第17話 感情の発露

マスターの手招きに小走りで応じる。


「このケーキセット、あちらのお客様ね」


「はい。了解です」


カウンターに置かれた、ポツンと上方に佇む赤いいちごが印象的なショートケーキと深みを感じる色と香りをもつコーヒーを、銀色のトレーに乗せて指定された席へ運ぶ。

あちら、と曖昧な指示であったが、迷うことは無い。


時間帯によるものなのか、はたまた常になのかは働き始めの俺にはわからないが、マスターが指し示した方向には一人のお客しかいないからだ。

トレーをひっくり返さないように、少し足を緊張させながらも席に向かう。

先程から何度もやっている動作だというのに、体はまだ慣れてくれないようだ。


「お待たせ致しました。こちら、本日のケーキセットとなります」


「どうもね」


「……ごゆっくりどうぞ」


今朝、これだけは覚えておけと姫島から教わった接客文句を並べ、その席を後にする。

まだ全体としての仕事が終わっていないことは知っているが、やはり一人の対応を終えると自然に安堵のため息が漏れてしまう。

それに加え店内に流れる音楽がまた、心を落ち着かせる。


「──誠司くん。かぐやさんと二人で昼休憩に入ってもらって構いません」


「え、二人で大丈夫ですか?片方ずつとかの方がいいんじゃ……」


突然のマスターの言葉に、雰囲気を乱さないために、例の音楽に隠れるぐらいの音量で声を出す。

だが俺の心配を孕んだ言葉をにこりと、まるで吹き飛ばすように笑ったマスターは続けて口を開く。


「大丈夫です。むしろ今──お客様の数が少ない時に休憩して頂かないと、午後三時ティータイムに困ってしまいます」


「……ではお言葉に甘えて」


今休憩するメリットではなく、今休憩しないデメリットを説明されれば、こちらとしても首を縦に振らざるを得ない。

未だなお、笑顔を浮かべるその顔に背を向け姫島の元へ向かう。

近づいてきた俺を捉えるや、掃除を取り止め話を聞く体勢を作る姫島。


「姫島、昼休憩だ」


「あ、わかりました」


返事とともに、所定の位置に掃除道具を置いた姫島は早足で俺のあとをついてくる。

タンタンと床の木材が軽快な音を鳴らしていく。


「──そうだ、御二方。サンドイッチの材料が少なくなってきたので、追加で買ってきてくれませんか?」


「……はい、えーっと……いつものでいいんですよね?」


「はい、いつものでお願いします」


頼まれごとの詳細は背後の姫島に任せ、俺は控え室に続く扉のドアノブに手をかけた。



昼食を控え室で食べ終わった俺達は、カフェの制服を着替えて店に一番近いスーパーを訪れていた。

俺が押すカートに乗ったカゴの中は、既にレタスやハムなど、サンドイッチとすぐに結びつくような具材でいっぱいになっている。


「こんな買うのか?」


「一応この休みの分は買っておこうってことでマスターと話がついたので。次はパン屋ですよ」


「……了解」


ほんの少しだけ先行する姫島のあとを追って、カートをゆっくり進ませる。

お昼時だからだろうか、どこの売り場でもあまりお客さんを見ることがない。


「先輩、制服の着心地どうでした?」


首だけをこちらに向ける姫島の口は、にこりと笑みの形を作っている


「そうだな……学ランよりはいいな。締め付けられないから」


むしろ学ランが締め付けすぎまである。

何あれ、まだ蛇巻いた方がマシだぞ。


「なるほど。……でも確かに似合ってましたよ」


今度は完全に、体ごと振り返って。

穏やかな微笑みを湛えた顔がこちらを見据える。

それに目を奪われた俺は、一瞬だけ言葉を詰まらせ視線をカゴの中に落とす。

しかし歩みは止めない。

滑車が床を滑る音で時間稼ぎを試みたのだ。


「……お、おう、ありがとう……」


何とか口に出したお礼の言葉は、ぎこちないながらもちゃんと形になっていて、少しほっとする。


「……はい!……っと着いたので買ってきますね。ここで待っててください」


姫島がレジに向かったパン屋。

それは最近のスーパーによくある併設の形を取っていて、並びに並んだ様々なパンの芳醇な香りが店の範囲より外の売り場にも漏れ出ている。


なんの戸惑いもなくレジに向かった所から、恐らく何度もこういった形でお使いを頼まれているのだろう。

会計をしているであろう背中は、どこか頼もしい。

……何故かはじめてのおつかいっぽく見えてしまう。

あれ?目から水が……。


などとやっているうちに姫島が手に戦利品食パンを持って、こちらに戻ってくる。


