第14話 仮初の決意

睡魔の主張が激しくなってきている。

それは勉強で疲れている体を、直ぐに飲み込んでしまいそうだ。


「はい、ホットミルク」


「わざわざ悪いな」


「私も飲みたかったし、気にしないで」


ふっと微笑んだ神崎はマグカップを二つ、ダイニングテーブルに置いた。

あまり熱くならないように配慮してくれたのか、湯気は立ち昇ってはすぐに見えなくなる。

勉強時には気にならなかったが、やはり物静かな状況では時計の主張は激しくなる。

今も一定のリズムを乱すことなく、時を刻んでいる。


「……ゴールデンウィーク、全部旅行なのか?」


「ううん。一応初日だけは部活に出るつもり。午前練習だし」


「部活か……」


その言葉からまるで逃げるように、マグカップを口につけホットミルクを冷えた体内に流し込む。

なるほど。これは確かに寝付きが良くなるはずだ。体がぽかぽかして頭がぼーっとしてきた。


知識としては、テレビか何かで聞いたことがあるため持ち合わせていたが、実際に飲むのは今回が初めて。

どうやらメディアは嘘をついていなかったようだ。

ほっとした。……ホットミルクだけに。


「寂しい?」


「……一応」


からかうような口調でこちらの様子が伺われる。

それがむず痒くて、視線を未だ揺れる水面に落とした。

白い波紋はだんだんと静まっていく。


「ふふ、そうなんだ。──じゃあ毎夜電話してあげる」


「……旅行なんだろ?気を使わなくていいって」


「違うよ。ちゃんと勉強した報告を貰いたいだけ。私がいなくてもちゃんとやってるかどうかのね」


「少しは信頼して」


ちなみに今日の勉強会は終わりを迎えた。

しかし、今回はなんとエンドではなくフィニッシュなのだ。

神崎からは中の上のそのまた下の方なら、心配いらないと太鼓判まで押されてしまった。

……言葉にすると凄さが全く伝わらないな、これ。

むしろ皮肉感満載まである。

これで褒めているつもりなのだから、神崎は怖い。


再び静寂が訪れる。

いつの間にか、目の前には湯気が発生しなくなっていた。


「──あっという間だったね。付き合ってからもう二ヶ月なんて」


「そうだな」


両手を温めるようにマグカップを掴んでいる神崎は、天井を仰いだ。

やがてこちらに視線を向け、いたずらを仕向けてくる幼い子供のような笑顔を向けてくる。


「……まさか篠宮から告白されるなんて、思わなかった」


「あーそれ、あんま思い出したくない……」


視線が交わることを恐れ、目を逸らす。

結果がどうあれ、告白というのは蒸し返されると恥ずかしいのだ。


「──ねえ、なんで私だったの?」


その声音は興味と真剣な感じが混ざっていて、そこから、含まれた思いが推察できる。


「……なんでだろうなあ」


本当はわかっている。

文化祭準備あの時、俺の本質を見抜き手伝ってくれた。向き合ってくれた。

そこから生じた興味がきっと、いつの間にか恋に発展していたのだろう。

……なんて単純な男なんだ。まるで小学生。


でもまあ、それはあながち間違っていないかもしれない。

中学生になっても、高校生になっても、変化などなく、成長とは無縁だったのだから。


「ていうか、そっちはどうしてOKだったんだよ?」


過去が探られるのが照れくさくて、話題を無理やり切り替える。

慌ててホットなミルクを呷ったため、体温が内側から上昇していくのを感じる。


「えっ、そ、それはー……」


ほのかに赤くなる頬。

そして神崎は目を泳がせ始め、やがて手元に視線を落とした。


「…………好きだったから」


「へえ……」


ボソッと呟かれた言葉は、もしかしたら秒針より控えめな音だったかもと思わせるほどに、聞き取りが難しかった。

それでも頷きを返す。

適当という訳では無い。

どんな理由であれ関係ないと、本気で思えたから。


「も、もう寝よっか。一応明日学校だし」


慌てた様子で席を立つ神崎の声に、時計に目をやると、日がまわっていることが確認できた。


「そういえば、どこで寝るんだ?」


