第9話 期待通りにいかなくて
「もう暗いねー」
「まあ、八時過ぎたしな」
家を出た俺たちは、街頭の灯のみが朧気に照らす夜道を、並んでゆっくりと歩いている。
住宅街のため歩いても歩いても、景色がほとんど変わらない。
「そう言えば、今日お母さんどうしたの?」
「……仕事場で泊まってる。最近はずっとそうだな」
母さんは洋服のデザイナーであるため、仕事場に泊まって遅くまで作業することが多々ある。
特にこのシーズンは忙しいようで、夏までは仕事に拘束されるらしい。
ファッションについては詳しくないけど、社会の残酷さはよく伝わってくる。
いずれ同じ道を辿るのかな……嫌だな……せめて残業少なそうな仕事に就こ。
ちなみに父さんは普通のサラリーマン。
今は単身赴任で北海道に居るため、帰ってくることはないがそれはどうでもいい。
この前なんて、いくら丼の写真と共に『北海道最高!』と送られてきたのでそこそこ満喫しているのだろう。
即ブロックしたけど。
「……そっか。だからお弁当も美玖ちゃんに作って貰ってるんだ」
こちらを気遣ったのか、はたまた単にご近所さんに迷惑をかけないようにか、大人しげな口調で口を開いた神崎。
その姿は、今日は曇り空で見えないが夜空にしずしずと佇む月を連想させる。
「なんで……って美玖に聞いたのか」
「ふふっ、正解ー」
「お前ら仲良くなりすぎだろ……」
ついに、長らく思っていたことを口に出した。
夕食が終わったあとなんて、二人で勉強を始める始末。
中学三年生──いわゆる受験生である美玖にとって、成績優秀の神崎はいい教師なのかもしれないが……。
美玖ちゃん、今まで俺には『教えて』のおの字もなかったのはどういうことなのかな?
ていうか未だに、受験校聞いてないんだけど。
俺たちほんとに兄妹なの?
「……嫉妬してるの?」
「さすがに妹に嫉妬はない」
「どうだか」
どこか上機嫌な神崎は、特にそれを惜しみ隠すつもりはないようでいつもより明るい笑みが顔に浮かんでいる。
それは夜の静けさとは対照的なはずなのに、不思議と見事に融け合っている。
「──ねえ、お互いこんな立場じゃなかったら、もっと今日みたいな日を過ごせるのかな……?」
──だからこそ。
突然発せられた、弱気を孕んだ言葉に驚きを隠せない。
明るさは夜の闇に消え、微笑みだけが残ったその顔は先程とは別人のようだ。
「……わからない。でも結局は全部結果論だろ」
「そう……だね」
曇り空を仰ぐ神崎の横顔には、未だ笑みが貼り付いている。
それが見ていられなくて、思わずその姿に習って宙を見上げた。
まるで何かに救いを求めるように。
でもやっぱり救ってくれそうな光はなくて、諦めて重たい唇を必死に動かす。
「──それに、毎日がこんな感じだったらすぐに冷めちゃうかもしれないだろ?」
何とか紡いだ言葉は、どこかおどけた感じで。
場を繋ぐための冗談なのかは自分でもわからない。
しかしそれはどこか張り詰めていた空気を緩め、それに合わせて神崎の雰囲気までもが元に戻る。
安堵を示すようにため息が口から漏れた。
「何それ。篠宮は冷めちゃうの?」
「あくまで推量だから。言い切ってないから」
くすくすと笑いながら、こちらに視線を向けた神崎に対して矢継ぎ早に言葉を並べる。
事実を言ったのに、言い訳がましくなったのは気のせいだろうか。
「そもそも神崎が部活休みなら、そんな日簡単に過ごせるぞ」
「……篠宮だって部活あるけど?」
「ほら、文芸部は自由をモットーに活動してるから」
なんならその活動さえ、廃部で無くなって真の自由を得るまである。
……早く部員見つけなきゃなあ。
「ふーん。──じゃあ
「わかった……って……は?」
「『は?』じゃないよ。もう再来週には中間テストがあるんだよ? 私部活休みだから、徹底的に勉強見てあげる」
唖然とする俺を前に得意げな顔で、神崎はペラペラと説明を進めた。
その姿を前に、首を明後日の方向にわざとらしく動かした。
「俺は赤点回避さえ出来ればいいんだよ。そんな早くに勉強するなんて、やる気が起きない」
事実、神崎と美玖がダイニングで勉強に勤しむ中、俺はソファで寝転びながらイヤホンをはめ込み、音楽に合わせ体を揺らしていた。
……なんか絵面にだいぶ差があるような。
「そうなんだ……」
こちらに向いていた視線は徐々に下がっていき、表情すらも沈んでいく。
何やら罪悪感に襲われるが仕方ない。
心を鬼にしろ、誠司!
「──じゃあご褒美も要らないよね」
「……今なんて?」
ボソッと悲しげに紡がれた言葉が、心の隙間に入り込んだ。
神崎は残念そうな表情を晒すと続ける。
「見返りなしに勉強させるのもどうかなーって思って、テストでいい点を取ったらご褒美をあげようと思ってたの。だけど……勉強しないって言うなら要らないよね……」
「えーっと……ちなみにご褒美っていうのは?」
「……私が篠宮の願いをなんでも一つだけ──」
「午前中からでいいのか? 俺は一日中空いてるけど」
「現金だなあ……」
神崎は呆れ混じりのため息と共に、闇に包まれたアスファルトに目を向けた。
だってしょうがないじゃん。
俺だって健全な男子高校生。
可愛い彼女に『なんでも』なんて言われたら、即座に食いついてしまう。
「あ、でもエッチなのは禁止だから」
「……それ、なんでもじゃないよね?」
「お願いするつもりだったんだ……」
「まさかの誘導尋問!?」
両腕で体を押さえ、自分の体を守る動きを見せる神崎。
……今のはどうしようもないから。
期待に胸を膨らませていた分、ついたため息も長く重いものだった。
「──そういうのは、急いですることじゃないでしょ?」
恥ずかしげに発せられた隣からの声に、思わず視線をそちら側に向ける。
上目遣いにほんのりと赤く染まった頬。
そしていつの間にか握られていた制服の袖。
不意にその全てが視界に収まり、鼓動が速くなる。
「……そうだな」
しかしやっぱり脳は、視線を背けることを選んで。
自分の感情を見せないように、──そして先程の言葉を聞かなかったことにした。
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