第31話 事態の収拾
鉛筆やシャーペンが紙を走る音がこの一つの教室を満たしている。
無理もない。
二年生になって初めての定期テストなのだ。
ここでいいスタートが切れれば、そのままの勢いでこの重要な一年を駆け抜けることが出来る。
それ故に五時間目──五科目の終盤の今でも、テスト用紙と真剣に向き合っている生徒がほとんどだ。
そんな中、ちらりと時計に視線を向ける。
秒針はそんな生徒たちを嘲笑うかのように、規則正しいリズムで時を刻んでいて、止まる様子を見せない。
……残り五分か。そろそろだな。
用紙の上にシャーペンを置きつつ、静かに手を挙げた。
それに気づいた監督係の先生がこちらに近づいてくる。
「どうした、篠宮」
「お腹痛いんで、トイレ行きます」
「構わんが、解答用紙は回収するぞ?」
「……終わってるんで、問題ないです」
周りに影響を及ぼさない、小さな声のやり取り。
それが終わると共に席を立つ。
普段から目立たないのに加え、今は残り時間が少なくとも、意識がテストに向いている。
そんな状況で小さな音を立てただけの俺を気にするやつなどいない。
やがてドアを開け、教室を出た俺は足音を意識しながら目的地に急いだ。
*
午前中の四時間同様、終了のチャイムがなり五時間目──いや、二年生初回の中間テストが幕を閉じた。
今は先生の指示に従って、テストを集め終わったところで、終わったことに満足している者や出来が悪かったのか明らかに落ち込んでいる者など、多種多様な反応が見受けられる。
かくいう私も落ち込んでいる……というよりは気難しい顔をしているのだろう。
無論、テストの内容は完璧。
きっと今回も一位を維持できたはずだ。
しかし気になる点が一つ。
──終了間際に教室を出て行った篠宮のことだ。
「……数学には時間かけて見直ししろって言ったのに」
我慢できずに、周りにバレないような声で吐き出した。
気づいてしまった以上、頭から消えることはない。
現に授業が終わったにも関わらず、未だ篠宮の席は空席のまま。
それがより一層頭をモヤモヤとさせる。
……勘がいいことは自負していても、やっぱり時には困り物だ。
そんな心配を抱える私を他所に、教室に流れる声のボリュームは増していく。
担任の先生は職員室に答案を置きに戻っているため、普段は授業が終わって直ぐに始まるホームルームもまだ行われておらず、やることもないまま待機といういわば自由時間が生まれつつあった。
──ピンポーン。
突如として、放送を知らせるチャイムが鳴った。
それは今までの騒ぎが嘘だったかのように、教室を鎮める。
意味がないにも関わらず、続きを待つようにみんな揃って教室前方に配置されたスピーカーに目を向けた。
……不審者でも見つかったのかな。
この後は授業がなく、帰宅を残すのみ。
状況的には考えられるけど……。
しかしいつまで経っても肝心の放送が流れない。
教室の雰囲気もそれに合わせ、集中を欠いていく。
するとそこで、その一瞬の隙間に入り込むように、音声が再生された。
『……あいつに、神崎にムカついたからだ。だからSNSのアカウントを乗っ取って……あの投稿をした』
思わずはっと息を呑む。
この声は間違いなく、聞き覚えがあった。
『だいたい、この俺が告白したにも関わらず眼中に無いとかおかしいだろ!ちょっと可愛いからって調子に乗り過ぎなんだよ!』
怒りに任せたような叫びが教室を覆う。
そしてまるで時が止まったかのように、誰一人動きを見せない。
聞こえるのは微かな息遣いだけだった。
しかしその中で、徐々にこちらに視線が集まってくるのも感じていた。
それも当然だろう。
突然、しかもあんな放送に名前が入っていたのだ。
誰であろうとも注目されるに決まってる。
「……琴音。今の……」
鮮やかな金髪を揺らしながら、それとはまるで対照的な表情でこちらに歩みを進めてくる女子生徒。
彼女の名前は舞浜凛。
特に仲が良い友達……だった子だ。
実際、例の噂が広まった際に距離を置かれて以来、初めて声をかけられた。
「……あはは、なんだろうね。私も初耳だからわかんないな」
得意な作り笑顔を振り撒く。
口にしたのは決して嘘ではない。
その証拠に心臓は未だ驚きを表すように、脈拍数を普段より増やしている。
──それでも。
これがチャンスなのもまた嘘ではなかった。
笑顔を剥がして立ち上がり、凛の目を見つめる。
かつてこんな真剣な面持ちで、凛と、みんなと向き合ったことなどあっただろうか。
そう思わずにはいられない。
「……私とまた友達に……仲良くしてくれないかな?──って凛!?」
「ごめん……。ほんとに……ごめんね。私、琴音じゃなくて、あんな情報を……信じちゃった」
突然抱きついてきた凛は私の胸に顔をうずめて、弱々しく思いを口にした。
それを受け止めつつ、凛の頭を撫でる。
どこぞの誰かさんより柔らかい髪を持つ頭は、小刻みに揺れている。
「もういいの。……それより、返事を聞かせて欲しいな。──うん、ありがと」
顔をあげるのが恥ずかしいのか、頷きを返事の代わりにした凛。
するとまるで示し合わせたように、クラスのみんなが私たちを囲む。
「神崎さん、私もごめんなさい……」
「俺も、ごめん……」
凛とのやり取りが引き金となったのか、伝播したように、次々と私に頭を下げてくるクラスメイト。
今この状況こそが、私が望んだこと──クラスの誤解を解くというものの達成を示していることはわかる。
──そして、その先導役となったのがあの放送だということも。
「みんなの言葉はどれも嬉しい、です。ありがとう。──でも、今は行かなきゃいけないから」
凛をゆっくりと体から剥がしつつ、輪の中を抜ける。
背中に注がれる視線を気にすることなく、教室を後にした。
いくら望みがかなったのだとしても、今この瞬間、あの輪の中──私のそばに彼がいないのは間違っているから。
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