第32話 俺自身でつける決着

屋上のフェンスに体を預けてから何分経ったのだろうか。

一昨日とは違い、今日は天気も良く青空が広がっていて身を冷やしてくる風もない。

正直過ごしやすい環境のため、このままずっとここに居ても構わない気もしてきたが、そんな時に限って物事は順調に進む。


「はあ……はあ……お前、どういうつもりだ」


一昨日よりも勢い良く開かれたドアから出てきたのは、息を切らした佐々木先輩だった。

手には俺が放送室に置いておいた伝言書──『屋上で待ってます』と書いたものが肩の動きと合わせて揺れている。

放送の内容から待ち構えているのが俺だと予想出来ていたからか、爽やかモードの発動は一切なかった。

膝に手をつく先輩を嘲笑うかのように見据える。


「疲れすぎです、先輩。それだから準レギュラー止まりなんですよ」


「黙れ……!一昨日のあれ、録音してたのか!」


首の動きだけで肯定する。

問題の解決──クラスの誤解を解くというのは、簡単そうだが方法は実は一つしかなかった。


──神崎が問題の投稿をしていないことを、神崎自身と神崎の身近の人間以外の言葉で示さなければならなかったのだ。


だからこそ、俺はあの時先輩に歩み寄りの姿勢を見せ、全てを吐き出してもらいそれをポケットに忍ばせておいた携帯で録音した。

そして昨日、入門書片手に一日かけて編集したものを先程放送として全校に流してやった。


おそらく、先輩はその放送を止めてからここに来ているだろうから今は既に流れていないはず。

しかし、それでも効果は充分だ。


「これで神崎と先輩の立場は入れ替わりました」


一旦特定の人物にヘイトが向けば、それを取り除くのは難しい。

残念ながらと言うべきか、人は恨むことに、憎むことに長けているのだから。

しかしヘイトは取り除くことは出来なくとも、何かを理由に丸々移ることはある。

今回もきっとこのケースだろう。


「まあ、先輩のことを特定出来る要素は声だけなので、そこは安心してください」


「……安心って、知り合いにはどうやっても隠せないだろ!」


「知り合い以外からも敵意を向けられるよりはマシでしょ。……神崎よりは幸せですよ」


神崎の場合は乗っ取りとはいえ、自分のアカウント。

関わりがない人たちからも、蔑んだ目で見られていた可能性もあるのだから。


「自分がどんなことをしたのか、その身で味わった後。神崎に直接謝って──」


突然先輩がこちらに寄ってきたのかと思った瞬間だった。

俺は先輩に胸ぐらを掴まれて、フェンスに叩きつけられた。

殴りつけた時よりは小さいが、ガシャンと音が鳴り、振動が背中を伝う。


「──ふっざけんなよ!俺の生活、勝手に乱してんじゃねえ!」


間近で俺の顔を映すその目は真剣そのもので、それが逆に癇に障る。

気づけばフツフツと、一昨日抑え留めた分の怒り……いや、明らかにそれ以上のものが胸の中で湧き上がっていた。


「……ふざけんな?勝手に生活を乱すな?──冗談じゃない。何被害者ぶってんだよ、あんた」


「舐めた口聞いてんじゃ──」


「その言葉を、セリフを並べていいのは神崎だけだ!……あんたにはその権利も資格もない」


フェンスを、力を入れた両手で必死に握る。

神崎はきっと苦しんでいた。

俺があの問題に気づく前も、解決が出来るように手伝うと宣言した後も。

終ぞ、表情とともに感情を表に全部出してくれたのは一度だけだったが、なんとなくそんな気がするのだ。

それ故に、目の前に立つ男が許せなかった。

しょうもない動機で、神崎を苦しめたこいつを。


「……だいたい、振られたのはあんたのくせに、それを相手が調子に乗ってるで片付けてる時点でおかしいんだよ。正直あんたの器が、プライドが小さいことなんてどうでもいい。ただ、そんなもののためだけに……他の人──神崎まで巻き込むな!」


「てめえ……!」


「──やめなさい」


俺の胸ぐらを掴んでいない、拳の形をした右手が宙で止まる。

先輩の肩越しからなんとか視線を、凛とした声が鳴った屋上の入口に向ける。

誰であるかは声でわかってはいたが、確認せずにはいられなかった。


「それ以上私の前で暴力を振るうのであれば、教師に進言されることは覚悟するのね」


「波盾…………くそ!」


俺の胸を締め付けていた腕は離れ、佐々木先輩は逃げるように、この屋上を後にした。

その背中に目をやることなく、喉元の開放感に満たされながらも、俺はフェンスを背に座り込む。


「脊髄は?問題ないかしら?」


「フェンスにぶつかっただけなので、全然問題ないです」


その言葉が真実であることを示すために、おもむろに立ち上がる。

それを見ていた会長は安心したように、一つ息を吐いた。


「……それより、よくここがわかりましたね」


「会長の勘よ。よく当たるの」


「へえ、そりゃ凄いですね」


「嘘。ただの偶然。ちょうど下を通りかかった時、聞いたことのある声が聞こえたから」


「……会長も嘘つくんですね」


「当たり前じゃない。私も人間よ?」


今はこのやり取りがとても心地よい。

荒んだ心に時間が溶け込むような、不思議な感覚に襲われる。

だがそれは会長がこちらに背を向けたことにより、終わりを告げた。


「何も問題ないなら教室に戻りなさい。この件は生徒会に預からせてもらったから、先生にお咎めを食らうことはないわ」


「……それって、裏を返せば会長に説教されるってことですか?」


「それは……どうかしら。近いうちの放課後、生徒会室に来なさい」


会長は口元に意味深な笑みを浮かべつつ振り返り、やがて屋上から消えた。

そしてここには、佐々木先輩を待っていた時のように俺だけが残される。

いつの間にか、太陽は雲に隠れてしまっていた。


「……会長も、さすがに疲労までは見破れなかったか」


そう呟きつつ、ひんやりとしたコンクリートに寝転んだ。

音源の編集による寝不足に加え、今までのやり取り。

睡魔がそこに付け入るのも、時間の問題だった。

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