第19話 最終日は君と 前編
メニューに表示された料理の数々に、目移りしている様子を見せる神崎を眺めていると、決心を固めるようにメニューから乾いた音を鳴らした。
「スパゲッティの……ミートソースを一つ!」
「……カルボナーラを一つ」
「かしこまりました」
店員が机のメニューを持って、厨房に戻っていくのを横目で見送る。
駅から少し離れた所にあるイタリアンレストランで昼食をとる事にした俺達は、席に着くと早速、自分の好みのメニューを注文した。
厨房からはチーズやオリーブオイル、ニンニクといった、いかにもイタリアらしさを感じさせる食材の香りが漂ってきている。
「そういえば、こうやって一緒に外食するの初めてだね」
「それを言うならデート自体初めてだけどな」
付き合い始めてから約二ヶ月。
これまでにも俺から誘うことはあったが、神崎から誘ってくれることはなかった。
しかも誘ったは誘ったで、バレるから駄目の一点張りで断られていたため、今日のデートが初めてになる。
目線で理由を尋ねると、神崎は頷く。
「ゴールデンウィーク最終日だから、みんなここら辺にはいないと思っただけだよ。……それに姫島って子とのバイト分、しっかり取り返さないと……」
「へー……」
最後の方は声も小さく、何かを炒める賑やかな音で直ぐに掻き消され聞こえなかったが、理由は理解出来た。
確かに三連休の最終日ともなれば、学生達は家にこもるか遠出するかの二択がほとんどで、わざわざ近くを徘徊しないだろう。
……まあどちらにせよ、夢の国に行っている奴らがほとんどだろうけど。
「……お待たせしました、ミートソースとカルボナーラです」
あの後しばらく話を続けること十分弱。
湯気と香りを振り撒きながら、俺達が注文した二種類のパスタが到着した。
半日とはいえ、しっかり働いた体はここぞとばかりにエネルギーを要求している。
「それじゃ、いただき──」
「ちょっと待った」
「え、ちょっとなんで」
フォークを絡み合う麺の中に差し込もうとした時、目の前の皿がまるで俺から逃げるように遠ざかった。
神崎の前には二つの、二種類のパスタが並ぶ。
「味が違うんだから、シェアしよ!」
そして俺の返事を待つことなく、神崎はカルボナーラをフォークに巻き付けるとぱくりと口に運んだ。
……まさか卵を崩されるとは。一番の楽しみだったのに。
「うーん!これ、美味しい!凄い濃厚だよ、篠宮!」
「うん。まだ俺食べてないから、返してくれない?」
さすがにベーコンを食べられる訳にはいかないと、カルボナーラの皿に手を伸ばす。
だが神崎は未だ返すつもりはないようで、微笑みを浮かべている。
「まあまあ。ちゃんと返すから」
そう言うと今度はミートソースにフォークを入れた。
カルボナーラとは対照的な赤いトマトソースが、見ているだけで食欲を刺激する。
「──はい、アーン」
「……はい?」
それらを纏ったフォークがこちらに迫っていることに、俺の頭は追いつかない。
状況が飲み込めず、間抜けな声が口から漏れた。
惚け気味の俺を神崎はフォークを浮かせたまま、ジト目で睨んでいる。
その頬は若干だが、赤く染まっている。
「……ちょっと。さすがにこの状態キープは恥ずかしいんだけど」
そして痺れを切らしたのか、口を尖らせる。
しかしその言葉とは裏腹に、フォークを下ろそうとしない。
「……いいの?」
「別にいいよ。……前なんだかんだ言ってしなかったし」
神崎の言葉は淡々としたものだったが、表情からは照れが伺える。
決心するように唾を飲み込むと、目の前で上下に動く銀色にかぶりついた。
──はずだった。
「ふふ、時間切れ。……うーん!こっちも具材の食感が残ってて美味しい!」
目の前でさっきとなんら変わらない表情を浮かべる神崎。
俺の口の中に入るはずだったミートソースパスタは、先程のカルボナーラ同様神崎の口の中に消えていった。
