第37話 雨の日はやっぱりイレギュラー

神崎をそのまま家まで送り届けた俺は、所々に水溜まりが見られる道を引き返していた。

時刻は未だ五時過ぎ。

家でゆっくりするのには十分な時間が残されている。

もちろん追試の勉強もする必要はあるが、やはりそれはそれ。

人生はメリハリが大事なのである。


足取りは自然と軽くなり、気づけば家に着いていた。

いつもの調子でドアを開ける。


「……ん?誰か来てるのか?」


玄関にはサイズがほとんど変わらないローファーが二組、かかとを綺麗に揃えられ置かれている。

ひとつは美玖のだと思われるが……もうひとつはまるでわからない。

友達でも招き入れたのだろうか。


仮にそうだとした場合、この状況で俺が取る選択肢はひとつのみ。

それはできる兄として、二人の邪魔をしないこと。

……決して妹の友達とやらに怖気付いている訳では無い。

結論をまとめ早々に自室へ向かおうとする。


「……」


「……」


靴から視線を外し顔をあげた途端、俺は目の前の光景に息をのむ。

も驚いたように、目を丸くし髪を乾かしていたであろうバスタオルの動きを止めた。


普段より一層艶やかな髪に上気した頬。

そして恐らく俺のものだと思われる、身に纏う灰色のスウェットの一部が普段は見られない双丘を作っている。

俺の目はそうなるのが道理というように、その膨らみに引き寄せられた。


しかし、やがて二人の止まった時間は沈黙をそのままに動き出す。

最初に状況を理解したのは俺ではない。

彼女は俺の視線をそのまま追って、自らの胸元を見下ろした。


「な、な、なんで君がここにいるの!?」


「いや、それはこっちのセリフなんですけど……」


彼女──波盾すみれは自分の体を両腕で守るように抱き、そっと視線を外した俺をキッと睨みつけてくる。

その表情はいつも冷静な会長からは想像が出来ないくらい、動揺に──赤く染まっていた。


ここは紛れもなく篠宮家。

俺がここに帰ってくるのは当然であり、むしろ会長がここにいることの方が疑問である。


「──か、会長さん。あの、制服なんですけど……ってお兄ちゃん!?」


「お兄ちゃん……なるほど。表札でまさかと思ったけれど、そういう事ね」


美玖がリビングから慎重な足取りで出てきた。

小さな呟きとともに納得したように頷きを見せる会長。

それとは対照的に俺の方は未だ状況の整理がついていない。


「美玖、ちょっと来い」


「えっ?……えと、会長さんはリビングでくつろいでいてください」


「ええ、お言葉に甘えさせてもらうわ。何から何までありがとう、篠宮さん」


会長は笑顔を美玖に向けると、リビングに向かう。

途中横目で軽く睨まれたが、その足取りが止まることは無くやがて扉がしまった。


「なあ美玖。これ、どんな状況なの?」


「ん? えーっと、雨宿り……みたいな感じ」


「詳しく」


「……下校中に見かけたんだけど、会長さん、傘が途中で壊れたらしくて困った様子だったから連れてきちゃったの」


「連れてきちゃったって……まずお前、会長のこと知ってたのか?」


美玖は中学三年生であり、高校三年生の会長とは接点が無いはずだ。

人見知りの美玖が積極的に知らない人に声をかけるとは思えない。


「説明会とかで代表として話してたから。一応顔と名前は知ってた」


「……説明会? なんの?」


「お兄ちゃんの高校のだよ。去年の夏ぐらいにお母さんと行ってきたの」


「へえー……って待て。お前、志望校俺の高校ってこと?」


「……候補のひとつってだけ」


果たしてこれは肯定と受け取っていいのだろうか。

美玖の表情を窺うが、考えなどは読み取れない。

結局答えの材料になりそうなのは今の曖昧な答えだけらしい。

そうとなれば考えても答えは出まい。

頭を振って無駄な思考を追い出す。


「それでもわざわざこの家に入れなくて良かったんじゃないか?」


「制服がびしょびしょだったから。そのままだと風邪引いちゃうでしょ。……あと、さっきから質問が多い」


「……悪い」


ここに会長を招き入れたのは、制服を乾かすのが主な目的という訳だ。

これで何故会長がここにいるのかという根本的な疑問は解決された。

しかしそれとは別に会長が俺のスウェットを着ていたのは理解できない。

それこそ美玖の服で充分…………そういう事か。

美玖の服では色々と小さすぎますね。


「……今、失礼なこと考えなかった?」


「……考えてない」


正面からのジト目に知らん顔してカバンを肩にかける。

全く、変なところで勘が鋭い。一体誰に似たって言うんだ。


自室に向かい着替えようとも思ったが、あの人の前では制服でいる方がいいだろう。

何か弱みを見せつけるようで嫌だし。


「絶対嘘だ!……わ、私はまだ伸び代あるもん」


「それ、今の自分に対して失礼だぞ」


自分の胸に手を当てる美玖を尻目にリビングに向かう。

状況が状況だが、とにかくいつも通りに振る舞えば問題ないはずだ。

そう自分に言い聞かせドアノブに手をかけた。

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