第52話 独占欲

人気のない通路にガコンと重低音が響く。

無糖のブラックコーヒー缶を掴み出し、そのまま背後のベンチへと腰掛ける。


姫島の恋人もどきになってから約二週間が経った。

バイトを除けば、下校を一緒にしているだけなのだが、それでも姫島の影響力は恐ろしく廊下を歩いていると、『あの人、姫島さんの彼氏らしいけど正直微妙ー』や『悪くない方だけど、もっとイケメンだと思ってた』といった感じで周りからヒソヒソと話し声が聞こえてくるようになった。

……君たちソムリエなの? あと本人に聞こえてるからね、それ。


周りからの反応とは無縁だった俺にとって、現在の環境はむず痒さを覚えさせる。

そのため、最近は人がほとんど来ないここによく足を運んでいるのだ。


「あと二週間……か」


姫島からはグループで上手くやれていると聞いている。

それならば、期限までは役目を全うしてやろうではないか。

そんな自分らしくない思考に苦笑いが零れた。


「──ごめんなさい。あなたと付き合うことは出来ません」


コーヒーを喉に流し込み、それに合わせて頭を空っぽにすると、抜けた思考の代わりにはっきりとしかし落ち着いた声が耳に割り込んで来た。

顔を上げると、校舎裏に人影が見受けられる。

校舎が邪魔をしているため、その詳細はここからでは確認できない。

しかし聞き馴染んだものだからか、自然とその持ち主の顔が頭に浮かび上がる。


「はあ……喉乾いた……」


「お疲れだな」


やがて疲弊が滲んだ顔で自販機のあるこちらに向かってきた神崎。

声をかけた瞬間、一瞬目を丸くしたが、いつもの表情で俺の顔を捉えた。


「ん……篠宮か。運命だね」


「これは偶然って言うんだ。運命を安売りするな。バーゲンセールか」


穏やかな微笑みを湛えつつ、歩み寄って来た神崎はそのまま俺の隣に腰を下ろした。


「あ、ちょうどいいじゃん。ちょっとちょうだーい」


「お、おい! それは……」


「ここは人助けってことで。もう凄い喉カラカラなの──って苦っ!?」


俺の買ったブラックコーヒーを勢いよく飲もうとした神崎だったが、すぐに缶を口から離し顔を歪ませた。


「ブラックの無糖だ」


「自販機の数ある飲み物の中でそれを選ぶ!?」


相当きついのか、神崎は子供のように舌を出して苦味を訴えている。

失礼な。需要があるから自販機あそこに並んでるんだ。

まあ、その需要が高校にあるかどうかは俺も肯定しきれないけど。


中身がまだ残っている缶を神崎から回収し、目の前の自販機にお金を入れる。

甘党寄りの神崎だが、砂糖の塊とも言えるジュースを飲んでいるところはあまり見ない。

一考もせずに中段の端にあるボタンを押し込んだ。


「口直しだな」


「あ、ありがとう。百円だよね?」


「四捨五入で無料タダだよ」


「……数学出来ないくせに。というか好みもバッチリ」


ぼそりと聞こえたつぶやきにほっと一息をつく。

どうやら読みは当たっていたらしい。

両手で俺の買ったミルクティーを掴み、ちびちびと口に含み始める神崎。

俯き気味なその横顔は赤く染まりつつある。


「間接キスだね」


仕返しのつもりなのだろうか。

喉を潤そうと缶を口に運んでいる中、意地の悪さを感じさせる声音が耳に届いた。

動きを止め隣を横目で伺うと、頬の赤みがまだ抜けていない神崎が見つめてきている。


「…………」


無言で残りのコーヒーを全て呷った。

しっかり苦い。

神崎は不満そうに口を尖らせたが、やがて姿勢を整え再びこちらに振り返った。


「私、さっきまで告られてたんだ」


「……知ってる。というか珍しくないしな」


目が合うも、何とかその魅惑的な瞳から逃れ顔を逸らす。

この容姿だ。

異性に興味を抱かれないはずがない。

その証拠に、一年生の頃から神崎が告白をされた旨の話を何度も耳にしたことがある。

噂によれば受け取ったラブレター数の記録を塗り替えたとも。

……その記録、作り始めたのどんなやつだよ。


「……冷静だね。彼女としてはちょっと妬いて欲しいなーって思ったり──」


無造作に隣に置かれた神崎の手を握る。

女の子らしい小さくて柔らかいそれは、ほのかに熱を伝えてくる。


「……抑えてるんだ。多分、独占欲強すぎて引かれるから」


「え、ちょ、ちょっと。急にそんな……」


神崎がたくさんの男子生徒から思いを寄せられているのはわかっている。

それは恋人であることをカミングアウトしていないのだから当然。

なんなら仮にカミングアウトが出来たとしても、それが減ることはないだろう。

だからこそ、貴重な二人の時間を嫉妬に使いたくないのだ。


「わ、わかった!わかったから、ちょっと離して!」


「あ、ああ……悪い」


神崎の訴えに名残惜しくも重ねていた手を離す。


「いや、その、嫌とかじゃなくて! ……き、急に押してこられると……耐えられないよ……」


神崎は先程とは比べ物にならないほど頬を赤くすると、こちらに向き直り必死に否定の姿勢を見せる。

しかし徐々に声は小さくなっていき、後半は虫の羽音といい勝負だった。


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