「よし、じゃああとは具材の会計…………どうした?」


戻ってきた姫島はカゴに食パンを入れることをせず、その場で顔を伏せ動かない。

顔色を伺おうと下から覗き込もうとするが……。


「な、な、なんでもありません!さ、さあ、レジにレッツゴー!ですよ、先輩!」


顔を頑なに見せようとせず、おかしなテンションで先を歩き出す。

おかしい……。

そう思って首をパン屋のレジに向けると、そこの店員と見られる二十代の女性が楽しそうな表情でこちらに手を振っている。


いかにも怪しげ……というか、何かこちらから話しかけてくるのを待っているというか、そんな感じがする。

罠だな、あれ。

本能的な何かがそう告げたのに従い、背を向ける。

次のコーナーを曲がるまで、どこか温かさを感じさせる視線は背中を捉え続けていたように思う。



「──ってことがあったんだよ」


「ふーん」


初日のバイトが終わった夜、近況報告のような感じで神崎に電話をかける。

しかし話に対する相槌はどこか冷めていて、不機嫌さ全開だ。


「……もしかして、バイト始めたこと怒ってる?」


反応を伺うように、恐る恐る尋ねる。

心当たりがあるとすれば、それぐらいだ。


「ううん。それは篠宮の意志だし、そこまで拘束しようなんて思ってない」


「ええ……じゃあ、なんでそんな不機嫌なんだよ?」


「──姫島って子」


くぐもった声。

耳に当てているというのに聞こえない、でも確かに呟かれたものを感じた。

だから聞き返す。

無遠慮でいい。ここで聞いておかなければ、後悔しそうな気がしたから。


「なんだって?」


「──だから、その姫島って子!……なんで教えてくれなかったのよ!」


今日の会話で初めて、熱の篭った神崎の声が耳の鼓膜を鳴らした。


「……いや、教えなくてもいいかなって。大したことじゃないと思ったから……」


「こっちにとっては大したことなの!二人きりで部活なんて……」


言葉の勢いが力無く、だんだん衰えていく。


「ごめん。でも──」


「わかってる。篠宮なら心配してるようなことにはならないって。……でもね、篠宮。女の子って、私って、ずるいの」


「……え?」


俺の言葉を途中で遮ってまで発せられた声がより深く、鼓膜なんて飛び越えてしまうように耳に、頭に響く。


「篠宮を独り占めしたいって、そう思ってる。私以外が篠宮の隣を歩いてるなんて信じられない、信じたくないの……。──幻滅……した?」


甘い蜂蜜の入った壺がひっくり返され、耳に流れ込むように神崎の言葉の一つ一つが頭に溶けていく。

こちらの答えを待つ神崎は電話越しでわかるほど、不安そうだ。


「──正直、びっくりした。神崎がそんなことを思っていたなんて、予想つかないよ」


「そう……だよね」


「だけど、それも神崎の一部だろ?──だったら、俺が嫌う理由はないよ。っていうか男としては、嫉妬されるって凄い嬉しいことだから」


本心を告げたためなのか、携帯の熱が移ったからかははっきりしないが、頬が熱くなる。それを笑いつつ誤魔化す。


「だから大丈夫。幻滅なんてするはずない」


意志を込めて、はっきりとそう告げる。


「篠宮…………うん、わかった。ありがと」


「……ん」


「それで……なんだけど、今日の部活でね」


「……? 何かあったのか?」


話の転換。

たどたどしい言葉に合わせて、それが行われるが、まだどこか不安の色を感じさせる。


「──ううん。なんでもない。これから旅行の準備だから、切るね」


「え、ああ……うん。──お土産、期待してる」


神崎が話したくないことを深く掘り下げる必要なんてない。

そもそも神崎は俺と違い、大事なことしか口にしないのだ。

恐らく、神崎の頭の中でよく吟味した結果、話す必要がないと判断されたのだろう。


「美玖ちゃんには買ってくるよ」


「……いや、俺にも」


「ふふ、浮気しなかったら考えてあげる」


「しないから……」


からかうような笑顔を浮かべる神崎が頭に浮かぶ。

これはいつもの通りのやり取り。

お互い余裕が出てきた証拠だ。

だから大丈夫。そう言い聞かせる。


「じゃあね。また、明日」


「……また明日な」


惜しく思いながらも、通話を切る。


「……やばい、めちゃくちゃ恥ずかしい。ていうかなんだよ、あのセリフ。気持ち悪いわ」


先程の自分を攻めるが、言葉に勢いはない。

それからしばらく、眠りにつくことはなかった。

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