第16話 連絡先

「あっ、こんにちは先輩。遅かったですね」


「……ん、まあ、色々あって」


挨拶に首の動きだけで返すと、姫島が座る席の向かい側に腰を下ろす。

すると姫島は先程まで読んでいたであろう本を机の上に置くと席を立った。


「お茶、いれますね」


「サンキュ」


微笑みを残して、紅茶セットに向かう姫島。

それは仮入部期間を思い出させる光景で、思わず笑みがこぼれる。

ちなみに姫島のいれる紅茶は、誰かの粗茶と違って普通に美味い。


「何か職員室でお話とかですか?」


「いや、バイトの件で生徒会室に行ってた」


目線はポットを傾ける手元に向けたまま、投げかけられた質問に答える。

不意にピタリと、ポットから紙コップに注がれていた液体が途切れた。

そして今度はこちらを心配そうな表情が伺う。


「バイト?……一体何やらかしたんですか?」


「……疑いから入るのは酷くない?」


「先輩のことは信頼してますので」


「ベクトルが違う……」


項垂れる俺の前に紙コップが置かれたことにより、香りがふわっと辺りに充満し始める。

上目で姫島が席に戻ったのを確認すると、ため息に続けて口を開く。


「……そもそも、まだ俺バイトやってないんだけど」


「えっ、そうなんですか?」


「そう。今日は申請書を出しただけ。だからまだやらかしたことはないんだよ」


「……まだ、なんですか」


驚きの表情が一転、姫島は呆れ混じりにため息をついて、目線をやや落とした。

悪いな、姫島お前より俺の方が、俺のダメダメさを信頼してる。

ワンチャン一日でクビとかも、念頭にいれておかなきゃ。

……思考が残念すぎる。


「──それで……なんだけど、姫島はバイトしてるか?」


恐る恐るといった感じで、言葉を絞り出す。

本当は知っているという事実を隠して。


バイトをしていることなんて、聞かれでもしなければ言わないだろう。

──でももしかしたら、何か複雑な事情があって言わなかったのかもしれない。

その思考が複雑に脳内で絡まりあったため、保険をかけた。

……しかしまあ、心配というのは意外と杞憂に終わってしまうのが多いらしい。


「してますけど、それがどうかしました?」


耳に届いた声は普段の調子で、何かを押し隠している様子もない。

思わず安堵のため息が口端から漏れた。


「バイト先を教えてくれ」


「え、別にいい……ってちょっと待ってください! ……そ、それって私と一緒に働きたいとか、そういう感じ……ですか?」


少しでも別の音を立てれば、消えてしまいそうな声に加えて、上目遣いで姫島は俺に確認してくる。


「んー……まあ、そんな感じ」


ただバイト先のあてがなくて、特別姫島と、と思っていた訳では無いが、誰か知り合いと働いていれば困らないものだろう。

故にここは首を縦に振っておく。

……ただでさえ、知り合いが少ないからね!


「ふ、ふーん、そうなんですか 。……じゃあこの後案内しますね」


「ああ、よろしく頼む。でもどこなんだ?ファミレスとかか?」


「それは……着くまでは秘密です」


ふっと微笑んで、人差し指を口に当てる。

狙ってやったものなのか、自然と出てきてしまったのかはわからないが、妙にその様はしっくり来ていて、一瞬だけ目を奪われた。



「ここです!」


学校から歩き続けて三十分ほど。

駅前とはギリギリ言えないような所で姫島が足を止めた。

駅に向かう人や、今から家に帰るであろう人が行き交う中、ポツンと佇むその店は不思議とあの部室と似た雰囲気を感じさせる。


「あれ? でも今日閉まってないか?」


扉の前には粋な字でCLOSEと書かれた板がぶら下がっている。


「大丈夫です。この時間は大体仕込みをしてると思うので」


「仕込み?」


まるで見た方が早いと言うように、扉に悠然とした足取りで向かっていく姫島。


「え、待って表から入──れちゃったよ……」


ため息をつく暇もなく、姫島のあとを追って入店する。

店内には休業日にも関わらず照明が点いていて、木製の机が少し広めな間隔で置かれていたり、カウンターと思われるところに椅子があったりと、ここがどんな場所なのかが容易に想像出来た。