空になった二つのマグカップを、ダイニングに運んでくれている神崎を目で追いかける。


「美玖ちゃんの部屋。服もそうだけど、その許可を取るために連絡を取ったの。……もしかして、一緒に寝れると思った?」


「……そんなことない」


直ぐに見破られると思いつつも、口先で否定する。

わざとらしく首を傾げる神崎に、弄ばれているようだったから。

目の前を落ち着いた足音が過ぎ去っていく。


「ふーん……。まあ、いっか。──おやすみ篠宮」


「……おやすみ」


リビングの扉が閉まる直前に投げかけられたものに対して、恥ずかしさを耐えつつ、その言葉を口にした。



──ピピピピピピ。

朝を知らせる、聞きなれた軽快な音に目を覚ます。

そんな音とは対照的に、いつもとは違う寝床のため寝れるかどうか危惧していたけど、杞憂に終わった。

というかむしろ良く眠れた方だと思う。

寝起きがいいとはいえ、こんなに頭がスッキリすることはほとんどないから新鮮だった。


しかしいくら許可を貰っているとはいえ、用もないのに長居しては申し訳ない。

ベッドから体を起こすと、軽く伸びをしてカーテンを開ける。

時間が時間のため、眩しい朝日が部屋に入り込むことは無い。

でも、少しだけ。

いつもとは違う風景に心打たれ、気づけばぼーっとそれを眺めていた。


しばらく経ってたから、頭を横に振る。

急がなければ。朝の時間なんてほんの一瞬なんだから。

眠気を帯び始めた思考を一瞬で目覚めさせることに努め、リビングに急いだ。



時刻は六時。

朝ごはんを作り、着替えをして私服姿に戻った。

美玖ちゃんの寝間着を含む、あまり多くない洗濯物を洗濯機の中に投げ入れ、電源を入れる。


「よし、これであとは帰るだけ……だけど、その前に」


大きな音を立てないように、ゆっくりゆっくり、一段一段、慎重に階段を上っていく。

向かう先は篠宮の部屋。

だけど別に起こしに行く訳ではない。

実際登校時刻まではあと一時間以上ある。


それ故これはただの欲。

──もう一度篠宮の寝顔を見たいという、単純でわかりやすい願いに従って体は動いている。


「お邪魔しまーす……」


扉を開けて静かに部屋に入る。

この様だけで見れば完全に不審者だけど、それを見ている人はいない。

ただ篠宮が寝ているかどうかを警戒しながら、ベッドに忍び寄る。


「ふふ、ぐっすり」


覗き込んだ先には篠宮の幸せそうな寝顔。

それを見て思わず笑みがこぼれる。


「可愛い……」


普段は大人びた雰囲気を纏っている篠宮だが、寝ている時はそれが一転、幼子のようななのだ。

それがまた愛らしくて、自分の中に潜む母性がくすぐられる。

これがギャップ萌えってやつなのかな?

相変わらずそういう所はずるいんだから……。


「……ちゃんと勉強しておくんだぞー」


我慢することが出来ず、ついに頬をつつく。

すると篠宮はうめき声をあげながら、反対側に寝返りをうってしまう。

篠宮は寝起きが良くない。

それは先日の放課後に確認できている。

恐らくあと三十分は起きないだろう。


「……ここまでにしとこ」


それでもやはり睡眠の邪魔をするのには抵抗があり、諦めて引き上げることにする。

ほんとはもっと見ていたいけど仕方がない。


ちなみに私がこの時間に帰ることは篠宮には言っていない。

それにはもちろん理由がある。

流石に理由もなしに黙って帰るほど薄情ではない。

……いや、ある意味薄情なのかもしれないけど。


「じゃあね、篠宮。一緒に登校はまた今度──私が勇気を出せるようになったらね」


当然返事はない。

むしろあったら困る。

これ以上、篠宮に背負わせる訳にはいかないんだ。

解決してもらうのを、状況を変えてくれるのを待つんじゃない。

私が、私から変わらないと。


──そうやって自らを鼓舞する私を、どこか嘲笑うような自分がいることには目をつぶって、扉を静かに閉めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る