第21話 何もいつもと変わらなくて

ゴールデンウィークも終わり、またいつもの日常に戻った世間。

きっと駅前はパリッとしたスーツに身を包んだ会社員で溢れているだろう。

そして、その大半の人が表情死んでそうなのも予想出来てしまうから、休み明けはタチが悪い。


そんな中、篠宮家も当然いつも通りの朝を過ごしていた。


「──お兄ちゃん、大丈夫?」


「……なんだよ、藪から棒に」


俺を心配しているのか、様子を伺うような声が目の前の美玖の口から発せられた。

半熟加減が抜群なスクランブルエッグを頬張りながら、上目と共に反応する。


「顔色悪いけど、寝不足?」


「……いや」


「──クマできてるけど」


「っ──」


美玖の指摘に、思わず目元を両手で隠そうとする。

しかしそれこそが罠。

美玖の口がニヤリと笑みを作る。


「一日の寝不足で、さすがにクマなんて付かないよ。──でも、その慌てようじゃ夜あんまり眠れなかったのは本当っぽいね」


「……勘弁してくれ」


美玖はふふんと一つ笑うと、手元のカップに口をつける。

まさか美玖──実の妹に誘導尋問されるとは思っていなかった。

絶対神崎の影響受けてる。

染まりきる前に何とかしなきゃ!


「それで?なんで寝不足なの?」


「……勉強してたんだよ」


「へー、珍しいね。滅多に勉強しないのに」


「……まあな」


視線を大皿に向けつつ、素っ気なく応える。

確かに勉強はしていたが、それは寝れなくて仕方なく行ったこと。

実は寝不足になった根本的な原因は、話したものとは違うのだ。


──ただ単に神崎との別れ際にしたハグの余韻に浸っていた。

それこそが寝不足の真なる理由なのだ。

顔が迫ったことは何度もあるが、その時よりもはっきりといい匂いがしたし、細身で華奢ながらも女の子らしい柔らかさがあったし……。

そんな初めての感覚、感触を忘れられるはずがなかった。

……まあ、その代わり今にでも寝れそうなんだよね。

閉じかけていた瞼を必死に大きく開けて、ブラックのコーヒーを流し込む。


「私も今日はお昼からずっと勉強かなー」


「……お昼から?」


続けてため息が聞こえてきそうな呟きに、首を傾げる。

それを見た美玖は、何かを思い出した様子で口を開いた。


「そういえばお兄ちゃんには言ってなかったね。今日県の学力検査みたいなので、学校が午前中だけなの」


「あーそういえばそんなのあったな。てことは午後は家で過ごせるのか……いいなー」


単純に羨ましい。

俺も午後家でゴロゴロしたい。

なんなら一日中ゴロゴロしたい。


「いいなーって言っても、どうせ勉強だからな……素直に喜べないんだよね。とりあえず、早くご飯食べて学校行くよ!」


自分の分の朝食をダイニングに片した美玖は、ハキハキとした声で俺を鼓舞するように呼びかけた。

その声は怠惰な欲望や眠気を余すことなく吹き飛ばした。



クラスメイト全員が各々の机に腰を下ろす中、俺は息を荒らげながら、教室に滑り込んだ。

最後の春の陽気というものなのか、今日は随分と日当たりがよく、日陰を歩かない限りずっと日向ぼっこをしているような気分だった。


それらを堪能しようと、自然と歩調は落ち着き、ゆっくりゆったりと歩いて登校してしまったため、朝のホームルーム五分前という遅刻ギリギリの時間に教室に着いたのだ。


それでもやはり一番後ろの列というのは偉大で、注目を浴びずに済んでいる。

もう絶対離れないからな。

机に抱きつくようにいつも通りの突っ伏す体勢を作る。


「休み足りないんだけどー」


「それなー。もうテストまで三日しかないし、超だるいわ」


耳に聞きなれた無駄に大きな声が届く。

言うまでもなく、その正体は彼ら──トップカーストのもので、席に着きながら近くの奴と会話をしてホームルームまでの時間を潰している。

だが慣れというのは恐ろしいもので、それに不快を感じることはない。

内容ちょっと共感出来ちゃうし。

……セミの上位互換みたいなものってことで。


しかしどこか妙だ。

いつも聞こえてくる喧騒には、神崎の凛とした声や笑い声が含まれている。

それは中心メンバーなのだから、当然なのだが……。


今日の、今のそれにはそんな声は含まれていない。

神崎の席は彼ら彼女らの一つ前。

それ故座ったままでも会話に参加出来るし、実際いつも参加していた。

間延びした声だけで構成されるその会話に違和感を感じ、腕の隙間から神崎の席を見やる。


目に入ったのは背もたれに頼ることなく、ピンと伸びた背筋。

それはいつも通りの景色──この席から眺めなれたものだ。

自然と頬が緩んでいく。


よく見ると手にはシャーペンが握られていて、腕は小刻みに動いている。

恐らくテスト勉強だからと断りを入れているのだろう。


そう納得した俺は視線を机に戻す。

吹き飛んだと思われた眠気は、登校の疲れに取り憑くようにまた現れ、俺を飲み込んでいった。

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