第33話 ご褒美
コンクリートというのは、俺の知る限り無機質な温度と硬さが特徴的だ。
そこには、まるで人間のような温もりは存在しないはず。
自分の寝床兼枕に疑問を抱きながら、ゆっくりと目を開ける。
ぼんやりとした視界が、眠気がだんだん消えるとともに晴れていった。
「──あ、起きた。おはよう、篠宮」
「……ん、おはよう神崎……っ!」
慌てて上半身を起こした。
俺の目に最初に映ったのは、曇り空ではなくこちらを覗く神崎の顔。
そして先程まで俺の後頭部を支えていた、温かさと柔らかさが融合した物体。
ここまでの情報が揃えば、いくら起きて数秒だったとしても状況を理解出来る。
「な、なんでお前がここに?」
「教室にいなかったから、探しに来たの。さっきの放送、篠宮の仕業でしょ?」
向けられる視線から逃げるように、顔を落とす。
「仕業って……まあ、そうだけど」
「全く、無理しないでって言ったのに。休学とかになっちゃう可能性もあるんだよ?」
「……悪かったよ」
「──でも、ありがと。おかげでみんなと元の関係に戻れそうだよ」
「そっか、なら良かった」
大の字で再びコンクリートに寝転ぶと、空を見上げる。
先ほどよりいつの間にか太陽の主張が強くなっていて、雲を退けそうだ。
あの行動──テスト終了直後に放送を流すことは、神崎の言う通りかなり危険性があったのだろう。
実際の処分は会長の裁量で決められるため、未だ不明瞭ではあるが、きっとそれなりの罰が待っているはずだ。
しかし悔いはない。
ハイリスクハイリターンとはよく言われるが、別に背負う者と得る者が同一人物である必要性は皆無なのだから。
すると再び、目覚めた直後のように神崎が青空を塞いで俺を見下ろす。
その目は少々不満げな雰囲気を纏っている。
「……なんでコンクリートに寝るの」
「いや、だって……さすがに恥ずかしい」
さっきの感触が頭に焼き付いているため、曖昧な言葉でも、言わんとしていることが理解出来てしまう。
「私の膝枕……嫌だった?」
「全然、全く!むしろ気持ち良すぎて死んじゃうぐらい!」
しゅんと落ち込んだ様子を見せた神崎を前に、焦りを覚えてすかさずフォローを入れる。
と言っても全て事実のため、変に取り繕う必要はなかった。
……若干興奮のし過ぎで語彙力が無くなったけども。
「じゃあ、おいで」
綺麗な姿勢の正座で、寝転ぶ俺の体の脇にちょこんと座り直した神崎。
早く早くと促すような視線が、横目でそれを眺めていた俺を襲った。
……こいつ、今の表情演技だったな?
「お、お邪魔します……」
寝ている最中とは違い、今回は意識がある中で自分から。
込み上げる羞恥心を抑えながら、おそるおそる神崎の柔肌に頭を預けた。
「今回手伝ってくれたお礼。……少ないかもだけど」
「……初任給にしたら、貰いすぎなくらいだ」
「大袈裟。でも、それなら良かった」
頭に新たに感触が加わる。
そこから伝わる手の動きからは、いかにも上機嫌であることが伺えた。
「そういえば、なんでここがわかったんだ?」
「なんでって……篠宮が言ってたじゃん。屋上は楽になれるからいいって」
「確かに去年言ってた記憶はあるけど、それとこれがどうやって結びつくんだよ」
「……それはわかんないや」
「なんだよそれ」
困ったように笑顔を浮かべる神崎を見て、俺も思わず口元がほころぶ。
思えば、自分自身でも何故ここを選んだのか覚えていない。
神崎の口から紡がれた懐かしい言葉。
もしかしたら、本能的に少しでも慣れた場所を選んだのかもしれない。
まあ、今となってはどうでも良いことだが。
「ねえ、こっちもそういえばなんだけど、テストの出来はどうなの? 数学なんて、いくら最後の数分だとしても途中で抜け出したんだから、それなりの点数の自信はあるんだよね?」
俺の頭を撫でる手を止め、ぐいと顔を近づけて来た神崎。
同時にかけられた問いかけには、多少の圧が含んでいる。
それもそのはず。
