第50話 遠ざかる背中に思うことは

同じリズムで靴底がアスファルトを叩いていく。

騒がしい掛け声は遠くのものとなり、今ではもう聞こえない。


「意外でしたね。まさか先輩が一位になっちゃうなんて」


「俺はお前達が結婚した時、何となくそんな感じがしてたけど」


「とりあえず、女性同士で子供が出来るのはおかしいと思います……」


「神崎がすぐに帰るぐらいだからな……」


二人してゲーム内容に対しため息をつく。


あの後、夫婦になった二人は子供を授かったことによる養育費の負担に加え、姫島の失職の影響で徐々に失速していった。

そのため、その間に運良く職を得ることが出来た俺はその流れのまま一位でゴール出来たのだ。

不機嫌さ全開で教室を出ていった神崎は深く印象に残っている。

……あとでさりげなくフォローしとこ。


「まあ、道理で先輩達が置きっぱにしたわけだ。……それで、話ってなんだ?」


隣を歩く姫島に、会話の主導権を奪いつつ尋ねた。

『話があるので、この後ご一緒してもいいですか?』。

先程、俺達以外、誰もいなくなった部室での姫島の言葉がまだ頭に残っている。


「先輩はせっかちですね。……恋人のフリの件です」


控えめな笑みを浮かべた姫島はこちらに顔を向けることなく、つぶやきにも似た返答をしてきた。

それにならうように俺も前方に視線を戻す。

住宅街が夕日に照らされ、朱色に染まっている。


「まあ、だとは思ってた。それで、これからはどんな感じで振る舞えばいいんだ?」


「普段通りですよ、普段通り」


「……え?」


姫島の淡白な返しに思わず隣を振り向く。

俺の顔がそれほど間抜けだったのか、姫島は柔らかく微笑んだ。


「恋人だからって常に一緒にいると、今度は見せつけてるみたいに捉えられて敵視されます」


「……めんどくさいな、それは」


「はい、とても。女子ってそういう生き物なんです」


やや得意げに語る姫島に苦笑いをこぼす。

攻めないでいれば自分の立場がなくなり、かといって攻め過ぎればグループから追われる身となる。

そんな世界に身を置いている彼女たちは常に最善手行動を考え生活しているわけだ。

嫌だな……疲れそうだな。

自然とため息がこぼれ出そうだったため、強引に口を結んだ。


「あ、でも一つだけ。今日みたいに一緒に帰って貰えますか?」


「……疑い始められるのを防ぐためか?」


「そういうことです。だんだんわかって来ましたねー」


「全然嬉しくない」


小悪魔のように笑いかけてきた姫島を軽くあしらう。

不本意ではあるものの、自分が触れていなかった世界について知識がついてきたのは認めざるを得ない。

ただ、どうしてもわからないことが一つ。

それは知識が深まるに連れ、闇を濃くして行くのだ。


「──姫島は、なんでそこまでにこだわるんだ?」


視界に映っていた肩が見えなくなる。

それに気づき足を止め、後ろを振り返れば同じように立ち止まった姫島がこちらを見つめている。

そして何かを決心したように、視線を少し上方に運んだ。

夕日が彼女の瞳と混ざり合う。


「……一人が怖くなっちゃったんです」


「それって……どういう、ことだ?」


儚さを突然纏った姫島の姿に思わず息を飲んだ。

言葉を継ぐので精一杯な俺は、無駄な思考を排除することが出来ない。


「──なーんて。別に大したことじゃないです。めんどくさい分、それなりに結構楽しいんですよ。それが理由です」


「そ、そうか。意外と……単純なんだな」


こちらを再び捉えた瞳から、逃れるように顔を背ける。


「世の中、だいたいそういうものじゃないですか。……あ! 私、ここを右なので失礼しますね」


「……ああ。気をつけて帰れよ」


律儀に頭を下げると姫島は指さした方向に歩みを進める。

きっと姫島はこのまま駅に向かい、いつもの要領で電車に乗り込み帰宅するのだろう。

そして俺はその背中を眺めるだけで、『送っていくよ』という簡単な言葉は、不思議と喉の奥に流れて行った。

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