目が下から覗いている。

口は笑みの形を作り、まるで自分には全部わかっていると言わんばかりな表情だ。

……実際合ってるから何も言えないし。


「勉強嫌いの篠宮がそんなに一生懸命になるなんて、どんなお願いなのかなー?」


俺をからかうように、弄ぶように様子を反応を伺い待っている。


「……別に大したことじゃない。それまでは秘密だけどな」


それに対して視線を合わせることはせず、淡白に──淡白に聞こえるように言葉を並べた。


「秘密か……うん、わかった。じゃあその時までは何も聞かないであげる。もしかしたら、私がそれをずっと知らないで学校生活を送ることもあるかもしれないからね」


「……それは安心しろ。最悪神崎の順位が落ちる可能性もあるからな」


「言うじゃん。……じゃあ条件は私に勝つに変更していいの?」


「いや、それは勘弁……」


結局最後まで弄ばれた。

広場はセミの鳴き声もなく、静寂に包まれている。


「じゃあ、バイバイ」


こちらに半身で振り返りながら、体の前で手を控えめに動かす神崎。

夜になると近くの駅を利用する生徒が増えるという判断で、別々に帰ることにしたのだ。


「──っ!神崎、こっち!」


「えっ──」


視線の先に突如、見覚えのある男が見えた。

確か同じクラスの…………誰か。

この広場には高低差があるため、見上げる形で彼の様子を伺うが、特にこの広場に用があった訳ではなく、ただ通り過ぎただけだった。

思わず安堵のため息をつく。


「……突然抱きしめられる気持ち、考えた方がいいと思うよ」


苦言を呈するような声に視線を落とす。

そこには俺の胸に顔を押し付けるような形で、神崎が居た。

……神崎が……居た。


「ご、ごめん!ちょっとテンパったというか、なんというか……とりあえず退く──」


「ううん。……しばらくこのままで」


背中の辺りで細腕が組まれたのを感じた。

神崎の表情は見えない。

せっかく買った麦わら帽子も突然の出来事にはついていけなかったらしく、地面に落ちている。


「……えーっと、さっきのは学校のやつにバレると思って、つい焦って神崎のことを引き留めようとして──」


「……腕掴まれて腕の中。面白い冗談だね」


「いや、冗談のつもりはないんだけど……」


再び沈黙。

心無しかさっきよりも強い力が背中を襲っている。


「……まだ?」


「まだ。最初のハグだから……もうちょっと。……それともこれがご褒美の内容だった?」


「……それはないけど」


未だ俺の胸に顔を押し付け表情を見せない神崎の言葉に、そして事実に恥ずかしさを感じて空に視線を移す。

今日は新月のはずなのに、どこか見守られているような気がした。

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