第28話 心配事は杞憂となりて

生徒会室を出た俺は、階段を駆け下りて目的地── 一年B組の教室にたどり着いた。

時刻は既に五時に近づきつつあるが、テスト三日前ということもあり、通り過ぎてきた教室にも生徒が残っていた。


教室前方のドアからこっそりと、中の様子を伺う。

そこでは、残っている何人かの女子生徒が机をくっつけて勉強している様子があった。

しかし、ここを訪れた目的でもある彼女──姫島の姿はない。

帰るタイプだったか……。

てっきりああいう風な友達とああいう風に今日の放課後を過ごしていると踏んでいたが、どうやら思い違いだったらしい。


「──何か、御用ですか?」


背後からの声に驚き、勢いよく振り返る。

B組の生徒だと思われる女子はドアの影から室内を覗く俺を訝しむような、不振がるような目で見ている。

思えば、今の構図は不審者そのもので、そんな目で見られているのもあながち仕方がないことだった。

突然声をかけられる不審者の気持ちなんて、知りたくなかったよ……。


「え、ああ、えーっと……姫島に用があるんだけど、学校に残ってるか?」


「残ってますけど……。それこそかぐやに何の用ですか」


よりこちらを警戒するように、彼女はこちらを軽く睨む。

どこか話しかけられた時よりも距離が開いているのは気の所為だろうか。

口調からして彼女は恐らく姫島の友人だろう。それもかなり親しい感じの。

友人のことを案じるのはいい事だと思うけど……俺そんなに怪しいかな?


「頼みたいことが……あるんだ」


「頼みたいこと?はあ……だいたい、あなたはかぐやとどんな関係なんですか。正体を知らない人に──」


「──部活の先輩だよ、ほうき。……こんにちは、先輩」


「……姫島」


両手で缶のカフェオレを握った姫島がほうきと呼ばれた女子生徒の背後──廊下の暗がりから姿を現した。

最後に会ってから一日経っているか、いないかなのに、その顔を見た途端に緊張を表すように鼓動は速くなり、口の中が乾く。


「部活の先輩って……あの文芸部の?」


「うん。全然怪しい人じゃないから、そんな警戒しなくても大丈夫だよ」


「……まあ、かぐやがそう言うなら信じるけど」


向けられていた敵意が弱まっていくのを感じる。

そんな二人のやり取りを眺めていると、不意に姫島の目がこちらに向く。


「私の親友の玉枝ほうきです」


姫島の紹介に軽く頭を下げ、合わせた玉枝。

それにしてもかぐやといい、ほうきといい今年の新一年生、めずらしい名前が多くないですかね……。

キラキラしてないだけ、まだマシだけど。


「篠宮誠司だ。……姫島、それで……なんだけど──」


「──ほうきは勉強に戻ってて。私、先輩とお話してくるから」


「え、でも…………うん、わかった」


こちらに数秒目線をずらした後、玉枝は姫島からカフェオレを受け取り教室に入っていく。

その足取りからは渋々といった様子が感じ取れない。


「ここじゃあ勉強の邪魔になるので、他の場所に行きませんか?」


「……ああ、任せる」


先を歩き出した姫島より二、三歩開けて、俺も足を前に運んだ。



訪れたのは文芸部の部室。

正直姫島が移動の意を口にした時に、なんとなくここだろうなと勘づいていたため、驚きはなかった。


「さあ、先輩。……私にどんな用ですか?」


改めて仕切り直しということだろうか。

姫島はこちらの答えをひたすらに待っている。


「──すまん!」


「え、え、ちょっと先輩。急にどうしたんですか?」


せっかく気を使って声をかけてくれたのに、俺はお前に八つ当たり紛いのことをした。……冷静じゃなかったとしても、反省してる」


言葉を一つ一つ吐き出しているのに、心にはそれらの重みが募っていく。

そのせいか否か、視線は床を見つめるほどに落ちてしまった。


「──顔、あげてください」


「姫島……」


言われた通りに恐る恐る顔をあげた先にあったのは、見慣れた笑顔。

……どうやら俺だけが、必要以上に気にしていたらしい。


「……感情的になることなんて、誰にでもありますから。だから、気にしないでください。──むしろ先輩のああいうところが見れてよかったです」


「…………だいぶ趣味変わってるな」


「なんで笑うんですか!ていうか違います!いつもすました顔でいる先輩のだったからよかったんです!」


「それを変わってるって言うんだよ。……それでもありが──」


「お礼はまだです。これで終わりじゃ……ないですよね」


俺の言葉を途中で遮ると、続きを促すようにこちらを見つめる姫島。

その顔を前に、思い留まる。

元々頼み事をするためにB組の教室──姫島の元をこうして訪ねた。

それは間違いない。


ただ……ここで本当に姫島を頼っていいんだろうか。

頼もうとしてる事もあまり気持ちのいいものではないというのに。

生徒会室では自分をクズ野郎と認めることで、躊躇いを頭から消していた。

全ては神崎のためと割り切っていた。

しかし、いざ姫島を前にすると躊躇いが容赦なく自分を責める。


そもそも俺は姫島の元をこうして訪れた時点で、姫島なら断らないと思い込んでいたのだろう。

要するに彼女の優しさに甘えていただけ。


それにも関わらず、勝手にこちらの事情に巻き込むことなど許されるものではない。


「──相談の席は空いてるって、言ったじゃないですか。今更遠慮されても、困ります」


「……でも、図々しいだろ」


「そんなことないです。私、から先輩に助けられてばっかだったから……。少しでも先輩の力になれるなら、なんでもします。

──し、正直ほうきとの会話が聞こえた時、嬉しかったんです。私を頼ってくれてるって」


最後には恥ずかしそうに、頬を赤らめていた姫島。

今ので、覚悟は決まった。

ここまで考えてくれていた姫島を頼らないことこそ、許されないはずだから。


「佐々木翔太……って覚えてるか?」


「はい。一応、想いを伝えてくれた人なので。でもその人がどうしたんですか?」


「実は……そいつ宛のラブレターを書いて欲しいんだ。今すぐに」


「わかりました。そんなことなら──ってラブレター!?」


姫島がこのリアクションをするのは無理もないことだ。

告白され、振った相手に対しラブレターを送る者など、この世界にはいないのだから。


しかし一度告白した女子──姫島からのラブレターともなれば、どんなプレイボーイであろうともそれを無下にすることはしないだろう。

そして指定された場所へ行くと、俺が出迎える。

我ながらかなりクズな作戦となっている。

まあ、俗に言う告白イタズラなのだが、あいつには見破ることなど出来ないだろう。


だがこの作戦は、いくらあそこまで言ってくれていたとしても、既に想い人がいる姫島にとっては辛いものだろう。

何せ想いを、自分を一瞬だけ偽り、裏切るのだから。


「……書くので一つ、お願いしてもいいですか?」


「なんだ?……一発だけなら殴ってもいいぞ」


「ち、違います。テストが終わったら、休みの日に本屋さんに付き合ってくれませんか?」


「別にいいけど……玉枝と行った方がいいんじゃないか?」


「せ、先輩のおすすめが聞きたいんです!」


詰め寄る姫島には迫力がある。


「わかった。休みの日に本屋な」


「はい!……対価の言質は取れたので、書いて来ますね!」


勢いよく部室を飛び出した姫島。

その背中からは自分の想いを裏切ることを、心配している様子は何故か感じ取れなかった。

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