第23話 真実との邂逅

「ど、どうしたの!?」


保健室に逃げ込むように入ってきた俺と背負われた神崎を見て、顔を驚きで染めながら保健室の先生が立ち上がる。


「発熱です。まだ下がりそうな様子がないので、早退手続きお願いします」


「わ、わかったわ。親御さんに連絡してくるから、ベッドで寝させてあげて!」


返事をする間もなく、先生が保健室を後にする。

この状況で理解が早いのはとてもありがたい事だった。

それにしてもさすが神崎。

保健の先生にすら、顔と名前を覚えられている。


どうやら二つあるベッドはどちらも空いているらしく、周囲のカーテンは開けられたままだ。

その手前側の方に、割れ物を扱うように神崎を寝かせる。


「……疲れた」


枕元にある小さな丸椅子に腰掛け、ため息を一つ。

神崎を運ぶこと自体は苦でもなんでもなかった。

実際羽のように軽かったし。

しかしそんな俺たちを見る、周りの目やヒソヒソと聞こえる言葉の数々。

それらに必死に気づかぬ振りを押し通すのが、精神的にキツかった。

……もう絶対食堂行きたくない。


少しだけ乱れた寝息が鼓膜を揺らす。

苦しそうな寝顔を覗き込むように見つめる。

そういえば神崎の寝顔をこうして見るのは初めてだ。

……出来れば安らかに眠っている時のが見たかったけど。


サイドテーブルに置かれていた冷えピタを手に取り、白いおでこに貼り付ける。


「……ん……冷た」


「あっ悪い、起こしちゃったな」


神崎は開いたばかりの目で軽く周りを見回すと、状況が理解出来たのか寝たままため息をついた。


「やっぱり倒れちゃったか……」


「やっぱりって……予想出来てたのかよ」


「なんとなくね。ストレス溜まってるなーってのはわかってたから」


ストレスが溜まったことにより、熱が出るというのは珍しくない。

むしろ最近の社会と照らし合わせたら、ほとんどの発熱がストレスからと考えることも出来る。

……まじで流行語にしようぜ、ストレス社会。


「一体なにでそんな溜まったんだよ」


「……勉強だよ、勉強。一位のプレッシャーは凄いんだから」


こんな状況にも関わらず、何故か得意気な神崎に笑みがこぼれる。

……どうやら心配のし過ぎだったようだ。


「程々にしろよ。テスト自体が受けられなかったら本末転倒だからな」


「うん……。それで、ここにはどうやって運んでくれたの?」


苦しそうな寝顔はもうそこにはなく、その代わりに俺をからかうように口で笑みを作っている、見慣れた顔が表れている。


「引きずって来た」


「お姫様抱っこはさすがに恥ずかしがると思うから、おんぶでしょ」


「……わかるなら聞くな」


「じゃあつまらない嘘つかないの」


嗜めるような言葉に、視線を逸らしドアの方を見やる。

するとタイミングバッチリでそれがバンっと開いた。


「起きたのね……具合はどう?」


「少し体が重いだけです。他に異常はありません」


上半身だけを起こした神崎はハキハキと答えた。

先生はその様子に対してほっと息をついたのも束の間、深刻な表情を浮かべ始める。


「お家に電話かけたんだけど、繋がらなかったの。さすがに保護者がいないと、早退は……」


「うちの両親共働きなので。別に早退の件は全然大丈夫です。別にそこまで辛くはないので、この後も授業受けます」


そう言うと足元にかかっている掛け布団をどかして、立ち上がろうとする。

その動きを片手で制して、先生と向き合う。


「うちの妹が家にいるので、そっちに連絡してください。こういう形での代理人は大丈夫ですよね?」


「え、ええ。それなら問題ない……と思うわ。君、クラスと名前は?」


「こいつと同じ二年C組の篠宮誠司です」


「篠宮くんね。一応ここで待ってて」


そう確認するが早く、先生は再び保健室のドアから出ていく。

若いからってよく動くな……。

ごめんなさい、忙しくさせて。


「……別にいいって、言った」


「無理して欲しくないだけだ。ほら、先生が戻るまで寝てろ」


拗ねた様子の神崎に、無理矢理掛け布団をかけて上半身を寝かせる。

神崎はこれからしばらく、布団を頭まで被った状態だった。



ホームルーム終了のチャイムが耳を打つ。

あの後、神崎は昼休み中に息を切らしてやって来た美玖に連れられ早退した。

……流石の琴音さん愛。

利用して申し訳ないと思ってる。いや、ほんとに。


とりあえず、俺の家に神崎はいるはずだ。

帰宅兼お見舞いのため手早く荷物をまとめ、昼休みと大差ない喧騒の中、腰を上げる。


すると糸がちぎれたように、プツリと教室を賑わせていた会話が止まる。

あろう事かクラスメイト全員の視線がこちらに向いている。

……椅子をガタガタ鳴らしすぎたかな?

