第8話 バターチキンカレー
卓上に並ぶ夕飯を眺めながら、静かにいつもの席に腰を下ろす。
「違和感の正体はこれか……」
「違和感って?」
「いや、なんでもない」
食卓に座る俺の目の前にあるのは、当然の如くカレー。
……カレーなのだが、俺の知ってるものとは色が違う。
美玖がいつも作る、慣れ親しんだ茶色のものではなく、どちらかというとオレンジ色に近いもの。
それによく見れば具材の数もだいぶ違う。
……まあ、そこは人参が無くなったから別にいいや。
「──これはバターチキンカレー。インドではよく食べられてるカレーだよ」
俺の内心を察してか、向かいに座る神崎が説明をしてくれた。
ウキペディアまでとは行かないものの、簡潔でわかりやすいそれは耳によく馴染む。
……なんで俺ちょっとソムリエみたいなの?
「へー……」
バターチキンカレー……か。
確かに名前の通りバターの香りが強く出ている。
そして器の中心に鎮座するように、大きな鶏肉が具材としてルーと共によそわれている。
それは見慣れないものだとしても、香りや見た目から食欲を刺激してくる所からやはりカレーなのだと思わされる。
……さっきは異物混入みたいに言って申し訳ないです。
「美玖、お前こんなのも作れたのか」
「違うよ。今日は私が手伝いに回ったの。琴音さんがお兄ちゃんにあっと──」
「はいはーい。喋ってないで早く食べよ!」
神崎が慌てた様子で隣に座る美玖の口を塞ぐ。
もごもごと抵抗をする美玖に、顔を近づけ圧をかけている神崎。
目の前で繰り広げられる光景を無視して例のカレーを口に運ぶ。
「……美味いな」
自分でも驚く程にスっと感想が口から出た。
それからまた一口、二口と芳しい香気を掻き分けながら食事を進める。
想像以上にお腹が空いていたのか、気づけば器が空になっていた。
そして美玖も神崎も、いつの間にかイチャつくのをやめていて、こちらをじっと眺めている。
「えーっと、お代わりいる?」
「……欲しいです」
「……承りました」
魅力的な提案に思わず首を縦に振る。
そんな俺を前に神崎はにこりと微笑むと、空になった器を掴んで鼻歌交じりにキッチンへと持っていく。
……随分とご機嫌だな。
「──まあ、そうなるよね……」
スキップでも始めそうな神崎を尻目に、美玖は机に肘をついて意味深に呟いた。
同じ遺伝子を持っているとは信じられないほど綺麗な顔には、なんとも言えない表情が浮かんでいる。
「……どういうことだ? あと、肘つかない」
美玖は渋々といった様子で両手を膝の上に置いた。
何も反論して来なかったことを見るに、やっぱり素直だなと思ってしまう。
……俺とは大違い。
「耳貸して」
テーブルの中央に顔を寄せた美玖に合わせ、内緒話の要領で言われるがまま耳を近づけた。
「ちょ、ちょっと!近い……」
「こうしないと聞こえないんだよ」
「じゃ、じゃあ私が隣に座る!」
痺れを切らしたのか、美玖は席を立ち上がり、その向かい側──俺の隣の席に腰を下ろした。
最初からこうすれば良かったのに……。
わざわざテーブルを挟んで内緒話なんて難易度高すぎ。
「……さっきの続きなんだけど、今日のメインシェフは琴音さんなの」
「マジか。……まあ、美玖には作れないか」
「……何も作れないお兄ちゃんに言われたくない」
「それは……確かに」
ちなみに、俺のレパートリーはカップラーメンくらい。
……待てよ。お湯沸かすの共通だから、ゆで卵もいけるか? ……いけるな。
レパートリー更新!
「それでそうなった経緯なんだけど……お兄ちゃん、帰り道で余計なこと言ったでしょ?」
「……本人がそれわかってたら、余計とは言わないと思うぞ」
会話は客観性が重要視される。
そのため自分の言葉は、相手の感じたままに他の誰かへと伝わっていく。
たとえ自分が主観的に大丈夫だと感じたものでも、余計だとか迷惑だとか思われてしまうこともあるのだ。
「そうそれ。そういうのが余計なやつなの」
「……そうなの?」
呆れ混じりのため息をついて美玖は続ける。
「その余計なもので琴音さんに火がついちゃったらしくて、『何とか篠宮に自分の料理を食べて──」
言葉はそこで潰えた。
否、正確にはいつの間にか戻って来ていた神崎に、美玖の口は再び塞がれた。
「はい、篠宮。お代わりまだあるよ?」
「……サンキュ」
そして神崎は美玖を連れて、リビングのソファに座り込んだ。
それを尻目にまた食事を再開するが、時折『油断も隙もない!』とか『内緒って言ったでしょ!』と美玖を叱るような声が聞こえてくる。
ほんとに仲がいいですね、君たち……。
それにしても、余計なことって何?
*
いつもより賑やかな食事を終えた俺は、スポンジを片手に神崎の隣で洗い物を手伝っていた。
「ごめんね、手伝わせちゃって」
「いや、どっちかっていうとそれは俺のセリフだ」
「私はいいんだよ。それに、私は片付けるまでが料理だと思ってるから」
「なるほど。──だとよ、美玖さん」
手元の皿から視線を外し、代わりに前方を見やる。
そこにはソファに寝転がりながらテレビを眺める美玖がいる。
「さすが琴音さん。お兄ちゃんには勿体ないぐらい」
「ほっとけ。あと、ナチュラルに話を逸らすな」
「私もたまには休みたいの。それに……これ以上ないアシストだと思うけど?」
ソファの肘掛けから頭を垂らし、意味深にこちらを見つめる美玖。
しかし残念なことに、俺にはなんの事だかさっぱりだ。
「すまん、神崎。そういう事だから」
「……ううん。美玖ちゃんの言う通り、たまには休ませてあげないと」
「まあ……いつも世話してもらってるからな」
美玖には料理を始め、洗濯や掃除など家事全般をやってもらっている。
休みたいというのも、あながち本当なのかもしれない。
せめて今年──受験期くらいは負担を減らしてやらなければ。
そんなことを考えながら、ひたすらに皿を取って洗うを繰り返す。
体が動作を覚えてきたことで、その動きが機械的になってきた。
「「──あっ」」
二人の間抜けな声が見事にハモる。
いつの間にか無意識下で行っていたため、皿が残り一枚になったことも、神崎がそれに手を伸ばしていたことにも当然気づかなかった。
示し合わせたかのように俺と神崎は顔を合わせる。
そしてそこで恥ずかしさが遅れて込み上げてきて、二人して慌てた様子で触れ合っていた手をシンクから持ち上げた。
美玖が言ってたことは恐らくこれだろう。
確かに俺と神崎が一緒に皿洗いをしていなければ、今の出来事は起こらなかった。
その点だけで言えば、本当にいいアシストだ。
……しかしこれでは恥ずかしさのあまり、最後の皿が片せない。
結局、五分間はこの状況が続き、俺と神崎は顔再び合わせることはなかった。
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