第39話 先輩は後輩

土曜日の朝。

平日と変わらぬ時間に起床した俺は、睡魔を引きずりながら通学路を歩いている。

理由は簡単。

学生なら誰もが忌み嫌っているであろう追試験を受けるためだ。

今日まで教科書との睨み合いを続けたため、何とか自力で試験範囲を攻略することは出来そうなのだが、それ以前に休日に学校に向かうという行為が億劫で仕方がない。


「はあ……」


そうそう、もうこんなふうにため息が出そう……え?

下駄箱まであと一歩という所で足を止め、疑問を生じさせたため息の聞こえた左側に顔を向ける。

そこにあったのは初めて見る表情に染められた見慣れた顔。


「姫島」


「……って先輩!」


「お前……なんでここにいるんだよ。残念ながら、今日は平日じゃないぞ?」


「そんなことわかってますよ! 委員会の資料を取りにわざわざ来たんですっ。ていうか先輩こそどうしてここにいるんです?」


「ぐ……いや、それはだな……」


言い訳を考えるべく目を逸らす。

しかしそう瞬間的に状況に当てはまるようなものが思いつくはずがなく、沈黙がこの場を満たす。

そんな俺とは対照的に、やがて姫島は何か思い当たったようで、疑いの目を向けてくる。

……きっとそれで合ってるから、出来れば言わないで欲しいな。


「……先輩、もしかして追試なんですか?」


内に秘めた切実な願いは届くはずもなく、こちらを探るような小さな声に揉み消された。

当てられたことに加え、内容が内容のため恥ずかしく、頑なに視線を明後日の方向へ固定する。

だがこの反応こそ墓穴を掘るもの。

その証拠に姫島は何かを察すると同時、肩を小刻みに揺らしだす。


「ふふ……図星ですか」


「笑うなよ……。勉強出来ない奴だっているんだ」


「だって先輩、超勉強出来そうオーラ漂ってるから意外で……。ふふ、そうなんですか。いい事聞いちゃいました」


「追試ってことは他の奴ら……ていうか神崎には内緒にしてくれ」


「どうしてですか?」


「……あれだよ、馬鹿にされたくないから」


本当は神崎に余計な責任を感じて欲しくないという理由なのだが、それを俺達の関係について何も知らない姫島に話す訳にはいかない。

それこそ疑ってくれと言っているようなものだし。


「わかりました。だいたい私、神崎先輩と仲良くないですし、そんな心配は無用ですよ」


「もうちょい仲良くしてもらえると、俺的には嬉しいんだけど……」


既に文芸部では二人が部活動中話さなすぎて、俺が気を使って交互に話しかけるという構図が主流となっている。

そのせいか、この頃グループに身を置いている女子の気苦労がわかってきてしまっている。

あの言葉選び間違った時の微妙な空気。

もうほんと、しばらくボッチでいいです……。


「いや、多分それは無理だと思います。私たち相容れない……というか、根本的に違うんですよ」


「根本的は言いすぎだろ。どっちもクラス牛耳ってんだし」


「言い方酷いですね……。でもそれだって結果的に同じってだけです。私が言う根本的って言うのは……ねえ、先輩。試験、大丈夫なんですか?」


話が途中で途切れたと思えば、姫島が時計に目をやりながら俺に問うてくる。

それに合わせて俺はスマホを取り出し時計を表示させる。


「……だ、大丈夫だと思う。──走れば」


「それほぼダメじゃないですか!早く行ってください!」


「話の途中に悪いな。じゃあ、また学校で!」


肩にかけていたカバンを手に持ち替えて、下駄箱に。

そして即座に上履きに履き替えて教室へ向かう。

昇降口で姫島が何か言っている様子だったが、残念ながら耳に届くことはなかった。



監督役の先生の試験終了の合図で試験は終わりを告げた。

何とかギリギリセーフで教室へ飛び込んだため、一切の支障もなく試験に臨むことが出来た。

自己採点などはしていないが、手応えはなかなか。

追試の追試なんていう、馬鹿げたことは起きないだろう。


それから約十分が経過したが、教室には俺一人しかいない。

他の追試生も居たはいたが、終わった瞬間に即帰宅。

先生もそそくさと職員室に向かったためだ。


「もう駄目。俺自身が因数分解しそう」


それ故に、多少こんな意味不明な言葉をそれなりの音量で発することに抵抗はないのだ。

机に突っ伏しながら、頭を埋め尽くす計算の数々を取り除いていく。

そんな時ガラリと教室前方の引き戸が開かれた。


「──何訳の分からないことを言ってるんですか……」


「……姫島」


「こういう時、先輩なら真っ先に帰宅すると思ってたんですけど」


姫島は少し不満そうな表情を浮かべ、こちらに近づいてくる。


「なんでまだいるんだ?」


「あの時話したいことがあるから待ってますって言ったじゃないですか」


「……話したいこと?」


体を起こし、先を促すように姫島に視線を送る。

すると姫島は俯き、やがて決心したように顔をあげた。


「……本屋の件です。いつが都合いいですかね?」


「あれか……明日とかどうだ?」


「いいんですか? そんな急でも」


「俺は基本的に暇だからな。急でもなんでも変わらない」


「胸張られても困るんですけど……」


呆れられても、事実なのだから仕方がない。

まあ、かといって今日みたいな休日出勤はお断りだけども。

……でも、なんだかんだでちゃんと来ちゃうあたり、ブラック企業向きなんだよな、俺。


「そういえばシフト決めなきゃだな……」


思考が望まぬ内に仕事方向へと転がったことで、自然とバイト……それもシフトの件が頭の中に浮かび上がってきた。

確か未だ保留状態のはず。

このままではマスターにも迷惑を掛けてしまうかもしれないので、早く決めなくては。


「そういえば伝えてなかったですけど、今月の営業日は毎週火曜日と木曜日です」


「……それだけ?」


「はい。週二日です」


「いや、それ休業日の間違いなんじゃ……」


一般的に営業日というのは、休業日より多いはずだ。そうでなければ利益を得るのが難しいし、客足もきっと遠のいてしまう。

しかし姫島はハッキリと首を横に振り、俺の言葉を否定した。


「マスターだって歳なんです。ゴールデンウィークとか特別な休み以外は基本的に週二ですよ」


「……なるほど。確かにそれなら営業日全部……か」


以前姫島のシフトを参考にするために、それを伺ったのだがその時に『営業日は全部』と返され『うわ、こいつガチ勢』と素で驚いてしまった。

しかし今日この場に置いて、俺の勘違いであったことがわかった。

いや、だって流石に営業日二日しかないとは思わないじゃん?

ていうか、あの老人マスターなら二日じゃなくても問題なさそうなんだけど……。


「そういう事なら、お前と一緒で問題ない。ゴールデンウィークぶりだけど、これから頼むぞ先輩」


「──は、はい!……なんか先輩に先輩って言われるのくすぐったいですね」


「そんなんでちゃんと働けるんですか? 先輩」


「そ、その呼び方やめてください!……ってそんなことよりも明日の詳細を決めますよ!」


「わかったから、引っ張るなって……」


腕を姫島に引っ張られる形で立ち上がった俺は、足取り軽く先を進む姫島を歩いて追いかけた。

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