ここはスルーが堅いな。

昼休みに食堂を通った時と同様に、周りに対して知らんぷりを決め込みスタスタと早足で後ろのドアに向かう。


「──ねえ、あんた琴音と付き合ってるの?」


明らかに俺に向けられた言葉に、足を止める。

きっとそれが愚かだった。


「……俺が神崎さんと?そんなのフィクションでもありえないだろ」


振り返りつつ、感情の全てを抑え込む。

吐き捨てるように発した言葉は、静かな教室に響いた。


しかし俺を呼び止めた金髪の女子生徒──確かこの前、神崎に数学を教えて貰っていたやつの表情は崩れない。


「へー、でも昼休み見たよ?琴音を背負って運んでる所。多分、私以外も見たと思うけど」


そう言うと金髪はわざとらしく周囲に視線をばらまく。

それに呼応するように、ざわざわと先程のものとは違った騒ぎが起こる。

落ち着け。

これはまだ想定内だ。


「それは倒れてるところを偶然見かけたからだ。周りに誰もいなかったし、放っておくことなんて出来なかった」


このクラスに、俺の性格を知っているやつなど神崎しかいない。

そうなれば、今の発言も嘘だと切り捨てることは出来ない。

正義感が強いってだけで補填出来てしまうのだから。

……危ない。念の為午後の授業の時、頭の中でリハーサルしておいて良かった。


「確かにそれは褒められた行為だね。──でも今現在、琴音を助けるってこと自体が黒になるけど、それはわかってる?」


突き放すような冷ややかな言葉に目。

今しがた俺を満たしていた安堵の感情も凍りつき、緊張が走る。


「……どういうことだよ、それ」


動揺を塞ぎ込み、睨み返すように尋ねた。

すると金髪はポケットからスマホを取り出すと、画面をこちらに向けてくる。

見えないので仕方なく、距離を詰める。


「……っ!なんだよ、これ……」


「もしかして知らなかったの?じゃあ黒とは言い切れない……か。グレーってことにしてあげる。……これからは琴音に近づかない方がいいってわかったでしょ?」


俺の反応を見た彼女は、こちらを面白がるような笑みを浮かべている。

野次馬のように動きを見せなかった他のクラスメイトも呆れたように、期待はずれだと言わんばかりに次々と教室を後にしていき、やがていつも通り俺一人になる。


結果的に、神崎との関係は有耶無耶になりこの状況は乗り越えることが出来たのだろう。

だがそんなことはどうでも良かった。

突きつけられた思いがけない真実に、頭の中が真っ白になり機能しない。

結果、そのまましばらくその場に立ち尽くしていた。

誰もいない、沈黙に満たされた教室はいつもと違い息苦しく感じた。



いつの間にか教室を出ていた俺は、覚束無い足取りで帰省本能に従い続ける。

そんな中、軽快な足音がどんどん近づいてくる。


「──あ!先……輩……」


「……姫島か」


目だけを動かして反応する。

随分急いで来たのだろう、息がだいぶ乱れている。

そして、それを整えるように一度深呼吸をしてこちらに距離を詰めてくる。


「な、何かあったんですか……?」


カバンを抱きしめる腕の力を強めながら、こちらを心配そうな表情が覗く。


「……別になんでもない。シフトの件はもう少し後にしてくれ。無理ならクビにしてもらって構わないから」


視線を床に固定し、なるべく顔を、目を合わせないように気をつけながら、姫島の横を通り過ぎる。

吐き出した声は、自分でもびっくりするほど感情を感じられなかった。


「──待ってください」


言葉と共に突然腕が引っ張られ思わず足を止める。

控えめに振り返ると姫島の手が、俺の制服の袖にシワを作っているのが確認出来た。


「……シフトの件は了解しました。でも先輩自身のことは別です。──私の相談の席は、いつでも空いてますから」


何かを訴えるような目は俺の顔をとらえていて、強い意志を感じさせる。

それでも腕に力を入れ、それから逃げるように下駄箱に続く階段に向かう。

呟きは未だ耳の中で残り、反響していた。

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