自分が一番手をかけて教えた教科が悪いともなれば、誰もが良い思いをしないだろう。
それを承知の上で視線を逸らす。
「……正直、見直してる余裕がなかったので確かな自信というものは持ち合わせておりません」
「もしかして……他の教科も?」
心配の色が滲んだ二度目の問いかけに、控えめに頷く。
俺は器用ではないため、同時に二つのことをこなすのは不可能に近い。
故にこそ、今日のテスト全てにおいて集中出来なかったのは当然なのだ。
さすが神崎、察しがよろしい。
……お後はよろしくなさそうだけど。
「今までのは一体何だったのよ……」
「待て、神崎。まだ結果出てないから!可能性は残ってるから!」
「ほんの数ミリだけどね……。この学校のテスト、そこまで簡単じゃないよ」
はあ……と深いため息。
頭のいい神崎がそう言うのだから、それは事実なのだろう。
まさか進学校なのが祟ったとは……。
これは一周回って……はい、俺が悪いです。
「じゃあ、ご褒美はないかもね」
「やっぱそうなるよな……」
俺にとってその言葉は無慈悲な宣告に近い。
何よりも、それのために高校生活一年とちょっとの中で、一番勉強したのだからそう感じてしまうのは仕方がない。
「ちなみに、さ。どんなご褒美考えてたの?」
ここぞとばかりに、内容を尋ねてくる神崎。
デートの日の夜には、『私がそれをずっと知らないで学校生活を送ることもあるかもしれないからね』なんて言っていたがやはり気になってしまったらしい。
タイミングよく思い出したけど、俺も結構痛いこと言ってるんだよな……。
現に思い浮かんだ言葉が頭の中を巡るせいで、頭痛がする。
過去の俺に早くテスト結果を見せてやりたい。
恐らく、赤面は確実だろう。
「大したことじゃないし、それを言う権利は俺にはない」
「カッコつけなくていいから。ていうか、大したことないなら尚更教えてくれていいじゃん」
「べ、別にカッコつけてない!……ただ、大したことじゃないは、嘘だ。めっちゃ大したことある。だから──」
「え、そうなの?それはそれで……興味が膨らむんだけど」
「どうすれば退いてくれるんだよ!?」
「言うしかないよねー」
先程から影で神崎の膝元からの脱出を試みてはいるものの、器用に神崎が両手で阻止してくるため実行出来ていない。
もはや物理的にも、躱すことは出来なくなってしまっている。
膝枕が罠としても機能するなんて、一体何を見れば知ることが出来たのか。
とはいえ、もう話すしか方法がない。
腹をくくってため息にも似た深呼吸を一つ。
しかしながら、ご褒美としてお願いするのには躊躇いがなかったが、改めてそれがなしとなると恥ずかしい。
「……キスを、してもらおうと……思ってました」
「キス、か……」
俺の言葉に合わせ神崎は背中を起こし、空を眺める。
その横顔はほんのりと赤くなっているのが確認できるが、それどころではない。
ていうか顔逸らせるのずるくない?
俺なんてまだ固定されたままだから、神崎の姿が嫌でも目に入るし、密着しているおかげで匂いも暴力的なまでに感じるから恥ずかしさが消えないんだけど……。
やがて何かを決心したように頷くと、再び視線をこちらに落としてきた。
「……エッチなやつはダメって言ったのに」
「いや、キスは違うだろ!だいたい俺のは口じゃなくて──」
刹那、今日──いや、付き合い始めてから一番神崎との物理的な距離が縮まった。
やがてそれは元に戻るが、唇には味わったことの無い感触がまとわりつくように残っている。
「……これはご褒美としてじゃなくて、私の気持ち。──好きだよ、篠宮。大好き」
照れ笑いを浮かべながらも、こちらを見下ろす神崎。
当の俺はとっくにキャパシティオーバーで、ただただ押し寄せる欲の波を、理性のダムで留めておくのがやっとだった。
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