その現実に、おもむろに肩を落とすと、ため息を飲み込みつつ神崎のガードが外れたカルボナーラをこちらに引き寄せる。
……別に悲しくなんかない。
元々俺の分の昼食はカルボナーラだ。
卵の黄身は割られているけど、それ以外は特に──。
「──スキあり。ふふ、油断してたね」
突如口の中に飛び込んできたパスタを咀嚼し始める。
時折酸味や甘味、ゴロゴロとした肉を感じるが、目の前の神崎の笑顔に目を奪われていた俺は、今何を食べているかなどどうでも良かった。
「……どうしたの?固まっちゃって」
「いや……美味いなって思って」
「だよね!私もこんなミートソース作りたいなー」
何とかそれっぽい言葉を並べて誤魔化すことに成功した俺は、そのまま話に乗っかることにした。
「作れるんじゃないか?神崎料理上手いし」
「……甘いよ、篠宮。料理っていうのはそんな簡単にこなせるものじゃないの。どんなに上手くなってもゴールはないんだから」
「お、おう。意外に深いんだな……」
珍しく熱く語る神崎に気圧されつつも、食事を進める。
……ごめんな、美玖。
次からは言葉に気をつけるから。
「……だから、たまにでいいから私の料理、食べてくれる?」
「それはもちろん。俺でよければ」
願ってもないことだった。
逡巡などなく、答えが即座に出た。
「ほんと!?ありがと!」
身を乗り出してくる神崎に頷きで返すが、そこであるものが目に入る。
──神崎のフォーク。
先程までカルボナーラ、ミートソースを持ち主の口まで届けた挙句、俺を弄んだもの。
それは皿の縁で役目を終えたかのように横たわっている。
よくよく思い返せば、神崎はあれ以降パスタを口にしていない。
「伸びちゃうけど、いいのか?……食べなくて」
「え、ああ、うん。……そう……だね」
そう言ってフォークを握った神崎だったが、手つきがぎこちないせいでぴくぴくとフォークが揺れている。
視線はフォークとミートソースパスタ、そしてカルボナーラに動いていく。
まるで何かを気にしている様子だ。
「……もしかして間接キス、気にしてる……のか?」
確信はない。
当てずっぽうで発した言葉。
しかし、それに対して小さくも確かな頷きが返ってきた。
「だ、だって初めてだから……なんか特別な感じがしちゃって……」
微かに頬をミートソースと同じ色に染めながらも、ボソボソと言葉を発していく。
え、待って。
勢いで食べさせちゃったけど、今になって恥ずかしさが込み上げて来てるってこと?
何それ、可愛すぎか。
内から溢れ出てくる感情を必死で抑えつつ、一つの結論を出す。
緊張や恥ずかしさといった類の感情は他の人と共有出来れば、自然と和らいでいく。
だとすれば、今俺がとる行動も自然と決まってくる。
「──ほら神崎、口開けろ」
「え──」
俺の突然の呼びかけに、口を開けたままこちらに顔を上げる。
そしてフォークにパスタを巻き付けると、俺より小さくて女の子らしい口の中にそれを放り込む。
神崎は突然の出来事に驚いたような顔をしながらも、口をもぐもぐと動かしている。
……まるでリスみたいだ。
そしてそのまま、何事も無かったかのように食事を進める。
神崎はそんな俺をじっと、まるで様子を伺うように見ていたが、やがて一つのため息をつくと残りのパスタに手を付け始めた。
……う、上手くいった。
内心でほっと息をつく。
今でも戸惑いや多少気になっている様子を見せているが、一向に食事が進まないよりはマシだ。
上目で神崎を確認しながら、カルボナーラを食べる。
時々感じるトマトの酸味が、あの時をフラッシュバックさせ、間接キスをしたという事実を頭に刻み込んでくる。
……間接でこれじゃあ、ご褒美の時はどうなるんだ……。
体が熱を帯びていくのを感じながら、未来の自分を案じるため息をついた。
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