「──おや、かぐやさんですか。こんにちは」


カウンター席の向かい側から、人影が起き上がるように姿を現す。

歳は六十代ぐらいだろうか。

白髪の頭は綺麗に切りそろえられていて、清潔さを感じさせる。

聞こえた声は落ち着いていて、気品を感じさせるものだった。


「こんにちは、マスター」


「……そちらは?」


温厚さを感じさせる目がこちらを捉えた。

緊張から強ばっていく体に、必死で気付かぬ振りをする。


「篠宮誠司です。姫島と同じ学校に通う、二年生です」


「ほう、君が例の……」


「例……? あの、もしかしてどこかでお会いしてます?」


顎に拳を当てながら、意味深に発せられた言葉に首を傾げる。

すると姫島にマスターと呼ばれたご老人が笑みを顔に作る。


「いえ、初対面です。ただかぐやさんがす」


「──ちょ、ちょっとマスター!それ秘密って言ったでしょ!」


彼の言葉を姫島が慌てた様子で遮る。

それに対して彼はきょとんとした表情を浮かべた。


「そういう関係になって、紹介しに来た訳ではないのですか?」


「ち、ちが」


「いえ、紹介されに来ました」


「ほら、やはりそうではないですか」


「ちょっと先輩は黙ってて貰えます!?」


「なんで……」


他に誰もいない休業日の店内に、姫島の悲鳴にも似た叫び声が響き渡った。



疲弊した様子で椅子に座り、机に突っ伏す姫島は、未だ肩で息をしている。


「はは、そういうことでしたか」


「わ、笑い事じゃないですよ……」


その姿と対照的な笑い声に、何とかといった様子で悪態をつく姫島。

どうやら先程は、こちらと彼の話が噛み合っていなかったらしく、唯一それに気づいた姫島が解決に奔走し今に至る。

……あんな必死な姫島、初めて見た。


「──バイトをしたいという話でしたな。誠司くん」


「はい。……難しいですかね?」


こちらに向けられた真剣な目、真剣な声の調子に思わずたじろぐ。

しかしそれはすぐに崩れ、先程から今にかけて何度も目にした笑顔が表れる。


「いえいえ、むしろ大歓迎ですよ。最近は人手不足でかぐやさんしか働いてくれる人がいなかったのでね」


「……それって」


「──お客さんが少ないとかではないので、心配要らないですよ、先輩。それにここに来る皆さんは、いい人ですから」


声に振り向くと、疲れが多少滲み出ているものの、見慣れた笑顔があった。

別に焦っていた訳では無いのに、それを見ると妙な落ち着きが体を支配する。

そんな俺を置いて、話は進み始める。


「マスター、面接なしでもいいですよね?」


「もちろん、そもそも面接なんて堅苦しいものは、こちらから願い下げです。──どうですかな、誠司くん」


優しい声が聞こえる。

そもそもこちらから持ちかけた話なのだ。

よって返す言葉は一つだけ。


「……は、はい。よろしくお願いします!」


「では、詳細は後ほど連絡致しますね」


「わかりました。……電話番号教えた方がいいですか?」


筆記用具を取り出そうと、カバンを漁り出す。

しかしそれは、肩に置かれた手によって阻まれる。


「私はもう歳なのでね。メモを貰ってもなくしてしまうのですよ」


「……え、じゃあ、どうします?」


「そうですね……」


マスターは再び考える仕草としてなのか、顎に拳を当てる。

そして何か思いついたように首を振り向かせた。

──姫島のいる方向に。


「──かぐやさん。誠司くんと連絡先を交換して頂けますか? かぐやさん経由で連絡をして貰いたいのですが……」


「え、あ、はい!……せ、先輩が良ければ、私は大丈夫ですけど」


とてとてと携帯を両手に持ち、こちらに寄ってきた姫島。

その顔には緊張や不安など数々の感情が混ざっているように見えた。


「俺は……大丈夫だけど」


「じゃ、じゃあお願いします!」


ラインを開きながらふとそちら側を見やると、マスターと姫島が意味ありげに視線を交わしていた。

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